2月16日のパトビラ(№966 - 小田原市の本気度 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

ジャンパー問題の続報です。小田原市はこの問題を重大な問題として認識して、有識者による検証委員会を設置し、学識経験者等のみならず、生活保護利用者の権利擁護に取り組んできた森川清弁護士と元生活保護利用当事者である和久井みちる氏をその委員とする、ことを発表しました。私たちもこの委員会の設定を高く評価します。と言うのも、国をはじめ行政の第三者委員会は、得てして自分たちに都合のいい人をそのメンバーにすることが多いのですが、森川弁護士をはじめ、和久井みちるさんをメンバーにする、つまりは当事者の代理人として十分役割を果たせる方が委員として発表できることは大きな期待です。
小田原市は日本で初めての『空き缶抜き取り条例』に罰則項目を盛り込んだ最悪の政策と、同時に医療単給には速やかな対応を取るべき裁量権の行使をする両局面をもっています。特に前者は市自身の問題であるのに対して、後者は担当部署の裁量だと思っています。しかし、悪しき前例をもつ市行政執行部がこうした第三者委員会の設置をすることで、他市に誇れる福祉行政になるのではないかと思います。
私たちの抗議書にも回答が15日にありました。内容は追って皆さんにもご報告したいと思います。


検証をしたことをどう実務に生かすのか? また予算との関係などもあるでしょうが、大きな一歩です。
さて、注視する僕も和久井みちるさんや森川弁護士のことをよく存じ上げておりません。期待できると書きながら、本当にそうなの?その人のこと良く知っているの? と言う疑問の投げかけには残念ながら、理論でお返事できないのが現実なので遅ればせながら、お二人の著書を購入。
まずは

20170213-01

から読み始めましたが、なかなかのもの。「託して大丈夫?」との推測が「託して大丈夫!」という信頼に変わりました。
何処の市でも、行政マンは保護を受けさせないように、きっと上から言われていることでしょう。それは国政の年金対策を見ても分かります。
和久井さんも書いていましたがどなたでもお気軽に、と言う窓口の言葉通りに保護につながらない、いいアドバイスをもらえないのは誰のせいなのでしょうか?
担当者でしょうか? きっと違います。上部から言われているのです。
では上部の判断でしょうか? それも違います。上級自治体の要請です。

小田原市のこの事件を通して国が変わるようにしなければいけませんし、そうできれば小田原市は保護政策優良自治体を誇っていいと思います。

消えるものと消えないもの

2017年2月12日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 5章17-20節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

天地が消える、つまりは地球上に住む僕ら「人間(と当時の人が思っていた)」の最期の時。言い換えればすべての人が神のもとに行く神の国の成就の時。その時と言うのは人間が人間のために作ったルールなど成り立たないであろうが、その時まで律法が無くなることはないとイエスは語ります。
人間の支配力がない時まで人間の作った律法に従う矛盾。それは何か?なぜ故に神は神の英知に比べれば取るに足りない人間の作ったルールをそこまで従ってくれるのか?
それは神が人を赦した故。自由をお与えになり、人間の態度を評価するためなのかもしれません。

聖書は福音書を通じてイエスを描いています。様々なルールの狭間をファリサイ派や律法学者から追及され、違反をしたら裁こうと虎視眈々と狙われていました。同時に貧しい民衆はだんだんと形骸化したルールに困窮し、ルールに迎合すれば民衆の支持を失うこともファリサイ派や律法学者も知っていました。
しかしイエスは、律法を守りながらも律法に従えない人への配慮も出来たため、ついには磔刑の死を迎える訳です。
イエスは律法は無用と言う社会革命を起こすわけではなく、律法の意義を純粋に守ることを言いたかったのではないでしょうか?

例えば僕らは車に乗ります。ゆえに交通ルールを守ります。世界四大文明で動物に乗ることや荷物を運ばせることはありましたが、17世紀になるとヨーロッパでは道路が整備され馬車で行き来をするのが当たり前になりました。そして馬車を超える自動車が発明され、交差点での事故が発生するようになります。
事故を防ぐにはどうしたらいいか? 人々は考え、交通ルールを作ります。信号が出来ました。青は進め、赤は止まれ、です。
ですが、赤になる直前進んでしまうと交差点の中で青になったばかりに進んできた車や馬車とぶつかる可能性が出てきました。
そこで、青が終わり赤になる前には黄色に変わるようになり、注意して進め、でも反対側はその間赤のままにする、と言うルールが出来ました。
それでも黄色の終わりにスピードを上げて交差点に入る車、交差点の反対側では相手の信号が黄色になったのを見るや否やアクセルをふかし変わると否や交差点に入る車が出来ました。

律法とはこういうものでしょう。しかし守らなければ大きな事故になる可能性もある。
そんな時イエスが語るのは、律法云々ではないのです。相手のことを思いやりましょう!
まさにコロンブスの卵、目からうろこが落ちた如くの正論。
つまりもし信号がなくても、交差点の前で「すべて」の車がいったん停止し、相手の道路をよく確認し、徐行をして走り抜けれることが出来るのなら、信号と言うルールは不要なのです。なくてもいいわけです。
これこそイエスの言う律法の完成ではないでしょうか?

長井牧師は、ファリサイ派や律法学者も辛い日々を過ごしたのかもしれない、と語ります。
交通事故を無くそうとするのなら、信号を作り、黄色信号を作り、と社会の流れに沿って変革をさせる事が大事だと必死になったのかもしれません。イエスの正論ではなく、目の前の事象に絞り込み、ただその1点だけの解決を試みたのでしょう。

しかしイエスは言います。「神を愛し、隣人を愛しなさい」この短い2センテンスの言葉が守られるのなら、世の中のすべてのルール法律は不要になる、そんな高度なテクニックを教えてくれたのでしょう。それこそルールの感性です。
世のルールは信号を例にとるまでもなく、複雑にすればするほど、その隙間が気になります。破る輩が出てきます。破られればもっと複雑にし破らせないように努力します。管理社会は、穏やかな人を精神的に追い込みます。権力者はその仕事上の力によって狼藉を働かせることもあります。
イエスの言うルールは難しいけれどシンプルで純粋な生き方です。誰もが平等な生き方です。事の大小を問わず、自分より隣人を誰もが優先した世界になりますように。

オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。

高山右近の列福式の記事

限定公開とのことですのでダイレクトで貼らずにリンクのみご紹介。この上でクリックしてください。

カトリック司教協議会列聖列福特別委員会は、大阪教区(池長潤大司教)と共に2月3日、ユスト高山右近の列福祈願ミサと講演会を開催、会場の大阪・城星学園講堂には約800人が集った。400年前のキリシタン大名右近の生涯を知ることで、神がへりくだられた意味を深く理解し、キリスト者であることの使命を再確認する機会となった。

オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。その後、北摂地区青少年委員会の子どもたちによって右近の生涯の紙芝居、続いて「捨ててこそ―イエスの福音と高山右近―」と題して古巣馨神父(長崎教区)の特別講演が行われた。

「400年間語り伝えられてきた高山右近の出来事は、閉塞(へいそく)感に満ちた今だからこそ日本の教会の『共通の記憶』として、皆が知るべきことだ」と切り出した古巣神父は、始めに右近の生涯全体をおおまかに紹介。その上で、「高山右近という生き方」について、人生は神によって起こされた出来事だという理解のもとで、聖書の箇所を引用し、右近の人生と重ね合わせながら解き明かした。

まず右近の人生を、①「出会いの神秘」、②「苦しみの神秘」、③「復活の神秘」と三つの時期に分けて解釈し、それらをキリストの三つの神秘と一致させて見るとき、イエスの福音と右近の関係は鮮やかになると話した。

①「出会いの神秘」では、ザビエルにいたる右近の信仰の系譜(誰を通して信仰を得たか)に触れ、②「苦しみの神秘」では、神と人の絆をより深く結ばせる苦しみ、すなわち「試練」を通して右近が神によってつくり変えられたと語った。右近には三つの大きな試練があったというが、古巣神父はこう説明した。

「『荒木村重事件』では、人生の岐路に立つとき、神の前に身を置き、問い掛け、静かに聞き、決断するという、右近の生涯を貫いた『祈りによる決断』を身に付けました。秀吉による伴天連(バテレン)追放令では、『他のことは譲っても、神の教えにかかわることは譲れない』と公言。身分も財産も全て捨てることを選択したのです」

「降りてきて、十字架の死に至るまでへりくだった神」と出会った右近は、下克上の上り詰めることを競った時代に、“負け組”として、「降りていく生き方」を選ぶ。右近のこの生き方は、競争社会の中で福音を伝えようとする現代教会に大きな示唆を与えると、古巣神父は指摘した。

また、63年の生涯のうち、28年間を追放の身として過ごした右近は、秀吉、家康からの追放を「キリストからの派遣」と受け止め、彼の行く先々には信仰共同体(教会)が誕生した。右近の追放の人生は、③「復活の神秘」の中にあったと指摘した。

「洗礼の恵みを深く生きた結果が『高山右近という生き方』になりました。右近は現代のキリスト者に、洗礼の恵みを喜びとし、その情熱のうちに生きるようにと励ましています。人は本当の神の教えに出会い、洗礼を受けたこと、キリスト者であることをもったいない(ありがたい)こと、と公言した時、福音の証し人になれるのです」(古巣神父)

締めくくりの列福祈願ミサは、大塚喜直司教(京都教区)をはじめ、池長潤大司教(大阪教区)、松浦悟郎補佐司教(同教区)と他13人の司祭による共同司式で行われた。大塚司教は説教で、右近の人生が「長い殉教」そのものだったため、その生涯の道のりは私たちの信仰の模範となると話した。

さらに、教皇ベネディクト16世が、昨年「信仰年」を定めた背景にも言及。かつてはキリスト教国と呼ばれた国々の深刻な教会離れがあると説明し、私たちには、今どうしても内面の刷新が必要だとして、右近の列福を心から祈りたいと結んだ。

カトリック新聞OnLine February 15, 2013

がんでもいいじゃん♪

2月3日BSテレビの番組でがん治療の特集。連れ合いが発病したころと治療方法も大きく変わっているな、と思いながら見ていると最後に山下さんと言うお嬢さんにスポットを当ててその闘病の様子を。
彼女だけではなく、僕の周りにも彼女のような前向きな方がたくさんいて、その方の闘病の様子を見ていると、サバイバーではない僕も元気をもらえる。
そんな頂いた元気に対してエールの言葉をFB(フェイスブック)に記せば、RFL(リレーフォーライフ』のお仲間ともう一人沖縄の社会問題にかかわっている高校の数学の先生からコメントが…。N先生から彼女は素敵な本を書いていますよ、と言う言葉に正直少し驚きながらもAmazonで検索すればすぐに見つかったのでポチットな。
読み始めて分かった共通項は、キリスト教と言う信仰。なるほど、N先生がご存じなのはこういうルートだったのか、と思いながら素直な文章に引きずり込まれて一気に読破。

20170208-11

クリスチャンの用語で「お証」と言う言葉があります。(証の上でクリックするとウィキペディアに飛びます)
まさに彼女の証、それです。

キリスト教の信者であろうがなかろうが僕はそこには“あまり”意味を感じません。それよりも聖書を通して神の愛、神様からの生きる元気をもらえることが大切で、そんなものがもらえたことをほかの方に伝える喜びがお証なのでしょう。
神様はすべての人を愛されていますが、それでも聖書のみ言葉を聞いてスッと入る人と入らない人がいます。入らないからと言ってもそれは人が悪い訳ではないです。たぶん違う神様の言葉が身に染みるのだと思います。もしくは今はその時ではないのでしょう。
でもスッと心に入った人には、聖書のみ言葉は生きる勇気になるはずです。山下さんはきっと心に染みた方だったのでしょう。
そうした心に染みた言葉が勇気に変わった瞬間がこの本にはいっぱいです。

さて、本の内容に。
読んでいて連れ合いと同じような性格の方なんだな、と思います。僕の連れも寛解した理由の一つはくよくよすることが僕に比べてはるかに少ない。うらやましい性格です(笑) 闘病は、自分との戦いでもあります。自分を信じることでもあります。
そしてもう一つ、昨日の説教を思い出しました。日々すべて感謝、これが中田牧師からの言葉でした。上記の自己治癒力も、がんになったことを呪っては力が湧きません。がんになったことで得た事象を感謝することによって自己治癒力が上がります。それは山下さんも本文中で同じことを言われていますね。
それと何度も言っている社会の在り方。がんは不自由を強要することはあります。でも幸い・不幸とは関係ありません。
『がんでもいいじゃん♪』と人生を楽しんでいる山下さんのように僕らも人生を謳歌していきましょう\(^o^)/

人生の参考書です。がんサバイバーやクリスチャンの方はもちろん、それ以外の人もぜひお読みになってみてください。お勧めです。

山下さんのBlogです

100%致死量の75倍・・・想像不能の世界

東京電力は2日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査で撮影した映像を解析したところ、一部で毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した。
これは、とてつもない数値だ。ICRP(国際放射線防護委員会)の指標では、宇宙線や大地からの「自然放射能」に加えた「追加被曝線量」の公衆限度は年間1ミリシーベルトとされている。毎時換算でおよそ0.11マイクロシーベルトだ。福島原発事故後に日本政府が避難指示を解除する目安の除染目標にしたのは、年間20ミリシーベルト。長期にわたって居住が制限される「帰還困難区域」の線引きは、年間積算線量が50ミリシーベルトとされた。
1000ミリシーベルトが1シーベルトなのである。今回、計測された530シーベルトという高線量は、想像を絶する世界だ。「マイクロ」も「ミリ」もつかず、しかも「毎時」。1999年に茨城県東海村の核燃料加工会社で起きた臨界事故で死亡した作業員の被曝量は、最大で20シーベルトと推定されている。放射線医学総合研究所によれば、毎時6~7シーベルトが100%致死量だという。
東電は「推定値だから30%の誤差がある」と説明しているが、7掛けしたって毎時370シーベルト。人間が近づけば即死するレベルであることには変わりない。

気がかりなのは、毎時530シーベルトという放射線量が、運転中の原子炉圧力容器内と同程度の放射線量だということだ。メルトダウン(炉心溶融)した核燃料が圧力容器の底を突き抜け、地下水と接触して再臨界に達しているということではないのか。
原子炉格納容器を設計していた元東芝技術者の後藤政志氏が言う。
「東電が公開したカメラ映像では、原子炉の真下に大きな穴が開いている様子が見えました。核燃料が圧力容器を破って外に漏れ出たことは間違いありません。ただ、それは、われわれ専門家が事故当初から指摘していたこと。東電や政府はなかなか認めようとしませんでしたが、メルトダウンは大前提なのです。今回、メルトダウンした核燃料が原子炉圧力容器を突き抜けて、外側の格納容器に漏れ落ちるメルトスルー(溶融貫通)が起きていることは裏付けられた。圧力容器を破るほどの核燃料では、格納容器はひとたまりもありません。圧力容器は70気圧に耐えられるよう設計されていますが、格納容器の設定はわずか4気圧です。建屋のコンクリート壁にいたっては単なる覆いであって、超高温のデブリ(溶融燃料)による浸食を防ぐことは難しいでしょう」

20170208-01

核燃料が原子炉建屋の床を突き破る「メルトアウト」が起きている可能性は高い。これが地下水に達していれば、いくら循環冷却しても放射性物質の拡散を防ぐことはできない。チャイナシンドロームが進行中のような惨状下にあると考えるべきだろう。
先月28日、事故後の復興について関係閣僚らが議論する福島復興再生協議会が福島市内で開かれた。議長を務める今村復興相が冒頭の挨拶で「福島、東北の復興も3月にはいよいよ7年目に入る。マラソンでいうとだいたい30キロ地点ぐらいにきているのかな」とホザいたのは、まったくもって信じがたい感覚だ。福島の現状をどう認識しているのか。事故処理はまだスタートラインにも立っていない。原因さえ解明されていない。それでマラソンの折り返しを越えた30キロ地点だと? こんな無神経な発言をして、大臣をクビにならないのが不思議だ。

東電は今月中に最新型のロボットを投入してデブリの状態を確かめる予定だったが、作業用足場に開いた穴が走行ルートを妨害するため、計画の練り直しを余儀なくされそうだ。毎時530シーベルトという高線量も想定外で、廃炉への道は、ますます混沌としてきた。
「この高線量では、ロボットに使われている半導体やモーターがやられてしまうので、2時間程度しか動かせず、限定的な調査しかできません。もっとも、仮に線量がもっと低くても、ロボットが正常に動くかは分からない。あれだけの過酷事故を起こしておいて、簡単に廃炉までたどりつけると思う方が間違っています。今回の内部撮影によって、政府と東電の廃炉スケジュールが完全に破綻したことが露呈しました」(後藤政志氏=前出)
事故が起きた11年の年末に発表された廃炉の工程表は、2年以内に1~4号機の貯蔵プールにある使用済み燃料の取り出し作業に着手、1~3号機の溶融燃料は10年以内に取り出し作業を始め、30~40年後に施設を解体撤去する廃炉が完了するというものだった。
事故からまもなく丸6年になるのに、工程通りに実行できたのは、4号機の使用済み燃料取り出しのみ。事故を起こした1~3号機の燃料には着手できない。建屋内の線量が高すぎて人間が近寄れないのだ。そのうえ、溶け落ちたデブリがどんな状態で、どこにあるのかさえ分からない。これのどこが「アンダーコントロール」なのか。
当初の計画からは大幅に遅れているのだが、政府はデブリの取り出しを21年に始め、30~40年で廃炉を完了させるというスケジュールを変えようとしていない。ここが悪魔的だ。

「政府の工程表は夢物語でしかなく、見直す時期に来ていると思います。福島原発の場合、燃料をすべて取り出して更地にするという意味での廃炉は、数十年単位では無理でしょう。問題なく運転終了した原発でも、廃炉まで数十年かかるのです。米国のスリーマイル島事故では、核燃料がまだ格納容器内にとどまっていたから、なんとかなった。世界的に見ても、過酷事故で燃料デブリになったものを取り出した例はありません。福島では、形状をとどめていないデブリがどこにあるかも分からないし、メルトダウンした原発が3基もある。チェルノブイリのように石棺化しても、100年は持たないでしょうし、本当に廃炉に至るまでには、途方もない年月と金額が必要になる。廃炉費用がいくらかかるか、誰にも分かりません。ところが、政府は最終的な費用の計算に先行して、国民に負担させるスキームの議論を始めた。ホント、ふざけています。40年という廃炉工程表を取り下げないのは、着実に廃炉に向かっているというパフォーマンスでしかない。東電を存続させ、原発再稼働を進めるためです」(環境経済学者で立命館大教授の大島堅一氏)
経産省は昨年、事故処理の負担スキームを審議する有識者会議を立ち上げた。福島原発事故の賠償・廃炉費などは計21.5兆円になると、従前から倍増する試算を発表。6年経って近づくこともできない現状を考えれば、費用はどこまで膨れ上がるか分からないのだが、新電力の託送料に上乗せする方針を固めた。託送料なら、国会の承認も必要ない。儲けは自分たちのもので、事故負担は国民にツケ回す。そういう都合のいいビジネスモデルをゴリ押ししようとしている。
「40年での廃炉なんて、どう考えても無理です。現実的な廃炉計画を立てられる状況にもない。しかし、原発輸出を成長戦略に据えている安倍政権は、既存の原発を稼働させたうえで、新設の仕組みもつくりたいのでしょう。世界に向けて、安心・安全を担保するためには、虚構の事故処理シナリオを維持する必要がある。何兆円使おうと、工程表通りの廃炉はできないと思いますが、それも結局、税金にしろ電気料金にしろ国民負担にされてしまう。それでも原発再稼働を支持する国民が、どれだけいるのでしょうか」(大島堅一氏=前出)
原発はコストが安いなんて、よく言う。福島原発の現状を見れば、原発再稼働は正気の沙汰とは思えない。原発事故は収束どころか、現在進行形だ。オリンピックなんて、やってる場合ではないのではないか。 
メディアPlus+

正式な出典元の記載はないけれど、公にWeb上で記されているので情報をシェアーしたいと思います。
ICPPの被曝Max量は、年間で1m㏜と言われています。つまりこの530㏜/hを年間に換算すると4642800㏜となります。ミリは1/1000を現わす言葉ですので、m㏜に単位を現わすと4642800000m㏜となり、約50億倍の量がダダ漏れしていることになります。
つまりは地下で臨界状態となって、熱量と放射能をまき散らしているのだと思います。素人の推測の域を出ませんが、政府は地下水汚染を減少するために地下水がこの敷地内に入らないように凍土とする計画を立てました。もちろん専門家の方々が「出来る」という確信があったから進めた計画が凍らなかった・・・というのはこの地下のメルトダウンした原子炉の莫大なエネルギー源が関係しているのではないか?と疑ってしまいます。

「放射能汚染水はコントロールした」と言いながら建屋コンクリートに穴が空き、国際基準値の50億倍の放射能が測定されていることの矛盾を感じざるを得ません。

生活保護の闇現場

今週のパトビラにも記しましたが、昨今日本を騒ぎの渦に落とした生活保護の問題は、個々の人が保護課職員を騙して不正取得するより、生活困窮者を利用して私腹を肥やす方が圧倒的に額も人数も多いと思うのです。

そんな時にFB(フェイスブック)にこんな本が紹介されていました。

20170207-01

これはいい!よく勉強しています。
極悪非道のように言われている小田原市役所ですから、未来を築くためにも僕は市役所をフォローしています。
でも、小田原市だけではありませんが、対無低施設や関連業者に関しては、やはり問い合わせの動きが鈍いですよね。それは保護法29条に書かれているにもかかわらず、です。
お役所仕事、個人には厳しいですが、それを取り巻く環境または調査の対象の企業や組織には案外甘いところはあります。

ジャンパー云々より、この部分の対応、または警察権との共同などをしてくれることにより、不要な保護費が流出しないと思います。
それを後押しするのは市民の声です。
声を出すためにこの本読んでみませんか?
一読するだけの価値は保証します。

神を拝まない罪

2017年2月5日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 1章18-25節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。


神がいる。神の思いや考えをまとめた、それが聖書と言っても、そしてそれを書いた人は聖霊に満たされたとしても、もしそこに書き手の「意志」が全くなくすべて神だけのものなら、福音書が4つ必要になるはずもなく、4つあるのは書き手の「感動」があればこそ、大事な部分が人(弟子)それぞれで、それ故に少しずつ福音書の内容は違います。
そして読み手の僕らも同じです。以前遠藤周作氏が、大学の入試に自分の作品が出題され「以下の作品を読んで著者が言わんとしているのは次のA~Dのどれか?」と書かれていたので、Dだろうと解答を見たらAだった、という笑話のような話を書かれていました。大学の専門家の先生すら書かれているものの分析は難しいのですから、僕らが聖書の書かれているものをすべて間違いなく読み取れるとは限りません。
神の存在を信じることと聖書を吟味することはやはり違うことでしょう。
しかし、聖書を全否定することはありません。もしそうだとしたらキリスト教だはないでしょう。細かい一節、一句が書き手のスキル不足や時代が事象をゆがめていたり読み解けないことはあっても、全否定はない訳です。

神の怒りの啓示が書かれています。啓示とは本質を顕わにする、神が顕われることだと牧師は語られます。
顕われる・・・モーセの前に顕われてた神は「私はある」と言われました。「私はいる」ではなく「私はある」という言い方。ここに神は人間が理解できる「存在」ではないことが解るのではないかと僕は思います。
「ある」のは、物質的な存在ではなく、感覚的・精神的な存在だからではないでしょうか? デカルトは他者の絶対的な他者性を神と呼ばれた訳です。われ思う故にわれ有り、「ある」神を僕らは哲学的に知っているのです。
コミュニケーションを取り、喜怒哀楽をぶつけられる相手です。神には「思う」という事象に対して反応があるのです。しかし、絵画や書籍などを通じて僕らが意識の中に思い描く神の「姿」ではないと思うのです。

「ある」神とは、自分の存在自身を神に感謝しながら生きることでもあるのではないでしょうか?「思う」事象をぶつけるコミニュケーションの相手の存在があるこの世は有機質の世の中であることだと人生を謳歌できるのではないでしょうか?
それは安易な言葉で言えば「人は一人では生きられない」ことだと思います。社会の中で生きる生き物だということでしょう。
しかしその世の中において、絶対的他者の神にも隣人にも感謝を忘れ、不満だけを口にするようになった。このことが神の神の怒りの本質ではないでしょうか。

自分は神によってこの世に表された被造物と言う意識があれば、創造者に与えられた存在として感謝のみでしょう。不満と言う名の罪は存在しないはずです。
でも、自分の人生は自分自身のものとなれば、そこには罪(不満)が生じてしまいます。

ここ数回の中田牧師の説教は本質に近づいてインプレッションを上手に書けません。神学を学んでいない自分の限界を感じます。教会には、毎週の礼拝の様子がCDで取り置きしてあります。この拙いBlogを読んでよく解らないので、元説教を聞きたいという方はお気軽に教会まで(笑)

久野幻庵顕彰会(Ω)

元標の話が出ました。
今でいう三角点のように、どこかの一点を定点として定め、そこから方角と距離を測ることで様々な場所を特定すること、と言う田代先生の説明がありました。
どんな理由でどこにこの元標があったのか?と言う質問に、よくわからないが、と言う前置きをした後、村長等の自宅などではないか?それも今後皆さんで解明してみてください、とのことでした。

今日の話の中で元標に関わったのが2点。幻庵屋敷が寅十五度。いぼ石が申三度。
いぼ石はどうも2009年に開通した「奥和留沢みはらしコース・明星登山道」の途中にある大きな石のようです。

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これなら大体の場所が分かります。それをGoogleMapの上にポイントとして載せます。
寅は3時の方角、申は9時の方角、つまりは直線状。

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なるほどほぼ直線だ!! つまりは原案屋敷から真西のどこかだったのですね。

そういえば小田原攻めに際して先鋒の徳川軍の別動隊はこのみはらしコースをほぼ下って総世寺に入ったと言われています。この登山道も歴史文化資産として活用したいですね。

そんな質問をしてしまったので、ほかの聞きたいことを聞くのが憚れました。
当時の禅院式の庭園では、母屋と庭の配置はどういう関係だったのか? つまり今確定しているのは心字池のみ、そこから母屋の位置を推測する方法はないのか? という事と、稲葉時代に大きなリフォームはされなかったのか? という点です。
田代先生のご専門が造園なので、こちらを質問すればよかったですね。ちょっと失敗(笑)

当日ご参加されたhinahinaさまのBlogです。

久野幻庵顕彰会(4)

日本各地の詳細を記した最初の書物は風土記ですが、世の権力者は自分の支配範囲を完全把握して実行権力を見せたいのか、明治になっても皇国地誌・久野村誌が発行されます。多くの村町は県職員が記載するのですが、久野村は濱野ヨヘイ氏のものが使用されています。それによれば幻庵屋敷は、元標(げんぴょう)から寅十五度の字盛上(もりがみ)に三千有余歩、のちにその中に水田が作られ、中央に北条神社(幻庵の墓)を稲葉休山が作ったと書かれており、また寅十六度に34歩清水がわいているとも書かれているそうです。

まだまだ知らないことがいっぱい。こうした活動が充実してくれることの望みます。

また日本小田原記というのがあるそうです。
そこには幻庵の事もたくさん書かれています。何より有名なのは一節切(ひとよぎり)と呼ばれる尺八。
実は、小田原北条が開城する時、秀吉側の使者は黒田官兵衛。開城条件は、民を助けることなどかなりの項目があり、氏政はかなり感謝し、お礼として北条家に伝わるお宝を官兵衛に与えたと言われています。その中で幻庵の一節切もあったと推測され、それが息子が治めていた大分に渡ったようで、市議の大村学氏が買戻し小田原城に展示し同時にレプリカを作りそれを披露されました。

20170204-41

同書には小田原の景勝地も記載があり、「いぼ岩」や「ツボマ」の記載があるとのこと。幻庵だけではなく久野の文化遺産の伝承にも関心を持ちたいです。
まずは、もう少し地域のことを学びたいですね。

久野幻庵顕彰会(3)

それからまた時代が進み、早雲寺などの禅院式となります。これは武士の時代の仏教の考えによるものです。
庭の一部を切り取り独立させる。その中に凝縮された天地人の空間を見て悟りを開くきっかけにする。
長々と庭造りの歴史を語りましたが、幻庵屋敷の庭はこの禅院式の庭園だったと思われます。

同時にこの時代、茶道が発達します。
茶道は、一節には清貧を善しとしたカトリック宣教師の生き方を見て、大名の贅沢に批判の意味を込めたとも言われていますが、思想にシンクロした千利休のアンチターゼは贅沢を排除し、「立って半畳、寝て一畳」を善しとする茶の道。外界との関係を遮断する禅院式庭園と合いまって、四畳半の質素な茶室周りは「露地」とよばれます。
美しいとか目を引くという因子は排除した雑木(一つ一つの木の名前すら言われない)や地比類のみを配して作られた“庭園”です。
歩いて楽しいわけではないし、先ほどの禅院式の作られた所以ではないですが徹底して建物の中から外を見る庭であるのです。
そしてこの禅院式の庭園には「心字池」があります。心の二つの点を右下の「し」字の形の池の中に島として浮かべる池です。

しかし残念ながら史跡としての幻庵屋敷は整備できているとはお世辞にも言われません。こうした御庭の歴史を知ったうえで、武士の質実剛健な時代の庭をいつでも見に来られるようにしておきたいものです。

20170204-21
(野崎広大氏(日経の祖)の茶碗、名を幻庵と称す)
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