南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(中)、の巻)

宿に着く前には鹿島みちのく球場に行きました。

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同行のぶいちゃん、KTRさん、そしてえっちゃさん。下記の2011年3月14日に撮影されたこのYouTubをご覧になってどうお感じになったでしょうか?1分10秒位に左から球場が映ってきます。



2014年7月に行った時は、まだ南相馬市中が復旧に必死で、久米さんと一緒に回ったエリアもそして生活と直接関係ないこの球場も

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修復がされておりませんでした。2年の月日は、少しずつでも復旧復興が進んでいることを感じさせてくれます。

そして5日は原町区を見て回ります。
まずはヨッシ―ランドの跡から原町区下渋佐へ。

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この下渋佐は2011年4月に行った場所
とくにここは、上記Blogの最後の写真と同じ場所。繰り返し行ったからその差はわかり感無量です。

そして原町区大木戸の仮設住宅へ。
まだまだ多くの方がここで生活をしています。ちょうど高齢者の住人のところに社協の方が訪問し終わったところのようなので、お話をお聞きすると、ここは震災後1年経ってから作られた比較的新しい仮設であり、今約70%程度の方がいられる。そしてここの住民の多くは小高地区の方、7月の避難指示解除で、多くが帰宅するのではないか、とのことでした。

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ここでも5年の月日が流れていることを感じました。

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さて、i飯舘村に向かいましょう。

南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(前)、の巻)

午後は浮船の里にお邪魔をし、お蚕さんや織物の話、を聞き、久米さんの車で周囲を見させてもらいました。
順序は逆さまになりますが、まず現地視察から話したいと思います。

話は「どう生きるか?」になってしまいます。それは自分はどう生きるか?であり、社会は隣人とどう生きるか?にもつながります。
社会と言う概念がある意味明確に確立した中世以降、社会は実は差別の歴史であったのかもしれません。
身分制度を作り謂れのない被差別竹問題、在日韓国朝鮮人、ハンセン病、そしてヒロシマ・ナガサキの原爆へとつながります。いずれも、「家系」として差別蔑視をし、結婚問題や就職問題になるまで苦しみをさせる訳です。現憲法下において「平等」を謳いながらも、一人一人の心の仲間でその精神は浸透していないことが如実にわかり、それゆえ同じ間違いを繰り返してきました。
それは他人の芝生が青く見えるからではないでしょうか?出し抜いても…と言う気持ちが心のどこかにあったから、逆に他人の生活が良いと出し抜かれたと地団駄を踏むのではないでしょうか?
20km圏外・帰宅困難区域・住居制限区域・避難指示解除準備区域によって国から出される補償の差異があり、不満を感じる人もいるそうです。
またそこで補償金をもらったことで身を崩す人もいるそうです。
でも久米さんは、こうした困窮をしたことで、本当に大切なものに気づかされた、と語ります。それは感謝する気持ちとか、人の心とか、目に見えない物ばかり。
それはがんサバイバー・ケアギバーにも当てはまるような気がします。久米さんの言わんとすることがすっと心に染みてくるのは、がんと言う病での困窮を味わったことで大切なものを確認したメンバーだったからのような気がします。

僕はケアギバーでRFL(リレーフォーライフ)に行けば困窮の当事者であるサバイバーさんとたくさん会います。少しでも出来る事を、と、サポートできるように出向きますが、結局は帰る時に気がつくのは元気のおすそ分けをしに行っているはずですが、いつも逆に元気をもらって帰って来ること。
そうした同様の感情・心もちを体験しているから言わんとしている事はよくわかるのです。

もちろん、がんで家族を亡くされたばかりの方の中にはいくら慰めの言葉を言っても心を閉じてしまっている方もいるし、病憎しと言う憎しみを糧に生きている人、絶望で魂が抜けてしまったような人、様々な人がいてそれは外部の僕たちがどうこう言う筋合いではありません。
でも、それでも僕たちと接することで、その痛み、困窮、悲しみが少しでも薄らいでくれれば至福なんです。

そして久米さんは「私たちは可哀想な人ではない」と言います。「十分幸せを感じている」とも言います。
この言葉も僕らはシンクロします。
「がんになっちゃったんだって、可哀想にね」世の中にはそういう人もいます。が、残念ながらがんになっても可哀想ではありません。不幸でもありません。少しだけ驚いたり、泣いたり、そして不自由になったりすることはありましたが、それは可哀想でも不幸でもないのです。
まさに近隣で原発事故があった人たちも同じでしょう。
驚き、泣き、そして不自由を強いられても、可哀想な人ではないのです。不幸な人ではないのです。自分の人生を切り開いて歩む力を持った人たちです。

そんな人たちが小高には徐々に集結してきました。新たな街づくりが始まるのでしょう。ワクワクはします。

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(上:小高駅。間もなくこの駅にはホームアナウンスが響き、乗降客の往来ができるんだろう。
 下:浪江駅。こちらはまだ列車が来る予定はない。すなわち街づくりが始まらない)

でも、5年は長かったです。
閉め切って風を通さなければ家は傷みます。草がわずかな隙間から侵入し、小動物が置き去りにした食料を狙って忍び込みます。新しい地での生活、仲間、生きがい、すべてが始まり5年育まれてきました。
それをゼロクリアーして戻ってきなさい、は大きな決断です。
戻れないと涙を流してあきらめる人もいるのでしょうね。
それとこの敷地。国は避難地域から解除をしておきながらなぜこうした気持ちをナーバスにする物も同居させるのだろう

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南相馬―フィールドワークキャラバン(他人のふんどしで相撲を取る、の巻)

早起き&出発が早かったのか11時ころに着く予定の小高駅に9時にはついてしまいました。
小高駅前でさっそく線量測定。

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高さ1.5mで測定すると行政設置の数値とほぼ一致。しかし、ひざの高さまで線量計を落とすとあれよあれよと数値は上がります。まっ、それでも1m㏜/年程度のレベルです。

駅に車を止めてぶらぶらと歩くと、FBで仲間が投稿していた双葉屋旅館さんが…。

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(中世の間口の広さで税金がかかるので、小高の町もうなぎの寝床が多い。それにしても立派な旅館)

見ず知らずの人間が中を見せてください、と言うのもどうかな?とは思いましたが、ちょうどチェックアウトのお客様をお見送りするために玄関に出て来られたので思い切って「欄間のテーブルを見せてもらえますか?」とお声をかけると、ちょっと驚きながらもいいですよ、とスリッパを出してくれます。
食堂に行けばFBの写真で見たテーブルが(^^)/
作ったのは僕が懇意にしている友人が経営陣として采配を振るっている木工所さん。

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何度か書いているかと思いますが、二宮尊徳翁によって小田原と南相馬はつながっています。
藩の改革を幾度も成功させた二宮尊徳翁は報徳思想と言う教えにその考えを集約し他藩にも広がります。その一つに娘婿の富田高慶氏が広げた相馬藩があります。
至誠・勤労・分度・推譲と言う4つの教え。東日本大震災が起きた時、日本中が何か支援をしようと思いながらも、あまりにも巨大な災害故に途方に暮れました。小田原の人たちも同じですが、その時、理にかなった大局をする至誠、それを実行する勤労、自分へのご褒美を少しだけ節約する分度、持っている能力や財力を越えてする支援は長続きしない「出来る事からコツコツと」と言う分度によって余った支援を推譲と呼びます。小田原では、手の入っていなかった(つまり使う当て(緊急性))のなかった久野の山の檜林を木材を切り出し、製材し、相馬に持って行って集会場の内装や机・いすを作ろうと有志が行動を始めました。
その第一号が相馬はらがまの報徳庵でした。
その後相馬から南相馬のNPO浮船の里へ広がり、そこから双葉屋旅館さんへ広がりました。
僕の関わっている社長と上記に記した友人が采配を振るっている木工所さん、そしてその活動を支援する市役所職員や多くの市議、そして市民が相馬・南相馬と太いパイプを築いてくれました。

そんなご縁で双葉屋旅館さんの食堂に行けば、ご主人も女将も「小田原の人にはお世話になっている」とご挨拶を受け、こちらが恐縮しきりです。何もしていない自分が小田原来たというだけでこんなにおもてなしの言葉を言って頂けることを世の中では「他人のふんどしで-」と言います(笑)
僕らにしてみれば、こんな素敵なテーブルを考案し、その仕事を小田原の業者に依頼してくれたことだけで十分にうれしいです。
ひとしきりお話を伺い、この後の行程を聞かれたので双葉食堂さんに行くのだがまだ早いと伝えれば、この先の公共施設の中に地域の婦人部の方が経営している「ひまわりカフェ」があるとのこと。
嬉しい情報を頂き挨拶もそうそうにコーヒーを頂きにまいります。今日も暑くなりそうです。

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小高地区はまだ避難指示解除準備区域なので、ここで働くおかーさんたちは地区外からここにやってきます。避難先での生活や仕事があるので通勤も大変です。
コーヒーを飲みながら雑談で盛り上がり気が付けば10時40分。おかーさんの話では、週末などは時間通りの11時に行くともう満席、とのことなのでそろそろ双葉食堂さんに移動します。

超人気店、僕らの前を足早に歩いて行きます。これは・・・!絶対に双葉食堂に向かう人、と角を曲がり見れば大きな駐車場に多くの車が止まっています。もう余裕はありません、我々も急ぎましょう。

お店の中は4人がけのテーブルが10弱、その奥の和室に8人がけのテーブルが4つ。ほとんどがふさがっていて僕らは座席に案内されました。メニューは、ラーメン、もやしラーメン、うどん、肉うどんの4つ。
もやしラーメンを頼むとピリ辛スープとのこと。汗かきなのでこの暑さの中辛いものはと辛みを弱くしてもらいます。

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素早い提供。おいしそう(^_^)/
辛みを弱くしたせいか、まったく問題なく…それでも汗をかきかき、鼻をすすりながら頂きます。
僕はこの辛さ嫌いじゃないけれど、基本の醤油ベースのラーメンを食べてから応用の辛みに挑戦すればよかったかな。
具のもやしもたっぷりでした。

食べ終わって外に出れば店の前はごった返しています。恐るべし、双葉食堂。

さて、お腹も満足になったことだし、浮船の里に行くことにしましょう。と駅に向かって歩けば、えんがわ商店の看板。
レジのおかーさんに、牛乳やらマヨネーズやらを進められてご購入。

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南相馬―フィールドワークキャラバン(早起きは三文の徳、の巻)

3・12から5年。復興に関心を持つ友人が南相馬に行ってみたいということで週末を利用して行ってまいりました。
3日(金)20時、講演会を終えたブイちゃんとKTRさんが小田原駅に。4人で、東名・首都高・常磐道を利用して道の駅よつくら港へ。
ここからは5年経った各地の放射線量を測定しながら旅を続きます。
CODEXの基準である年間1mSv、つまり0.23μSv/hが根拠があるかないかはわかりませんが、一応日本ではこの数値を基準にしているので頭の片隅に入れながらお読みいただければ幸いです。肉体には被ばく量ゼロに越したことはありませんが、たとえば有名な天然水を生み出すボルビックは0.3μ㏜以上の線量がありますし、シャンゼリゼ通りノルイビトン本店は0.5μ㏜だとも言われています。
多くのヨーロッパの国民は放射線量に対して非常に高い関心を持っていますが、それは浴びなくても済む放射線量は浴びたくない、だけで、受け入れなければならない者に関しては鷹揚だと思います。この考え方は、日本でもあるような気がします。人形峠の忌みたる場所のそばには三朝温泉という温泉でがん闘病をしていますし、それは東北の北投石のある玉川温泉も然りです。
玉川温泉における闘病の先人のふじみとむ。氏は、ガイガーを持ち込みあちこちを測定したと著書の「玉川温泉ガン闘病日記(ISBN4-89544-351-1)」で記していますが、その数値は2.5μ㏜/h~0.2μ㏜/hだとしています。最高数値をたたき出したのは、神社前ですが、確かに私たちもそこに行くと数分で何か言いようのない不快な感じを受けたのもです。その感じは直感的に僕らの闘病スタイルではないと感じたので、そのあとはいつものすり鉢裏の高台に場所を戻しました。本能は必ず危険を教えてくれると僕は思います。
だから、受け入れないで済むものはきちんとNo!ということと同時にあまりナーバスになりすぎることも大いに問題がある姿勢だと僕は思っています。

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まずはP泊したよつくら港。目覚めた時は、多くの方がサーフィンをし終わって海から上がってきていました。
そんなよつくら港は0.10μ㏜/hでした。十分安全圏。晴天の海辺でおいしい朝食をがっつり食べて1日のスタート。9時前に南相馬に向けてスタート。

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ここから国道6号線を北上します。2015年9月15日に通行規制が解除されましたが、果たしてどうなのでしょうか?
まずは、Jビレッジ。ここは除染の最善基地として利用。多くの方が、ここで全身防護服に着替えバスでフクイチに向かった場所です。
ここの敷地南際の線量は0.32μ㏜/hでした。

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富岡消防署北の交差点には警官が数名道路の両側に立ち、ここからは窓を閉めることが義務付けられます。
帰宅困難地域。このエリアは家に戻ることもできない状態です。家の前には鉄のフェンスが家族から盗賊からすべての人間の侵入を拒否しています。

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写真は午後に久米さんの車で通過した時に撮影したものですが、窓を閉めた車内でも0.63μ㏜/hでした。アルファ線は粒子、ベータ線は電子、中性子も原子核を構成する物質ですからガラスは通過できません。しかしガンマー線やX線は光とかと同じ波長ですので、窓ガラスも通過できてしまいます。しかしこのガンマー線を発生する放射性物質は「物質」というくらいですので『物』です、移動できません。それが塵や埃、砂などに付着して、それが風に乗って移動した先で放射性物質(ガンマー線)を発します。
喩を変えて言えば、僕らの体に害を及ぼすものは懐中電灯から出る光だと思ってください。光を照射されれば被害に遭うので光を避けたいのです。だったら懐中電灯がなければ良い。除染作業と言うのは懐中電灯をかき集めて光が届かない人里離れたところに捨てる作業です。
ですが、メルトダウンした核燃料からは懐中電灯にあたる放射性物質がしきりと空から降ってきて、その膨大な量はチェルノブイリのような石棺で封をするまで永遠に続くのです。しかしチェルノブイリと違って福島はメルトダウンした核燃料がどこにあるのかわからないのです。
だから近隣は放射線量が高いのです。でも、車の上に落ちる懐中電灯は車のスピードが速ければ早いほど少ないのでさほど心配がないですよ、だから6号線は開通させましょうね、と言うのが国の考え方です。
窓の外についた放射性物質を含む粉塵は風によって又吹き飛ばされ大半は車から離れてしまいますので、この0.63μ㏜/hのガンマー線は僕が測定した瞬間にそんな風などの力で吹き飛ばされなかった煤塵の量なのです。地面には車から離れてしまったり、今まで風なのでその場に落ちた膨大な量の放射性物質があります。風だまりはホットスポットと呼ばれるのはそうした理由で多い訳です。たぶんこのエリアの車外は半端ないほど高いものなのでしょう。

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このエリアの終了はウェディングパーク浪江フローラのあたり。すぐ北のJAのガソリンスタンド高瀬SSの前で測定すると0.29μ㏜/h。ほぼ1m㏜/年の範囲になりましたから、国の線引きはほぼ適正かと思います。

それでもフレンドリーな人多いよね

mixiを始めた時、星新一氏のナンバークラブと言うショートショートに似ている画期的な場所だと思いました。
同話は、ナンバークラブと言う会員制のバーは、自分のプロフや興味・半生などを入力したカードを差し込むと同席の仲間と共通項をコンピュータが探しだし、初めての人とも会話のきっかけがあるおかげで会話が弾むという内容。
プライバシーと言う側面では賛否両論あるかもしれませんが、人見知りの僕には画期的な提案。
特に「こだわり」の趣味は同胞の存在は嬉しいもので、その趣味がメジャーではなく時々しかすれ違えなければすれ違った感激はひとしお。

昨日は川越の友人宅へとあるミッション遂行に伺い、ご夫妻の心地よいおもてなしにすっかりくつろぐものの、翌日からは仕事。お昼にお暇しましたが、まだ頭の中はくつろぎモード。
国道254号線から16号線に行くために右側車線を走行しなければならないものの、そのまま左を走って乗りそびれてしまいました。
こうなると地の利のない僕はナビ任せ。
南古谷の駅を通って県道335号線、そして県道56号線の上福岡駅の横を通過して狭山・八王子に抜けろ、との指示に従います。
日曜日のお昼だから、それとも日曜日のお昼なのに、どちらかはわかりませんが56号線は渋滞。そして上福岡の駅横で4本の電車の通過を待つことになります。

と、トントントン。運転席のガラスをたたく音。
見れば、ピンクのエプロンをかけ、マスクをしたおねーさん。こんなところに知り合いはいないと思いながら窓を開けると「私もグローバルのKINGに乗っているの」とのこと。
そうなんです。キャンピングカーの台数も少ないながら、グローバルは既に会社がつぶれてしまい製造されていない車。そんな同じ車に出会えたと、わざわざご挨拶に来てくれました。

同じ趣味仲間との出会いは嬉しいですが、それでも挨拶をしにわざわざお越しくださる方は非常にまれです。キャンピングカー乗りにはそんなフレンドリーな人が多いのかもしれません。

お名前(ハンドル)すら聞きそびれましたが、ご挨拶とてもうれしかったです(^^)/
一期一会、そう会う事がないかもしれない方の道中の安全を祈ってくれる、出会いからそんな優しさを頂きました。

海峡(せと)プチキャラバン(Ω)

流通が広域化された今、お土産と言われるものもその場で作られていないものが多かったりします。
そうなると行政や町おこし実行委員会のようなグループが作ったインパクトのあるお土産や、ただ話題のために違う場所で作っていることを承知で買うお土産の方が人気があったりします。
そして、だんだん他人のお土産よりも『お土産話』のネタの方が面白かったりします。
今回、出先で食べたもの。

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このエリアがご当地品が多いのか、小田原が少ないのか…。
観光地としての活性化に差があるように感じました。
以上長々とキャラバン記にお付き合いくださりありがとうございます。

海峡(せと)プチキャラバン(5)

「醤油工場で見学できるところありませんか?」
ロープウェイの方にはお門違いな質問だとは存じますが、お訪ねすると、教えてくれたのがマルキン醤油記念館。
現在は10時、余裕の時間と快適に走行。すると信号で止まった前にちょっと素敵な醤油蔵。ここでもいいか…と入ったところが金両醤油さん。
中見させてもらえますか?とフォークリフトを操っている親父さんに尋ねればOKとのこと。
蔵から母家まで見させてもらいました。

まずは蔵。見学用の小窓を開けるとまるで外に出たいと溜まっていた麹菌が一気に飛び出したように味噌・醤油の菌の香り。一瞬の間に醸されました(笑)
こうした発酵食品の旨さは、木造建築の呼吸をする建物故に住みつける菌のなせる業。みごとに100年もの間醸された建物に本物を見ました。

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ここのはいける!!
試食(試飲?)をすれば思った通り。3本の醤油とガーリツクオイルをお買い上げ\(^o^)/
フレンドリーな先代社長の案内で母家(息子さんのご自宅(笑))を見させてもらいました。

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フェリーは13時15分出航。そして現在時間は11時15分。まだ少し時間がある。ならば、岬の分校まで行っちゃえ~。
同行者みんな幼少期に1度は読んだ坪井栄氏の二十四の瞳。
でも、おなご先生のけがの原因。おなご先生の入院した場所。何故に歩いて行こうと言い出したか? など、細かいことはみんな忘れていたんですね。
青い海を横目で見ながら思い出しながらの行程。

原因は落とし穴にはまったこと。見舞いに行ったのはおなご先生が退院した後で自宅へ。そしてその場所は二里だからちょうど金両の工場のあたりだったのかもしれません。

そんなこんなで到着。
「映画村とセットの割引もありますが…」との申し出にも、時間がないです。申し訳ないとそそくさと入館し駆け足で見学。

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この芳名帳の冊数。やっぱり人気なんですね。

さぁ、福田港に行きます。
大阪城の石垣を切り出した東海岸をひた走り12時過ぎ到着。
乗客の待合室の片隅にこびりつくように作られた小さな土産物屋兼食堂。ラーメンやカレーといった可もなく不可もないような食事しか出さないだろうと思いながらもほかにお店がないのでここに入ります。

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そして思った通りのメニューのほかに、名物アナゴ天丼の文字。少しお高いけれどここまで来てカレーじゃね、と注文。

1500円のアナゴ天丼登場。

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AF(オートフォーカススイッチ)をオフにしちゃったらしくピンがあっていない。そんなしょうがない写真でも載せたいのがこのボリューム。ふっくらとしたアナゴ2本とぷりぷりのエビ2本、そしてししとう2本の天丼に、箸休めとみそ汁がついているんです(^_^)/

終わりよければすべてよし。最後の食事に大満足の瀬戸内(プチ)キャラバンでした。
H子さん宅そばのファミレスで別れを名残惜しんで東名をひた走り午前2時過ぎ無事帰宅。
いつもながらヴォリュームオーヴァーの旅。十分に楽しめました。同行の仲間さんありがとう。

海峡(せと)プチキャラバン(4)

小豆島はオリーブの島としても有名です。
オリーブは健康食品として近東(オリエント)・南欧で評価をされていました。パンを食する時オリーブ油にしたして食べていたのですが、フランスなどは寒くてオリーブが取れなかった。それ故にパンにつける代用品としてバターが生まれたと言われています。
創世記の18章にはカッテージチーズ(凝乳)でもてなした記載があるので、もしかしたらイスラエル周辺でもバターも既にあったかもしれませんがパンにつけるのはオリーブ油のようですね。
そんな太古から食品としてあったオリーブ油ですが、日本では文久2(1862)年、及び慶応3(1867)年に医師林洞海がフランスから輸入した苗木を横須賀に植えたのが最初だと言われています。
この木には実が付くことなく終焉を迎え、その後温暖な和歌山なども失敗。1908(明治41)年、農商務省が三重、香川、鹿児島の3県を指定してアメリカから輸入した苗木で試作を始めたなかで、香川(小豆島)だけが栽培に成功したのが、小豆島がオリーブの島と言われる所以なのでしょう。
街路樹のように、そして小さな畑でもオリーブがそこかしこに植えられ、大きな産業になっているのが分かります。

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道の駅小豆島オリーブ公園につきました。ここは道の駅と言う感じは全くなく、どこに車を止めたらいいのか?考えてしまうようなところですが、施設がクローズドされた後はひとけもまばらでしたので、海の見える場所に車を止めらせて頂きました。横にはオリーブの林。静かです。
その先にサンオリーブと言う建物があり、その3階が温泉です。

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お風呂には家族連れはもちろん、この施設内で作業をした(?)オリーブ農家さんも来ているようで、サウナで同席したお二人の方は「うちはミッション3ケース。そっちはどう?」「うちは量が少ないから(オリーブの種類)4種ミックスで絞った。でも使ってみるとブレンドの方が何の料理にもあうみたいだな」「でも、売りやすいのは単一品種もんだよな」
なんていう会話。もう少し知識があれば面白い会話だったのですが残念でした。

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小さい小豆島ですが観光地はたくさんあり、その一つの寒霞渓。ここのシーズンのロープウェイは2時間以上も待つことがあると聞いていたので、早朝にロープウェイ乗り場の駐車場に移動することを検討。
さっそくドイツ村で買った赤白のワインを飲んでおやすみなさい!!

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6時30分過ぎ、寒霞渓ロープウェイの麓駅に向かって出発。
ところが紅葉にはまだ早く誰も居ません。そして何よりも駐車場が坂に作られているので傾いています。これじゃあ朝食を食べるのもままならない。じゃあ山頂まで行っちゃえ!と車を山頂に向けて走らせます。

昨今ハロウィンなるお祭り騒ぎが日本でも大流行していますが、そんな騒ぎに乗じてお店前のキャラクターは魔女のとんがり帽子、手にはほうき、天井から蜘蛛巣がぶら下がり…でしたが、そんなイヴェントが終えればクリスマス商戦とキャラクターものをサンタの衣装に着替えさせたりしています。
元来クリスマスをお祝いするキリスト教徒は11月29日のアドベントからクリスマスのお祝いをするもんですが、気の早い人たちは本当のそれを無視してもう騒ぎ始めているのです。

樹木も同様なのかもしれません。秋紅葉真っ盛りには2週間ほど早いですが、どこの世界にもあわてんぼうがいて、でもそうした木々に僕ら観光客は救われました。

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寒霞渓の先には田浦地区が見えます。内海湾があるのでぐるっと回らなければ本島に行けないので、4年生までは田浦分校で学んだのが二十四の瞳の舞台。

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ロープウェイの乗り場から見下ろすと切り立った中をおちる谷。紅葉だったら絶対に乗りたいものです。

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ここは山頂の景色よりロープウェイの景色なんでしょう。
フェリーの時間には早いですが山を下ることにします。

海峡(せと)プチキャラバン(3)

学生時代の国語の時間で忘れられない何人かの方。
それは柳田國男氏であったり、今日の尾崎放哉氏であったりします。

キリスト教で結婚式を挙げる時、とりなす祭司は「健やかな時も、病の時も」と誓約を求めますが、夫婦2人の関係が良い時、元気で気分が乗っている時、人生がうまくいっている時は相手のことを理解しやすいですが、関係がこじれている時、大きな悩みや失敗、そして体調が著しく悪い時、なかなか相手のことを思いやるスキルが落ちていたりします。

「咳をしてもひとり」という短い言葉に詰められた孤独感、寂しさ。肺結核で、しかも収入源がなく小さな庵で施しを受けながら生きている最中の恐怖に近い絶望感は心を打ちました。

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しかしものの本を見ると、この尾崎放哉氏は若き日の挫折から酒におぼれ、過去のプライドを捨てられずに、人生がうまくいかないのは周囲が悪いくらいに思っていたらしく、施しを受けていながら、そして温暖な島ならではの暖かい人たちであるにもかかわらず悪態をつき迷惑をかけながら生きていたようです。

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資料館から後方を望めば西光寺の塔が見えます。尾崎放哉氏が借りた南郷庵はこの寺の庵です。
この周辺の情景は井上康好さん(放哉南郷庵友の会会員)、つまり荻原井泉水の弟子であり、この島での尾崎放哉氏の世話をした井上一二氏のご親族の投稿が詳しいです。「足跡」

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資料館の入り口には「入れものがない両手で受ける」の碑が。あれ?この碑は確か鎌倉にあったはず、と同行のみなさんに句の説明をしましたが、大きな勘違いでした。
鎌倉にあるのは歌人の山崎方代氏の「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」でした。
同じような境遇の中での歌人としての生活。
「なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない」は、尾崎放哉氏の境遇と通じるものを感じます。

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そして館内には
種田山頭火氏の「からす啼いてわたしも一人」と尾崎放哉氏の「咳をしてもひとり」の句が対にありました。
動の山頭火、静の放哉、と言われている自由旋律の2人。
種田山頭火氏の句はまだ余裕がある。一人を楽しんでいる風な感すらある。でも、放哉氏は余裕がない、しんと音すらない寂しさの句です。
残念ながら館内は撮影禁止。

茶髪の若い女の子が一人、事務整理をしながら管理人をしていました。帰りがけに、どのくらいの来館者がいるのですか?と尋ねれば、年間に1500人ほどだそうです。

少ないなぁ~。
もう一か所近くに尾﨑放哉資料館というのがあったので行ってみましたが、こちらは窓無しの土蔵で鍵がかかっており、中をご覧になりたい方は図書館まで、という事でした。たぶん、貴重な資料の山で、僕ら観光客が見るようなものではないのかもしれません。

せっかく土庄まで来たので、世界で一番短い海峡を見に行きます。

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ちょっと観光地化しすぎてこれはがっかり。
続いて夕日がきれいと言われている道の駅・小豆島ふるさと村へ。

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真っ赤を堪能して今晩駐車場をお借りする道の駅・オリーブ公園へ移動します。
ここにはオリーブ温泉というお風呂があります(^_^)/

海峡(せと)プチキャラバン(2)

もしかしたら日本全国の中でドイツ語でベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125を歌えるのは香川徳島県民かもしれません。
それは日本で初めてこの曲が公開されたのが、第1次世界大戦時のドイツ人捕虜収容所がこの坂東の地にあったことに由来されると思います。

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捕虜収容所と第九の関係は、この捕虜収容所の所長が松江豊寿氏であったことに大きく起因します。詳細は割愛させて頂くので、このお名前でお調べください。

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そして同じ土地の出身者に賀川豊彦師がいることは単なる偶然なのでしょうか?
この2人がいたからこそ、平和の町、人道の人を世に知らしめた町であると思います。
賀川豊彦師は、故郷香川県・坂東だけではなく、東京上北沢の松沢資料館なども今後御紹介する機会があると思いますのでこうご期待です。
でもお二人があまり有名でないのが残念でなりません。

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そんな2人の資料館を少し駆け足気味で見た後パンやお土産を買って、小豆島に向かうフェリーの発着所高松に向かいます。

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街中を琴電が走っています。
そういえば、隣接の屋島にも海峡があります。屋島という通りここは島なので四国本土との間は瀬戸なのです。
そして栗林公園や金毘羅さん、時間があれば行ってみたいところがいっぱいですが、今回は残念ながらパスです。
地元友人の方に教わった讃岐うどんのお店たも屋へ。ここはマイ箸を持っていくと鯛入りちくわがサービスとなるそうです。
僕のチョイスは、1.5玉の冷やしで鯛入りちくわと掻揚トッピング。
侮っていたけれどもちもちの1.5玉は食べ応え十分。大満足\(^o^)/

20151031-05

20151031-06

こちらでは当たり前なのかもしれませんが大繁盛の店。サッと入って注文し、チャチャット食べてはパッと出ていく。

さぁ、フェリーの時間です。

20151031-08

往復割引はあちこちにありますが、ここ小豆島に関しては、高松In・姫路Outでも割引切符が購入できます。これは便利です。
約1時間の船旅。土庄に到着です。
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