南相馬―フィールドワークキャラバン(早起きは三文の徳、の巻)

3・12から5年。復興に関心を持つ友人が南相馬に行ってみたいということで週末を利用して行ってまいりました。
3日(金)20時、講演会を終えたブイちゃんとKTRさんが小田原駅に。4人で、東名・首都高・常磐道を利用して道の駅よつくら港へ。
ここからは5年経った各地の放射線量を測定しながら旅を続きます。
CODEXの基準である年間1mSv、つまり0.23μSv/hが根拠があるかないかはわかりませんが、一応日本ではこの数値を基準にしているので頭の片隅に入れながらお読みいただければ幸いです。肉体には被ばく量ゼロに越したことはありませんが、たとえば有名な天然水を生み出すボルビックは0.3μ㏜以上の線量がありますし、シャンゼリゼ通りノルイビトン本店は0.5μ㏜だとも言われています。
多くのヨーロッパの国民は放射線量に対して非常に高い関心を持っていますが、それは浴びなくても済む放射線量は浴びたくない、だけで、受け入れなければならない者に関しては鷹揚だと思います。この考え方は、日本でもあるような気がします。人形峠の忌みたる場所のそばには三朝温泉という温泉でがん闘病をしていますし、それは東北の北投石のある玉川温泉も然りです。
玉川温泉における闘病の先人のふじみとむ。氏は、ガイガーを持ち込みあちこちを測定したと著書の「玉川温泉ガン闘病日記(ISBN4-89544-351-1)」で記していますが、その数値は2.5μ㏜/h~0.2μ㏜/hだとしています。最高数値をたたき出したのは、神社前ですが、確かに私たちもそこに行くと数分で何か言いようのない不快な感じを受けたのもです。その感じは直感的に僕らの闘病スタイルではないと感じたので、そのあとはいつものすり鉢裏の高台に場所を戻しました。本能は必ず危険を教えてくれると僕は思います。
だから、受け入れないで済むものはきちんとNo!ということと同時にあまりナーバスになりすぎることも大いに問題がある姿勢だと僕は思っています。

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まずはP泊したよつくら港。目覚めた時は、多くの方がサーフィンをし終わって海から上がってきていました。
そんなよつくら港は0.10μ㏜/hでした。十分安全圏。晴天の海辺でおいしい朝食をがっつり食べて1日のスタート。9時前に南相馬に向けてスタート。

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ここから国道6号線を北上します。2015年9月15日に通行規制が解除されましたが、果たしてどうなのでしょうか?
まずは、Jビレッジ。ここは除染の最善基地として利用。多くの方が、ここで全身防護服に着替えバスでフクイチに向かった場所です。
ここの敷地南際の線量は0.32μ㏜/hでした。

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富岡消防署北の交差点には警官が数名道路の両側に立ち、ここからは窓を閉めることが義務付けられます。
帰宅困難地域。このエリアは家に戻ることもできない状態です。家の前には鉄のフェンスが家族から盗賊からすべての人間の侵入を拒否しています。

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写真は午後に久米さんの車で通過した時に撮影したものですが、窓を閉めた車内でも0.63μ㏜/hでした。アルファ線は粒子、ベータ線は電子、中性子も原子核を構成する物質ですからガラスは通過できません。しかしガンマー線やX線は光とかと同じ波長ですので、窓ガラスも通過できてしまいます。しかしこのガンマー線を発生する放射性物質は「物質」というくらいですので『物』です、移動できません。それが塵や埃、砂などに付着して、それが風に乗って移動した先で放射性物質(ガンマー線)を発します。
喩を変えて言えば、僕らの体に害を及ぼすものは懐中電灯から出る光だと思ってください。光を照射されれば被害に遭うので光を避けたいのです。だったら懐中電灯がなければ良い。除染作業と言うのは懐中電灯をかき集めて光が届かない人里離れたところに捨てる作業です。
ですが、メルトダウンした核燃料からは懐中電灯にあたる放射性物質がしきりと空から降ってきて、その膨大な量はチェルノブイリのような石棺で封をするまで永遠に続くのです。しかしチェルノブイリと違って福島はメルトダウンした核燃料がどこにあるのかわからないのです。
だから近隣は放射線量が高いのです。でも、車の上に落ちる懐中電灯は車のスピードが速ければ早いほど少ないのでさほど心配がないですよ、だから6号線は開通させましょうね、と言うのが国の考え方です。
窓の外についた放射性物質を含む粉塵は風によって又吹き飛ばされ大半は車から離れてしまいますので、この0.63μ㏜/hのガンマー線は僕が測定した瞬間にそんな風などの力で吹き飛ばされなかった煤塵の量なのです。地面には車から離れてしまったり、今まで風なのでその場に落ちた膨大な量の放射性物質があります。風だまりはホットスポットと呼ばれるのはそうした理由で多い訳です。たぶんこのエリアの車外は半端ないほど高いものなのでしょう。

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このエリアの終了はウェディングパーク浪江フローラのあたり。すぐ北のJAのガソリンスタンド高瀬SSの前で測定すると0.29μ㏜/h。ほぼ1m㏜/年の範囲になりましたから、国の線引きはほぼ適正かと思います。

それでもフレンドリーな人多いよね

mixiを始めた時、星新一氏のナンバークラブと言うショートショートに似ている画期的な場所だと思いました。
同話は、ナンバークラブと言う会員制のバーは、自分のプロフや興味・半生などを入力したカードを差し込むと同席の仲間と共通項をコンピュータが探しだし、初めての人とも会話のきっかけがあるおかげで会話が弾むという内容。
プライバシーと言う側面では賛否両論あるかもしれませんが、人見知りの僕には画期的な提案。
特に「こだわり」の趣味は同胞の存在は嬉しいもので、その趣味がメジャーではなく時々しかすれ違えなければすれ違った感激はひとしお。

昨日は川越の友人宅へとあるミッション遂行に伺い、ご夫妻の心地よいおもてなしにすっかりくつろぐものの、翌日からは仕事。お昼にお暇しましたが、まだ頭の中はくつろぎモード。
国道254号線から16号線に行くために右側車線を走行しなければならないものの、そのまま左を走って乗りそびれてしまいました。
こうなると地の利のない僕はナビ任せ。
南古谷の駅を通って県道335号線、そして県道56号線の上福岡駅の横を通過して狭山・八王子に抜けろ、との指示に従います。
日曜日のお昼だから、それとも日曜日のお昼なのに、どちらかはわかりませんが56号線は渋滞。そして上福岡の駅横で4本の電車の通過を待つことになります。

と、トントントン。運転席のガラスをたたく音。
見れば、ピンクのエプロンをかけ、マスクをしたおねーさん。こんなところに知り合いはいないと思いながら窓を開けると「私もグローバルのKINGに乗っているの」とのこと。
そうなんです。キャンピングカーの台数も少ないながら、グローバルは既に会社がつぶれてしまい製造されていない車。そんな同じ車に出会えたと、わざわざご挨拶に来てくれました。

同じ趣味仲間との出会いは嬉しいですが、それでも挨拶をしにわざわざお越しくださる方は非常にまれです。キャンピングカー乗りにはそんなフレンドリーな人が多いのかもしれません。

お名前(ハンドル)すら聞きそびれましたが、ご挨拶とてもうれしかったです(^^)/
一期一会、そう会う事がないかもしれない方の道中の安全を祈ってくれる、出会いからそんな優しさを頂きました。

海峡(せと)プチキャラバン(Ω)

流通が広域化された今、お土産と言われるものもその場で作られていないものが多かったりします。
そうなると行政や町おこし実行委員会のようなグループが作ったインパクトのあるお土産や、ただ話題のために違う場所で作っていることを承知で買うお土産の方が人気があったりします。
そして、だんだん他人のお土産よりも『お土産話』のネタの方が面白かったりします。
今回、出先で食べたもの。

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このエリアがご当地品が多いのか、小田原が少ないのか…。
観光地としての活性化に差があるように感じました。
以上長々とキャラバン記にお付き合いくださりありがとうございます。

海峡(せと)プチキャラバン(5)

「醤油工場で見学できるところありませんか?」
ロープウェイの方にはお門違いな質問だとは存じますが、お訪ねすると、教えてくれたのがマルキン醤油記念館。
現在は10時、余裕の時間と快適に走行。すると信号で止まった前にちょっと素敵な醤油蔵。ここでもいいか…と入ったところが金両醤油さん。
中見させてもらえますか?とフォークリフトを操っている親父さんに尋ねればOKとのこと。
蔵から母家まで見させてもらいました。

まずは蔵。見学用の小窓を開けるとまるで外に出たいと溜まっていた麹菌が一気に飛び出したように味噌・醤油の菌の香り。一瞬の間に醸されました(笑)
こうした発酵食品の旨さは、木造建築の呼吸をする建物故に住みつける菌のなせる業。みごとに100年もの間醸された建物に本物を見ました。

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ここのはいける!!
試食(試飲?)をすれば思った通り。3本の醤油とガーリツクオイルをお買い上げ\(^o^)/
フレンドリーな先代社長の案内で母家(息子さんのご自宅(笑))を見させてもらいました。

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フェリーは13時15分出航。そして現在時間は11時15分。まだ少し時間がある。ならば、岬の分校まで行っちゃえ~。
同行者みんな幼少期に1度は読んだ坪井栄氏の二十四の瞳。
でも、おなご先生のけがの原因。おなご先生の入院した場所。何故に歩いて行こうと言い出したか? など、細かいことはみんな忘れていたんですね。
青い海を横目で見ながら思い出しながらの行程。

原因は落とし穴にはまったこと。見舞いに行ったのはおなご先生が退院した後で自宅へ。そしてその場所は二里だからちょうど金両の工場のあたりだったのかもしれません。

そんなこんなで到着。
「映画村とセットの割引もありますが…」との申し出にも、時間がないです。申し訳ないとそそくさと入館し駆け足で見学。

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この芳名帳の冊数。やっぱり人気なんですね。

さぁ、福田港に行きます。
大阪城の石垣を切り出した東海岸をひた走り12時過ぎ到着。
乗客の待合室の片隅にこびりつくように作られた小さな土産物屋兼食堂。ラーメンやカレーといった可もなく不可もないような食事しか出さないだろうと思いながらもほかにお店がないのでここに入ります。

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そして思った通りのメニューのほかに、名物アナゴ天丼の文字。少しお高いけれどここまで来てカレーじゃね、と注文。

1500円のアナゴ天丼登場。

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AF(オートフォーカススイッチ)をオフにしちゃったらしくピンがあっていない。そんなしょうがない写真でも載せたいのがこのボリューム。ふっくらとしたアナゴ2本とぷりぷりのエビ2本、そしてししとう2本の天丼に、箸休めとみそ汁がついているんです(^_^)/

終わりよければすべてよし。最後の食事に大満足の瀬戸内(プチ)キャラバンでした。
H子さん宅そばのファミレスで別れを名残惜しんで東名をひた走り午前2時過ぎ無事帰宅。
いつもながらヴォリュームオーヴァーの旅。十分に楽しめました。同行の仲間さんありがとう。

海峡(せと)プチキャラバン(4)

小豆島はオリーブの島としても有名です。
オリーブは健康食品として近東(オリエント)・南欧で評価をされていました。パンを食する時オリーブ油にしたして食べていたのですが、フランスなどは寒くてオリーブが取れなかった。それ故にパンにつける代用品としてバターが生まれたと言われています。
創世記の18章にはカッテージチーズ(凝乳)でもてなした記載があるので、もしかしたらイスラエル周辺でもバターも既にあったかもしれませんがパンにつけるのはオリーブ油のようですね。
そんな太古から食品としてあったオリーブ油ですが、日本では文久2(1862)年、及び慶応3(1867)年に医師林洞海がフランスから輸入した苗木を横須賀に植えたのが最初だと言われています。
この木には実が付くことなく終焉を迎え、その後温暖な和歌山なども失敗。1908(明治41)年、農商務省が三重、香川、鹿児島の3県を指定してアメリカから輸入した苗木で試作を始めたなかで、香川(小豆島)だけが栽培に成功したのが、小豆島がオリーブの島と言われる所以なのでしょう。
街路樹のように、そして小さな畑でもオリーブがそこかしこに植えられ、大きな産業になっているのが分かります。

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道の駅小豆島オリーブ公園につきました。ここは道の駅と言う感じは全くなく、どこに車を止めたらいいのか?考えてしまうようなところですが、施設がクローズドされた後はひとけもまばらでしたので、海の見える場所に車を止めらせて頂きました。横にはオリーブの林。静かです。
その先にサンオリーブと言う建物があり、その3階が温泉です。

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お風呂には家族連れはもちろん、この施設内で作業をした(?)オリーブ農家さんも来ているようで、サウナで同席したお二人の方は「うちはミッション3ケース。そっちはどう?」「うちは量が少ないから(オリーブの種類)4種ミックスで絞った。でも使ってみるとブレンドの方が何の料理にもあうみたいだな」「でも、売りやすいのは単一品種もんだよな」
なんていう会話。もう少し知識があれば面白い会話だったのですが残念でした。

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小さい小豆島ですが観光地はたくさんあり、その一つの寒霞渓。ここのシーズンのロープウェイは2時間以上も待つことがあると聞いていたので、早朝にロープウェイ乗り場の駐車場に移動することを検討。
さっそくドイツ村で買った赤白のワインを飲んでおやすみなさい!!

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6時30分過ぎ、寒霞渓ロープウェイの麓駅に向かって出発。
ところが紅葉にはまだ早く誰も居ません。そして何よりも駐車場が坂に作られているので傾いています。これじゃあ朝食を食べるのもままならない。じゃあ山頂まで行っちゃえ!と車を山頂に向けて走らせます。

昨今ハロウィンなるお祭り騒ぎが日本でも大流行していますが、そんな騒ぎに乗じてお店前のキャラクターは魔女のとんがり帽子、手にはほうき、天井から蜘蛛巣がぶら下がり…でしたが、そんなイヴェントが終えればクリスマス商戦とキャラクターものをサンタの衣装に着替えさせたりしています。
元来クリスマスをお祝いするキリスト教徒は11月29日のアドベントからクリスマスのお祝いをするもんですが、気の早い人たちは本当のそれを無視してもう騒ぎ始めているのです。

樹木も同様なのかもしれません。秋紅葉真っ盛りには2週間ほど早いですが、どこの世界にもあわてんぼうがいて、でもそうした木々に僕ら観光客は救われました。

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寒霞渓の先には田浦地区が見えます。内海湾があるのでぐるっと回らなければ本島に行けないので、4年生までは田浦分校で学んだのが二十四の瞳の舞台。

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ロープウェイの乗り場から見下ろすと切り立った中をおちる谷。紅葉だったら絶対に乗りたいものです。

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ここは山頂の景色よりロープウェイの景色なんでしょう。
フェリーの時間には早いですが山を下ることにします。

海峡(せと)プチキャラバン(3)

学生時代の国語の時間で忘れられない何人かの方。
それは柳田國男氏であったり、今日の尾崎放哉氏であったりします。

キリスト教で結婚式を挙げる時、とりなす祭司は「健やかな時も、病の時も」と誓約を求めますが、夫婦2人の関係が良い時、元気で気分が乗っている時、人生がうまくいっている時は相手のことを理解しやすいですが、関係がこじれている時、大きな悩みや失敗、そして体調が著しく悪い時、なかなか相手のことを思いやるスキルが落ちていたりします。

「咳をしてもひとり」という短い言葉に詰められた孤独感、寂しさ。肺結核で、しかも収入源がなく小さな庵で施しを受けながら生きている最中の恐怖に近い絶望感は心を打ちました。

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しかしものの本を見ると、この尾崎放哉氏は若き日の挫折から酒におぼれ、過去のプライドを捨てられずに、人生がうまくいかないのは周囲が悪いくらいに思っていたらしく、施しを受けていながら、そして温暖な島ならではの暖かい人たちであるにもかかわらず悪態をつき迷惑をかけながら生きていたようです。

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資料館から後方を望めば西光寺の塔が見えます。尾崎放哉氏が借りた南郷庵はこの寺の庵です。
この周辺の情景は井上康好さん(放哉南郷庵友の会会員)、つまり荻原井泉水の弟子であり、この島での尾崎放哉氏の世話をした井上一二氏のご親族の投稿が詳しいです。「足跡」

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資料館の入り口には「入れものがない両手で受ける」の碑が。あれ?この碑は確か鎌倉にあったはず、と同行のみなさんに句の説明をしましたが、大きな勘違いでした。
鎌倉にあるのは歌人の山崎方代氏の「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」でした。
同じような境遇の中での歌人としての生活。
「なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない」は、尾崎放哉氏の境遇と通じるものを感じます。

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そして館内には
種田山頭火氏の「からす啼いてわたしも一人」と尾崎放哉氏の「咳をしてもひとり」の句が対にありました。
動の山頭火、静の放哉、と言われている自由旋律の2人。
種田山頭火氏の句はまだ余裕がある。一人を楽しんでいる風な感すらある。でも、放哉氏は余裕がない、しんと音すらない寂しさの句です。
残念ながら館内は撮影禁止。

茶髪の若い女の子が一人、事務整理をしながら管理人をしていました。帰りがけに、どのくらいの来館者がいるのですか?と尋ねれば、年間に1500人ほどだそうです。

少ないなぁ~。
もう一か所近くに尾﨑放哉資料館というのがあったので行ってみましたが、こちらは窓無しの土蔵で鍵がかかっており、中をご覧になりたい方は図書館まで、という事でした。たぶん、貴重な資料の山で、僕ら観光客が見るようなものではないのかもしれません。

せっかく土庄まで来たので、世界で一番短い海峡を見に行きます。

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ちょっと観光地化しすぎてこれはがっかり。
続いて夕日がきれいと言われている道の駅・小豆島ふるさと村へ。

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真っ赤を堪能して今晩駐車場をお借りする道の駅・オリーブ公園へ移動します。
ここにはオリーブ温泉というお風呂があります(^_^)/

海峡(せと)プチキャラバン(2)

もしかしたら日本全国の中でドイツ語でベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125を歌えるのは香川徳島県民かもしれません。
それは日本で初めてこの曲が公開されたのが、第1次世界大戦時のドイツ人捕虜収容所がこの坂東の地にあったことに由来されると思います。

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捕虜収容所と第九の関係は、この捕虜収容所の所長が松江豊寿氏であったことに大きく起因します。詳細は割愛させて頂くので、このお名前でお調べください。

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そして同じ土地の出身者に賀川豊彦師がいることは単なる偶然なのでしょうか?
この2人がいたからこそ、平和の町、人道の人を世に知らしめた町であると思います。
賀川豊彦師は、故郷香川県・坂東だけではなく、東京上北沢の松沢資料館なども今後御紹介する機会があると思いますのでこうご期待です。
でもお二人があまり有名でないのが残念でなりません。

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そんな2人の資料館を少し駆け足気味で見た後パンやお土産を買って、小豆島に向かうフェリーの発着所高松に向かいます。

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街中を琴電が走っています。
そういえば、隣接の屋島にも海峡があります。屋島という通りここは島なので四国本土との間は瀬戸なのです。
そして栗林公園や金毘羅さん、時間があれば行ってみたいところがいっぱいですが、今回は残念ながらパスです。
地元友人の方に教わった讃岐うどんのお店たも屋へ。ここはマイ箸を持っていくと鯛入りちくわがサービスとなるそうです。
僕のチョイスは、1.5玉の冷やしで鯛入りちくわと掻揚トッピング。
侮っていたけれどもちもちの1.5玉は食べ応え十分。大満足\(^o^)/

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こちらでは当たり前なのかもしれませんが大繁盛の店。サッと入って注文し、チャチャット食べてはパッと出ていく。

さぁ、フェリーの時間です。

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往復割引はあちこちにありますが、ここ小豆島に関しては、高松In・姫路Outでも割引切符が購入できます。これは便利です。
約1時間の船旅。土庄に到着です。

海峡(せと)プチキャラバン(1)

今年も近しい友人にお声をかけさせていただき秋のプチキャラバンに行ってきました。
鳴門の瀬戸と呼ばれた鳴門から土渕海峡のある小豆島を経由して姫路を通って帰ってくる瀬戸内の旅。
そもそも瀬戸内海とは、2つの瀬戸に挟まれた海という意味。迫門(せと)、狭門(せと)、湍門(せと)と言われていた「海峡」をする言葉の内海という事。

仕事を終えF母娘をピックアップして、今日はなんとしても草津PAまで頑張らねば…。昔この車を購入したころは、同じ時間に出発して、西紀SAやポートアイランド北公園まで走ったものですが、体力の衰えを感じます。草津PAまで行くのが精いっぱいです。
でも、あの大きな大塚博物館を見るために少なくともお昼には鳴門にInnするためには翌日H子さんのピックアップ時間は9時くらいにしたいなぁ~。

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はい、根性で起きましたよ(笑) 一路南京都へ。
そしてピックアップしてそのまま大阪・都市高速神戸線経由で淡路島。
日本神話では一番最初の日本となる場所(架空の淤能碁呂島を除くと)のがこの淡路島なんですが、日本列島という大地ではなく、ここが「島」であったと古代の人は存じていたのでしょうか?車で約1時間、徒歩という手段と鳥瞰図を持たない平面の思考でこの大きな陸地が島であることが分かったとするのだから古代の人の知恵には驚かされます。
そして11時、大塚美術館につきました。

熱海救世教美術館と双璧の長い長いエレベーターを降りたところが入場の地下3階。
まずは現物大のシスティーナ礼拝堂がお出迎え。バチカンの礼拝堂の天井はミケランジェロ氏の最高作とも言われる「最後の審判」のフレスコ画。これを見るだけで圧倒されてしまう美術館です。

20151030-01 (地下3階からの撮影)

20151030-03 (地下2階?からの撮影。35mm換算で17mmレンズで撮影しているのでデフォルメ力がすごいです。奥の人と近くに立っている人から大きさを想像してください)

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だってこの絵の大きさが人間より大きいんですから…・。それが何百枚も描かれている。しかもミケランジェロ氏の時代は、天井からつるされた籠の中で描きながらも、地上で見上げる人の視線で美しくなるようにデフォルメ(湾曲した絵の収縮)をさせているのですかラ、それだけを考えただけでも天才だと分かるものです。

2000点を超える展示品ですので、素晴らしい作品であったとしてもここではご紹介できませんし、きちんと見るならば1日じゃあまわり切りません。
そしてこれだけの有名な作品を本物で集めたらそれこそ天文的な金額になってしまいます。が、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものなのでこうしたことができました。
ですから、いろいろな美術館で企画されている「ルーブル美術館展」の様なその美術館が持っている美術品の展示のみではなく、世界中の名品がここで見ることができます。

前回も注目した作品は「受胎告知」。この作品は多くの方が描かれていますが、そうしたものを一堂に集められて同時に見られるのはここならでは。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
 ルカによる福音書1章28-31

この聖書から読み取れるのは、マリアは天使という非現実的な『人』の訪問に明らかに動揺している点。そんな表情を各画家はどう描いているのでしょうか?

20151030-04 1440年ころのイタリアの画家フラ・アンジェリコの作品。僕が一番好きな受胎告知の絵。

20151030-05 1470年代のレオナルド・ダ・ヴィンチの作品。聖書に書かれた動揺より、聖母マリアとしての威厳を優先されたか?

20151030-06 1500年代後半のフェデリーコ・バロッチの作品は、もう優しい慈愛のマリア像。

20151030-08 左右にあるオルガンの外板に描かれたジョヴァンニ・ベリーニの作品。

20151030-07 1580年ころティントレットによる作品。他とは作風が違うな、たくましいマリア・・・。もしかしたら紀元前後のこの時代の女性としては一番本物に近い女性像かも知れないな。

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リュベンスの最後の審判の一部。天使が現世で悪行をした人(?)が天国に来るのを力づくで阻止している(笑)
オーッ!マイゴット!! 僕らの信仰理解と大きく違っているのは、宗教は不変ではなく、その時代とともに伝えようとすることが変わっている証拠か。

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11時に到着して混む前に食事をして12時から鑑賞。それでも最後の階につ居た頃に館内放送。「当館は17時閉館します」のアナウンスに最後は少し駆け足。
時間があったら渦の道に行こうかと思ったけれど諦めます。
たくさんの写真も撮ったけれどご紹介もこの辺で打ち切りにしましょう。

途中夕食の食材を買って地元のお仲間さんお勧めのあせび温泉やすらぎの郷に行くことにします。

三河豊川名物は キャンパーK と 男意気(Ω)

豊川手筒花火の見学はあまり詳しい情報がありませんでした。
少し不安な中で向かわれる方も居られるかもしれませんので、遠方から行かれる方へ詳細を(ただし2015年版です。変更もあることをご理解ください)

イオンさんの中で冷たいチョコスムージ&アイスコーヒーを連れ合いと半分こして飲んだ後駐車場を出発。通称姫街道を右折し、小さな橋を渡り直ぐにある免許センター入り口の交差点を右折。そこに臨時駐車場はありますが15時過ぎから16時にならないと開きません。それまでは鉄鎖のチェーンがあり入れません。そこは自衛隊の空地ですが、この日は市民に開放されているのでそこに車を止め(無料です)ます。開門後は係員がたくさんいますが施錠中は何時に開くとかどこに連絡すればいいかは全く記載がありません。400mほど行ったところに会場の野球場があります。下記地図は2枚とも画像の上でクリックすると大きくなります。

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日本車両側は野球場の3塁側です。15時から当日券が1塁側ちょうどライトが守っているあたりの場外で販売されています。この情報もどこにも記載がありません。市民の方に聞いて急いで行き、一番後ろに並びます。

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係りの人に説明を受ければ、当日販売される有料席は、グランド内の10人枠の桟敷席(ばら売りもしますが、他の人と相席となります) 1,3塁のベンチ後ろのいわゆる内野席部分の椅子席(椅子と言っても60cm高さのコンクリート)が4段とレフト、ライトのいわゆる外野席部分の芝生席です。椅子席、芝生席は自由席で区分けがないので人によっては荷物を置いて1.5人分とっている人もいたりします。
僕らは1塁側のいす席(上の地図の左手書きの赤の矢印あたり)をチョイス。16時から並んだおかげでコンクリートの上から2段目をゲット。ここまでは目の前の柵を気にすることなく花火を楽しめます。1番下は完全に柵越しにしか見れません。
座った先遥か向こうに舞台が見えます。その下のブルーシートは桟敷席。

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16時まだ空は明るく観客もまばらです。特に指定席の桟敷は半分ほど…ですが開会です。

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夜の帳が落ちると暗闇に舞う火の粉は美しいです。

手筒花火は藁を撒いた手筒の中に火薬をつめ、それに火をつけて手でもちながら火の粉をまき散らす花火です。当然抱えている人は火の粉を浴びるわけですから熱いです。

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手筒の最後は、天井と底の火薬が大爆発し終わるわけです。

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合間合間には大空にスターマインが開花します。

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あちこちの連区が競い合う花火大会ですが、僕押しはこの中条連区。他の連区が花火だけにこだわっているのに対し、この連区は電飾を駆使し、そして手筒をあげるところから手でもっていました。

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シャッタースピードを上げて止めるとまた雰囲気が違う写真が撮れます。

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3時間の長丁場の最後はこの大会一同の大筒が爆発して終了いたしました。

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一度は是非ご覧いただきたく思います。
今回のBestShotは自分ではこれかなと思っています。

同日観覧撮影なさられた 気ままな時を・・・さまのBlogにリンクさせてもらいました。

三河豊川名物は キャンパーK と 男意気(1)

6月にいつもの半泊プチキャラバンの準備をしていた時に水道が漏れていることに気が付きました。蛇口をひねる(押し下げる)と途中の配管のつなぎ目から水が引き出すのであわててメンテを依頼。いつものF母娘を誘って豊川のキャンパーKに行ってきました。
水道が使えない=車中で炊事等ができない=外食Onlyということで何の準備もなく22時近くになって出発。行けるところまで行って適当なサービスエリアで車中泊の予定です。

・・・結局新東名の浜松SAでそうしたわけですが、この時期はエアコンのないところで寝るのはきついですね。明らかに10余年前よりは寝苦しくなってきているように温暖化を感じます。

さてキャンパーKにたどり着けば、既に取り寄せてもらっていた部品を取り付けてもらうだけの手筈でしたが、なんと不調なのはここだけではなくポンプアップする弁も壊れているとのこと。
ここが壊れているのは凍結しか考えにくいという事で、思い起こしてみれば、以前駐車場としてお借りしていたところに家が建つことになったのでほど近くの畑の炭の駐車場をお借りすることになったのが2013年末。そして2014年2月には記録的な大雪が降ったのでした。
いままで大丈夫だったからとたかを括って状況変化に気が付きませんでした。
という訳で修理メンテは、再度部品の入荷を待ってという事で持越し。残念でした。

とはいっても転んでただ起き上がるわけにはいきません。ここまで来たのですから豊川手筒花火を見て帰ろう。そして花火大会が始まるまでの時間に豊川稲荷に行ってこようか、という話になりました。
豊川稲荷の裏にある大手スーパーイオンの駐車場に止めさせて頂き、稲荷に向かいます。
稲荷と言えば神の使い、すなわち神社と思いしや、ここは曹洞宗園福山豐川閣妙嚴寺というお寺。寺の鎮守が吒枳尼天(だきにてん)であり、これが白狐に乗っていることから神社と寺院が混合したようです。
明治維新において、天皇という神道を国家の宗教とさせるべく神仏分離を命じたが、それに反発したのがこの豊川稲荷です。ですから、寺院でありながら稲荷信仰も継承しています。

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宗教に関しては、古今東西、杓子定規に信仰だけでは成り立っていません(笑)
お伊勢参りをするのも、信仰だけではなく、行く道中の楽しみ・未知の名物への期待、そんなものがあったから故に多くの人が出かけたのでしょう。

今も門前町にはそんな楽しみがあります。

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さておなかも空いたのでどこかに入りましょう。

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新築?改築? 新しい建物の一軒の食堂に入ります。
でも中はレトロ感たっぷり

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ここでお稲荷さんといえば、きつねうどんとお稲荷さん…でしたが冷たいのはきしめんだよ、と言われて、冷しキシメンと味噌田楽・お稲荷さんのセット

さておなかが一杯になったので、会場に向かいましょう。
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