広島の旅(5)

礼拝が終わるころには雨脚が強まってまいりました。お暇のご挨拶をして市電の駅に戻ります。
市内を網羅している市電。5番に乗って来たので5番で帰るのが筋ですが、屋根が小さいので早めに電車に乗って車窓から市内見物と行きましょう、と来た1番に乗っちゃいます。

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宇品二丁目から的場町に行くには緑の路線なら10停留所程度。それをオレンジの路線で倍以上かけて帰るのですから酔興ものです。

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ホテルそばのCVSで今日の昼と夕食や夜のおやつを買い込み、このあとはホテルに閉じこもります。

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確かにザーザーという雨、そして木々を揺らす風はザワザワ、です。でも思った以上の事態ではなさそうですし、ニュースを見ても今がピークとのことで広島は被害がないまま済みそうです。
こうなるとRFLは本当に出来なかったか?と言う疑問。
出発直前のBlogにも書きましたが、過去のRFLでは果敢に雨天の中実施した大会もいくつもありました。もちろんがんサバイバーの方が多く参加しているイヴェントですから果敢こそ勇敢ではありませんが、天気予報の先を読めば、17日は中止しても18日には実施と言う選択肢もあるよ、と、もしこの中止が実行委員会の意見での中止なら意見したかもしれません。
でも、実行委員会も開催を熱望しながらの苦渋の選択。行政の中止要請と戦った結果の決定ですから致し方ありません。

傘が変形するような風になりました。諦めて濡れながら道行く人の姿も見られます。
そしてニュースは、満潮時の高潮への注意喚起と北口(?)の冠水の様子を報じています。

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そんな雨風も20時を廻れば止みホテルのガラスの水滴もとれました。明日はきっと晴れるでしょう。
最後の一日楽しみたいと思います。

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広島の旅(3)

福山からいくつかの中核都市を越え広島駅につきました。
途中のマツダスタジアムの横を通過した時は、C4-2Yだったのが、ホテルでTVを見ている中でC4-5Yと逆転されてしまいました。さて、市内の居酒屋が残念会の会場になる前に出かけようと町に繰り出し、お好み焼き屋さんを探している合間に真っ赤な軍団に囲まれちゃいました。雨の心配もあり宿の近くの 徳ちゃん 猿猴橋店 を覗けば「カウンターに2名様なら大丈夫です」とのこと。赤い中を歩き、空いた席に座らせてもらいます。

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アルミのビア樽の上に座布団といったカジュアルなお店。豊富なメニューから居酒屋定番の焼き鳥と刺身(ともに盛り合わせ)をチョイス。そしてお店おすすめの「雨後の月」を選びます。

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左隣は呉から優勝の瞬間を祝おうと来られた会社の同僚さん。しきりに地元優勝を見られずに「へこむわぁ~」を連発。お互い一頻(ひとしき)り腹と喉が潤ったあたりで話しかけると、去年もCS(クライマックスシリーズ)でベイファンの方と飲んだのだと語られ、そこから野球談議。外木場・安仁屋両投手の話、ホプキンス選手は医者でありながら体が動く間は好きな野球の道に進んだ話、僕がベイ選手時代の石井琢朗選手のファンであることをカミングアウトすれば、そこからは10年来の友のように話ははずみ、CSにはベイより読売が組み易いがCSで戦えるようにベイも応援しています、とエールを頂きました\(^o^)/

予定したイヴェントが台風で中止になったといえば、「明日明後日は何をするの?」と。
明日は予定を組んだがあさってはノープランと言えば、宮島口にうえのと言うあなご飯のお店がある、あそこはお勧め、と。自分たちもたまに食べたくなり、呉から車を飛ばして食べに行くのだと。ただし人気店なので10時のオープンから並ばないと大変だよ、とも。
ありがたい情報をもらって先にお暇させてもらいました。18日は四半世紀ぶりに宮島に行くことにしましょう。

一期一会、今後球場であっても偶然お会いする機会は万に一つもないかもしれませんが、楽しい夜を過ごさせていただきありがとうございました。

広島の旅(2)

「御馳走」と言う言葉は広島の言葉。朝鮮通信使をおもてなしするように、下関の海峡から大阪に着くまでの瀬戸内の各大名に秀吉は命じ、その順位を競わせたわけです。まさに馳せ走り満足できる食材と調理人を探し、呉の蒲刈がその一番の地位を得たと記載があります。
広島はグルメの地でもあります。
そんな広島最初の食事は、トヨタレンタカーを探す中、すわって地図を見ようと入った「なか卯 JR福山駅店」チェーンのファストフーズ店でしたがなになに御馳走は食材だけではなくおもてなしの心。ウェイトレスのおばちゃん、気さくに話しかけてくれ心穏やかに朝食を食べることができました。ありがとう。

トヨレンはそこから1つのブロックの対辺、信号を左折し、次の信号を左折したところ。無事ヴィッツを借りて井原に向かいます。
道路標識には神辺の文字。実は明日は台風でRFLが中止になったので、広島南部教会の礼拝に集おうと思っているのです。ここの牧師が昨3月まで赴任していたのが神辺教会。せっかくだからと教会の前を通ります。

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県道200号から国道486号へ。ほどなく井原鉄道井原線の早雲の里荏原駅へ。北口には早雲の里交流センターがあります。情報を得るためにまずはここに行ってみます。
雨が降ってきました。走って建物に入ると数名の高齢者が建物内を掃除中。 早雲の関係の名所を見に来たと言えば非常に戸惑った様子で、それでもリーダーらしき方が城跡と法泉寺の行き方を丁寧に教えてくれました。残念ながら資料等は置いてないようです。

まずは高越城跡に行ってみましょう。肥料で有名なCB化成の工場の間を抜けると農村地帯。道路の両側は暗渠にしていない水路があります。そして道幅は車の幅程度、アップダウンのあるスラローム(笑)

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アップグレードしてもらいわずか数十センチの車幅が増えたことを後悔。GoogleMapで検索すると東江原町5618 となっているあたりからは斜度が急になり民家はなくなります。
人の住む里と神の住む山(いわゆる神隠しの起こる場所)との間には里山がある。住むのは難しいが作物が取れる樹林であり耕せたところは畑だ。うっそうと茂った木々や竹藪は空を狭くし、初めて走る僕らを心細くする・・・。
エンジンがうなり坂を上りきったところ・・・急に空が広くなって、大きな農家が数件現れた。隠れ里?
ここで道を右に切り急激に下ったところが高越城です。

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上地図右隅の駐車場に車を止め、舗装をされた道を歩きます。

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真ん中のくびれたあたりの門をくぐり(これは立派だ)、なだらかな坂を上がったところが四の郭。

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大型化していく城の歴史の前半の時代。他の城と比べると狭く感じるけれど、この時代では五つの郭を持つ立派な城だったのでしょうね。

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城めぐりの楽しさはやはり城址つまりは高台からの風景。藁葺の平屋の百姓の家並みが点在し、それを取り囲むように黄金色の田んぼが実る風景を見るのは城主としての至極の喜びだったのでしょうね。

城址を後に新九郎観音と言うスポットを目指します。

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掛かっていた解説を読むと伊勢新九郎(北條早雲)が帰郷した時に奉納した観音と言われ崇められていたようですが、製造は江戸期とのこと。
でも

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春になると桜の下で祭りをする…、そうした人の心の支えとなっているのならいいんじゃない? って気がします。

法泉寺 に向かいます。

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大きく素晴らしく、そして手が行き届いているお寺でした。
このような天気、どなたもいらっしゃらなく、当然ご住職にもお会いできなかったので(お呼びするのも何なので)拝見させてもらって帰ってきました。
荏原の荘は、早雲の生誕地として盛り上げたいという希望はあるのでしょうけれど、まだまだ観光資源としては使いこなせていないようでした。

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隣町はきのこ町。可愛らしい名前に思わずパチリ。

さて次の目的地へ。早雲の生誕地荏原から西南西へ約10km。稲倉と言う郷へ向かいます。

北条5代が秀吉によって滅ぼされましたが、3代氏康の5男氏規はその後赦され、河内狭山城主となります。徳の篤かった北條一族、残党はお家が持てたことで集まりますが、石高が小さく希望を持った家臣を抱えることが出来ずに、集まった家臣の中には早雲の生まれ故郷に移転するものが現れたようです。
その中の一人に、前小田原市立病院名誉医院長の北条龍彦氏の先祖もいたようです。龍彦氏は、立木望隆先生らと一緒に江戸後期以降の北條家の家計を調べ、この地が故郷であることを確信したと記しています。

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井原に生まれ関東にきて一旗揚げ、そして関東を追われて井原に戻り、そんな井原からまた小田原に戻ってきたという話は、大きな人知を超えた力によって導かれているようでなりません。

広島の旅(1)

RFL広島が、9月16-18日の後半2日で開催されるという話を聞いた時に2泊3日の旅の概要が決まった。

歴史を振り返れば、この中国地方の先祖は神奈川県民なんです。愛甲郡毛利荘を得た大江氏が里の名前を付けたのが毛利の祖です。
小早川氏は湯河原の土肥家の家臣で早川の荘を支配していた一族で、ともに源平合戦の中西走し中国地方に根づいた一族です。
時は流れ、伊勢新九郎は井原の里から京を経て当時一番の軍力のある今川へのもとに行き、その後関八州を治めます。
江戸の町は、小田原の町のコピーです。唯一違うのは、小田原の街づくり以外に陰陽道の考えを咥えた点でしょう。歴史を振り返れば関東は中国地方の人によってつくられました。
だから関東人は遠い歴史をたどって井原を懐かしく思い、広島県民は関東に郷愁の念を抱くのかもしれません。

そんな早雲の里から今回の旅を始めよう。そしてそんな長い道のりも乗ったことのない乗り物で行ってみたい。
という事で、今密かに話題沸騰のドリームスリーパー2を選択。大型バスにたった11人しか乗れないという走るホテル。3連休の前夜予約は取れるかと9時になると同時に予約サイト発車オーライにつなぎます。
あっけなくGet。しかも1A、1Bの席と言うのはいの一番に予約を完了したという事??
さすがにそこまでは人気はないのか? というのも、通常東京―福山の夜行バスは7500円程度なのがこのドリームスリーパー2は22500円と約3倍。新幹線よりもはるかに高いのです。
でも一度は乗ってみたい\(^o^)/

台風が分かっていたので一眼レフは持っていかず、PowerShotG16一台のみ。広角も撮れないのでいささか満足いく情報が提供できるかは不安ですが…。

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11席と言うだけあって全室個室です。廊下からはすりガラスで中にいるかは確認できるかもしれませんが、席に座ってしまえばまったく見えないです。あっ、車内は土禁(土足禁止)で、ステップ2段目で靴を脱ぐとスタッフがビニール袋に靴を入れてくれます。どうも至れり尽くせりのおもてなしはくすっぐったく苦手です(笑)
また座席につくとヘッドフォーン等の備品を持って部屋を廻り部屋内の説明をしてくれます。
約1/3程度がスライドドアとして空きます。

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窓側には15cmほどのスペースに、足側からアメニティグッズケース、ドリンクホルダー、シートアレンジャー、イオン発生器がついています。
アメニティーグッズはポーチに入ったものと書かれていますが、既に経費削減なのかビニール袋に入っているだけで少しチープ。残念
そしてWifiも繋がりますが画面が動きませんでした。これも残念

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ゼログラビティ姿勢と言うのだそうです。お尻が沈みながらも、また背もたれもあまり倒れている気にはならないものの、この足が高く上がる姿勢はなかなか寝心地がいいです。
今回は1回目。ドキドキワクワクで寝ているどころではなく楽しんじゃいましたが、2度目があれば熟睡できるでしょう。でもこのBlogを読まれて乗ろうという方、1番前はタイヤの上です、やはりどうしても振動は激しいので、寝る事前提に乗られる方は車の真ん中あたりがいいかもしれません。

そして車中で見たFacebook なんとRFL広島は台風18号の接近により中止が決定したとのことオーマイガッ―
なんで体育館で行われるイヴェントが中止になっちゃうんだ!!

それでもバスは走ります。小雨降る福山に提示に到着。
実は昨日、この日借りる予定のトヨタレンタカーからTel 「台風が近づいているからどうされます?」と言う話かな?と思ったら、借りようとした車が前借用者が事故を起こしたのでグレードアップしていいですか?というもの。
ラッキー!価格据え置きでのグレードアップ。でも、世の中塞翁が馬と言うことわざがあります。このあとその言葉を身に染みるようになるとは思いませんでした。

鎌倉ものがたりは12月9日から(^^♪

西岸良平氏の作品の評価としては、三丁目の夕日は原作とは違う原作を超えた映画になったと思っている。
一方空知英秋氏の銀魂は、SF的要素が入っている部分映画化すると陳腐になるな、という超えようとすればするほどアクションとかCGに頼らなければいけなくなるものを感じてしまった。
さて、鎌倉ものがたりがこの冬公開される。
鎌倉ものがたり 古都鎌倉には物の怪が住み、魑魅魍魎とした輩と当たり前のように共存する、という銀魂と同じようなSF的要素の加味された物語を、いかに三丁目の夕日的に日常の生活目線で描けるか? 原作が好きだから、怖い反面、CGアクションではなくファンタチックでレトロ感が出れば、それはそれで映画鎌倉ものがたりを楽しめそうな気がする。いわばハリーポッターやネバーエンディングストーリー狙いか(笑)

そういえば鎌倉ものがたりが大好きだった大仏前の旧『旬憩』の女将さんはお元気なされているのだろうか?
映画化で元気をもらえればと切に祈ります。

興味そそられれば・・・

映画「母」を見て来たら途端に小林多喜二氏に、母に、伊藤ふじ子さんや田口タキさん、そして多喜二を売るために近づいた特高のスパイ三船氏、そして義兄佐藤藤吉氏に興味がわきました。

帰りの車の中で連れとの話。
耶蘇と揶揄されていた時代、男尊女卑の時代、そうした中、多喜二の母親は洗礼を受けたのかなぁ?と言う話題。
たぶん佐藤藤吉さんは小樽シオン教会の重鎮なんだよ、と僕の推測。だから結婚したチマ姉さんもクリスチャンになったし、母も映画で見せたように讃美歌を賛美しながら天に召されたので子どもたち夫婦に誘われてきっとクリスチャンになったんだよ、と続ける。
しかしどうも、小林家がクリスチャンの家系で、大きな網元のあるじ佐藤藤吉さんはお寺の檀家総代。嫁いだ嫁が教会に行くことを赦す度量にも感動もの。
そして自身の家族への仕送りのために結婚をあきらめた田口タキさんは、その後結婚する時に自分だけ幸せになることに苦悩をしたさい、小林セキさんのアドバイスで嫁ぐことができた、とか、スピンオフ的な興味がわいています。

そんなことで

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3冊購入\(^o^)/

母 小林多喜二の母の物語

キリスト教の中において、カトリックと言うのは少し異例な一面を持っている教派だと思う。それは、「三位一体の神」である神でも、聖霊でも、イエスでもないマリアを崇めている点だ。
なんでマリアを崇めるのか? 僕には少しわかりにくい部分があった。

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「母」と言う映画。サブタイトルは「小林多喜二の母の物語」とあるように多喜二氏の母親小林セキさんを描いた三浦綾子さん原作を山田火砂子さん監督で作られた映画だ。
映画に先立って監督と女優の磯村みどりさんが舞台あいさつ。

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少しネタバレを含みますが・・・
秋田の寒村から北海道開拓に参加した小林夫婦は、つつましくも幸せに小樽の地で生活していたが、小樽の港湾の日雇い人夫出しの人がケツを割り逃げ出したのを助ける両親を見ながら多喜二少年は成長し、プロレタリア文学の道を突き進みます。
赤線に売られた女性を助けたり、港湾の労働組合を助けたりたりする中、治安維持法を盾にし多喜二を捕まえる特高から隠れるように地下に潜るものの、仲間の裏切りによりつかまり拷問の末殺害されます。

多喜二の死後も溺愛する息子の死を受け入れられない母は、日本キリスト教会小樽シオン教会の近藤牧師により、ピエタの写真を見せられ、イエスの死について後悔を受けます。
息子の遺体を手の中に抱き悲しみに暮れる聖母マリア。そして近藤牧師は、ユダという男にイエスは裏切られたこと。何の咎無くしてろくな裁判も受けられないままリンチのように権力者に殺されたことを聞き、多喜二の死とオーバーラップします。
が、近藤牧師は驚くことを言います。イエスはその十字架の上で神に「彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と言ったというのです。
私にはそんなこと言えない、と言う母。きっとマリアも同じように悲しみと苦しみと憤りと、息子イエスのその言葉の間で葛藤したのでしょう。
母セキは顔をあげ「私も天国で多喜二に会えるか?」と牧師に問い「会える」との回答を得ます。

もしかしたら「小林多喜二」だったら原作もこの映画もつまらないものになったかもしれない。そこにあるのは、イエスと言う神でもないただ一人の女性マリアの苦悩であり、小林多喜二の母の苦悩であったように思えます。

死の床につき讃美歌の山路越えてを歌いながら、故郷を思い浮かべながら天に召された小林セキさん。この讃美歌が作られた場所は四国愛媛法華津峠。山越えの最中日が沈み、山中で野宿をする牧師が作った讃美歌です。
そう言う意味ではセキさんが故郷を思い浮かべながら賛美した讃美歌と言うのがとてもよくわかり不覚ながら涙があふれました。

多喜二は地下にもぐりプロレタートな活動をしている時にアジトにしたのが厚木七沢温泉福元館さん
多喜二の資料も残っているそうですし、日帰り温泉も楽しめるとのこと。
これは一度行って見なければならないね。

でも、大きな期待を持って見に行った映画。その期待を大きく上回った内容に★3つです\(^o^)/ もしお近くで上映為されたらぜひご覧になることを強くお勧めいたします。
小田原は17日(日)に再度けやきで上映されます。

第2回石造物調査会(小田原の石仏を調べる会)

郷土文化館からのお知らせチラシを教えてもらいエントリーしたものの、第1回は大阪釜ヶ崎に行っている最中だったもので参加できず。連れ合いの楽しかったの言葉に羨望の中この日を待って参加。
ラッキーなことに前日の雨は止み、なおかつそのせいで気温も低め。屋外のフィールドワークにはもってこいの陽気。
この日は、

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城山の本誓寺さんと鳳巣院さん。
本誓寺は當知山重願院と言う山号。1505(4)年に開山創建と言います。ご住職の話では今川家の藤枝某が開祖だとか。
その言葉を証するがごとく、土中から

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こんな石が出てきたとか。文亀元年?なのだろうか? だとしたら1501年のことになる。新しい意志に見えるのは土中に埋まっていて掘り起こした時に洗ったからなのか? はたまた後世の人がこの寺の縁起を記すために書いた新しいものなのか?
このころの日本はと言えば、東山文化の終焉、11代足利義澄の時代。ここから応仁の乱・乱世の時代へ突き進むころ。
この小田原で言えば伊勢新九郎(北條早雲)が小田原に入ったのが1495年なのでほぼそのころになる。
もとは今川家の客分家臣だったので、小田原の街づくりに名家今川の名前を欲して作らせたものなのかもしれない。

寺内を石造物を探しながら歩けば五輪塔。

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昔何かの本で読んだのは火輪の先が沿っていないものは鎌倉記前と書かれていたようなのでこれは古いものだと興味津々。
しかも空輪部分は風化している。
サイズを測り、裏に回り文字の解析。水輪部分に名前が彫られている。闡譽上人の名前。存ぜぬ名前と家に帰ってクグル。
と、増上寺の67代管主に渡辺教善(闡譽教音)の名前。どうも幕末頃の方のよう。思ったほど古くない五輪塔でした。

1時間ほどお寺を探索させて頂きお礼を言って道路向かいの鳳巣院さんへ。

山号を實平山と言い14世紀頃に久野総世寺五世天祐宗根が開山したと言われています。
小田原七福神の福禄寿がいますが、手には桃を持っているとのこと。ご住職がその由来をお教えくださり、なお秘仏までお見せ下さいました。

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お庭自身には大きな阿弥陀如来像1体と無縁仏の墓のみでした。
2時間ほどの探索で10余の石造物を調査できました。

素晴らしい花火 よりも思い出す 友の笑顔

2005年にスペインに戻った友が数年日度来日し、そのたび思い出してくれて小田原に遊びに来てくれる。
今回も3年ぶりにきてくれた。
小田原での日々をコーディネートしてくれるTさんがチョイスしたのは酒匂川の花火大会。
昨年までの5000発が今年は1万発に増えたとの言葉通り、のっけから乱打乱打乱打・・・。
音楽に合わせ、素敵なショーを堪能できました。花火ショーも昔と違う(^_^)/

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堪能した後は話足りずに居酒屋で夕食。
花火は本当にきれいだった。目をつぶれば余韻が甦る。
でも何カ月、1年経ったら思い出すのは友の笑顔なんだろうね。
ほら前回日本に来たとき花火がきれいだったじゃない。きっと言葉はそうなる。1位順位は友があり、その時に美しい花火になるだろう。去年の花火は誰と言ったのだっけ?にはならないだろう。
あんなに美しい花火以上の存在、花火を堪能してそれを再実感した。友に感謝。

天人

世の科学というものは夏休みの自由研究と同じで『僕このことを研究します!』とエントリーすることから始まります。だからエントリーする人がいなければそのトピックスについては永遠の謎のままになる訳です。
夏休みの自由研究と少し違うのは、その審査員が傲慢な権力主義者が含まれている点があるのかもしれません。
たとえば『死後の世界はこうなっている』とか『肉体は離れた霊体の存在』などを研究しても、非科学的だと鼻で笑われ学会にも登場させてもらえず、それゆえ大学や高校の学びの場にも現れず、非科学的な空想の世界のままで今日まで来てしまっています。
同時に宇宙人がいるか?と言う問題も一昔前までは想像の産物と言われていましたが、最近は政治公式の場での発言に真摯に回答されることもあり、いよいよ「事実認定」が出るのも時間の問題なのか、はたまたすでにメン・イン・ブラックと言う映画のように僕らと見た目の区別がつかないように既に地球上で共存しているのかもしれません。

科学は正しいか?と言えば、YesでもありNoでもあります。最初に記載したように夏休みの自由研究のように誰かが一つの仮説を立てて立証しようとして研究しその結果の発表の場で誰もが否定出来なければ「正しい」とされてしまいます。「科学的」と言うのは誰も反論できなかったに過ぎず、正しいかどうかは関係ないのです。
そう言った意味では、温度と言うのはマイナス273℃以下にはなりませんが、上限は何兆℃にもなると言うのが現代の科学の知識なのです。マイナス273℃、つまり絶対零度をベースに考えれば僕らの世界は300℃の世界。何千万と言う高温の中では限りなく低温の中で存在している訳です。
お金で考えれば、1兆円持っている人もいる中で300円しか持ち合わせがないのは、低所得ですよね。
僕がビルゲイツ氏やマークザッカーバーグ氏、孫正義氏やアリババのジャック・マー氏の4人の会食の席に招ねたら途方に暮れるような異次元の世界。
だから宇宙人がいたとしても同じ温度帯で生活している可能性は極めて低く、何千度で生活しやすい体が必要であったりしてそれゆえ見た目が同じ可能性も低いのでしょう。

タコ型宇宙人の姿を最初に公言したのはパーシヴァル・ローウェル氏だと言われています。その発表に刺激を受けたH.G.ウェルズ氏が宇宙戦争を描き宇宙人のデザインが僕らの頭に刷り込まれました。でもそれ以上の想像が出来ず結局今は人間型の宇宙人像が主になってしまったのかもしれません。「人」と言う字がつく以上仕方ないのかもしれません。

何が書きたいかと言えば、昨晩「銀魂」を見てきました。ご存じない方は公式の何かで詳細をお探しいただくとして、物語の舞台は幕末の日本の歌舞伎町。開国を迫ったのはアメリカではなく宇宙人と言う設定。そこで攘夷志士たちや新撰組、そして天人と呼ばれる宇宙人と諍いをドタバタとパロディとセンチメンタルな話で少年ジャンプに長期連載されている人気漫画の実写版。
監督は、低予算で作り高視聴率をとった勇者ヨシヒコシリーズなどでおなじみの福田雄一氏。原作や監督にひかれて豪華メンバーが集まって作られた映画は、俳優陣が体を張っておバカをやっていたのでそこそこ面白かったですが、例えばP.ローウェル氏のような独創的な発想が短期間でできないのを逆手に取ったパロディパロディ連発の漫画原作の空知英秋氏や勇者ヨシヒコの福田氏の良さが薄かったです。普通の迫力あるチャンバラシーンの多いドラマになっちゃったきらいはありました。描かれた宇宙人も動物と頭部が人間と同じように歩いているのとか、昔のキャプテンウルトラのバンデル星人(ホクトのエリンギ)のようなのとか・・・。
もう少し大人が楽しめるパロディ満載にしてくれると…見に来る人は減っちゃうのかな(^_^;)

存在が知られている温度の中間は数万℃。ウェルズ氏の発想のように無茶苦茶な低温の地球を攻め込んでのメリットは何かあるか?と言うと思いつかないです。 でもそれももしかしたら想像の幅が低いから気付かないのかもしれませんが、確かなことは今後宇宙に進出するのにいつまでも地球の中で争っている場合じゃないということなのでしょう。

お登勢さんとキャサリンが出なかったことがショックでした(^_^)/
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