御頭祭(2)

諏訪大社の歴史は定かではないが、日本の神社歴史の中でも古い由緒がある。
関する記述は古事記にある国譲りの話。伊勢神社系の勢力が出雲系の勢力を制圧する話。大国主命とその子の事代主神(ことしろぬし)は遠く大陸から来る船の灯台になるような大社の建築を条件に伊勢勢力の配下に入るが、弟の建御名方神(たけみなかた)は不満で戦うことを提案する。が、伊勢勢力の前に敗北し逃走。その行き先が「科の地(今はあえて諏訪と呼ばない」であるという記載。
もう一つは諏訪大明神絵詞と言う書物。諏訪の地へとやってきた諏訪大明神は、そこで土着の神たちと対峙する。
土着の洩矢神は鉄輪を持ち、諏訪大明神は藤枝を持って戦った。結果は、藤枝を用いた諏訪大明神の勝利であった。敗れた洩矢神は滅ぼされず、祭祀を司る神長官となる。
また、高照姫という神は諏訪大明神に最後まで抵抗したが、民を守るために退き、先宮神社に幽閉されることを選んだ。こうして諏訪の地は、諏訪大明神が治めることとなった。
と言う話。

2つが絡んでるのは、建御名方神と言う神の名。つまりは出雲を追われた一族が東遷し科地方の豪族を滅ぼして土着したと言う事なのだろう。
2つの違った文章を合わせてしまえば伊勢勢力と出雲勢力の戦にも読めるが、もしかしたら出雲勢力の内乱分裂で力が弱ったところを伊勢勢力に制圧されたのかもしれない。
当初の記載にあえて諏訪と呼ばずに科の地と呼んだのは、諏訪は出雲から来た建御名方神が名乗ったからこの神社も諏訪大明神と呼ばれるようになったようで、その前はミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などを祀っていたようだ。
特にモレヤ神は、前トピの御頭祭の祭祀を司る直属家系の神で諏訪大社の上社前宮であるし、高照姫は先宮神社の神となっているから、服従の上で豪族として生き延びた、若しくは祟り神として恐れられて神社に祀られたか、と言ったところなのだろう。
そして見落としてはいけないのが、藤で戦う出雲軍に対して鉄輪を持ったという記載。既に鈩(たたら)の技術を習得していたのだろう。ヤマタノオロチの神話も殺した大蛇の尾から剣が出てきたのは、戦いで破った相手から鈩を奪ったという意味だとも言われている。いずれにしろ、伊勢系や出雲系に負けじ劣らじの高度な文明を持っていた証拠だと思われる。
しかし前トピの学芸員氏、この地は「田舎だ」と言う。それは、守谷氏が頑なに弥生の文明を否定し、縄文からの文化を傾倒した結果だとも・・・。

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(いたるところで御柱のように4本の柱で取り囲んでいるのを見る。「結界」と言う言葉が頭に浮かぶ)

つまりここで勢力が変わり、御頭祭や御柱祭を行った部族で無い者たちの祭りの中で、土着の古い祭りが融合と存続のはざまで頑張っているのが諏訪の奇祭と呼ばれる祭りの数々だと思われる。
あわせて御『頭祭は大祝(おおほうり)の代理である「神使(おこう)」が近隣の郷を巡回して五穀豊穣を祈願するために、大社から出立する時の儀式』と言われもいるらしい。大祝は出雲系の神であることからいえば、土着神ではない神が新たな五穀豊穣、つまりは農業文明を手に入れた姿なのかもしれないが、そうだとすれば神使(おこう)を縛り上げる理由がなくなる。つまりは融合の故にわからない神事に変化して行ったのだろう。
こうなるとあの創世記のイサクの物語を髣髴させる祭りが何を意味しどうやって始まったかは謎のままだが、歴史ミステリーはミステリーのままで、その祭りを大事にする文化を尊ぶだけでいいのかもしれない。

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(神事は前宮の十間廊で行われる。この十間廊の大きさがユダヤの幕屋と同じ大きさと言う人もいるようだ。)

しかし・・・、聖書に戻るが、神はなぜイサクを神にささげる場所として住まいから3日もかかるほどの場所にあるモリヤ山を選んだのだろう?

さて、続いて旅の内容を語ろう。

御頭祭(1)

諏訪大社の御頭祭を突貫で見に行ってきた。
この祭りは、今は諸般の事情で江戸時代までの祭りの体は失われているが、江戸時代の菅江真澄と言う、今でいえば『街道をゆく』を記した司馬遼太郎氏のような存在の方が書いた文章があるので、それをご紹介すると…。

御神(おこう)といって八歳ぐらいの子供が、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。
そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取りだし、抜き放って長殿(祭祀のリーダー)に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。
例の神の子供を、桑の木の皮をより合わせた縄で縛り上げる。
諏訪の国の司からの使者の乗った馬が登場する。その馬の頭をめがけて、人々は物を投げかける。しかし、この馬はとても早く走る。
その後ろから、例の御贄柱を肩にかついだ神官が、「御宝だ、御宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを五個、錦の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走り出し、神の前庭を大きく七回まわって姿を消す。そして長殿の前庭で先に桑の木の皮で縛られていた子供が、解き放たれ、祭りは終わった」。


クリスチャンの兄弟姉妹なら何か「ウン?」という話。その「ウン?」の旧約聖書創世記22章の前半を要約すると、
神様がアブラハムにその一人息子であるイサクを捧げるように命じられたます。アブラハムはイサクを連れてモリヤ山に向かい、そこでイサクを縛り、薪の上に横たえ、刀を取り出してイサクを捧げようとすると、「その子を殺してはならない」という声が聞こえました。ふと見ると、枝に角をひっかけた羊がいたので、その羊をイサクの代わりに神様に捧げました。

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(御頭祭は、江戸時代まではこの柱に子どもを縛り付けて馬で運んでいたが、今はこの柱を人が担いでいます)

他人の空似かもしれないが、子どもを縛り、刀を取り出した時に神が子どもを助ける。そしてその子どもの代わりに生贄が用意される、という共通点はなかなか興味深いもの。
しかも子どもの代わりの生贄は75頭のジビエ。「魏志倭人伝」の記載では、倭国に羊はいないと書かれてるのでその情報を信じれば生贄に鹿が選ばれたことはうなずける。しかもその中の一頭は耳裂け鹿を選べ、との言い伝え。神長官守矢史料館の学芸員さんによれば、それは「茂みに角を絡ませた」それによる傷を現しているという説もある、と語られる。

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(耳を切ったのではなくこうした鹿がいるらしい)

そして何よりも、日本の神道系には多いが、ご神体がなく、この諏訪大社も守屋山自身をご神山として崇めていることも旧約のモリヤ山に通じて面白い。まぁ、似ているかどうかと言えばこじつけに近いものがあるかもしれないが・・・。

過去に玉川温泉に行きながら三戸郡の新郷村にあるキリストの墓と言う観光地に行ったことがある。竹内巨麿氏が戸来と言うヘブライを髣髴させる地名言ったり、ナニャドヤラという由来が定かでない民謡を昭和初期にアメリカでご活躍なさった川守田英二牧師は神をたたえる歌として紹介したりしたのでそれなりの観光客の来る場所となっていた。
この戸来郷は12世紀には地名として正規に残っているで、景教として中国に入ってきたキリスト教と土着の宗教や文化が結びついた結果とは思われるが、それにしても中央ユーラシア大陸を越えて文化や思想が訪れてきたことは何とも壮大な物語だ。

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(この守屋家78代が崇めているのはこのミシャグチ神。これもイサクがなまったという人もいる)

きっとこの諏訪大社も同様に文化交流があった結果だと思われるが、それにしてもこの諏訪大社どんな歴史があるのだろう?
生半可な知識で恐縮だが、「妄想歴史」を語りたい。

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僕となられた主

2017年4月13日、洗足木曜日の小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 13章1-17節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。


TVで「モニタリング」と言う番組があります。常識を超えたシチュエーションを隠しカメラでとらえどのような対応をするのか?を観察するという番組です。
もしその番組で、「私はクリスチャンです。今日は聖書で大切に教えている『洗足の木曜日』です。あなたの足を洗わせてくれませんか?」と言ったら何人が足を洗わせてくれるでしょう?100人頼んで99人は訝しげにNoと答えるでしょう。
そして番組では身分を明かして「何故そうなったか?」を聞きますが、そのように聞かれれば、「理由はわかりましたが、足を洗われるのは恥ずかしいです」と答えるのではないでしょうか?
たぶんこのBlogを読まれている人も、次回僕と会った時に「では足を洗わせてください。」と言われたら同様の理由でお断わりになられるでしょう。
なぜ足を洗われるのは恥ずかしいのでしょうか?足を洗われるだけでなく訳もなく人にしてもらうことは心苦しかったりします。

さて、そんなことを頭の片隅に入れて頂き、話をこの最後の晩餐の場面に戻します。通常は食事を前にして、土埃の舞う外から部屋に帰ってきた客人をもてなすために奴隷が足を洗います。が、今日の箇所を読むと食事の最中であります。そんな時にイエスはわざわざ立ち上がって弟子の足を洗おうとしたので弟子たちはことさらびっくりしたのでしょう。普段の作法ではないのです。既に食事の最中なのです、意図があることは弟子にも伝わったでしょう。
そんなシモンペテロとイエスの会話に話を戻したいと思います。
このシモンペテロは一生懸命な純な人ではありますが、知慮に足りなかったり冷静さに掛けたりする愛すべき御仁です。
何か意図があってイエスが自分の足を洗おうとしたので思わずNoを言ったところ、イエスに諌められます。
すると全身をと突拍子もない返しを語ります。
しかしイエスは全身は清いからと語ります。
意味のつかみ難い言葉ですが、長井牧師はヨハネによる福音書1章29-34節
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」
そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

イエスの前で神の子であるという証しをしたことによる「聖霊による洗礼」を受けたから清いと言われたと語ります。
水によるバブテスマを弟子たちが皆授かったかどうかは記載がないので不明ですが、「足を洗われる」ことで霊によるバブテスマを受けた事をシンボリックに示したのでしょう。
ではなぜ足を洗うのでしょう?またあなたたちも互いに足を洗い合えと言われたのでしょう?
そこにはただ隣人愛を伝えるだけではなく、当初の足を洗われることが恥ずかしかったり、申し訳なく思ったりするだけでなく、その恥ずかしさを超えるだけの愛の存在が大切だと言いたいのではないでしょうか?
寝たきりの家族の介護、そこには足を洗う行為、洗われる行為は当然のごとく存在します。互いに寝たきりの方サバイバーさんとケアギバーさんになること、そこに恥ずかしさすら超えた愛の本質があるのではないでしょうか?
もしモニタリングで「足を洗ってくれませんか?」だったらもしかしたら半分は洗ってくれるかもしれません。そこにあるのは洗ってあげたという優位性ではないでしょうか?
野宿を余儀なくされている人におにぎりを届ける活動は、もしかしたら”優位性”に浸った行動かもしれないけれど、野宿の人との関係が正常化すると、入れて頂いたコーヒー(野宿の方がなけなしのお金で買ってくれたものでしょう)や家のそばで取れた山草などの漬物をご相伴にあずかりながら会話する中から、より一層親密さが増したりもします。

RFL(リレーフォーライフ)ではサバイバーズラップ(がんと闘っている患者さんのみのウォーク)と共にケアギバーズラップという介護者(家族友人仲間病院関係者)のみがサバイバーの拍手の中歩く時があります。特別な何かを連れ合いにしているわけでもないし、気恥ずかしくて僕は歩いたことがありませんでしたが、これこそ互いに足を洗う関係。大いに堂々と笑顔で歩くことをこの洗足の木曜の出来事は教えているのだと思います。
何もしていないよ、でも共にいる、それこそ互いに愛する姿の基本なのでしょう。「これが愛だ」ではなくよくわからないが最期の時、死をも祝福だと思われる人生を過ごし過ごさせる関係。足を洗うに代表された愛し合う姿を覚えつつ、イースターの良き日を待ち望みたいものです。

最後の晩餐の言葉

浅田真央選手の突然の引退は多くの番組で取り上げられ、町行く人の声や同じフィギュアスケートの仲間をゲストに呼んで驚きと感謝のコメントを述べさせたりと、今週は週明けからスポーツニュースはこのニュースでもちきりです。
その中の一つの番組に同じ中京大で学んだ一人のスケーターの方が出演し、「事前に相談などなかったですか?」という質問を受けていました。
氏は「ありませんでした」と答えつつも「今考えると・・・」「正月にLineで年賀の挨拶を送ったら、『今年も頑張ってね』という内容のメールが返って来た」と語っていました。
氏がおかしいと思ったのは「(ともに)頑張ろうね」ではなく「頑張ってね」という言い回し。
あなたに送ったメールだからともには不要で私のメールの目的はあなたに対して頑張ってね、という意味とも取れるし、もう私は引退するからこの後はあなた方ほかのメンバーに全日本を託すから頑張ってね、ともとれるわけです。
氏が「今考えれば」と断りをつけながら言ったのは、今思えば後者だったのか、それとなく気持ちに区切りをつけていたのではないか?という意味だったのでしょう。

最後の晩餐の席、弟子たちにとってイエスはふしぎなことを言われたなと思ったと思います。だいたい今までも色々なたとえを用いて話しても全てを理解できなかったから、また今度も俺たちのわからない話なんだ、位に受け流していたのかもしれません。
でもかすかに頭の中に入っていた。パンを裂き、ワインを共に口にした。このあともこうしろと言った。何が起きるかはその言葉か推測できなくても、そうした一つ一つの言葉は覚えていたのでしょう。

今思えば大変重要なことを言ったのだよな。イエスの死後弟子たちはその重要性に気がついたのでしょうね。
後にならないと気がつかない事はいくらでもあります。でも気がついたところから始めればいいことなのでしょう。
浅田真央選手はもしかしたら正月には心を決めていたのかもしれません。でもわからない時はそこから想像しすぎてしまうよりは分かった時点で引退に際しての感謝の気持ちを伝えればいい事でしょう。
そして僕らは洗足の木曜と主の受難の時を今年も過ごし、来たる主日はイースターを共に祝うのです。

蔑む者と見張る者

2017年4月9日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 27章32-44節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。


今日与えられた聖書の箇所は以上の通りですが、長井牧師はその直前も紹介されました。
この直前27章27-31節。

それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

力の差が非常にあり抵抗できない人を前にした非道の行動は、少し前の1988年にあった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」など事件。内容を読むのも憚れれる残虐なものに代表されるものを思い出します。
殺人や傷害事件云々では置いておいても、弱い者いじめ、嵩にかかった威圧、こうしたものは卑劣に見えます。

聖書の中の兵士に女子高生を殺害した少年たちがオーバーラップします。殴る理由のために難癖をつける姿、自分たちが殴った女の子の顔がパンパンに腫れたと笑いあったとか、という記事が27節からの、そして今日の箇所の兵士やファリサイ派の冷ややかな顔を想像させます。

イエスが宣教を始めるのはバブテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受けてからです。直後荒野で悪魔から3つの誘惑を受けます。
悪魔の「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。(略)」に対しイエスは「神の子なら」と繰り返し言います。
そして宣教の最後、今日の箇所では兵士などに「神の子なら」と言われます。
最初の荒野の誘惑に際しては、そんな悪魔の誘惑に応じることなく『あなたの神である主を試してはならない』と信仰で切り返しました。同じ言葉を浴びせられたイエスは今度はどうしたでしょうか?
マタイによる福音書は、この十字架のやり取りに関してイエスの言動は書かれていません。あくまでもこの場において僕ら人間が神(神の子)に対してどうしたか?に特化して記しています。
ですから想像の部分もありますが、イエスは神のすること全てを受け入れたのでしょう。ルカ福音書によれば「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。とあります。
命がけで信仰、つまりは神との関係を言い表したのでしょう。

この後イエスは十字架上で亡くなります。
その後天変地異がおこります、そして同時に上記で人格すら否定した兵士が 「本当に、この人は神の子だった」と言ったのです。
あの極悪非道の兵士たちが心を入れ替え、神とイエスに畏敬の念を感じたのはなんだったのでしょうか?
もちろん、科学が発達していない時代ですので天変地異が起こったことで恐怖心がわいたことは一つの事実でしょう。が同時に、イエスの命を懸けてまでの徹底した信仰心をみたからということもあるのではないでしょうか?行動に感銘を受け自分が突き動かされるそんな出来事だったのではないでしょうか?

今日の聖書の最初。キレネ人のシモンがイエスの十字架を担がせられます。「なぜだよ?」犯罪者の十字架を担ぐなんて嫌に決まっていることを偶然にもせざるを得なかった。
しかし、それは後世の僕らの目にはラッキーなことです。神は何の理由もないことはなさいません。
シモンもそしてこの兵士たちも、信仰を伝える重要な人物になっていった訳です。

己を知る

インターネットに載っていたお話。

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20170408-04

娘を思う父親のいい話。と読んでいたが違うな、この話。
お酒の席の話だけじゃない。社会で羽ばたくための話なんだとふと思った。
今日日の社会はやはりおかしい。理不尽な事が多すぎる。だから変革しようではないか!と血気盛んに口角をあげ突き進むことは大切なことだと思う。
だが、それを理解しただけでは社会は変わらないことも事実だ。
そして逆に、どうせできっこないじゃん、と、他人ごとにしてしまっていても人生つまらない。人として生を得た以上は社会に役に立つよう行動したいものだ。

理不尽な世の中を変えたいとしてじりじりと焦れなんで俺がこんなに頑張っているのに何も変わらないのだ!という気持ちが過ぎれば、おかしな逸った行動に出てしまう。学生運動のなれの果て過激派と呼ばれる面々はそうした人たちだったのだろう。
僕らが出来る事は何か?をきちんと把握しなければならない。己の力なさも同時に知るべきなんだろう。
そう、麗子さんはビール2杯と酎ハイ5杯という限界を知り、それをあまりに越さない中で生きるという術を教わったように、僕らも社会の中でこの程度までの運動は自分のスキルにあったものだ、という事を知り、それをあまりに大きく超えて活動をしない方がいい。
人生は短いようで長い。一瞬の高揚だけで自分を越えてしまったらその活動は長続きすることなく燃え尽きてしまう。己を知る、という事は絶対大切なこと。まさに継続は力なり、だ。
せいぜいビール2杯と酎ハイ5杯プラスαまでにしなければ楽しい人生が一転してしまう。燃えた気持ちがシュンと消えるだけでなく挫折というおおきな負を背負う事になる。
だからこれは飲みの席だけの事じゃないことを教わった気がする。
良い指導者だよな、おやじさん・・・。

さとにきたらええやん

釜のルポ映画の自主上映会の実行委員へのお誘いを受けました。
基本的にはOKだけれど、僕の気性から言って釜を知らずして実行委員にはなれないと思っているのです。(野宿者支援は、横浜寿と地元小田原で25年以上していますが、外部には行ったことが無い)
何事もフィールドワーク、自分の五感を駆使して知ったことを伝えたいという願望がパワーの源になると思っています。

3・11の際に、2名の牧師と一緒に福島・宮城を訪れました。TVでは何度も見ていたあの光景でしたが、行ったら全然違ったのです。そこには音が無かった。そこには臭いがあった。TVというディジタルな信号を通してでは図り知り得なかった「生」を感じました。
人間は全情報のうち視覚から約7割取得していると言われています。体に入る栄養素で言えば、糖質や脂質、たんぱく質にあたるものかもしれません。
でも、最近のサプリメントのCMを見ればわかるようにそれだけでは生きていけないのですよね。微量栄養素と言われるビタミンやミネラルが無いとだめなのです。
視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚と日頃余り気にしていない感覚を駆使しなければ、物事は見極められないと僕は思うのです。だからフィールドワークしなければいけないと思っています。ビタミン、ミネラルがあってこそ健康に生きられるように、空気に触れて五感をフルに駆使して感じることで、そしてそこでの人とのふれあいのぬくもりでステップアップすると思うのです。

そんなこんなで下調べしたら興味深いBlogに出くわしました。
釜ヶ崎に初めて足を踏み入れた女子大生のBlogですが、恐る恐る踏み入れてからどっぷりとはまっていく様子が手に取るように描かれています。

僕も何度も書いていますが、元来は排他的立場の人間でした。人生の計画性のなさが招いた結論。ホームレス全否定の考え方でしたが、当時の小田原教会の藤田牧師が寿地区センターの委員長をしており、その牧師が病気で倒れられ、教会の雑務を若者でしている際にWさんという仲間がポツリと「牧師がやっていたことを牧師が倒れたから誰も引き継がないことはダメだよね」という旨の事を語られたのです。何かその言葉に非常に説得力を感じ、そしてなぜか数ある牧師が奉仕している中から寿の文字が頭に浮かんだのです。
信仰をもつ者の勝手な言い分ですが、このひらめきを僕は「神の導き」だと思っています。食わず嫌いで否定をしていたホームレス問題、それ以外にも多数奉仕をしていた牧師の行動の中から僕がなぜこれを選んだのか?と言えば、全く分からないのです。本当に神によって与えられた使命だったのだろうな、と思っています。
それでも地区センターの三森主事にTelをして、車を寿に走らせている時、僕の頭の中はニューヨークのスラムの写真のように、車の4本のタイヤがかっぱわられ、フロントガラスに大きなひびが入りペンキでいらずら書きされている哀れな僕の愛車の姿でした。
やっぱり行くのはよそうかな?という不安感を押さえて行ったのは、電話をしたので藤田委員長の代理で行く僕を主事が待ってくれているからという意味のない義務感でした。
街に近づけば、うわさ通り道路でヤンカラが焚かれ、中には凍てついた道路で寝ている人もいる僕の思った通りの姿でした。
でもこの先の行き方が分かりません。
「コノヤロー車なんかで乗り込んできやがって」などと敵意むき出しで思われないように低姿勢で、「すいません、越冬本部はどこでしょう?」と問えば、オッチャン氏は丁寧に道を教えてくれて気を付けるように言ってくれました。
『あれ?僕はいったい何に怯えてたのだろう?』
・・・そして東南アジアのようなゆるい時間の流れのこの街にいつぞやハマって行きました。
TVのドキュメントでいくら寿のことをよく言う番組が放映されたところでこの感覚にはならなかったでしょう。

そして今でも恥ずかしい思い出があります。
毎年の越冬の際は当然ながら自分の食べ物は自分で調達するのですが、ドヤ街ですから安価な店が多いのです。
たとえばりんご1/4個で10円のように、わずかなお金しか持ち合わせていない人でも買えるように工夫がしてあります。
そうしたお店の売り方が新鮮で興奮し後先を考えることなく野宿の方がたくさんいる中をお腹いっぱいになるほどの食べ物を購入して本部へ意気揚々と帰って来たことがあります。
あの時お店にいた野宿の仲間はどう思ったのだろう?俺も腹減っているのに、という羨望のまなざしで僕を見ていたのだとしたら本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。冷静さを欠いた行動に今も心が痛みます。

釜ヶ崎と女子大生。と題したBlogを読みながらそんな20余年前を思い出しました。
16日は初打ち合わせがあるそうです。顔を出してもしお受けするのなら一度釜の町を見に行きたいと思います。
それが僕が実行委員になれるかどうかのような気がします。現地で嬉しいこと恥ずかしいことがあればこそ、本気で釜を伝えられそうな気がするのです。

そういえば2011年に小田原からお仲間が奈良に引っ越して釜に関わっていると言われました。釜でお会いできたらそれも嬉しいな・・・。

黄色い春みぃつけた\(^o^)/(Ω)

早く寝れば早くに目が覚めるのは原理。
という訳で、8時過ぎには行動開始。
1日乗車券を購入しローカル線を行ったり来たり。
1時間に1本の電車旅。うまくスケジューリングしないとあちこちが見られません。

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幸せの黄色いハンカチならぬ黄色い列車のあちこちにはムーミンたち。

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どの有人駅でも駅員さんたちが手を振って列車を見送ってくれます。

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20170401-10大多喜町船子939−1

ここに列車が来れば絵になったがタイミングがなぁ~
まずは大多喜より一つ大原(のぼり方面)に行った城見ヶ丘駅。
写真を撮り終えてからも1時間以上の時間があるのでおおたきショッピングプラザオリブで暖かいココア(^_^)/
この周辺は田圃をつぶして新興住宅地にしているようで田圃と新しい家が入り混じっています。

そして続いては3つ大原側に行った新田野に。

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パンフレットを見ると駅ホームの反対側は見事な菜の花畑。

で、降りると…。

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何の間違いなのか駅前には一本の菜の花もなく…。
30分待って下りの電車に乗り込みます(>_<)

でもね、こんなにかわいい写真撮れたからまっいいか(笑)
そんな心の余裕も幸せの黄色を見続けたからかも(^_^)/

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いすみ市行川 の大野入口

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ここが一番きれいだったかも\(^o^)/

素敵な黄色い2日間でした。

黄色い春みぃつけた\(^o^)/(α)

毎年秋に行っていた京都のH姉とのプチキャラバン。でも昨秋はH牧師が天に召されバタバタとしている間に行きそびれました。
そんな訳でこの春に延期していたプチキャラバンを計画。山梨に桃の花を愛でながら昇仙峡そばの藤城清治氏の影絵ミュージアムに行こう!! そしてほったらかし温泉横に出来たほったらかし温泉キャンプ場でまったりしようと・・・。
と、ところが・・・
天気予報を見ると3月31日夜から山梨は積雪注意の文字。ノーマルタイヤのイクスス号には厳しいツアーになりそうなので、キャンプ場にお断りの電話を入れて、雪の降らなそうな地域に予定変更。
その白羽の矢が立ったのはいすみ鉄道。
お出かけは、房総に決定!!

朝9時,F母娘が来宅。久々の5人でのキャラバン。
小雨降る東名、そして横浜町田ICの渋滞。出ばなをくじかれても久々のお出かけのワクワク感にはかないません。
アクアラインを通りまずは保田のばんやへ。
13時近くについたのに駐車場は満車、しかも大勢の人が冷たい雨風の中傘をさして屋外にまで並んでいます。
キャンピングカー仲間からここがおいしいとお勧め頂いたのはもう10余年前。それから数度訪れたもののもう5,6年は来ていなかったようで、入り口の感じも変わっていますが、人気の高さは昔のまま。
ようやく席について一番人気の「漁師の賄い丼」

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あっ、右は「なめろう」です。
大きな茶碗に酢飯がたっぷり。その上にこれでもかと言うほどのお刺身。おいしかったです。

午後には雨が上がるとの予想に反してしとしとと降っているので、海も美しくなく何よりも寒い(>_<) ということで南房を見ることなくメインの大多喜に向かっちゃうことにします。
県道34号で鴨川へ。そしてナビに従い県道81号線へ。 へぇ~大多喜だから海岸線を通らないんだ・・・。なんてお気楽にハンドルを回せば、崖にへばりつくような細いグネグネ道。やられた…、時折僕のナビはおちゃめなことをしてくれます(T_T)/~~~

上総中野駅を通り、夕刻の大多喜へ。
予定通り同駅前の町営久保駐車場へ。24時間までは500円と超がつくほどリーズナブル。
車の中でおしゃべりをしているというH姉とF母を残して、古い街並みが残る県道172号へ

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そして駐車場そばのセブンイレブンで、今晩の食事と明朝の朝ごはんを買って駐車場に戻りP泊。

ちなみに大多喜駅前の町営久保駐車場は民間委託しているので、所謂『交渉』は効きません。高さ2.5m以上は白線の中に納まろうが否かを問わず大型車扱いになり、24時間までは500円ではなく2000円となってしまいます。
とはいえ、周囲に民家がたくさんあり、トイレのある駅やコンビニまで徒歩2,3分の立地。車の往来は多くなく静かになれますので2000円は高く感じませんが・・・。

4月6日のパトビラ(№973 - 『春の日』直前、受難の木曜はお休みします! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。


いろいろな神様が自分のテリトリーを支配する八百万の考え方を日本人の多くが持っていたりします。「サ」というのも稲作農業神の神様の名前で、稲を植える時期は「さなえ」、そのころ降る恵みの雨を「さみだれ」、田植えが終わった後の祭りを「さのぼり」、稲につく虫を「さばえ」と稲に関するものに「サ」の字がついたりします。諸説ありますが「桜」も、稲作の神の「サ」の居る場所「座(くら)」に植える木から来たとも言われています。
神の居る場所、神と出会った場所、そうした貴重な場所に「建屋」を立ててほめ奉りたいのは、一神教のキリスト教でも同じことで、例えばエルサレムには聖書の各場面の場所と言う場所の上に教会がたてられています。まさに結界のごとく「聖地」としての神の場に桜を植えたとするのなら、それはそれで古代日本人の美意識を感じます。
と同時に日本はやはり農業国なんだな、と感じます。四季の移り変わりを肌で感じ、春と言う生命の誕生の時期を桜を愛でることで喜ぶ姿は素敵だなと思うのです。
さて、来週はキリスト教会ではイースターの直前の木曜で大切にしている洗足の木曜です。ですので私たちの訪問ももお休みをさせて頂きます。そしてイースターは洋の東西は違っても、主のご復活と生命の誕生を喜ぶ日です。希望の春であります。


桜を愛でるのが大好きな日本人は多いと思います。
季節が生命の誕生と言う春になってきたこと、そして短い期間で花が散ってしまうはかなさを一緒に味わえる花見の文化は、本来は宗教的・哲学的な意味合いに感じますが、最近はまさに「花より団子」。寒さに負けずに楽しく飲むことが最優先のような気がしてなりません。
この裏には、農地の減少を感じざるを得ません。四季を実感しながら労働に勤しむ百姓の減少を感じざるを得ません。
桜の語源や由来を探りながら何か本来の意味が失われていく一抹の寂しさを感じてしまいました。

来週の木曜は洗足の木曜。そして最後の晩餐の日です。教会が大切にしている日です。当初クリスチャンばかりで始めた小田原交流パト、クリスチャン以外の方も参加するようになった今も相変わらず年に1,2度のお休みの週です。
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