原爆投下の日

アメリカの核の傘に守ってもらっている日本。ゆえに核兵器廃絶条約の国連会議に参加しなかった。
世界中に多くの衝撃を与えた、直後のヒロシマ原爆投下の日。
核の傘と言うのは何か?アメリカが核をもっていて何か有事の時は核兵器を使うぞ、だから戦争を仕掛けるな、と言う意味なのだろう。
憲法9条1項:.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
ここに書かれているのは「威嚇すらしてはいけない」という理論の最高の思想をもちながら堕落していく姿を見ていくのが忍びない。
子どもの喧嘩だってそうだ。兄貴や親の姿をちらつかせるのは卑怯者だ、と言うのは僕ら子どもの頃の常識だった。かっこ悪い事だった。
そういう時代を過ごした僕は、日本国がそんなかっこ悪い事をしているのが残念でしょうがない。

素晴らしい花火 よりも思い出す 友の笑顔

2005年にスペインに戻った友が数年日度来日し、そのたび思い出してくれて小田原に遊びに来てくれる。
今回も3年ぶりにきてくれた。
小田原での日々をコーディネートしてくれるTさんがチョイスしたのは酒匂川の花火大会。
昨年までの5000発が今年は1万発に増えたとの言葉通り、のっけから乱打乱打乱打・・・。
音楽に合わせ、素敵なショーを堪能できました。花火ショーも昔と違う(^_^)/

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堪能した後は話足りずに居酒屋で夕食。
花火は本当にきれいだった。目をつぶれば余韻が甦る。
でも何カ月、1年経ったら思い出すのは友の笑顔なんだろうね。
ほら前回日本に来たとき花火がきれいだったじゃない。きっと言葉はそうなる。1位順位は友があり、その時に美しい花火になるだろう。去年の花火は誰と言ったのだっけ?にはならないだろう。
あんなに美しい花火以上の存在、花火を堪能してそれを再実感した。友に感謝。

8月3日のパトビラ(№989 - 土用波には気を付けて -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

中国の思想に五行と言うのがあります。すべてを5つに分けて考える発想。酒を飲んだ時に「五臓六腑に染み渡る」という五臓もそうだし、高松塚古墳で見つかった墓を守る空想の動物「玄武・白虎・朱雀・青龍・麒麟」もそうです。
季節も「春・夏・秋・冬」のほかに季節の変わり目18日間を「土用」と呼びます。春、秋、冬の土用は廃れてしまいましたが、立夏直前の18日の夏の土用は風習や文化として残っています。江戸時代夏の間は誰も食べることのなかった鰻屋のご主人のボヤキを聞いた平賀源内さんが「土用の丑の日に鰻を食べる」という日本で初めてのキャッチフレーズを作り、鰻を食べる習慣ができたのも夏の土用が文化として生き残る原因の一つかもしれません。
さて、この時期の海は、「土用波」と恐れられています。これは、日本の周辺は穏やかでも、南の大海の中では台風が発生していて、その大波が日本の海岸まで来るからです。天気はいいし、風は凪っているし、絶好の海水日和、なはずなのに、注意を喚起する黄色い旗や遊泳禁止の赤い旗がはためくのはそうした遙か南洋の台風が影響しています。見える危険には人間は注意しますが、見えない危険には案外不注意なもの、海岸の方は気を付けて下さい。


ペテン師はペテン師でござい、と言ういでたちでもないししゃべり方でもありません。誠意にあふれている容姿であり言葉でもあります。だからこそ引っかかってしまう人が後を絶たないのでしょう。
海もそうなのかもしれません。台風の荒れた海ではだれも泳ぐことはありませんが、端が黄色や赤でも静かな海だったら大丈夫だろうと気が緩んでしまうものかもしれません。
でも、それが危ないことは繰り返し喚起することは大事なことかもしれません。
台風が続々と発生しています。野宿を余儀なくしている人だけではなく、夏休みです。レジャーの方々も十分気をつけてほしいものです。

下流老人

語り口は、まるでケーシー高峰さんや綾小路きみまろさんを髣髴させる、辛口(棘のある言葉)を織り交ぜながら飽きさせないように話を進めていく。
7月22日、教団紅葉坂教会で行われた、神奈川教区寿地区センター主催の藤田氏の講演には時代に即したタイトルゆえか満員御礼。お仲間のSunaoさんの司会進行のもと定時に始まりました。

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下流老人…誰が貧困でもいけないですが、なぜ高齢者の生活が安定しなければいけないか?と言えば、若い時に一生懸命働いて年金や税をまじめに支払っても、高齢になったとき国は自分の生活を保障してくれないとなれば、年金や税を尊重しなくなるのではないでしょうか?
そう言う意味において「くれ騙し」にあったような高齢者の貧困は市民に大きな不安をもたらせます。

貧困のレベル、それは1人暮らしでは125万/年、2人なら170万/年、4人なら245万円/年(いずれも直接税をひかれた後)で、これを下回ると生活が困窮し、たとえば暑くてもエアコンの使用を我慢しようという気持ちになり、熱中症で救急搬送されたりもある訳です。国民年金だけだとこうした所帯になりやすいのが現状の日本で、これ以下の所帯を貧困所帯と呼び、全世帯の中の貧困所帯を貧困率と呼びます。
日本は16.1%が貧困でOECD加盟34か国のうち6番目に悪い数値です。
これを高齢者所帯だけで見ると19.4%に跳ね上がり、OECDワースト4となってしまう訳です。
日本は景気がいい、とか、アベノミクスなどと言われていますが、人生の終盤の時先進34国の中で下から4番目の貧困の中で生きるという事は将来に希望を持てない国家なのでしょう。
もうひとつ問題は、リタイアした後別所帯である子どもにもSOSを出すことが不可能な状態であることも注視しなければならないです。正規雇用率が低くいつ解雇されるかわからない不安定な状態では親の面倒を見たくても不安でできないこともあります。

そういう下流老人が増えた今の日本。ならではの事件事例はたくさん発生しています。
・2015年5月に起こった川崎市の簡易宿泊所火災事件
 ここはドヤと大差が無く正規の住居に住めない貧困の要支援、要介護1,2級の方もたくさん入所していました
・2015年6月に起こった新幹線内の放火事件
 高齢者が困窮の日々に嫌気をさして焼身自殺を図った事件
・2016年1月のスキーツアーバスの事故
 65歳と言う高齢者が深夜バスの運転手を続けなければならない事情
・2015年11月 埼玉の心中事件
 47歳の娘が81歳の母親と74歳の父親の未来を苦にしての心中事件の裏には、生活保護利用問題がありました。、
・2016年10月28日 軽トラが登校の列に突っ込んだ事故
 87歳の運転手は認知で自宅が分からず走り回っている最中のパニック事故 

こうした事例は加害者だけに責任を負わせるのは忍びない気がする事故事件ばかりです。

今日の講演会のサブタイトルは「ひととのつながりが貧困と闘う武器となる」です。
講師の藤田氏は貧困と言うのは経済的な問題だけではなく、つながりが切れることで情報が無いことで生まれる部分も多いと語ります。孤独死に対して不安を持っている人が先進諸国の中で高いことがそれを裏付けていると思います。

「核家族」が日本の家族形態になって幾久しいです。それによって孤独死の不安の増えているのかもしれない中、「拡大家族」は大切だと藤田氏は説きます。それは一つは教会(宗教団体)であり、一つは市民力(ボランティア力)ではないでしょうか?
野宿者支援、そしてこのあと7月30日に上映する「さとにきたらええやん」の映画の一つのテーマ道親。こうした大きな動きをするには「核」が必要です。個人が個人でそれぞれ動いてもなかなかできるものではありません。
その核になるのが上記の宗教団体や市民のボランティアです。

さて日本の平均余命は90余歳。しかしその年齢は死産(0歳)や交通事故や病で若くして亡くなった方の年齢も含まれていて、中位寿命で平均余命より3年ほど長いと言われています。いずれにしろ60歳でリタイアしたならあと30年ある訳です。会社人としてのリタイアは人生の2/3の部分にある訳です。
残りの1/3は自分の生活を気にせず、余暇を楽しんだりボランティアとか社会貢献をするときなのでしょうけれど、その時まで働かざるを得ないことが問題です。上記のように「ひととのつながりが貧困と闘う武器」として闘ってほしい方が闘えない状況に陥ってしまいます。

日本は最低賃金もドイツの半分程度です。賃金が低ければ社会保障は手厚くなければいけませんが、それも低いです。
昭和の右肩上がり、「待ちぼうけ」の歌ではありませんが、二匹目のどじょうを狙って無策のまま過ごしてきた日本は、いつの間にか貧困国家になりました。子どもも若者も高齢者も貧困に喘いでいるのに、なぜか意識だけは相変わらず中流意識。実はそこが問題なのでしょう。
『理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。』ロマン・ロラン氏の言葉です。多くの国民に中庸左派の意見を言うとそれは理想で現実的ではないと言いますが、自分が貧困であるのにその現実を直視せず中流でいるつもりも大いに非現実的です。
社会が変わらないとまさに「無血液」な社会が蔓延しちゃいます。
よい学びの時が与えられました。感謝です。
という訳で本買っちゃいました。ゆっくり読み直したいものです。

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7月27日のパトビラ(№988 - 先進国トップクラスの国民全部の貧困 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

『ホームレスはどこへ行った?17年は5534人、13年比33%減少』23日J―CASTは報じています。あわせて昨日行われた横浜寿町で活動している日本キリスト教団の地区センター主催の講演会の講師藤田孝典氏は「下流老人」と言う言葉を紹介し、ここ近年特に単身となった高齢者は年金等だけでは生きるのが難しいという数字を示して話されました。日本の貧困率(単身者は125万円以下、2人世帯は170万円以下等)の家庭は16.1%と非常に高く、こうした家庭ですとエアコンの使用をあきらめてしまう日も増え、救急車の出動が増える結果になったりします。特に高齢者の貧困率19.4%というのはOECD加盟国でもワーストクラスの比率です。野宿生活を余儀なくされている方は減ったかもしれませんが、実は日本中が貧困化しているのです。それでもこの国の為政者はやれオリンピックだ、やれ大阪万博だと、目の前の国民の福祉には見て見ぬふりしています。
さて少し先の話ですが、8月8日に小田原市と意見交換の場を設ける運びとなりました。参加なさりたい方、意見を伝えてほしい方いましたら僕らの方によろしくお願いします。


このBlogでもご紹介ました地区センター主催の講演会
近々に著書<下流老人>を購入したならあわせてレポを書きたいと思っていますが、単身者なら月額10万余、2人世帯なら14万円。年金世帯になったら僕ら夫婦もそういう金額、つまりは下流老人の仲間入りです。
人のこと構ってる場合じゃない、と言われるかもしれないけれど、そして過日大阪行った時に友になった方と飲みながら話したことかもしれないけれど、今他人に構うことで自分の知識になるのです。そして知識がつくと「いや、この政治はおかしい」と思えるようになるのです。そしてそうした人が増えれば世の中よくすることも可能です。

天人

世の科学というものは夏休みの自由研究と同じで『僕このことを研究します!』とエントリーすることから始まります。だからエントリーする人がいなければそのトピックスについては永遠の謎のままになる訳です。
夏休みの自由研究と少し違うのは、その審査員が傲慢な権力主義者が含まれている点があるのかもしれません。
たとえば『死後の世界はこうなっている』とか『肉体は離れた霊体の存在』などを研究しても、非科学的だと鼻で笑われ学会にも登場させてもらえず、それゆえ大学や高校の学びの場にも現れず、非科学的な空想の世界のままで今日まで来てしまっています。
同時に宇宙人がいるか?と言う問題も一昔前までは想像の産物と言われていましたが、最近は政治公式の場での発言に真摯に回答されることもあり、いよいよ「事実認定」が出るのも時間の問題なのか、はたまたすでにメン・イン・ブラックと言う映画のように僕らと見た目の区別がつかないように既に地球上で共存しているのかもしれません。

科学は正しいか?と言えば、YesでもありNoでもあります。最初に記載したように夏休みの自由研究のように誰かが一つの仮説を立てて立証しようとして研究しその結果の発表の場で誰もが否定出来なければ「正しい」とされてしまいます。「科学的」と言うのは誰も反論できなかったに過ぎず、正しいかどうかは関係ないのです。
そう言った意味では、温度と言うのはマイナス273℃以下にはなりませんが、上限は何兆℃にもなると言うのが現代の科学の知識なのです。マイナス273℃、つまり絶対零度をベースに考えれば僕らの世界は300℃の世界。何千万と言う高温の中では限りなく低温の中で存在している訳です。
お金で考えれば、1兆円持っている人もいる中で300円しか持ち合わせがないのは、低所得ですよね。
僕がビルゲイツ氏やマークザッカーバーグ氏、孫正義氏やアリババのジャック・マー氏の4人の会食の席に招ねたら途方に暮れるような異次元の世界。
だから宇宙人がいたとしても同じ温度帯で生活している可能性は極めて低く、何千度で生活しやすい体が必要であったりしてそれゆえ見た目が同じ可能性も低いのでしょう。

タコ型宇宙人の姿を最初に公言したのはパーシヴァル・ローウェル氏だと言われています。その発表に刺激を受けたH.G.ウェルズ氏が宇宙戦争を描き宇宙人のデザインが僕らの頭に刷り込まれました。でもそれ以上の想像が出来ず結局今は人間型の宇宙人像が主になってしまったのかもしれません。「人」と言う字がつく以上仕方ないのかもしれません。

何が書きたいかと言えば、昨晩「銀魂」を見てきました。ご存じない方は公式の何かで詳細をお探しいただくとして、物語の舞台は幕末の日本の歌舞伎町。開国を迫ったのはアメリカではなく宇宙人と言う設定。そこで攘夷志士たちや新撰組、そして天人と呼ばれる宇宙人と諍いをドタバタとパロディとセンチメンタルな話で少年ジャンプに長期連載されている人気漫画の実写版。
監督は、低予算で作り高視聴率をとった勇者ヨシヒコシリーズなどでおなじみの福田雄一氏。原作や監督にひかれて豪華メンバーが集まって作られた映画は、俳優陣が体を張っておバカをやっていたのでそこそこ面白かったですが、例えばP.ローウェル氏のような独創的な発想が短期間でできないのを逆手に取ったパロディパロディ連発の漫画原作の空知英秋氏や勇者ヨシヒコの福田氏の良さが薄かったです。普通の迫力あるチャンバラシーンの多いドラマになっちゃったきらいはありました。描かれた宇宙人も動物と頭部が人間と同じように歩いているのとか、昔のキャプテンウルトラのバンデル星人(ホクトのエリンギ)のようなのとか・・・。
もう少し大人が楽しめるパロディ満載にしてくれると…見に来る人は減っちゃうのかな(^_^;)

存在が知られている温度の中間は数万℃。ウェルズ氏の発想のように無茶苦茶な低温の地球を攻め込んでのメリットは何かあるか?と言うと思いつかないです。 でもそれももしかしたら想像の幅が低いから気付かないのかもしれませんが、確かなことは今後宇宙に進出するのにいつまでも地球の中で争っている場合じゃないということなのでしょう。

お登勢さんとキャサリンが出なかったことがショックでした(^_^)/

下流老人

1か月前になりましたので告知です!!

初老の子なし夫婦、だからさほど日々の生活にお金がかかるわけじゃあないけれど、それでも時たま生活が厳しいなぁと思う時がある。
やはりこの国は多くの中産階級が一気に下流化しているのだろう。
野宿者の支援をしていて、関連の本を読んだりニュースを聞いたりしてもそうだ。
生活の困窮を訴える人が路上生活(いわゆるホームレス生活)をしていない所から見聞きする機会が増えた。若いご家族が3食食べられない、とか、派遣で働いているけれどアパートに住めないから24時間店で夜を過ごす、とか…。

そんな昨今の現実を知り、自分の生活にどう生かすのか? 退職が間近に迫っている中、僕らも例外ではない。
寿地区センターで下記の学習会が開催される。

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場所は紅葉坂教会。地図はこちら

釜ヶ崎フィールドワーク(2)

余韻が覚めない…(笑)

子どもの里では、突然入ってきた見ず知らずのオッチャンである僕にも子どもたちは興味津々。人懐っこく、洋服の裾を触ってきたり、通り抜ける時にちょっと手を伸ばして僕の体を触りながら抜けていく子もいた。
想定内の事だがこのタッチがちょっとうれしい。

知らないおじさんに声をかけられても返事しちゃだめよ。
この言葉はすでに僕の子どもの頃から聞いた言葉。
でも僕らの子どもの頃は同時に近所の顔見知りの人の家にはずけずけと上り込んだりもした。

声かけられても無視をするように。隙を見せないように。子どもにそう教えるアチコチ。
昔よりもそういう危機感持たざるを得ないと思う親御さん増えたよね。そう言わざるを得ないのなら治安が悪いんだよね。

でも釜はそんなこと言われて育っていないのだろう。あのさりげないタッチは、僕を仲間として認めてくれた証。声をかけられたら返事をしていい仲間として認めてくれた証。

釜は治安が悪いといううわさがある。でも本当はどっちが治安が悪いんだろう?

7月30日(チケットはおかげさまでソウルアウト)

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子どもの頃近所づきあいは当たり前だった。
雨が降ると隣との垣根の隙間を通って洗濯物を軒下に入れに行くのは大人も納得した子ども通しの暗黙の仕事の約束。
両親が共働きの同級生は良く我が家で帰りを待っていた。
子ども同士遊びに行くというこみにけーション以外にも、多くの周辺の親の目の下で子どもたちは育って行く・・・そんな姿が当たり前だった。何の違和感もなかった。

いつからだろう?隣人がどんな人かもわからないという風土が日本を蔓延させたのは?
いつからだろう?朝すれ違う人が挨拶をしないで行くのが当たり前になっちゃったのは?
いつからだろう?自分より一世代前の大人にしたの名前で呼ばれなくなってきちゃったのは?

そんなのはなんか嫌なんだよね。お節介なばあさんに余計な事を言われた方がうざくても無視されるよりよっぽど楽しいし、朝はおはようで始まりたい。「Takeちゃん」と子どもの頃かわいがってもらった名前でいくつになっても呼ばれたい。

コミニティってそんなもんじゃないかな?

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(ポスターは画面上でクリックすると大きくなります)

我が街小田原はかろうじてそんないい風土は残っています。組内(自治会)のおばちゃんたちは相変わらずTakeちゃんと呼んでくれるし、引っ越してきた若夫婦などもどんな方かも知っているし挨拶をかわせる。
でも、おすそ分けの週間なんかは薄れて来たね。車があるし、深夜までやっているスーパーやCVSがあるから、サザエさんに載っているような食材の貸し借りはなくなっちゃった。

さとにきたらええやん 大阪の釜ヶ崎と言う寄せ場(ドヤ街)のど真ん中にある子ども支援施設を取り巻く大人と子どものドキュメント。いろんな大人いろんな子ども、そしていろんな半生。でも底辺にある「ええがな、ええがな。なんくるないさー」というどっしりした理念がホッとさせる。
そんな映画の上映会です。
お時間ありましたらぜひぜひです。

釜ヶ崎フィールドワーク って

タイトルの言葉を僕もよく使っていますが、たとえば丸の内に行けば、スーツ着たサラリーマンが歩いていてその方々を目当てにしたランチのできるレストランがある。
昔を知っている人は、丸の内も変わったよな、昔はみんなネクタイして暑くてもスーツ着ていたのに、今じゃクールビズとかなんとか言われてネクタイもしやしねぇ、と言われたり、レストランも1000円以下の店増えたよな、ところに寄っちゃあ600円なんかで食べられる。デフレなのかねぇ~。

釜ヶ崎も同じ。サラリーマンが日雇いの人や現場作業の人が多いだけ。だけれどサラリーマンが暑い中働いているように釜の人も暑い中頑張っているんだ。ちょっと収入が少ないから1000円のランチ食べることが出来る人は少ないから食堂も3~400円の弁当売っている店が多かったり、楽しみは仲間と飲むお酒(はあと)だから飲み屋が多い。そういう意味で違いはあるけれど、みんな元気に生きている。もしかしたら丸の内より元気に生きている。だからそんな元気を知るのがフィールドワーク。
経済的に豊かじゃないからその分他人の懐事情もよくわかる。そうした人情はアーバンナイズされた町より豊かだ。だからそんな優しさを知るのがフィールドワーク。
丸の内も昔から住んでいる人が街が変わったというように釜ヶ崎も多分どんどん変わっていくのでしょう。だから今の釜ヶ崎を知るには今しかない。そして今の釜ヶ崎と関わって楽しんで、ああ楽しかった、いい街だった、というだけで十分なフィールドワーク。
そもそも旅(トラベル)の語源は、知らない異文化で出会う(トラブル)と同意語。そんな知らない街を楽しむだけで十分なおはなし。

釜に行った出来事を書いたけれど、そしてもしかしたら僕の考えは杞憂かもしれないけれど、この一言はやっぱり書いた方がいいかなと思い老婆心ながら余計なひと言書きました^^;
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