釜訪問あらため大阪訪問記(1)

4月に「さとにきたらええやん」自主上映会の実行委員にならないか?とのお誘いを受け、ならば一度は釜ヶ崎に足を運ばなくてはと思い、寿地区センターや教会や昔あった@あしがらと言う市民グループを駆使して、案内人を引き受けてくださる方を見つけ万全の態勢を整え、7月14日23時過ぎ京都・大阪・堺行きの高速バスに乗車。
最近の長距離移動の交通機関は両側カーテンで光が洩れず、なおかつ各シートに電源と車内にはフリーWifiの設備がめぐらされているので何かと便利。行きは携帯をいじりながら夜が更けていきます。
7時9分に南海なんば高速バスターミナルに到着予定が大阪以降の一般道の道路事情なのか6時43分着。これは小田原以西では乗降者のいない高速バスならではの出来事なのでしょう。南海なんば駅5Fの冷房の効いたインフォメーションセンターで本日の午前中案内をしていただくNさんと待ち合わせ。お越しになるのを待ちます。彼女が小田原にお住いのころ@あしがらで一緒に活動をしたことがあり、その後関西に移られてからは釜の夏祭りや越冬に参加されている話を聞いたのでお声をかけさせてもらって、引っ越しの中お忙しいのに来て頂けることになりました。お会いするのは2012年11月久野の峯自然園さんでの@あしがら主催のBBQ会以来。
約5年ぶりですがお変わりなく笑顔で登場(^_^)/

2Fの南海なんば駅。東京の駅との違いは改札を抜けても通路が延びそこから上り(下り)って自分の指定の電車のプラットホームに行くことが多いですが、ここはどーんと一面に広がるプラットホーム。なんだかヨーロッパの駅みたい。
日々会社と自宅、もしくは教会と自宅と言う人混みの中に入ることがないとこうした多くの人間を見るとただただ緊張(笑)

2駅目が新今成。この駅の南が釜ヶ崎と呼ばれる場所。大阪市ディープと呼ばれるエリアだが、同時に大阪の南エリアの中心地でもあり、多くの路線がこの駅を中心に南へ北へ、そして西へ東へ。また地下へと延びています。これが地元っこと話していると訳が分からなくなる、今回一番苦労した部分です。

降りたところがあいりん労働福祉センター。ちなみにこだわる人はいなくなったのかもしれませんが、あいりんと言う名は行政が釜ヶ崎と言う旧地名を抹殺するためにつけたエリアの名前。ですから釜ヶ崎と言う地名を捜しても地図にはないし、あいりんもそうした行政の作為ある名前なのです。そんな安易なあいりん地区と言う名前を僕は好むことが出来ず相も変わらず釜ヶ崎と呼び続けています。
時刻は午前7時。すでに今日の仕事につけた人、あぶれた人、そして労働福祉センターに来る多くの人たちを相手にした露天商。今日も1日が始まります。

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周辺は、リノベーション、いやリフォームの方が近いか、と言ったホテルが立ち並びます。多くのホテルの入り口には、生活保護の相談受けます、と言った言葉、1カ月での利用なら割引しますと言った旨の掲示がなされています。
いわゆるドヤと呼ばれた施設です。

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ちなみに今回僕が泊まったのもそうした施設の一つ。ホテル和香さん。1800円。
2畳ほどにベッドと棚。棚には小型冷蔵庫とTV、洋服掛けと靴箱。あっ、スリッパに履き替えて靴は部屋まで持っていきます。エアコンは完備。天井が壊れた跡があり色違いのパネルで補修した形跡があったり、以前に泊まった客がエアコンを無理やりいじったのか羽が移動するため機械にぶつかりきしみ音がしたり、トイレが部屋にないので貴重品が気になればトイレに行くのにも部屋に鍵をかけなければならなかったり、そもそも部屋に鍵はついておらずフロントで1000円のデポジットで借りなければならなかったり、シーツはシミがあったりと気が付くことはいくらもありましたが、1800円ですよ、それにリネンだって洗って糊掛けまでしてありますし部屋の中は埃ひとつないのですから何の問題もなく次回行く機会があればドヤ改装ホテルを選びます。高級ホテルの18000円がばかばかしくなる気すらしちゃいます(笑)

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各階に簡単な炊事場と電子レンジが備え付けてあります。周囲にもたくさんの飲食店がありますが、徒歩350mの所に24時間スーパーの玉出もあります。白米は65円でした。

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ちなみに自販機の缶コーヒーも50円です。

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7月20日のパトビラ(№987 - 幸せに生きよう! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。14日から17日まで釜ヶ崎に行ってきます。そのため週明けに作成できないので、事前に作りました。

ドーパミンやセロトニンと言う物質が脳に伝わることで、人間は幸せだと感じるのだそうです。つまりこの物質をいかに脳に伝えるかが幸せに生きる秘訣です。
もちろん楽しい事、興奮することがあると脳にドーパミンがあふれます。がそうした物質が生成されるのは脳ではなく腸なのです。
そもそも生物が誕生したのは40億年前。単細胞が進化した動物が最初に持った臓器は腸で、脳をもつ動物が出現したのは5億年ほど前です。エネルギーを大量に使う代わりに様々なことを出来るようになりましたが、腸で作るドーパミンやセロトニンが脳に伝わないとうつ病とか気分が沈むような精神状態になったりもします。
落ち込まないで楽しく幸せな気持ちで生きるためにはこうした物質を作れるようにしなければいけませんが、最初に書いたようにこうした物質は腸で作られます。腸を大切にすることが幸せな人生に欠かせないことです。だからこそ食生活が重要です。免疫力を高める良質なたんぱく質が豊富な物や温野菜でセロトニンが脳に移動するのだそうです。


脳を活性させ幸せにするのはドーパミンでありセロトニンだというのは、TVの健康番組などでもよく報じられているのでご存じの方も多いと思いますが、それは腸で生成され、特にセロトニンは今でも腸内に90%存在し脳には2%しかなく、その2%ですがそれが減ると鬱などになると東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎さんはいいます。
脳はいったん報酬系を刺激されると、もう止まらなくなります。たとえばポテトチップスなどを食べると快楽系、報酬系が刺激され、快感を感じます。脳から快楽物質が出て、ストレスが取れたように感じるわけですが、本当のストレスはなくなっていません。
言われれば、ストレス食いなどと言う言葉があるように、ジャンクフードなどを食べることでストレスを忘れた気になることは僕も経験していますが、それは実はよくないことだったのですね。
野宿生活もストレスは多いです。暑さ、寒さ。また蚊や虫の被害。雨風…。腸環境を整えて免疫の高い体を作りそういった外的ストレスに対応してほしいものです。

心も思いも一つに

2017年7月9日、小田原教会に与えられたみ言葉は、使徒言行録 4章32-37節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。


長井牧師は今日の箇所に至るまでの間に起きた出来事をペンテコステの後から時系列に話をし、そして使徒言行録2章42節に彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。 と書かれていると紹介されました。
(同じ志をもった集まったすべての人が)心を一つとし、使徒の教え(説教を聞き)、相互の交わり(仲間との交流)、パンを裂くこと(聖餐を受けること)、祈ることを熱心にした、と言うのです。つまり教会として、クリスチャンとして共に大切だと思っていることを皆でしたと言うことでしょう。

そして今日の箇所は、信じた人々の群れは心も思いも一つにし、とあります。心だけではなく思いも一つにしたというのを僕らはどう読むのでしょうか?
今日の使徒言行録はパウロの行動が中心の記事です。そのパウロはイエス(キリスト教)伝道の熱心さのあまり牢につながれます。
イエスの最後もそうでしたが、指導者が捕捉されることは、集団を分裂させます。パウロが捕まったことは、心を一つにしていた人が、一つでなくなることでもあるのではないでしょうか?
それゆえ教会を守ろうと言う思いの一致も大事だったと思います。

2000年の間教会が心と思いを一つにしたからこそ今なお残っているのでしょう。
一つのことで集まったグループ。それが粛々と継続していくというのは、まさにその部分が大事でしょう。
僕も教会以外でいくつかのグループの仲間と一緒に人生を楽しんでいます。
イヴェントが終わってうやむやの間に消滅してしまったグループと長期間活動をともにしているグループ。一番の差異はそこなのでしょう。
逆に言えば長々続いているグループも心と思いを一致できなければ消えてしまいます。

今日の箇所の直前、使徒言行録4章4節には 二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。 とあります。
一度のパウロの話を聞いて、なるほど、それは信じるに値する、といった所で5千人の理解度や咀嚼内容は違いがあるでしょう。しかし、自分の咀嚼故に信仰の道に入った訳です。お前の咀嚼は違っているとかおかしい、と言われることには不服です。
誰もがその咀嚼が正しくその大切な思い故に信仰の道に入ったのですから、それを主張し合え、そして理解しあえる教会でなければならないと思います。
自分の解釈とは違うけれど受け入れるよ、という関係性こそが、心と思いの一致の根底にあると思います。そしてそれは教会だけではなくどんなグループにも通じることだと思うのです。

7月13日のパトビラ(№986 - 七夕の話の続き -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。先週の続きです。

台風の通過で今年の七夕も曇り空。織姫と彦星は会えなかった、と思っている人も多いのではないでしょうか? 考えてみれば雲は数千m、星々よりも遙かに低い位置にあるので、織姫も彦星も雨雲になんか影響されません。本当は1年365日毎日出会えています。ただ僕らは、雲を見て、ああ会えないんだ、と勝手に思っているだけです。先週のパトビラの後知人の牧師がそんなことを教えてくれました。
雲を見て落ち込むことはありません、雲によって本当にあるものを見逃しちゃあいけません。僕らは神様の存在を見えないから存在しないと言っていないでしょうか? 自分に幸せが来ないから神様の愛なんて存在しないと言っていないでしょうか? それは、雲に隠れてしまったので、今年は織姫と彦星が会えないんだ、と言うのと同じだと思います。
サンテグジュペリと言う作家が「本当に大切なものは目には見えない」と言っています。雲に隠されて見えない本当を想像したいですね。あなたの仲間の隣人も愛や誠意や優しさと言う目に見えないものをもって接してくれています。目の前をふさぐ雲を払って感じてください。


もともと伝承物語を科学的に話すのもなんですが…。
人間ってやつは見えないと本当に不安になってしまうものです。厚い雲の向こうで幸せなんだとしても疑心暗鬼、
イエスの弟子たちの中のトマスも、イエスの復活をした時、ほかの弟子仲間がイエスが復活した!と言う言葉を信じずに、傷痕に手を入れてみなければ信じられない、と言いました。
その弱さこそが実は人間なのかもしれませんが、些細なこの文章を読んだとき、みえない雲の向こうを信じてみようと思ってくれたら幸いです。
原案をアドバイスしてくれました田崎牧師に感謝。

ムーンおじさん月になる

太陽は明日も僕らを照らし、月は明晩も美しく闇夜に輝く、こんなことが当たり前だと思うように、僕らは今日の続きの明日を疑わない。
がんを発症し何度も奇跡に近い復活をしてきたサバイバー中のサバイバー。不死身ではないか!?とさえ思っていた友が6月29日夜に天国に凱旋した。
つい先日、静岡で若い友を天に送ってその悲しみが癒されない中の出来事にただただ打ちのめされる。

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がんでもいいじゃん♪FamryのMocaさんが、このキャラクター作りの秘話を教えてくれた。このモデルはToshiさんなんだよって…。
初めて出会ったのは最初のRFLつくばが終わってすぐ。がんでもいいじゃん♪のオフ会をしようと横浜に集まった時だから、2006年。もう11年にもなったんですね。
僕が会場に着いた時すでに酔っぱらって寝ていた(笑)
それから、数度のRFLや相互宅を中心としたオフ会とご一緒する機会を重ねました。そのたび思いが強くなるのは、非常な気配り人ということ。根っからのサービス精神満載で、そして嫌な顔をしたのをとうとう一度も見なかったこと。
それ故にToshiさん&Luiさん宅でのオフ会ではToshiさんとゆっくり飲んだためしがない。2,3分座ると料理を作りに立ったり、飲み物を取りに立ったり、腰の重たい僕としてはあのフットワークの軽さは驚異そのもの。

そして圧巻はプリン作り。
小田原教会のFreeSpaceあごらにがんでもいいじゃん♪のブースを出すとわかると、毎年前夜徹夜でプリンを作り100個近くを持ってきてくれました。何年も何年も…。
RFLの会場は自身のミッションとして頑張られたとしても、2次的な要因の教会バザーにまで尋常ならぬほどの情熱を注いでくれたことは言葉にならないほどの感謝です。
多くの人が秋になると、「ねぇ今年も〝あごら”にがんでもいいじゃん出るの?」と聞かれるようになりました。がもちろんその意図はプリン食べれるの?とあんに言われているわけです。がんでもいいじゃん♪と言う言葉はToshiさんのおかげで小田原の地で市民権を得た言葉となりましたが、残念なことにもうプリンは食べられません。
でも、どうぞ〝あごら”の季節になったら、がんと言う病と闘いながら自分ができる人への奉仕を常に考え周囲の笑顔を自らの喜びとしてプリンを作り続けてくれた人を思い起こしてください。

最後にあったのは去年の12月、日本初のモーフェスの記念Tシャツを届けに・・・。
行く前Luiさんに「行っても大丈夫?」と聞くと起きられないかもしれないけれど、という条件付きでOKサイン。ところが、仲間が来るという事が元気の源になったのか?1,2日前から食事もとるようになり、その後の再度の復活劇\(^o^)/

ちょっと安心したんだけれどな・・・。

若い時には日本キリスト教団原宿教会にも行ったことがあると語ってくれたこと。大学は違えども同じ農芸化学を専攻したこと。
ご縁のある、そして大きな背中を見ながら人生この人について行こうというにふさわしい御仁でした。
いつも笑顔でいる、多くはまねできないけれどこれをToshiさんからの遺言として真似をしていこうと思います。
ありがとう、しばしの別離さみしいです。

Luiさんの生活が落ち着いたらどこかで偲ぶ会やりたいです。がんでもいいじゃん♪FamiryとはFacebookやmixi相談したいです。

7月6日のパトビラ(№985 - 七夕 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

梅雨の最中蒸し暑い毎日です。体調は崩されてはいませんか?
明日は七夕です。中国から来た陰陽五行の節句、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日に季節の節目をお祝いしようというのが始まりです。
いつしかそれに尾びれ背びれが付き、日本の古史の棚機津女の話(水辺で高貴な人の接待をする話)や五行にちなんだ色の短冊に願いことを書く風習、そして織姫・彦星伝承などと絡んで今の七夕のお祭りになっています。
また、七夕につきものの竹についても諸説ありますが、この時期ならでは竹の抗菌作用を利用して食べ物を傷みにくくするところから始まったと言われています。ご飯を笹の葉にくるんだちまきやおにぎりを笹の葉の弁当箱として包んだのもそうした先人の知恵から来たのかもしれません。
さて、話は変わりますが、最近は襲撃等の被害はありませんか?
七夕を過ぎると間もなく夏休み、開放的な気分と避暑的に夜の水辺で遊びたくなる時期です。トラブルがありましたら気軽に連絡をください。私たちの方からも警察をはじめ所轄に通報する代行をいたします。


考えてみると織姫・彦星伝承は、ブラック企業のそれのような感じがします。
働き者の2人が結婚したら相手を愛しすぎて仕事に精が出なくなったから一人を川向こうに行かせるなんて言う話しをロマンチックねと言うのはなんだかなぁ~
昔の名曲、ユニコーンの大迷惑 思い出しました(^^)/

アブラハムの信仰

2017年7月2日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 4章13-25節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。



今日は2つの大学から5人もの十代の学生が礼拝に集われ、いつもに比べてぐっと若いメンバでの礼拝でした。新しい方が教会に足を運んでくれることはとてもうれしい事でした。
しかし、聖餐式の厳粛な雰囲気、牧師の『まだ洗礼を受けられていないもの…』の言葉に居心地が悪くなったのか、聖餐の時を共にすることなく退席をさせて帰られてしまったことはとても残念な事でした。
オープン聖餐(他教派での聖餐は認める)やクローズド聖餐(同一教派しか認めない)は本当に正しい解釈なのでしょうか? 誰をも救われる神を信じている僕にはどうしても礼拝出席者にさえ居心地の悪さを与えてしまう礼拝スタイルが納得のいかない出来事の一つです。


さて、今日の説教。
アブラハムはなぜ神の言葉を疑いもせずに信じたか? は、興味深い問題です。でも、僕はそれは高齢にもかかわらず子どもが出来たことに由来するのだと思います。(創世記17章)
しかしベースは、信仰心のある人だから、神がイサクの命を宿させたのかもしれません。安住の地に居ながら神の転居の命に従い、放浪の旅に出ます(創世記12章であるようにこちらの方が先に書かれているトピックスです。)
鶏が先か?卵が先か?的な議論になりますが、視線を変えて考えてみたいと思います。
逆さまならどうなのだろう?
神が高齢になってからの子を授けるという一つの奇跡を示されたら、その神を僕らは無条件で信じられるでしょうか? 特に創世記22章のイサクの燔祭と呼ばれるシーンは、その神の奇跡で生まれ、もう同じ奇跡はないと思われる一人息子を神にささげるという出来事。生半可な信心では、神を疑うか神に失望するのが当たり前の出来事です。

アブラハムは信じやすい人なのか?と言う僕の心を読んだかのように牧師は、創世記12章10節以降を示されました。飢饉を逃れエジプトの地に行った際、連れ合いのサラに自分の妹だと名乗れと言います。
妹なら求婚をする際にその兄に多大な貢物をするだろうけれど、妻なら主人を殺して寡婦とし自分の妻とするだろうという疑心によるものです。妻サラの墓の件もその人への不信心ぶりを示しています。アブラハムは決して信じやすい人ではなく、人に対しては徹底的に疑心の目をもち騙されないことを信条としたのかもしれません。
そんなアブラハムは神にはちっぽけな疑心もなかった・・・。

牧師はテモテの信徒への手紙1章15節を語ります。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

この言葉はパウロの信仰です。信仰は証明するためにあるのではなく、自身が信じるために存在します。
アブラハムも神の言葉の審議を立証できたからではなくそう信じたからこそ神の命に従ったのでしょう。
それゆえ義、つまりは神の目に正しいと認められたのだと思います。
人の目から見て正しい事ばかりしたのではなく、神を信じたということで神の目のベースでOKされたのです。

過日、小林麻央さんが逝去されました。子どもが小さいのに、とか、まだお若いのに、と言う哀悼の意の言葉も聞きます。
Histry(歴史)はHis+Story=彼の物語だといいます。二重予定説、既に神は歴史と言う大舞台の台本をすべて書かれているという意味です。
神の脚本で言う小林麻央さんの役柄は、その若くしての冒されたがんとの闘いを通して僕らに勇気を与えるという役だったのかもしれません。
それは、彼女やその祖先の業とかなにかではなく、与えられた神の役です。
僕らは歴史と言う大舞台をその役を演じるにすぎません。神の与えてくれた役を十分に演じること。それは「あるのまま」つまりは自分らしく、無理のない人生を過ごすことです。
ありのままで歴史の舞台の主人公を演じて神の義を得たいものです。

6月29日のパトビラ(№984 - 中学生の大活躍 -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

優勝賞金4320万円、将棋界のタイトル戦の中で一番賞金額の多い竜王戦の決勝トーナメント。日ごろはニュースになれども大きな扱いにはならないこの試合が今年は藤井聡太四段の29連勝と言う日本新記録のかかった大一番をうけてテレビや新聞などのマスコミも詰めかけました。
そして結果はご存知の方も多い達成というもの。
穴熊囲いと言う守りの戦法が30年ほど前は流行だったけれど、最近はコンピュータを相手に研究をするようになり、みな守りより攻めの手筋のようです。落語の演目『浮世床』ここに出てくる素人将棋は王をとられたのに気が付かず続けていたり、また下ネタですが玉をとられるのが嫌だとふんどしの中の金に守ってもらったり、とドタバタばかり。そんなシーンが落語になるのはやはり将棋は庶民の遊びなんでしょうね。
双子のまなかなチャンが主役を演じた朝の連続テレビの『ふたりっ子』は阪田三吉を夢見る棋士が一方の主人公。寄せ場釜ヶ崎を舞台に番組が進みました。暗いニュースの多い中若い棋士の活躍は頬がゆるみます。


ふたりっ子ももう20年も前の朝ドラになっちゃったんですね。
でも、こうしたニュースで日の目あたるかも…。

神の恵みと憐れみよって

2017年6月25日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 4章1-8節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、 幸いである。主から罪があると見なされない人は、 幸いである。」


パウロは、旧約のアブラハムとかダビデを例題として信仰義認を説きます。
しかし、ではアブラハムも何もしないで尊敬を受けたのか? ダビデはユダヤ一の王と言われたのは何も行動がなかったからなのか?と言えばそうではないでしょう。
神の戒めと教えによって故郷を離れカナの地に移動をする決意と行動。神の命によって一人息子のイサクをささげようとした実行力。そうした行動を民衆は称賛したのでしょう。ダビデも然りです。

信仰義認。この言葉の対語は、行為義認、つまり何かの行動によって救いの結果が変わるという考え方。言い換えれば、中世の免罪符や厄除け壺など、行為が行為で無くなり金に変わっていくことが救いの道であるという、言い換えれば宗教団体が金もうけの手段になる形式、やはり危険な考え方に導かれる可能性は高いです。

また、その行為のみを民衆は褒め称えたのでしょうか? 民衆の称賛はどんな無茶ぶりに見える神の命令にもひるむことなく従ったアブラハムの行動です。ただの行動ではなく、その行動は神を信じることに裏付けがあったからだと思います。

でも、信仰義認も何も問題はないか?と言えば、日々の生活とかけ離れたことでも救われると信仰をする必然性に疑問を持つ人も増えるでしょう。
信仰義認は何もしなくていい、ただ祈ることだけではないような気がします。そこにはやはり行動が伴います。悔い改めて生きよ、と言われた言葉。それは言い換えればイエスのみあとを歩めです。

信仰義認=行動を伴わない救い や カルヴァンの二重予定説=すでに人の生まれる前からその人の救いは決められている、であったとしても神に従いたい。聖書の御言葉に従いたい、と言うのが僕らの真情でしょう。
特にプロテスタントはそうなのかもしれません。ゆえに、カトリックではサクラメントである懺悔も告解もしません。でも聖書はイエスがどう歩んだかを教えてくれます。


信仰義認が信仰義認であるのは、イエスのみあとを歩みたいが、様々な躓きで歩けなくても、大丈夫だよ、歩こうとしたじゃないか、神に従おうとしたじゃないか、私のみを信じてより頼んで生きてくれたね、と神は言ってくれるという意味だと思います。
神は出来ない僕ら、罪ある僕らを義としてくれるということです。それには向かい合うこと、神を信じてみあとを歩こうとすることが大事だと思うのです。

逝去のニュース

ソウルメイトを神様のみもとにお返しして寂しさ募る中、今日は連れと同じ乳がんのサバイバーさんをお戻ししました。
お二人の共通点は最後までサバイバルを続けたこと、すなわち生きるための最善を尽くしたこと。そして、残された僕らにその行動を持って勇気を示したこと。信じること、前向きに考える事の大切さを教えてくれたこと。

頭の中をこの讃美歌がグルグルと流れています。
御霊の平安と残されたご家族ご親族の上へ主の慰めを祈ります。


(YouTubenタイトル違っています。正式な曲名は「主よみもとに近づかん」です)
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