相馬・南相馬フィールドワーク(4)

身も心も満足し宿を後にした僕ら。直接小高に行くにはちと早い、という事で、以前国立のぞみ教会の牧師がBlogで紹介なされていた町中(町はずれ)の処分場の記事を見て、その近さを実感したいところです。
僕の場所設定がどうもこの処分場ではなく、文中に記されている教団原町教会だったらしく、少し迷いましたが、大手スーパーの裏に広がる仮設住宅とともに処分場も見てきました。

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外に漏れだす放射線量は大したことがないようでしたが、仮設住宅からわずか100m。避難なされている人の心のケアーというものも大事にするのなら、クソ味噌の如く、人もごみも同じ場所に持ってくることに僕は違和感を感じました。

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さて迷った分だけ遅れました。急ぎましょう。
で、県道120号線を順調に南下したものの、肝心の浮き船の里の事務所が見つかりません。まずいことに代表の久米さんの携帯の番号も聞いていません(汗)
1km先のGSまで行ったり来たりを繰り返し、ようやく発見!!
お邪魔します。

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久米さんから、震災時のお話を聞き、永木さんが中心で活動なさっている蚕の育成の様子を見せてもらって、いよいよ5kmの近くまで行きます。
もちろんここへは許可車両のみという事で、久米さんの車に4人ずつ乗せてもらって、残りの4人は永木さんの車で小高の町中等のフィールドワークへ。


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(3枚の地図はクリックで大きくなります)

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検問で通行許可書を見せ入ります。久米さんは僕らのようなグループが来るたびに、こうして規制区域内を案内してくれているのでもうお慣れになっているかもしれませんが、僕らにとっては「検問」というだけでもうドキドキです。
6号線は、道路両側もきれいに整備されているので、何かここが特別な場所には思えません。交通量は確かに少ないですが、普通の郊外の産業道路のそれです。
地図で行き止まってUターンしている場所は、高瀬地区。ここから先は帰還困難区域。僕らのようなフィールドワークを目的しているものは入れません。
続いて浪江駅前に。もうマスコミなどで有名になった駅前の新聞屋さん、下柳町の瓦の重みで倒壊したお屋敷などの現物、現実が目の前にあります。ブラウン管の向こうというバーチャルが現実のように押し寄せられても、それを受け入れられないと夢幻を見ているようで、車のスピードと相まってすぐに遠くの世界に流され消えていきます。あれは本当に自分の目で見ていたのか、夢を見ていたのか、信じていいのか幻想なのか、信じられない心との葛藤をしながら、県道254号線へ。

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道は穴田あたりで大きく右折し、左手に太平洋、そして目の前には福島第一原子力発電所の3本の煙突がはっきり見えます。
かすかに香る海風、生い茂った草々、晴天の空。いやぁ、最高のドライブだね、と言いたくなるような海岸通を走行している気になれども、いやいやこの場所はそこまで海岸ではなく両側に家や田畑があった場所なのです。
ここもこの先で進入禁止のバリケード。Uターンをします。

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請戸地区に戻ればここはタイムスリップをしたエリア。3・11、そのあとの3・12、この日の夜からここには入れなくなったのです。
大事なものも、先祖の墓も、連れ添って生きてきた家畜やペットも、みんなみんなここにおいて来なければなりませんでした。
1家族防護服に身を包んで、たぶんご遺骨を探されていたのだと思いいます。そうした姿もお見受けいたしました。

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一度浮き船の里に戻り、交代します。今度は、永木さんの車で街中を案内してもらいます。まずは下の地図の上の地図(ややこしい)のように、高台の吉澤牧場をめざします。

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とうとう1μSv/hを超えてしまったところに来た。しかも一気に3μSv/h。そこにいる牛たち。
この盾看を作った人の気持ちがよくわかる。
僕らはもし仲間ががんや白血病になりそうなら、病気にならないように手厚く看病するでしょう。命を「経済」でしか考えずに、「処分」をしようという魂胆はどこから湧いてくるのでしょう?
命をそうしか見れない国は悲しいよね。

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人の姿がない町はやっぱり悲しいです。
でもよく言われるのは、大凶は後は上るだけ。踏ん張ればこれからいいことが必ずあるという事。

フィールドワークの最中、久米さんの携帯が鳴りました。宅配業者さんから…。
「冷蔵で蚕の卵を持ってきましたが、建物に鍵がかかっている」とのこと。いやいや申し訳ないです、僕らが連れ出しちゃったからですね、ごめんなさい。
でも、その連絡のあと久米さんが「この卵も小田原からなんですよ。明治乳業の小田原研究所からなんです」という言葉に思わず驚嘆。僕の属している教会にこの研究所にお勤めのご夫妻がいるから…。
神は奇しき御業をなさいます。150年前の二宮尊徳翁から始まった小田原市と南相馬市の交流は、今もなお一つの企業を通じて、また個人同士を通じてお交わりの結び付けをしてくれます。

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機織りによって商品化された時、販売ルートの一つとして小田原の街がエントリーされればいいですね。

相馬・南相馬フィールドワーク(3)

韓国に旅行に行った時、板門店に行く途中の京義線の線路に「線路は北に行きたがっている」と書いてあった(そうだ(僕はハングルは読めない))。
南北の分裂からの復活は、多くの国民の望みだと思う。
が、それを髣髴させる常磐自動車道は、相馬ー南相馬の1区間のみの営業。常磐富岡との間の工事は、福島第1原子力発電所の事故によりいつ再開できるかは全くめどが立たないのだろう。
福島は、行政区も天気予報もほとんどが「会津」と「中通り」と「浜通り」という分け方をして、縦に西・中・東と3つに分かれている。その中の浜通りは、ど真ん中の福島第1原子力発電所の影響で、南北に移動が叶わず、一度峠を越えて中通りに行って南北に向かい、そしてまた峠を越えて浜通りに戻る。行政区としても大きな痛手をこうむる話だろう。
京義線ではないがこの高速道路だって早くいわきとつながりたいだろう。
そんな1区間の高速を通り、僕らはほぼ予定時刻通りに南相馬市に到着し、平田議員のお出迎えを頂いた。

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およそ2時間の町中案内は、県道120号を南下し、まずは南相馬の馬場。相馬と違いこちらは野馬追い、その会場を見てから町中を抜け、小高方面に向かいます。

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福島第1原発からおおよそ20kmのエリア。
何が問題なのか、何が影響するのかわからないがゆえに、単純にkmだけで区切った20kmという境界線。

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ここの放射線量はこんなもの。いや、ここだけではない、南相馬の多くは意外に低いんですよ、とは平田議員の言葉。

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そして少し遠目には木々に囲まれた墓。墓だけではなく神社もなんでだかわからないけれど助かったところも多いんだとか。
海岸沿いはここもまだ土地利用の方法が定まらない。故に処分場が並んでいます。

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右田浜の一本松、そして火力発電所に隣接して広がるきれいな砂浜。
震災前が美しいところだったろうというのが容易に推測できます。

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鹿島球場は多くの方が避難しに来てそのまま津波にのみこまれた場所。高台、(当時は防風林のある)海の見えない場所、という事で皆必死に逃げてきただろうに…。
助かった人はバックネットをよじ登った人2人だけだったとか。寒い冬の夜、足元は深淵の濁流。かじかむ手で、きっと何度も人生をあきらめそうになったのだろうと思うと、亡くなった人にも負け次劣らず深い思いを感じてしまいます。

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西川原町の災害公営住宅を見学。仮設住宅ではなく、れっきとした『我が家』の落ち着きがあります。小さいながらどのお宅にも駐車場以外の庭があり、多くの方はそこを家庭菜園にしていました。
なす・いんげん・きゅうりの世話をしているおばちゃんと雑談。
件のおばちゃんのお宅は(2階建ての写真とは別の)平屋。和室1部屋フローリング2部屋で不便はないと言います。それに仮説に比べても作りもしっかりしているし、何よりも屋根だけではなく天井があるので、室内の温度の緩衝材となっているので寒さが少なくてありがたいと言います。

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周辺の放射線量は

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奥の箇所を案内して頂き、今日の宿泊場所「いちばん星」に向かいます。古民家であるお宅を改築して、農家民宿として農業体験をしたり、野菜ソムリエの母娘の作ってくれた料理に舌鼓を打ったりできる場所、とのことでしたが、この料理僕の想像を超えていました。

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炭水化物(特にごはん)大好きの僕が、もう野菜だけで大満足。うまい、そして味付けがいい。

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夕食は、

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そして、平田議員のお手製の

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そして

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朝食は

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こちらは朝からごはんのおかわりも(笑) お米もうまいぞ!!
ここはお勧めの宿です。

ちなみに鹿島区にあるこちらの宿の放射線量は

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初お目見えのもう一台の測定器。ちなみに0.01から0.02程度の測定の誤差はありましたが、どちらが正しいかは不明。

相馬・南相馬フィールドワーク(2)

5日11時に福島駅西口トヨタレンタカー新幹線口店前に三々五々仲間が集まり、小田原から車で来た佐々木号とこの店舗で借りたプリウスに分乗して一路相馬に向かいます。
ルートは国道4号から国道115号

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https://www.google.co.jp/maps/@37.771796,140.597032,3a,75y,79.41h,61.44t/data=!3m4!1e1!3m2!1sxDa04IWiSUgxHIvPMeJzYg!2e0?hl=ja

話はどうしてもここまで責任を取らない政府と東電への怒り、そして現状の推察になります。
総論では、「数値はデータの一つ」と記しましたが、それはその通りですが目に見えない放射線、そして何の手がかりもない中では、放射線測定器の数字は大きな判断基準になります。
正確を記すために、今回は2台の別会社の測定器を持ってきたので、車各1台に1機積み込んでいます。
過日、お話を伺った飯舘に行く国道349号線との交差点に建つ大型店舗に車を止めらせて頂き、駐車所のコンクリ上の数値を測れば

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しかし、すぐ横を流れる河川の土手の草むらは

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除染という行為の内容もよく知らない僕ら、そして放射線の飛び方もよくわからない中、マスコミや福島の方々のBlog等で読んではいたものの、低濃度と高濃度がわずか数十cmの所に存在することをこの目で見た、その現実にまず驚き。
続いても、相馬に行くまでにあと1,2カ所測定をしたいと思っていたものの山上楢這地区あたりから雨が降り始め、時間も押していることもあって調査を断念。

西山の交差点を曲がったあたりであい方の車から無事「報徳庵」に到着したとの連絡。慌てて向かいます。
今回ガイドをして頂くおんちゃまこと高橋さんに挨拶も早々、原釜地区を案内してもらいます。原釜尾浜の海水浴場付近に建つ慰霊碑の前で、3・11の津波の話を聞きます。高台のホテル近くまで津波が押し寄せ、そこに退避したが避難物資を取りに行くにも余震と破壊された町の残骸、そして溜まった水に悩まされた話。
マスコミが報じたきれいごとばかりではなかった震災後の話。
今後この海沿いの何もない場所をどう活用するかは、喧々諤々の意見は出るものの収拾がつかないことなどをお聞きしました。

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湾をぐるっと迂回すれば、漁具倉庫は素晴らしいなまこ壁の建物街。家の復旧前に漁具の保管場所だけが整備された形です。
そこから湾の反対側にあるおんちゃまの工場に向かいます。

事業主への復興対策の援助金は「いままでの」仕事をすることが前提だそうで、海水汚染が問題視、また風評被害を受けている漁業従事者が、海産物加工品に「転職」する場合は対象にならないなど相変わらず<行政>は頭の固い、復興よりも保護を受けて頂いてあとくされがない方がいいと思っているみたいです。
街が復興しない理由の一つに、新しい街への柔軟さがあげられるでしょう。何度も記していますが、町づくりの専門家の方の『街づくりの疎外は「前例主義」「予算主義」「法律主義」だ』という言葉が思い返されます。

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なお、高橋さんのおんちゃまセットはこちらから通販でお買い求めいただけます。
この後、報徳庵でおんちゃまの加工品が中心の食事を頂きます。それと合わせて言いたいのは、前述の(1)でも記しましたが、おんちゃまとの関係は、もう既に被災者と支援者ではなく、おいしい海産品加工屋さんを知ったのでそれをご紹介するだけです。
ただ、工場を3・11で無くし、海を3・12で無くしゼロからスタートした雑草魂が海産品加工のノウハウを手にした時の昇華のすごさは、他地方ではなしえないものかもしれません。

さて、工場を見せてもらった後、はらがま倶楽部報徳庵に戻ります。
「支援食」と銘打った1000円の定食。これを食べなかったら、上記のようにおんちゃまセットをこのBlogでPRしなかったかもしれない。

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まがりなりにも大学で食品栄養学を学び、食品加工会社の研究室にいた人間の言葉です。おんちゃまの食品の理論も理にかなっています。どうぞ騙されたと思って購入してみてください。僕もすでにポチッとしておりますよ(笑)

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15時に南相馬市役所で平田議員と会う予定にしています。あわただしくもこれにてお暇します。

相馬・南相馬フィールドワーク(1)

連れががんになった時、まさに青天の霹靂、本人よりも僕の方がうろたえて、TVのお涙ちょうだいドラマのように「死」という言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡りました。「絶望」に近い強い「不安」…
しかしつき並みの言葉ですが、時間が冷静さを呼び戻してきました。
「時が解決するよ」と言いますがそれは嘘です。でも「時」は解決するための冷静さを連れてきてくれます。深呼吸する余裕ができます。
本人の闘う気持ちに鼓舞されるように僕自身もしっかりしなきゃ、と情報収集に動き始めたものです。
抗がん剤は、まさに「毒を以て毒を制す」治療法です。毒を以て、ですからできれば避けたいけれど即効薬的な因子もある。同時にまだ年齢的にも体力的にも毒に耐えうる力があるとの判断で、術後の抗がん剤や放射線治療をいたしました。
なった時の不安はMaxです。前述のように「絶望」という二文字がちらつきますが、情報収集や実体験(経過観察)の中から、現状を知ることで「絶望」が薄れ「希望」が見えてきます。そして、方針が決まると、それまでのもやもやとした霧が晴れたように「やるっきゃない」と気構えができます。

あしがらの有志で7月5-6日と、相馬・南合馬のフィールドワークに行ってまいりました。
そこで、何人かの方のお話を伺いながら、漠然と上記の過去の体験を思い出しオーヴァーラップしていました。

放射線汚染という未知の恐怖と戦った1,2年は、我が家の体験した「絶望」の期間と同じ感じだったような気がします。
放射線量測定器を持ち、手あたりしだい測定し数値に過敏なほどの反応をする。それはがん患者の多くが通る「私はこのサプリでがんを克服した」という眉唾情報も織り込んだ高額キノコなどを買いに走る風景と同じのような気がします。
「はしか」のようなその時期を過ぎたころ、よくよく見れば高額キノコの効能を100とすればエリンギが97程度あることに気づき、普通のキノコを食べてもあまり変わらないので我が家も一時買った高額キノコはすぐにやめました。
また、久野で産廃の処分場問題が起きた時、その産廃以外の地域も知ろうと、河川のBOD・CODを測定しましたが、公表することであまりにも周囲の仲間が数値に一喜一憂するのでやめたこともあります。
デジタルの数字は、ある意味魔物です。数字に取りつかれると、それが唯一正しいものに見えてしまい、下げる努力に全神経を注いでしまいます。
長い人生の間に気づきあげてきた「経験」の方がよっぽど確かなのに、それを無視してしまうのはやはり違うような気がします。「長年の勘だよ、カン」。大工の棟梁など体に叩き込んだ人は言います。自分を信じることは大事ですよね。
それは、でも機械を無視する話ではありません。数値は一つのデータ、謹んでデータの一つとして考えれば、重視しすぎなければいい話だと思います。
しかしそれが難しい。数字の魔力に魅入られると、100と97の差異が驚くべきほどの大差に見える。そんな「はしか」の時期を脱すれば、どこまでの効能、どこまでの放射線量なら大丈夫なのか、の勘がさえてきます。
「本当に大丈夫なの?」という問いかけに、「分からないけれど、なんだか大丈夫な自信があるんだ」と答えを返せます。

しかし同時にそこまでの道のりは、人生をかける選択などなかなかない中、大きな選択の不安はノイローゼなど心に大きな負担をかけます。がんの患者さんの鬱(うつ)率が高いのは、そうした不安に一時でも立ち向かった心の重労働があったのも大きな要因ではないでしょうか?
連れはおかげさまで寛解し元気に生活をしています。それと同じ香りを、はらがま倶楽部のおんちゃまこと高橋さん、そして南相馬浮船の里の久米さんにも感じました。
この3年間はとても大きな心労の中過ごされたでしょうけれど、どっこい、まだまだ自分の人生夢がある、希望がある、明日がある、という力強さを頂いて帰ってまいりました。

はらがま倶楽部は、「産地(あえて被災地とは呼びません)」と「消費地」をつなぐ産直という繋がりです。ただ、ほかの産直と違うのは、3・11,3・12という大きな二つの災害にぶつかり、すべてを失った人たちが、全国の支援に酔って立ち上がった、復活したというドラマがあることでしょう。

二宮尊徳翁によるつながり、を頭に入れてプランニングしたフィールドワークツアーでしたが、行った先には、誰を介してのつながりではなく、僕と誰かという顔の見える繋がりができたことがうれしかったです。

さて、そんな総論の後、見て廻った場所のご紹介をいたしましょう。

我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり

2週間後に迫ったフィールドワーク。
基本的なスタンスとして、どんなに確かであっても両者の言い分は聞くべきなのは、直前の野次事件でもそうだと思う。
だからこそこそ逃げ隠れてはいけない。自分の主張をきちんとするか、潔く謝罪をすべき。

でも、直接当事者であればそれができても、時間的、距離的な隔たりがある時は、なるべく多岐にわたった情報を収集すべきなのだろう。盲人象を撫ぜる、という格言は自省的に大事にしている言葉。
第2次世界大戦の問題も、今注視されている集団的自衛権の問題も、自分のスタンスと一致する本だけではなく、反論する側の本も目にしたいと思ってやまない。

そういう観点で2冊の本を購入。
福島第1原発内の作業員だった人の描いた漫画。

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基本的に外部の不安を抱いている人に対して、そこまでひどくはないぜ、というスタンスがベースにあるので、中立を保とうと思っていても「安全」をPRする描きかたに見えてしまう。
あながち間違いではないけれど、今健康被害は出なくても「安全」って言ってはいけない側面を忘れてはいけないと思っていることも大切なこと。
誰かが何かの文章で言っていた、『放射能の健康問題は「お湯」と同じ』。つまり40度前後の風呂は体の疲れをいやすけれど、60度のお湯はやけどを負う。ゼロがいいに決まっていても、もうフクイチは事故を起こしてしまったので、ならどこまでなら大丈夫か見極める方が大事だ、というのはあながち間違いではないと思う。同時に、感情的だけで語っても行けない。フクイチの事故より前から、日本国内でダイオキシンの発がん性問題などあまり語られなくなった。が、ダイオキシンは今でも発生しているし、じわじわ体を蝕んでいることには変わりはない。それを口にしなくなったのは、僕の目には、真の健康被害問題ではなく、トレンディでなくなった健康被害問題のように見えてならない。
ある食品でダイエットができるとTVで報じられた次の日は品切れになっても半年もすればそんなことあったのかと言わんばかりの棚のような感じがしてならない。
同時に彼らのような多くの人が働いてくれているので、僕らは今日も穏やかに生活ができているという感謝も忘れてはいけないと思う。

もう一冊はこれ。

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被災者の女の子が、お金の面で逼迫して風俗の世界に行かざるを得なかったのをルポルタージュした、という本だったが、3・11もファクターの一つね、という感じのお話だった。ちょっとタイトルに興味を持って買ったが買いかぶり過ぎの感が否めない。
家族の離散や故郷の復興、そうした大きなストレスと、明日の自分の関連性があまり見えてこなかった・・・。推測の域を超えないがAV女優さんは、3・11にぶつからなくても、同じような話をするのではないか、という気がしてならない。

おいしんぼばかりがクローズアップされたけれど、100人の人がいればそこに100の人生があって、それを十羽一絡げのようにまとめて語ろうとすれば無理が立つ。
フクイチの作業員の人にはその人の人生と、この問題の解釈があり、被災地出身のAV女優さんには彼女なりの人生観と被害に立ち向かった日々があったのだろう。
でも、同じフクイチの作業員で違う意見の人もいるし、被災地出身の困窮者がみなAV女優になったわけでもない。この2冊に出てくる何人かは、素直に3・11と自分の関係性を語られたのだろうと思う。それは疑う隙間はない。
そしてそれは被災者約1000万人の中の数名であることも確かだ。しかしこうも考えられないか、彼らのお話に耳を傾けることは彼ら以外の人の意見に耳を傾けているのと同じだと思う。一人の意見を尊重して傾聴する中で、違う意見も尊重できる。



そして文章を読むといった視覚だけの情報以外の残りの4感。これはしっかりと研ぎ澄ませて当日フルに働かせたい。

SMAPの中居正広さん おどろく!!

SMAPの中居正広さん(41)がテレビ番組に出演した際、日韓関係について「謝るべきところは謝ればいい」などと持論を展開した。
 過去の歴史や複雑な経緯を考慮せず、「理想論」ばかりの発言に共演者は困惑気味。ネットでも「40過ぎの発言とは思えない」といった批判が寄せられている。

 中居さんがゲスト出演したのは2014年6月15日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」だ。ダウンタウン・松本人志さんや東野幸治さんが時事問題や芸能ニュースを取り上げる番組で、この日はトークの題材のひとつとして日韓関係を扱った。
 読売新聞社と韓国日報社が5月23~25日に実施した共同世論調査の結果をVTRで紹介した。日韓関係は「悪い」と答えた人が日本で87%、韓国86%となり、相手国を信頼「できない」と答えたのは日本で73%、韓国で83%だった。韓国の朴槿恵大統領が国際社会に向けて日本批判を繰り返していることや、安倍総理が靖国神社を参拝したことが、双方の信頼度合いを低下させているようだ、と解説した。
 これを受けて中居さんは「民間レベルはまったくないじゃないですか。上でやってるだけですよね」と韓国人と日本人の個人間での関係悪化はなく、国家レベルだけの問題であると主張した。「韓国のアーティストとか俳優さんとか来ても、全然何とも思わないですし、ウェルカムですし」と歓迎する姿勢を示した。

 一方、松本さんは日本のテレビに韓国人アーティストが出なくなったことを指摘した。
  「『HEY!HEY!HEY!』をやってたときも韓国ブームがすごくて、アーティストはほとんど韓国で、日本の芸能人も韓国のミュージシャンが好きだと言ってすごかった。それが(今では)こんなことになるかってぐらい」
 司会の東野さんも「流行りじゃなくなったのか、自主規制してるのかわかりませんけど、最近はあまり歌番組に出てこないですよね」と同意すると、中居さんは驚いた表情で「ほんとだ」「あれそれって政治の、そういうこと?」と、初めて気づいたような素振りを見せた。

竹島の不法占拠問題など歴史的経緯があるという話に関連して、松本さんは日韓関係の原因をマンションの隣人同士に例えながら、「201号室と202号室と住んでたらそりゃ色々あるやんか。壁も薄いし」と語った。それに対する中居さんの発言は、「謝るところは謝ればいいんじゃないですか?」「(マンションの)隣同士で喧嘩になって騒音がうるさかったね、そこは謝ると」という安易なものだった。
 東野さんは「そこが一番難しいところなんですよ。お互いの言い分があるから」と困惑気味に語り、松本さんも苦笑していた。中居さんは続けて「謝ったら負けとかそういうレベルなんすか」と不思議そうに質問していた。
 その後も、「お話すればいいのにね。韓国も日本と仲良くしたほうがいいと思いますよ。韓国に限らず世界どこの国もみんな仲良くしたほうがいいんですもん。譲り合って歩み寄ってって、助け合ってって」
と理想論に終始した。

 ネットでは中居さんに対して、
  「頼むからそんな浅い知識で政治を語るなよ」
  「みんな話し合って仲良くとかこれが40過ぎた男の発言かよ」
  「日韓の条約で既に謝罪して金も渡してるんですがね」
といった批判の書き込みがされている。
  J-CASTニュース 6月17日(火)18時32分配信

中居さん発言に批判する人たちは、「ではどうするのか?」という外交問題の解決策は提示せずに批判だけのような気がします。
大事な問題は、隣国同士争ってもしょうがないし、どうにか解決にむけて行こうという努力をするかだと思います。中居さんの発言は、僕は的を得ていると思う。
坂本竜馬が京の町を仲間と歩いているときに向こうから敵対するグループが歩いてきた。竜馬は仲間に向かって『こういう時どうするか教えちゃる』と言ったとか。仲間は、北辰一刀流免許皆伝の腕が見られると思ってワクワクしていると、一触即発の時ふっとしゃがんで草履を結び直すふりをしたのだとか。
気がそれてしまい、先方も刀を抜くタイミングを外しそのまま通り抜けたという、話を聞き及んでいますが、なにも威圧的に対峙することだけが外交ではない。争って日本や近隣アジアを有利にすることはないわけで、竜馬に学んで平和的な解決に向けることを中居さんは言いたいのでしょうね。

でも、今回このニュースで、僕が注視したのは太字の部分。
そう、政治は身近なところで起きているんです。何も難しくはないし、気が付かなければ誰かにとって有利に働いたり、あなたにとって不利になることもある。
中居さんも今までぼっと自分の周辺で起こっている政治に気が付かなかったのかもしれないけれど、ここで気がついた。身近なところで政治が動いていることと、黙っていれば想いと違ってしまうので自分の意見だけはきちんと伝えることが大事なことを・・・。

小高の話題を見つけた

◇議案を11日開会の定例市議会に提出へ

 東京電力福島第1原発事故で一部地域が避難区域に指定されている福島県南相馬市が、原発20キロ圏内(旧警戒区域)で初めてとなる災害公営住宅(復興住宅)の建設計画を進めている。該当する同市小高区東町の民有地を取得する議案を11日開会の定例市議会に提出する。
 市によると、用地は約5585平方メートルで、取得費用は約7430万円を予定。戸建て住宅20戸を整備し、市が2016年4月を目標としている避難指示解除までに引き渡す方針だ。市は同圏内にさらに20戸の復興住宅を整備する予定。
 20キロ圏内ではほかに、同県楢葉町も復興住宅の建設を計画しており、現在用地の選定を進めている。【高橋隆輔】
毎日新聞 6月10日(火)21時7分配信

お住まいの方はリスクがあることは承知の上で、それでも自分の故郷で生活をしたいという念を持っているのだと思います。
小高地区は7月6日にお伺いし、地元の方とお会いするので…というより昨日開催された西尾さんの講演会にも来ていただけたので再会を楽しみにしていますが、具体的に動き始めた復興についても少し詳しくお話が聞けそうで楽しみです。

家があることが復興ではなく、そこに生きがいがあってこそ復興だと思います。
小高で生きたいと願っている人たちの復興、そこにはやはり経済的なつながりが必要です。
観光や食事と物品の売買、僕らも何かにつけて強力ができればと思います。

梅雨シーズンの到来

日本は公開を否定している長期天気予報。
海外からの情報によれば…

20140605-11

来月初めは相馬もやっぱり梅雨の中。
フィールドワークには傘ではなくやっぱりレインウェアー、問題はレインウェアーは暑くて蒸れること…。
カメラを持っての行動だからあんまり雨が強くなければいいなぁ~

安価旅行の鉄板

7月5-6日のあしがらピースイベントの相馬・南相馬のフィールドワーク。

集合・解散は、福島駅。これは、この前後にせっかくだから近隣を見たい人もいるだろうという推測、そして新幹線は何て言っても高いから参加難しいなぁ~という方は自家用車分乗などでも行けるようにという配慮。
でも、僕は皆さんが来る前にレンタカーを借りておかなければならない。ぎりぎり到着になろう自家用車組は難しいし、かといって確かに新幹線は高い(笑)
という事で、いつもの貧乏旅行、高速バスの旅と相成りました。

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をぃをぃ、11時に集合なのに6時についてどうするんだ? という突っ込みも聞こえそうですが、無い知恵を絞って考えた末、飯坂温泉まで行こうかと思っております。
2011年9月、RFL福島は放射線量の問題で屋外での開催を断念し、桑折町第2体育館内での開催となりました。
がんソウルメイトのみんなが心待ちにしていたRFLが、原発の影響でこうなったのは釈然としないものの、それでも負けずに顔晴ろうよ、と声を上げてくれたまきどんさんらの尽力に応えないわけにはいかないじゃないですか(^^)/
という訳で、行ってきました。ハチャメチャはじけました。
その時泊まった飯坂温泉のお風呂、信じられないほど熱く、片手にホースを持ち自分の周囲だけを冷やしながらの入浴になりました(笑)

そんな飯坂温泉は、多くの共同浴場があり、朝の6時から風呂に入れるそうです。
しかしそこで気にかかることが1つ。共同浴場と言えば町の人のお風呂、宿で入れなかったほど熱い風呂に入ることが可能か?という事。
しかしよくよく調べると、波来湯は42℃と書かれています。これなら入れそうだ\(^o^)/

で、帰り便。

20140605-01

このバスチケットの予約サイトは1カ月と1日前から予約が可能という事で早速しようとするとNGとのこと。既に営業時間(5時から)になっていますが、だめ。頭の中に欠便の二文字がよぎります。
がどうも予約開始は10時からのようです。

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ぶじGet!!
往路1016円+5000円、復路3720円+822円の10558円で行ってきます!

相馬の報告会・西尾さん初ライブ!

「政治」という言葉は、日ごろから誤解を受けている言葉で、そこには「政治家」を選ぶことでも、誰かにまかしておけばいいものではないでしょう。
ある事象が起こり、それが自分の生活に関われば、そこことをほかの方と話す、「何か」よくしたいね、と意見を交換する作業、それが「政治」であるでしょう。

3・11の出来事は、抱えきれなほど大きな話で、鈍感な僕の感情も時折トラウマのように、震災後すぐに現地に行った4月22日の事を思い出すことがあります。アメリカからの献金をもって、小田原クリスチャンセンター(奇しくも今日の報告会をした建物)の前任ディレクターと現ディレクターと3人で、車一杯に詰め込んだ合計100万の支援物資と献金を持って、そして帰りのガソリンも積んで相馬から仙台に向かいました。

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歩いて行った先が突然町が無くなり湿原帯のように水があったら…

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大きな被害と思って行った先の街並みは、ほとんど壊れていなく、思ったほどの被害ではないと思っていったら庁舎の窓ガラスが全て割れていて、やはり情報は正しかったのだと愕然とした思いをもったこと。

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全てが無くなって自失呆然としている中でも、どっこい前を向いて歩むぞ、という気構えに、僕らの方が勇気をもらってきたこと。

そんな出来事があった後、僕の勤めている会社の社長も、僕とは別に3・11以降の共生を考えていたようです。
たまたま自分が二ヶ町の森林に関わっていること、親類が材木店を営んでいるので製材は可能だという事、そして市に国から出向してきた方と意気投合してとんとん拍子で話が進んだことなどから、相馬はらがま倶楽部や南相馬浮舟の郷と交流が持てるようになりました。
社長から事あるごとにその話は聞いているものの、小田原市民への浸透は然程もなく、まだまだこうした交流が盛んであることを知らない人もたくさんいるようで、それは話を聞く僕としても歯がゆい思いでした。

そんな中あしがらで相馬・南相馬に行くピースイヴェントの話が出て、その事前学習として小田原市から出向という形で相馬に行かれた西尾さんの報告を聞こうということになりました。

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何が驚いたって、相馬や南相馬から

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数人の方が西尾さんの「初報告会」を聞こうと来てくれたことです。
「西尾君の報告会だから・・・」 そう言われるほどの実績があったのでしょう。ここでいう実績とは、行政的なものだけではなく「生活」の中で西尾さんと町の皆さんのつながりが太く、信頼がしっかりしていたことだと感じます。
そうでなければ、わざわざこのためだけに来てくれることなどないでしょう。
その出来事だけでもう胸がいっぱいになります。つくづく小田原市はいい人材を派遣してくれたものだと感謝します。

西尾さんの報告はまじめな話もちりばめられていましたが、

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のような旅の醍醐味をほうふつされる内容まで・・・。
ぼくの持論では、旅は3つの「しい」があればいい旅です。「美しい」「おいしい」そして「優しい(もしくは楽しい)」
西尾相馬観光大使は、ご自身が相馬で食した海の幸を画像入りで紹介し、僕らの旅ごころをそそります。
そして、うしろでヤンヤの声。もう一つの「しい」楽し~い!、のセコンド(笑)

質疑の時間には、実体験ならではの

20140601-03

現地報告。

最初に記したように、「政治」は「政治家」のものではないです。ひとりひとり自分の故郷がどうあってほしいか、を語り、仲間を増やし、その要望を実現させる、事が「政治」です。
だから難しい言葉で語っても聞いてもらえません。
おいしいものを映し、楽しいことを語り、そして将来のビジョンが聞いている人の頭の中に浮かべば、それは「政治」が共有できたという事でしょう。
はらがまのおんちゃまの「本物の魚」で相馬を売り出す話も、浮舟の郷のKさんの原発20km圏内だから食べ物出の復興はないので、まゆから作った織物で復興させたい話も、グッときたし共有できました。
まさにローカル政治グループの面目躍如。町づくりはこうした賛同者のふれあい・お交わりによって広がりを見せていくのでしょう。

そして多くの相馬・南相馬の仲間と出会えて、7月に出かけるピースイヴェントがますます楽しみになりました。
西尾さんはじめ、小田原市の皆さん、そして遠くから駆け付けてくれた相馬・南相馬の仲間の皆さん、素敵な時間をありがとう!!
ぼくらあしがらも、相馬・南相馬との今以上のつながり、架け橋になるべく、Blogや報告をしていきたいと思います。
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