夏休みはひょっこりひょうたん島(1)

連れが拙宅で「女子会」をやると言います。ならばその期間を使ってどこかに出かけようと画策。そんな時にBlog知人のakakageさんが、キャンピングトレーラーを購入したとの書き込み。これは見せてもらわない訳には行けませんと、サマーバカンスを楽しんでいる能登島に行ってきました。

教会と言う場所はボランティアで成り立っています。私もいくつかのお役をお引き受けしていた、その一つはBlogに週報と言う資料の今週の予定をUPすること。
ところが金曜の夜に出発してしまうので(間に合わないので)、高速のSA/PAで僕のPC宛のメールを途中で拾ってUPすることになりました。無料WifiをしているSA/PAを探したところ、新東名の岡崎SAが該当したので、行きは新東名→東海外環→東海北陸自動車道経由で行くことに。午前0時岡崎SAで作業終了。ここで今日は寝ようと思いましたが、都会の週末のSAネオンギラギラ、観光客もまだ往来が激しくなんかそんな感じではないので、もう少し先まで。ところが外環はSA/PAが無く結局五斗薪PAまで。
ここは昔、産廃の反対運動の支援で行った御嵩の近く…なんて思い出しながらお休みなさい。

朝起きて見回せばこのPAはトイレのみ。さて朝飯を食べれるところを探そうと早速出発。
ひるがの高原、ここよさげ!と飛び込み、モーニング500円を注文。
モフモフのワンコがじゃれ合っている姿を見ながら、夏休みを実感。

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さて出発します。

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南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(下)、の巻)

帰りは飯舘村を通過する県道12号線を抜けてきました。


いずこも線量は高いです。
さて、サブタイトルを群盲象を評すとつけました。
目の不自由な人が象を触り、鼻を触ったある人は象とはヘビのように長い生き物だと言い、耳を触った人は薄く広いものだといい、足を触った人は電信柱のようだ、と言い結局誰もが「本当の象」を語れないという喩です。
僕らも実は放射能汚染に対してはそうなのかもしれません。

ホットスポットと言うところがあります。いわゆる風の吹き溜まりです。人間は測定器をもってそうした場所を察知していますが、動物はそんなことお構いなしです。ですからホットスポット周辺の動物からは高濃度の放射線物質。特にその場所の草の葉の上に放射性物質が落ちてついたままの葉を食べたり、その動物を食べたりとして、内部被ばくをする動物はたくさんいます。
が、元気に生きている物が多いです。
が、そうした動物の遺伝子がどこまで破壊されているかはよくわかっていないようです。100年後になって恐ろしい状態になっているかもしれませんし、実は大騒ぎするほどの事態になっていないかもしれません。
専門家でもまだわからない状態です。

そもそも過去を振り返ってみましょう。
4大公害病、光化学スモッグ、亜鉛、カドミウム・・・そして、ダイオキシン。中国から輸入される食品に摂取してはいけないようなまがい物があることも報じられました。
そのたび日本人は、その食品を遠ざけてきました。
しかし、今ダイオキシン汚染を気にしている人がどれだけいるでしょうか?人間の生み出した最悪の物質とまで言われたダイオキシンの「ダ」の字もニュースにはなりません。
確かにニュースになったおかげでごみ処理場にはバグフィルターが取り付けられ数値は激減しました。
しかし、
アメリカは、ベトナム戦争で枯葉剤の不良在庫を抱え、その処分に困った。困った挙句に、日本政府に押し付けてきた。そこで、林野庁の高級官僚が、日本の国有林に雑草対策と称して散布し、それでも処理しきれなかったので、国有林内の山に埋設投棄した。
と言う蛮行が報じられましたが、大したニュースにならなかったことに「のど元過ぎれば熱さを忘れる」事を感じます。
放射能も次の大惨事が起きるまでは騒ぎになっても、次の何かがあればもう過去のことになってしまうように感じます。
「やっぱり日本の食品が一番」と福島のお米を食べる姿がもうすぐ先のような気がしてなりません。
僕が問題視したいのは、安全かそうでないか?を素人判断をして小保方さんの案件のように安易に公的な決定を出さないことと、国民は国民で喉元過ぎて危険なものを安易に口にしないことと安全なものを拒否するという偏見をもたないことだと思います。

測定をして基準数値以下の食品を怖がることを僕は否定できません。特にご家族に幼いお子さんがいれば過敏になることは当然です。
でも危険なのは放射線だけではありません。
除菌ブームに乗った各化学物質を多量に使用して、製法がどうだかわからない食べ物を食べて、それでブームだから的な福島の食べ物は危ない、と言うダブルスタンダードが解せないと言っているのです。

僕らは象の一部しか触っていないのではないでしょうか?触り損ねて知らないところにもっと危険が潜んでいるかもしれません、恵みがあるかもしれません。
でも触れないとしたら、あまり過敏になってはいけないでしょう。
久米さんが言いました。「私は、一時体を壊すほどに放射能に対して神経質になった。外に出ることが怖く、家の中もカウンターを持ち歩き少しでも高いと徹底して掃除をした。でも、ある時外仕事をしているお連れ合いさんと一緒に検査に行ったら自分の方が線量数値が高かった」「外で(放射線を浴びながら)働く方が、家の中に閉じこもっている人より低いんだもの(笑)」と言います。
そこで彼女は自己免疫を理解したと言います。クヨクヨしていたら、ならなくていい病気になっちゃう。だから笑顔で前を向こう。

「病は気から」は絶対に本当です。
もう子どもを産むことがない僕ら、放射性物質の半減期は何万年かもしれませんが、56歳の僕にとっては半減期はあと2-30年です。所詮放射線は「肉の体」しか犯すことが出来ません。心の汚染は放射能自身はできないのです、笑顔で十分立ち向かえます。クヨクヨととか、イライラとよりも2-30年嫌な放射性物質と付き合いながら、でもその嫌な物よりもっと大事な南相馬の友達と笑顔で生きていけることの方が幸せな生き方だと思うのです。

当初書きました。不要な放射線は浴びたくない。だから今後も再稼働には反対だし声を上げていきます。でも友達との付き合いの中で降りかかる放射線は今の僕の中には想定内の放射線量です。

何度も書きますが、人類史上非常に稀な事件に遭遇した時、それを不幸だ、と感じる方もいるかもしれません。
でも、久野で産廃の裁判が起き自分の時間を割いた時も、ほとんどの人が体験できないことを体験できるとワクワク(?)したものです。我が母国の稀有な事件もぶつかった中から「何か」歓びや感謝を見つけて生きる人生にしたいものです。

2011年から5年経ち、その間大きなニュースがたくさんありました。僕が住む関東でも鬼怒川の氾濫で広域に被害が出ましたし、今年は熊本で大震災が起きました。ニュースは皆そっちに移りましたが、南相馬をはじめ東北各地もまだまだ無事終焉、と言う訳ではないのです。
瀬戸内寂聴尼は、畑を耕す極意に「足音が肥やしになる」と語っています。つまりは愛おしい畑の生産物のために足しげく通い丹精込めて作ることを「足音」と表現したのでしょう。
街と街、人と人との関係性もそうでしょう。復興を応援することはまさに「肥やし」のプレゼント。「足音」を響かせることです。
時間があったら何度でも行きたい、そう思いながら帰路につきました。

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(あまりにも延々と続く汚染度の袋)

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(12号線沿いの村民の森の案内板)

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(安達太良SA)

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南相馬―フィールドワークキャラバン(衣食足りて礼節を知る、の巻)

宿は2014年の訪問の時と同じ「いちばん星」さんにお願いしました。
鹿島球場から丘陵を登った高台にあります。
この星さんも地域の活性化に熱意をもってあたっている方です。敷地に入れば母屋に行くまでの間は、アルパカとエゾジカの牧場。この子たちがまたかわいい。

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この夜は離れ3部屋を僕ら4人で自由に使ってください、と言われ、のんびりと過ごさせてもらいます。
旅館は床の間があり、装飾があり、テーブルの上にはお茶と受けのお菓子、そして寝具などは押し入れにしまってある生活感のない、いわばハレの場であるのに対し、民宿はどこの家にもあるような普通の部屋で片隅に布団が積んであるケの場です。旅の多くはキャンピングカーの中(自宅)と言うのを繰り返していると、このケが何か落ち着くのです。
ただ2年の間に拡張を広げ、風呂が完成していました。早速一風呂。
シンプルですが広くて素敵なお風呂。逆に大きな風呂に入ることはハレの楽しみでもあります。手足を思い切り伸ばしてもぶつかるものがない。これぞ温泉。

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そして風呂上がりの生ビー\(^o^)/

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この民宿のお勧めは料理です。野菜ソムリエの母娘が作った自家製のおかずが並びます。

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(夕食)
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(朝食)

たまたまお客さんが少ない週末、外ではご主人ら地元の異業種交流会。食事を終えて部屋に戻ろうとすれば、まぁこちらへ、とのお誘い。僕も嫌いじゃないですから(^^)/
農業・農業機械の販売、東電職員等々、話題は明日の南相馬。そして僕が参加したもんで、地の民謡を聞かせてくれたり野馬追の話になったり、方言の話になったり、このいちばん星の拡張計画を語ってくれたり・・・。
旅(travel)の語源は困難・トラブル(trouble)だと言います。まさに文化の違いや生活慣習の違いに行けばトラブルに遭いやすいというのを何千年もの間味わってきた結果ついた名前なのでしょう。
しかし、その違いがあればこそ、旅は面白い。知らないことを吸収できる喜びがあるんです。

一つ実感したのは、小田原には古きから伝統的に伝わる民謡と祭りがないな、と言うこと。久野には鈩(たたら)があり、敷石住居跡があり、「あずまはや」とヤマトタケルが謳ったけれど、やはりこの地は北条五代以降の町なんでしょうね。
学校や就職で全国に散った人が、この野馬追のために休暇を取って帰ってきたという行事は小田原にはないな、酔って誰もが昔から伝わる民謡をと言うと手拍子をしながら声を合わせるなんてこともないな。
それは無い物ねだりかも知れませんがうらやましかったです。
でも、ご一緒のメンバーさんの多くが、小田原に来たことがある人が多かった、小田原城がリニューアルしたことをご存知の方が多かったことはとてもうれしかったし、何よりもお一人の方のお嬢さんは入生田に嫁がれているとのこと。ご縁で2都市の交流が深まればいいですね。

南東北での温暖なこの地。海あり山あり川あり。
大地から豊かな恵みがあればこそ、大いに文化が栄えます。お互いに刺激し合いながら交流しながらいい街にしていきたいですね。

ところで宿泊者サービスの朝刊、1面トップ記事に・・・

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南相馬―フィールドワークキャラバン(布は緯から男は女から、の巻)

さて、話を時間系に戻しましょう。時系列でお話ししたのは、浮船の里についた時まで。
蚕を見せてもらえたことからお話をします。
今年から黄金に輝く繭があるという事で興味津々。
全てを小高で作ること。生きがいとして、そして集会場として、手仕事をしながら語らえる場所としての機織りという事なので、生産量は不問です。

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老いては子に従え ではないけれど、最近色々と物事を教わる人が年に下になってきました。
FBの友人に、デニムマンという ジーンズショップを経営している人がいます。移動販売でジーンズを売り歩いています。
氏にある方が、(効率のいい)インターネット販売しないのですか? と尋ねた時、彼は効率よりも仕事の楽しさを優先したいと回答したそうです。
見ず知らずの人から注文メールが来て、袋詰めして宅配屋さんに渡すという顔無き関係は嫌だ、と。
お客さんのコンシェルジュとして一緒にジーンズを選び、おしゃべりをしながら採寸、仕立てをして、笑顔の挨拶と一緒に商品を渡すこと、を彼は選びました。

まちづくりの基本はそこにあるのでしょうね。
我が街小田原も個人商店はどんどんなくなり、大手チェーン店のみが生き残っています。マニュアルで店づくりがなされているので、小田原も他の町の店舗も同じ内容です。

「それがほしい」と思うものは、その商品に物語があり、その物語を含めて「ほしい」と思うことでしょう。
僕らがここで見た小高天織りの商品を欲するのは、商品の美しさもさることながら、その作ろうと思う発想、作っている姿も含めて、商品だからだと思います。

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作り主―売主―買主の間に関係性があればこそ、物を大事に扱うし、「もったいない」という言葉「愛おしい」と言う言葉が生まれると思います。

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こんなランプシェードあったらいいね、小高の絹糸を通しての灯りは優しく光るんだろうな。

あっ、そうだ。何でこの黄金の繭を作る蚕なのか聞くのを忘れた。
蚕の種類? それともアジサイ花が土壌のpHによって色を変えるように食べ物や環境によって? 
まぁ、次行くときにお聞きしよう\(^o^)/

南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(中)、の巻)

宿に着く前には鹿島みちのく球場に行きました。

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同行のぶいちゃん、KTRさん、そしてえっちゃさん。下記の2011年3月14日に撮影されたこのYouTubをご覧になってどうお感じになったでしょうか?1分10秒位に左から球場が映ってきます。



2014年7月に行った時は、まだ南相馬市中が復旧に必死で、久米さんと一緒に回ったエリアもそして生活と直接関係ないこの球場も

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修復がされておりませんでした。2年の月日は、少しずつでも復旧復興が進んでいることを感じさせてくれます。

そして5日は原町区を見て回ります。
まずはヨッシ―ランドの跡から原町区下渋佐へ。

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この下渋佐は2011年4月に行った場所
とくにここは、上記Blogの最後の写真と同じ場所。繰り返し行ったからその差はわかり感無量です。

そして原町区大木戸の仮設住宅へ。
まだまだ多くの方がここで生活をしています。ちょうど高齢者の住人のところに社協の方が訪問し終わったところのようなので、お話をお聞きすると、ここは震災後1年経ってから作られた比較的新しい仮設であり、今約70%程度の方がいられる。そしてここの住民の多くは小高地区の方、7月の避難指示解除で、多くが帰宅するのではないか、とのことでした。

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ここでも5年の月日が流れていることを感じました。

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さて、i飯舘村に向かいましょう。

南相馬―フィールドワークキャラバン(群盲象を評す(前)、の巻)

午後は浮船の里にお邪魔をし、お蚕さんや織物の話、を聞き、久米さんの車で周囲を見させてもらいました。
順序は逆さまになりますが、まず現地視察から話したいと思います。

話は「どう生きるか?」になってしまいます。それは自分はどう生きるか?であり、社会は隣人とどう生きるか?にもつながります。
社会と言う概念がある意味明確に確立した中世以降、社会は実は差別の歴史であったのかもしれません。
身分制度を作り謂れのない被差別竹問題、在日韓国朝鮮人、ハンセン病、そしてヒロシマ・ナガサキの原爆へとつながります。いずれも、「家系」として差別蔑視をし、結婚問題や就職問題になるまで苦しみをさせる訳です。現憲法下において「平等」を謳いながらも、一人一人の心の仲間でその精神は浸透していないことが如実にわかり、それゆえ同じ間違いを繰り返してきました。
それは他人の芝生が青く見えるからではないでしょうか?出し抜いても…と言う気持ちが心のどこかにあったから、逆に他人の生活が良いと出し抜かれたと地団駄を踏むのではないでしょうか?
20km圏外・帰宅困難区域・住居制限区域・避難指示解除準備区域によって国から出される補償の差異があり、不満を感じる人もいるそうです。
またそこで補償金をもらったことで身を崩す人もいるそうです。
でも久米さんは、こうした困窮をしたことで、本当に大切なものに気づかされた、と語ります。それは感謝する気持ちとか、人の心とか、目に見えない物ばかり。
それはがんサバイバー・ケアギバーにも当てはまるような気がします。久米さんの言わんとすることがすっと心に染みてくるのは、がんと言う病での困窮を味わったことで大切なものを確認したメンバーだったからのような気がします。

僕はケアギバーでRFL(リレーフォーライフ)に行けば困窮の当事者であるサバイバーさんとたくさん会います。少しでも出来る事を、と、サポートできるように出向きますが、結局は帰る時に気がつくのは元気のおすそ分けをしに行っているはずですが、いつも逆に元気をもらって帰って来ること。
そうした同様の感情・心もちを体験しているから言わんとしている事はよくわかるのです。

もちろん、がんで家族を亡くされたばかりの方の中にはいくら慰めの言葉を言っても心を閉じてしまっている方もいるし、病憎しと言う憎しみを糧に生きている人、絶望で魂が抜けてしまったような人、様々な人がいてそれは外部の僕たちがどうこう言う筋合いではありません。
でも、それでも僕たちと接することで、その痛み、困窮、悲しみが少しでも薄らいでくれれば至福なんです。

そして久米さんは「私たちは可哀想な人ではない」と言います。「十分幸せを感じている」とも言います。
この言葉も僕らはシンクロします。
「がんになっちゃったんだって、可哀想にね」世の中にはそういう人もいます。が、残念ながらがんになっても可哀想ではありません。不幸でもありません。少しだけ驚いたり、泣いたり、そして不自由になったりすることはありましたが、それは可哀想でも不幸でもないのです。
まさに近隣で原発事故があった人たちも同じでしょう。
驚き、泣き、そして不自由を強いられても、可哀想な人ではないのです。不幸な人ではないのです。自分の人生を切り開いて歩む力を持った人たちです。

そんな人たちが小高には徐々に集結してきました。新たな街づくりが始まるのでしょう。ワクワクはします。

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(上:小高駅。間もなくこの駅にはホームアナウンスが響き、乗降客の往来ができるんだろう。
 下:浪江駅。こちらはまだ列車が来る予定はない。すなわち街づくりが始まらない)

でも、5年は長かったです。
閉め切って風を通さなければ家は傷みます。草がわずかな隙間から侵入し、小動物が置き去りにした食料を狙って忍び込みます。新しい地での生活、仲間、生きがい、すべてが始まり5年育まれてきました。
それをゼロクリアーして戻ってきなさい、は大きな決断です。
戻れないと涙を流してあきらめる人もいるのでしょうね。
それとこの敷地。国は避難地域から解除をしておきながらなぜこうした気持ちをナーバスにする物も同居させるのだろう

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南相馬―フィールドワークキャラバン(他人のふんどしで相撲を取る、の巻)

早起き&出発が早かったのか11時ころに着く予定の小高駅に9時にはついてしまいました。
小高駅前でさっそく線量測定。

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高さ1.5mで測定すると行政設置の数値とほぼ一致。しかし、ひざの高さまで線量計を落とすとあれよあれよと数値は上がります。まっ、それでも1m㏜/年程度のレベルです。

駅に車を止めてぶらぶらと歩くと、FBで仲間が投稿していた双葉屋旅館さんが…。

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(中世の間口の広さで税金がかかるので、小高の町もうなぎの寝床が多い。それにしても立派な旅館)

見ず知らずの人間が中を見せてください、と言うのもどうかな?とは思いましたが、ちょうどチェックアウトのお客様をお見送りするために玄関に出て来られたので思い切って「欄間のテーブルを見せてもらえますか?」とお声をかけると、ちょっと驚きながらもいいですよ、とスリッパを出してくれます。
食堂に行けばFBの写真で見たテーブルが(^^)/
作ったのは僕が懇意にしている友人が経営陣として采配を振るっている木工所さん。

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何度か書いているかと思いますが、二宮尊徳翁によって小田原と南相馬はつながっています。
藩の改革を幾度も成功させた二宮尊徳翁は報徳思想と言う教えにその考えを集約し他藩にも広がります。その一つに娘婿の富田高慶氏が広げた相馬藩があります。
至誠・勤労・分度・推譲と言う4つの教え。東日本大震災が起きた時、日本中が何か支援をしようと思いながらも、あまりにも巨大な災害故に途方に暮れました。小田原の人たちも同じですが、その時、理にかなった大局をする至誠、それを実行する勤労、自分へのご褒美を少しだけ節約する分度、持っている能力や財力を越えてする支援は長続きしない「出来る事からコツコツと」と言う分度によって余った支援を推譲と呼びます。小田原では、手の入っていなかった(つまり使う当て(緊急性))のなかった久野の山の檜林を木材を切り出し、製材し、相馬に持って行って集会場の内装や机・いすを作ろうと有志が行動を始めました。
その第一号が相馬はらがまの報徳庵でした。
その後相馬から南相馬のNPO浮船の里へ広がり、そこから双葉屋旅館さんへ広がりました。
僕の関わっている社長と上記に記した友人が采配を振るっている木工所さん、そしてその活動を支援する市役所職員や多くの市議、そして市民が相馬・南相馬と太いパイプを築いてくれました。

そんなご縁で双葉屋旅館さんの食堂に行けば、ご主人も女将も「小田原の人にはお世話になっている」とご挨拶を受け、こちらが恐縮しきりです。何もしていない自分が小田原来たというだけでこんなにおもてなしの言葉を言って頂けることを世の中では「他人のふんどしで-」と言います(笑)
僕らにしてみれば、こんな素敵なテーブルを考案し、その仕事を小田原の業者に依頼してくれたことだけで十分にうれしいです。
ひとしきりお話を伺い、この後の行程を聞かれたので双葉食堂さんに行くのだがまだ早いと伝えれば、この先の公共施設の中に地域の婦人部の方が経営している「ひまわりカフェ」があるとのこと。
嬉しい情報を頂き挨拶もそうそうにコーヒーを頂きにまいります。今日も暑くなりそうです。

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小高地区はまだ避難指示解除準備区域なので、ここで働くおかーさんたちは地区外からここにやってきます。避難先での生活や仕事があるので通勤も大変です。
コーヒーを飲みながら雑談で盛り上がり気が付けば10時40分。おかーさんの話では、週末などは時間通りの11時に行くともう満席、とのことなのでそろそろ双葉食堂さんに移動します。

超人気店、僕らの前を足早に歩いて行きます。これは・・・!絶対に双葉食堂に向かう人、と角を曲がり見れば大きな駐車場に多くの車が止まっています。もう余裕はありません、我々も急ぎましょう。

お店の中は4人がけのテーブルが10弱、その奥の和室に8人がけのテーブルが4つ。ほとんどがふさがっていて僕らは座席に案内されました。メニューは、ラーメン、もやしラーメン、うどん、肉うどんの4つ。
もやしラーメンを頼むとピリ辛スープとのこと。汗かきなのでこの暑さの中辛いものはと辛みを弱くしてもらいます。

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素早い提供。おいしそう(^_^)/
辛みを弱くしたせいか、まったく問題なく…それでも汗をかきかき、鼻をすすりながら頂きます。
僕はこの辛さ嫌いじゃないけれど、基本の醤油ベースのラーメンを食べてから応用の辛みに挑戦すればよかったかな。
具のもやしもたっぷりでした。

食べ終わって外に出れば店の前はごった返しています。恐るべし、双葉食堂。

さて、お腹も満足になったことだし、浮船の里に行くことにしましょう。と駅に向かって歩けば、えんがわ商店の看板。
レジのおかーさんに、牛乳やらマヨネーズやらを進められてご購入。

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南相馬―フィールドワークキャラバン(早起きは三文の徳、の巻)

3・12から5年。復興に関心を持つ友人が南相馬に行ってみたいということで週末を利用して行ってまいりました。
3日(金)20時、講演会を終えたブイちゃんとKTRさんが小田原駅に。4人で、東名・首都高・常磐道を利用して道の駅よつくら港へ。
ここからは5年経った各地の放射線量を測定しながら旅を続きます。
CODEXの基準である年間1mSv、つまり0.23μSv/hが根拠があるかないかはわかりませんが、一応日本ではこの数値を基準にしているので頭の片隅に入れながらお読みいただければ幸いです。肉体には被ばく量ゼロに越したことはありませんが、たとえば有名な天然水を生み出すボルビックは0.3μ㏜以上の線量がありますし、シャンゼリゼ通りノルイビトン本店は0.5μ㏜だとも言われています。
多くのヨーロッパの国民は放射線量に対して非常に高い関心を持っていますが、それは浴びなくても済む放射線量は浴びたくない、だけで、受け入れなければならない者に関しては鷹揚だと思います。この考え方は、日本でもあるような気がします。人形峠の忌みたる場所のそばには三朝温泉という温泉でがん闘病をしていますし、それは東北の北投石のある玉川温泉も然りです。
玉川温泉における闘病の先人のふじみとむ。氏は、ガイガーを持ち込みあちこちを測定したと著書の「玉川温泉ガン闘病日記(ISBN4-89544-351-1)」で記していますが、その数値は2.5μ㏜/h~0.2μ㏜/hだとしています。最高数値をたたき出したのは、神社前ですが、確かに私たちもそこに行くと数分で何か言いようのない不快な感じを受けたのもです。その感じは直感的に僕らの闘病スタイルではないと感じたので、そのあとはいつものすり鉢裏の高台に場所を戻しました。本能は必ず危険を教えてくれると僕は思います。
だから、受け入れないで済むものはきちんとNo!ということと同時にあまりナーバスになりすぎることも大いに問題がある姿勢だと僕は思っています。

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まずはP泊したよつくら港。目覚めた時は、多くの方がサーフィンをし終わって海から上がってきていました。
そんなよつくら港は0.10μ㏜/hでした。十分安全圏。晴天の海辺でおいしい朝食をがっつり食べて1日のスタート。9時前に南相馬に向けてスタート。

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ここから国道6号線を北上します。2015年9月15日に通行規制が解除されましたが、果たしてどうなのでしょうか?
まずは、Jビレッジ。ここは除染の最善基地として利用。多くの方が、ここで全身防護服に着替えバスでフクイチに向かった場所です。
ここの敷地南際の線量は0.32μ㏜/hでした。

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富岡消防署北の交差点には警官が数名道路の両側に立ち、ここからは窓を閉めることが義務付けられます。
帰宅困難地域。このエリアは家に戻ることもできない状態です。家の前には鉄のフェンスが家族から盗賊からすべての人間の侵入を拒否しています。

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写真は午後に久米さんの車で通過した時に撮影したものですが、窓を閉めた車内でも0.63μ㏜/hでした。アルファ線は粒子、ベータ線は電子、中性子も原子核を構成する物質ですからガラスは通過できません。しかしガンマー線やX線は光とかと同じ波長ですので、窓ガラスも通過できてしまいます。しかしこのガンマー線を発生する放射性物質は「物質」というくらいですので『物』です、移動できません。それが塵や埃、砂などに付着して、それが風に乗って移動した先で放射性物質(ガンマー線)を発します。
喩を変えて言えば、僕らの体に害を及ぼすものは懐中電灯から出る光だと思ってください。光を照射されれば被害に遭うので光を避けたいのです。だったら懐中電灯がなければ良い。除染作業と言うのは懐中電灯をかき集めて光が届かない人里離れたところに捨てる作業です。
ですが、メルトダウンした核燃料からは懐中電灯にあたる放射性物質がしきりと空から降ってきて、その膨大な量はチェルノブイリのような石棺で封をするまで永遠に続くのです。しかしチェルノブイリと違って福島はメルトダウンした核燃料がどこにあるのかわからないのです。
だから近隣は放射線量が高いのです。でも、車の上に落ちる懐中電灯は車のスピードが速ければ早いほど少ないのでさほど心配がないですよ、だから6号線は開通させましょうね、と言うのが国の考え方です。
窓の外についた放射性物質を含む粉塵は風によって又吹き飛ばされ大半は車から離れてしまいますので、この0.63μ㏜/hのガンマー線は僕が測定した瞬間にそんな風などの力で吹き飛ばされなかった煤塵の量なのです。地面には車から離れてしまったり、今まで風なのでその場に落ちた膨大な量の放射性物質があります。風だまりはホットスポットと呼ばれるのはそうした理由で多い訳です。たぶんこのエリアの車外は半端ないほど高いものなのでしょう。

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このエリアの終了はウェディングパーク浪江フローラのあたり。すぐ北のJAのガソリンスタンド高瀬SSの前で測定すると0.29μ㏜/h。ほぼ1m㏜/年の範囲になりましたから、国の線引きはほぼ適正かと思います。

それでもフレンドリーな人多いよね

mixiを始めた時、星新一氏のナンバークラブと言うショートショートに似ている画期的な場所だと思いました。
同話は、ナンバークラブと言う会員制のバーは、自分のプロフや興味・半生などを入力したカードを差し込むと同席の仲間と共通項をコンピュータが探しだし、初めての人とも会話のきっかけがあるおかげで会話が弾むという内容。
プライバシーと言う側面では賛否両論あるかもしれませんが、人見知りの僕には画期的な提案。
特に「こだわり」の趣味は同胞の存在は嬉しいもので、その趣味がメジャーではなく時々しかすれ違えなければすれ違った感激はひとしお。

昨日は川越の友人宅へとあるミッション遂行に伺い、ご夫妻の心地よいおもてなしにすっかりくつろぐものの、翌日からは仕事。お昼にお暇しましたが、まだ頭の中はくつろぎモード。
国道254号線から16号線に行くために右側車線を走行しなければならないものの、そのまま左を走って乗りそびれてしまいました。
こうなると地の利のない僕はナビ任せ。
南古谷の駅を通って県道335号線、そして県道56号線の上福岡駅の横を通過して狭山・八王子に抜けろ、との指示に従います。
日曜日のお昼だから、それとも日曜日のお昼なのに、どちらかはわかりませんが56号線は渋滞。そして上福岡の駅横で4本の電車の通過を待つことになります。

と、トントントン。運転席のガラスをたたく音。
見れば、ピンクのエプロンをかけ、マスクをしたおねーさん。こんなところに知り合いはいないと思いながら窓を開けると「私もグローバルのKINGに乗っているの」とのこと。
そうなんです。キャンピングカーの台数も少ないながら、グローバルは既に会社がつぶれてしまい製造されていない車。そんな同じ車に出会えたと、わざわざご挨拶に来てくれました。

同じ趣味仲間との出会いは嬉しいですが、それでも挨拶をしにわざわざお越しくださる方は非常にまれです。キャンピングカー乗りにはそんなフレンドリーな人が多いのかもしれません。

お名前(ハンドル)すら聞きそびれましたが、ご挨拶とてもうれしかったです(^^)/
一期一会、そう会う事がないかもしれない方の道中の安全を祈ってくれる、出会いからそんな優しさを頂きました。

海峡(せと)プチキャラバン(Ω)

流通が広域化された今、お土産と言われるものもその場で作られていないものが多かったりします。
そうなると行政や町おこし実行委員会のようなグループが作ったインパクトのあるお土産や、ただ話題のために違う場所で作っていることを承知で買うお土産の方が人気があったりします。
そして、だんだん他人のお土産よりも『お土産話』のネタの方が面白かったりします。
今回、出先で食べたもの。

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このエリアがご当地品が多いのか、小田原が少ないのか…。
観光地としての活性化に差があるように感じました。
以上長々とキャラバン記にお付き合いくださりありがとうございます。
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take1960

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