石造物調査会定例フィールドワーク

石造物調査会の定例フィールドワーク。早川地区の第2回目。
まずは、小田原市早川445 前の変形4叉路にある道祖神。これは先週末久野の道祖神を見に行った際、保坂氏が教えてくれた稲荷型のもの。豊穣の神としての稲荷と道祖神が習合したものらしい。

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専門家が同行してくれなければ稲荷神社として通り過ぎてしまう(笑)

すぐそば(早川450の新幹線ガード下)にあった馬頭観音

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早川491の大きなお宅の横を入る人の出入りがあまりない細道を登ると天神社(?)がある。

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その途中に庚申塚が5つ建っていた。

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延宝の文字が見えるからそのころから何回かの庚申講を行ったことを記念して建てられたもののようだ。
青面金剛像が彫られるものも多いらしいが、この5基はすべて三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が彫られており、それは庚申の申がさるに通じることからとのこと。

続いて早川小学校内にある碑を見に行く。(事前に保坂氏より学校側の許可を頂いてある)

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皇紀2600年を迎えとあるから1940年のことが記されている。日中戦争の最中、物資の逼迫を打破するために開拓をして食糧増産に励むことが銃後の責務であり、その志に従って早川右岸を開墾したことが書かれている。
今はそんな開拓した田畑は皆住宅となり、こうした碑が残っている事すら忘れられているが、そうした時代があったこと。間違った教育で純真な日本人が戦争加担をしてしまったことが分かる。
ちなみに同年12月に小田原町、足柄町、大窪村、早川村、酒匂村の一部が合併し 小田原市が誕生した。

午後からは漁港施設会議室を借用して今日のまとめをするので漁港に向かう。その途中の小田原市早川2丁目1の道祖神。

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漁港は週末と会って混雑。小田原の新名所の一つになった感がある。僕らもその一軒で昼食。

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漬け丼は魚を炊き込んだ物や海藻ご飯食べ放題。空の丼と漬けのお刺身、そしてあら汁とひじきの炊いた物。空腹で食べ放題のお店に入るといやしくも何杯もお代わりをしてしまい後悔をするが、その癖は今日も治っていなかった(爆)
2階なので空いていてここはお勧め。

今日行った箇所(特に庚申供養塔)の薄れた文字を解読するのがメインを2時間ほどして解散。

せっかくなので僕らは居神神社の『勝って甲の緒を締めよ』の碑を見に行く。

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誰もが知っているこの格言が小田原発祥のものと言うのは誇らしい、小田原のうんちくがまた一つ増えました。
14000歩、今日もよく歩きました。

道祖神ワンダーワールド

神奈川に生まれ育ったからか、町の境界と言うことの意識がない。
市名のあとの字名はあっても、それは単なる行政の区分に過ぎず、たとえば久野と扇町の境がある訳ではなく、曽我と千代の境も白線ひとつない。
もう少しローカルな地方に出かけると、しばらく灯りのない道路を走ることがある。そこには「町」の入り口と出口がある。
コミニュティとしての「町」だ。古くはよそ者を排他して、自分たちの力で自治を守ってきたテリトリーだ。

そんな街の入り口には、町の守り神がいる・・・それが神奈川で言うと道祖神だ。もともと中国の道の神『道祖』を祀る信仰なのだろうけれど、町外からの災いを防ぐ信仰と相まって道祖神初日時にあるものだと思っていた。
が、先日の石造物調査会の中で、おもに関東甲信越の信仰だと聞いた。身近な道祖神が身近でない地方があることに驚いた。

そしてそんな関東甲信越の中でも、神奈川の真鶴と信州安曇野に多いという、分布のばらつきの特異性にも興味を持った。
海の町真鶴と山の街安曇野の間にどういう交流があり、この2か所に道祖神が増えたのだろうか?

興味を持つと調べたくなる。
という訳で

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なる本を購入。
著者を見れば、秦野にお住まいの方。
巻頭言に、芭蕉の序文の一説書きされている。『道祖神の招きにあいて』・・・そう芭蕉は、そう言って長い奥の細道に旅立った。
伊勢に生まれた芭蕉は幼少期は道祖神など見たこともなかったろう。江戸に出て初めて辻に建つ地蔵とは違う姿に心をひかれたのかもしれない。

木と違い朽ちるまでの時間が長い石造物。その間風雪にさらされて風化し苔生しる。その古さに、その場所に生きてきた人の生活を想像できるから芭蕉は惹かれたのかもしれないな。
まさにワンダーワールド。昔に想像の翼を広げたい。

傘寿まり子

人気アニメサザエさんのお父さんの波平さんは54歳と言う設定。昭和期を生きてきた僕らにとって還暦まじかの波平さんは一家の大黒柱で働きぬいてもう間もなく退職し、家族から心をこめて『お疲れ様でした。あとはゆっくり暮らしてください。』と言われ、盆栽をいじりながら余生を楽しむ・・・そんなイメージを抱く年齢でした。

が、自分がその齢を大きく超え、それでも働かなければならず、そして老け込む年齢でもなく(どうみても波平さんよりは若作りに見えると自負している(笑))生活していると、日本の世の中やっぱり変わってきているものだ、と実感します。
教会やサークルに行っても50代後半の僕らは「若者でしょ」的に言われ、60代70代の皆さんのハツラツぶりにシャッポを脱ぐ感が否めません。

同時に、老老介護と言う言葉が飛び交い、孤独死などと言う言葉を聞くたび、この国の高齢者の居場所はどこにあるのか? を憂いざるを得ないことも確かです。

寸評を聞いて思わず購入した漫画。

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タイトルで分かるように主人公は80歳のおばあちゃん。どこにでもいるような(核家族だとお金がかかるからあきらめて同居)の大ばーちゃん。だが、生活の些細な諍いからも自分の居場所に疑問を持ち、そして家出をしネットカフェ住まいになる。ある意味、今野宿を余儀なくする方よりも多いかもしれないネットカフェ難民となります。

80歳がそんな訳ないだろう、と否定しきれない部分がありながらも、やはり80歳でこんなアクティブな生き方が出来たら楽しいだろうな、と第1巻を読んでの感想。
漫画は時代を写す、と言われるのなら、21世紀初頭の時代背景をしっかり写した漫画。2巻以降を楽しみにしております。

道祖神祭りの久野を歩く

小田原市郷土文化館主催の石造物調査会の保坂氏やメンバーの方々と久野のどんど焼きを見に行きました。

と言ってもつい今しがたまで生活をしていた場所。新たな出会いなどないとたかを括っていましたが、いやいやそこはお宝の宝庫久野。
見どころ一杯の半日となりました。

集合場所は、久野水神公園。公園の由来は、兎河原端の岸にある通り久野川の水路を整備したことと関係するのかと思いましたが、この公園でどんど焼きをしている方のお話では、狩川より水路を作ったためと言われました。荻窪用水時代に同じような水路を久野も引いていたことに驚き。
お話によれば、狩川の某所からトンネルで久野坂下の奥(久野709あたり)にもってきて、そこからサイフォン原理でここにひいているのだとか。前述の坂下にも石碑があるとか。
確かに府川から穴部駅にかけてから久野坂下は直線でありますが、何故すぐ横を流れる久野川ではなく狩川の水を取水したのか? は興味深い謎です。

お話のほかにも焼き鳥の御接待を受け、13時に中宿公民館から山車が出るとのことで向かいます。

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そもそも旧正月に火を燃やす祭りは日本全国にあるそうです。しかし、それが道祖神と絡んでいるのは少なく…というより道祖神自身が関東甲信越と鳥取周辺の信仰で、関西や東北にはあまりないらしいです。
しかもこの時期にだしが街中を練り歩くのはもっと限られているとのこと。

道路を歩けば道祖神があるものだと思っていた僕ら小田原市民にとって、もしかしたら「私の町に道祖神なんかないよ」と言う人も多いかも! Blogを読まれている方で、ご自身の街の左義長(どんど焼き)と道祖神についてお教えいただけると助かります。(たとえば、うちの町には道祖神ないよ、とか、どんど焼きで無病息災を記念して団子食べます、とか、習字の神燃やします、等々)

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(焼いたお団子を無病息災だからとお子さんにあげながら歩いているご家族をパチリ)

小田原の道祖神は、さまざまな形があり、特異なのは国道1号線の駅東西の道祖神。祠の中は狐が祀られていてどう見てもお稲荷さんなのに道祖神であるという習合神。これは一度見てみたいものです。
多くは双体道祖神でしたが、最近は人気なのが安曇野等でよく見られるただ立っているだけではなく、手をつないだり抱き合ったり酒を酌み交わしたりした格好のものがよく見られているような気がします。

そもそもどんど焼きの語源は何か? と言う話題になりましたが、はっきりしたことは分からないとのことですが、旧暦正月は新月から始まるので、新たに始まるこの世とあの世の境の日でもあって、豆腐を食べる習慣がこの日や葬式の日にもあるそうです。(賽の目に切ることも関連)、また搗き立てをみたらし団子にする話も落語の初天神にあり、みたらしは蜜たらし(蜜とは醤油の中に砂糖を入れたもの)など、うんちくのある方がたくさん集まり新たな情報を頭にとどめておくのが難しいほど(笑)

出発を見届けた僕らは、狩野街道と足柄街道の交差点(久野911・久野調剤薬局前)の道祖神を見に行くことに。
ここの道祖神は、屋根を付けたタイプ。この日は、各家から持ってきたお飾り等で道祖神の「家」を作り、その中で子どもたちは過ごすのが習わしだったそうでその名残が残っています。

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保坂氏が「この道祖神は石の質が赤いですね」とポツリ。道祖神の石なんて気にもしていませんでしたがなるほど赤身がかかっています。どこからここに来たのだろう? いろいろな不思議がまた一つ増えました。

坂を上がったところの畑の隅の祠。

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その先の北久保集落の道祖神ら。

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左端の石仏は上半身のみ? それとも2-3頭身のもの? いわれはなんなのでしょう?
ここでもどんど焼きが行われていました。書初めの半紙を持ってきた子どもが火にくべます。次がうまくなりますように。
火の番をしていた方に北久保の石仏はこれだけ、とのことなので来た道を戻ります。

七軒村。幻庵公の家臣武将の家が七軒あったことからと言われますが、今は面影もありません。でも武家屋敷の多くは家の前に川が流れているところも多いから、この川はその名残かも(笑)
この道路はもっと細かったそうですが、中宿等の集落と諏訪野原の高台の畑をつなぐのに「ニコヨン」の労働力で作ったものだとか。その碑が経っています

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久野保育園裏には、幻庵公乳母を祀った神社(祠)。

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こういうものがあったのも初耳。

お仲間のMさんがミクニグランドのわき(久野3563-イ-1)にも道祖神があるという事で行ってみます。

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僕も初めて歩く道、この周辺に住んでいる人しか知らないような道路岸の道祖神。このグループメンバーの探究心のすごさに改めて脱帽です。
さてこの道祖神、2体とも着衣が十二単のようです。皆さんの知識と想像力が飛び交い、この道祖神が祀られた時代を読み解こうとしています。保坂氏の政治経済の情勢が不安な時代は人物を彫らずに『道祖神』と言う文字だけの道祖神もある、と言う説明からすれば、よき時代だったのかもしれません。

日が西に傾いてきました。楽しかった久野探索。お開きにいたしましょう。

我が家は2月3日、曽我岸あたりを歩いてみようと思っています。

どんど焼きと道祖神

何事もそうですが1つのテーマを掘り下げれば掘り下げるほど面白いことがたくさん見つかります。
小田原市石造物調査会の特別フィールドワークで久野のどんど焼きを見に行くことになりました。
学芸員の保坂氏は、どんど焼きに際して山車を引きお囃子があるのは珍しい事、とあわせて、久野中宿には変わった道祖神があると話されました。
久野に住み約60年、中宿の道祖神が珍しい道祖神と言う話は初めて聞きました。

人型(ひとがた)とか形代(かたしろ)と呼ばれる道祖神。

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向かって右の道祖神は、顔も着衣ものっぺりとしています。真ん中の道祖神の着衣とはあきらかに違います。

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中宿バス停の前の道祖神。こちらは1985年ころのもの。時代を反映しているのか、表情が豊かです。たとえばひな人形なども時代とともに顔が洋風・童顔になっていっているのと同じではないでしょうか?

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たとえば「千と千尋の神隠し」にも形代は出てきます
陰陽師だとかにも出てきますし、ひな人形もルーツは人形に自分の厄をつけて流すことで無病息災を願うところから始まったと言います。
道祖神の初期の時代、様々な疫病や難儀と言った厄を人型(形代)に転嫁することで自身を守る信仰があったのでしょう。

13日を楽しみにしています。ご興味のある方は郷土文化館まで

正月休み(後)

資産価値があってもなくても他人名義にするときは相続をしなければならず、母親の除籍証明を取得した。生前聞いていたエピソードでは、家は四谷の駅前で薬屋を営んでおり、ある時迷子になり「名前は?」と聞かれ「ムツコ」と言ったが「ミツコ」と聞きとられなかなか見つからなかったと言う話を聞いたことがあったので、てっきり生まれは四谷なのかと思っていたら、生誕地は小田原町でした。

そもそも築地小田原町は、小田原の人間が戦国最末期(江戸初期)に、小田原から連れて来られて住んだところに故郷の名前を付けたところに寄るので、母親は江戸小田原町から紆余曲折本家小田原に里帰りしたわけでもあります。

市場の移転やオリンピックの再開発でこの築地も大きく変わり、小田原町の名残も無くなっちゃうだろうと、一度小田原町めぐりをしたいと思っていましたので、ちょうどの機会と行ってまいりました。
上野からは地下鉄日比谷線1本で築地につきます。

そもそも築地の由来は、文字通り地を築いた訳です。日比谷線の駅から地上に上がったところの築地本願寺も、徳川家の命令で海の上を指さされ、ここに建てることを認める、と難儀なと言うより無理を押し付けられた寺院です。
今の世も弱者は強者から理不尽な仕打ちを受けるものですが、江戸時代もひどい時代でした。違う宗教ですが、その苦難の歴史を偲びます。

まずは場外市場

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いやいや、写真撮るどころでもウィンドショッピングするどころでもない大混雑。
そんな中懐かしい看板。僕が最初に就職「味幸堂」からわかれた関連会社。

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本家味幸堂はもう20年以上前に廃業。
ぐるっと一周して晴海通りに戻ります。と、

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「第1 小田原発見!」
このあたりに小田原橋ってあったのでしょうか?

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後を眺めれば「こりゃあ、川を暗渠にしたんだろうね」とタモリさん・・・いやいやタモさんでなくてもそんな感じが致します。

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隣には小田原町交番。お巡りさんがいたので、小田原橋ってどこですか?とお尋ねすると、そんなものはない、とのこと。じゃあ、小田原町は?と聞いてもそれも知らない、という事です。残念でした。

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しかし交番横の地図には小田原橋の文字書いてあるじゃん。昔はあのあたりに橋があったんですよ、程度は教えてほしかったです。
GoogleMapで見れば

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のようです。ちょうどこのビルの後ろですね。
そうとわかれば行ってみましょう。でもその前にお昼です。
築地魚河岸小田原橋棟の3階に小田保さんと言うお店があるようです。この名前は絶対に小田原町から名づけたものでしょう(と勝手に推測)

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お刺身定食1350円が安いか高いかは相場を知らないので何とも言えませんが、味はよかったです。いいネタ使っています。
さて現金なものでお腹が膨れれば元気が出ます。

ビルは道路を挟んで2棟、3階部分でつながっています。その橋がほぼ川の流れのようで、クロスする車道に橋があったのだと思われます。

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築地場内の入り口に建っている波除稲荷。初詣客の行列です。

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さて、物の本によると今でも小田原町の表札が残っているお宅が1,2軒あるとか。小田原町は、現築地6,7丁目なので虱潰しで探してみたいと思います。

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ヒントとなるとすれば、建て替えればあえて古い番地の板を貼ることないでしょうから、戦中後すぐのお宅。つまりは木造家屋です。


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・・・と、ありました\(^o^)/
感激の1枚。もう満足(結構疲れました(笑)
充実の冬休みの一日でした。

正月休み(前)

何も予定のない正月休み。連れはお茶の初釜、という事で予てから行きたかった『南方熊楠展』を上野国立科学博物館に見に行きました。

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南方熊楠氏を知ったのは2005年ごろだったと思います。熊野古道の世界遺産化の呼びかけで、苔生した石畳と杉並木の写真や石仏の写真とともに一枚の上半身裸の男性の異様な写真が僕の目に飛び込みました。この御仁こそ熊楠氏でそこから数冊氏の本を読んだ覚えがあります。(上写真。これは真冬の写真だそうで、こうした奇抜な生活態度も周囲からは敬遠された一面があったのかもしれません。ちなみの上記本は面白かった)
いずれの本も、菌糸類の大家のイメージでしたが、菌糸類にとどまらず多岐にわたっての研究をした天才という評価で、その現物が見れることに期待を込めていざ東京へ。
この寒空にチケットを買うのに外で並ぶのは嫌だなぁ~と9時過ぎに到着できる時間に家を出ます。

上野の杜は、○○展の大きな看板。ところが、件の科学博物館には数メートルの南方熊楠展の看板はなく、インフォメーションでお尋ねすれば、「通常の入場券で見れますよ」とのこと。常設展の一部の階を特別展として熊楠展としているだけでした。

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熊楠展入口には戌年ということで犬たちが勢ぞろい。何がどう違うかは明確には言えないけれど、やっぱりオオカミは雄々しいなぁ。死して(剥製)でもオーラがある。

紀伊に生まれた熊楠氏は、その田舎の狭さに辟易し東京に行きますが挫折、田舎へ戻ります。が、商売のためと家族を説得し、そのままアメリカへ。
元来のずば抜けた記憶力と会いまった収集分類は膨大なものとなり、そこからどんどん「氏の中の宇宙」が広がっていきます。
そこには、土宜法龍師らの仏教の宇宙学があったり、柳田國男氏らとの交流の民俗学、孫文氏らとの間で築いた社会学なども大いに関与したのでしょう。

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南方熊楠氏の研究家たちのビデオメッセージが流れていましたが、「何をこの展示会で(お客さんに)見てほしいですか?」に「収集したものの絵が下手である点」であったり、「どういう人物でしたか?」に「膨大な収集をしたのを見せびらかして「どうだ」と自慢していた」などという側面とあわせ、またなぜ収集をするのか?と言う問いにご本人も「癇癪を起こさないため」と語ったという、学者が一つ道を究めようとするのではなく、よく氏を評していう森羅万象全てを知りたかった人なんだという感を受けました、

そして氏の特記として筆まめであったこと。分析力の素晴らしかったことがあげられました。時代が追いつかなかった天才と言われる人の多くは後世いま生きていれば、と言われますが、Blogではないですが、知り得たこと感じたことなどを一日何通も、いろいろな人に手紙を書く=忘備であり、返事のヒントを待つ。

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そして多次元でのワードによるピックアップ検索=いまでいうgoogleやyahoo!のような検索エンジンの確立。コンピュータ代わりの天才的頭脳あればこそだからできる業ですし、それが楽しくて(データを)収拾をしたのかもしれません。
学者を目指すのでもなく、興味が多岐にわたりデータ収集が好きと言うのは、まさに自分と同じベクトル。その大きさは違えども師匠のような方です(笑)

和歌山市駅そばにある世界一統と言う造り酒屋は熊楠氏の父親が創立したもので、いまでもご親戚(弟さんの系統者)が継がれているとか…。これは、一度和歌山で気合の酒を飲んで熊野古道を歩かなければ…(笑)

さて、せっかく650円払ったのだから…ってこの南方熊楠展だけでもデパート催事場の催し物なら1000円はとられるぞ(笑)
他の階も見ましたが、ことのほか多岐にわたって面白かったです。

日本人の歴史を見ていたら、世界で一番古い「落とし穴」は富士箱根愛鷹のススキ草原である、に驚いたり

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日本のでき方、マントルに乗って火山島が日本島にぶつかり神静地域が形成されているのをみていると、地震速報のアラームが館内の携帯電話保持者一斉に鳴り出し、その音の方がはるかに驚くべきことで(笑)

アンモナイト化石の標本を見ては、昔夢枕獏氏の書いた本「上弦の月を喰べる獅子」を思い出したりしました。この本を読んで夢枕氏のファンになったものですが、オウムガイは月齢を「きちんと」殻に刻ますにいたものの、アンモナイトは月齢を「きちんと」殻に刻んだために月と地球の位置が変化することに耐えられなくなった。なんとかがんばろうと自分の形を様々な形に変化させたけれど、月齢を「きちんと」したことから打開できずに滅んでしまった、と言う話は、氏の持論であるだけかもしれませんが、科学理論的で哲学的であります。

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ルールを守るためにルールからはみ出すものを締め付けるために新たなルールを作る・・・。いつしかアンモナイトを追いかけているような気がします。

午後は築地を撮影しようと計画を立てたので、最後は急ぎ足で回りましたが、1日居ても飽きないです。そしてうれしいことにフラッシュ光が無ければ撮影可です。

美しい建物とともにもう一度常設展だけでもみたいですね。

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石造物下調べ(1)

小田原市の郷土資料館主催の市民グループ、石造物調査会に入れてもらっています。
細かい調査まですると、何十年もかかるけれど、細かいところは学芸員の方ではないと何とも言えないところもあります。
という事で、手が空いている時に、どこにどういう石造物があるかだけでも事前にチェックして、いざ学芸員の方と一緒に歩く時のガイドとなればと思い、さっそく今日から開始しました。

旧地元の久野と新地元の曽我のチェックをしたいところですが、今日は車がないので歩いて行ける下曽我から!

下曽我駅前のロータリーをスタート。
長谷川豊吉氏の胸像。

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裏面には人となりとこの碑を作った関係者の名前が刻まれていました。

横浜銀行先の木村肉店さん前の路地を入ったところに道祖神。

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裏面は無彫刻。

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こちらは殿沢踏切の所の石仏

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森戸川にかかる光明橋右岸にある水神。

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住宅地の真ん中にポツリとある塚。個人のお墓ではないようですので囲いの中に入らせてもらいます。
山武士塚と書いてあるのだろうか? どういう塚なのかはわかりません。

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DESTINY 鎌倉ものがたり エピソード集

映画が思った以上におもしろくて家に帰っても余韻に浸り思わずアマゾンでポチッと。

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19もの原作物語が詰まっていたんですね。実はすっかり忘れている話や読んだ覚えもない話もあって、映画のあのシーンだな、と回顧しながら読みました。

この本を購入される方は、まず映画を見てから本を読みましょう。2度おいしいです。

DESTINY 鎌倉ものがたり

何度も書いているけれど、西岸良平氏の鎌倉ものがたりは、昭和時代の初期くらいまで日本文化が持ち合わせた「未知への恐れ」と言う魑魅魍魎・妖魔をおどろおどろしくもほのぼのと書いた秀作で僕のお気に入りの漫画。
そんなお気に入りの漫画の実写版が先週より封切され、さっそく見に行ってきました。

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漫画の実写版は得てして僕の中ではこう評価が少なく、せいぜい同じ原作者の「三丁目の夕日」くらいかな、と思っております。
ですから今日も期待と不安半分半分での鑑賞。

結果は高評価。十分楽しめました。
原作とは全く違う、別原作者の話のようなストーリー。べたな愛情話でしたが、一つ一つがうまく絡んでいて、見終えた後は水戸黄門や大岡越前をみたように、勧善懲悪の大好きな古き日本人の魂を高揚させるような流れでした。

その中にいくつもの原作話がちりばめられ、かと思いつつも、画面は、「いやいやこれはジブリ作品(千と千尋の神隠し)じゃなく西岸作品(鎌倉ものがたり)だぞ」、と突っ込みたくなるようなものでした。

みんな純粋に愛(フィリアとかアガペー的な)の中に生きていて、ああ愛っていいなと単純に、ただ単純に楽しめるものでした。
堺さんはもとより高畑充希さん、好演技でした。幸せな若妻が訳あって先立つ苦悩の表現素晴らしかった。
でも、近所の故瀬戸優子が死と現存のパワーを説明したり、黄泉で見える風景はその人その人次第だなどの会話がありますが、所詮理屈が通る話じゃないので理論の説明をすればするほど、紗をかけてぼやかして話さないとなんか鼻につきます(笑)

あと、「静」はカウンターの後ろにあんなに大きな座席あったんですね(爆)

もう一つ、ネタバレになりますので文字色変えて記載。
何度も生まれ変わって昭和でも結ばれた二人。話の中では平安期からと言っていますので、僕のみた漫画は2度目の生まれ変わりなのかも…(^_^)/
ちなみに映画の中では一色先生のお宅は由比ガ浜たい公園のそばとなっていました(もちろん架空)*1

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