小田原市斎場問題(1)

1994~2001年にかけて、和留沢地区に建設が計画そして許可後稼働されてしまった産廃焼却処理上に対しての反対運動は、行政訴訟と工事(営業)差し止めの仮処分という2つの裁判闘争になりました。
反対理由はいくつかありましたが、その一つに道路インフラが良くない中いわゆる地元住民の生活外の車両が非常に多い、過分な負担を強いられていることをあげました。
それは市民のごみの処理場である環境事業所があったり、斎場があったりします。当初斎場が計画された時は久野地区内を通行しないとの約束の下了承された経緯がありますが、それは市と地元自治会との協定であり、各葬儀場は関わらなかったので反故されている現状があるのです。
そんな斎場も40年経ち建て替えのうわさが出ています。
今度は9炉とのうわさです。

平成27年2月に小田原市が発行した斎場整備運営事業要求水準書(案)をみると、
現在の需要を稼働日数で割った1日の平均利用数は12.2±5となっています。つまり現況の4炉だと、1日1炉で3人余りを火葬する計算になります。古い炉なので火葬に約1時間、前後の準備に1時間かかるとすると1件2時間×3回であれば、まさにフル稼働です。
が、新炉で火葬の時間が短縮され9炉に増えたらどういうことになるでしょう?
炉数の倍増、時間は半分となれば、各炉は1日の使用時間1時間から2時間で終了になります。残りの時間職員は何をするのでしょう?
そしてこの計画がPFIというあまり聞き慣れない方式で行われるという事と合わせて継続的に考えていきたいと思います。

小高 天織(ODAKA_Then-ori)

田も畑も山も海も汚されてしまったこの土地で、
途方に暮れていた私たちに光を与えてくれたのは、
天の虫のお蚕様。
かつて栄えた養蚕と絹織物を、分業化され、機械化される
前のやり方で、やり直してみたい。
無知ゆえの無謀。でも、それが私たちの希望となった。
素人ばかりで始めた蚕守り(こもり)と機織り。
正直、大変だけれど、これが実に楽しい。
無心になれる。夢中になれる。仲間ができる。
小高に住み続ける覚悟が揺るがなくなる。
蚕守りしながら、私たちは祈る。
いつの日か、天の虫の力で、この土地がすっかり
浄化されることを。
機織りしながら、私たちは祈る。
いつの日にか、手仕事の力で、この街に人の
暮らしと営みが戻ることを。
小高の天織り、天への祈り。


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この夏あしがらで相馬・南相馬にお邪魔したのがご縁で、教会のイヴェントあごらで小高天織のコースターを販売する運びとなりました。
NPO小高浮き船の里さんのメンバーが、養蚕やえさとなる桑の木の養殖、飼育場や織機の設置までコツコツ始めた手作り品ゆえ、大量に販売はできません。
しかしそのご苦労・・・だって養蚕したことがない人が蚕を殺さないように何百匹も飼う事も、桑の木の植生を知ることも、蚕箱の事も、織り方のコツも、みんな一からこの数年で学んでここまでの製品に仕上げたのですから、そのご苦労を思うと頭が下がります。
そしてその困窮の裏に当初の3・12の事故(小高の方々は3・11と3・12を分けて言い表します)
読んでいて、夏に見てきた光景とオーバーラップして涙が出ました。

自死を選ばざるを得なかった何人かの方のご遺族は相次いで東電にその責任を裁判で問うていますが、本当は福島の人みんなが訴えたい気持ちでしょう。
でも、前を向いて歩こう、と気持ちを奮い立たせる事が出来たメンバーは、こうして一産業を起こして故郷を守ろうとしています。

ぜひ、あごらでは彼ら彼女らの希望の逸品をご覧ください。

今年もやります、原発ゼロを歓ぶ会!!

大飯原発4号炉が止まって丸1年経とうとしております。
そこで今年も開催します。原発ゼロを歓ぶ会!!

20140915-01(画面上でクリックすると文字の読める大きな画面になります)

昨年は、小田原市民会館の会議室を利用させて頂き、山猫軒さんの撮影したスライドショーを見ながら茶話のひと時を過ごしました。

今年は場所を小田原駅西口のかふぇ・えりむに移して、しかしながらおいしい山猫軒さんのスィーツを食べながらの茶話のひと時は昨年同様です。
キャンドルナイトの夕べとともに、室内では過日行ったピースイヴェント報告会(再)を行います。

相馬・南相馬の現状はなかなか目にすることはないと思いますが、普通の市民の目で見てきた貴重な報告会だと思いますので、どうぞご参加ください。

なお、軽食の用意の都合がございます。予約制とさせていただきます。

ピースイヴェント報告会

あしがらで7月5-6日に行った相馬・南相馬の報告会を本日行いました。
おりしも今日は相馬野馬追祭り、現地では白熱の合戦絵巻物が繰り広げられたと思いますし、小田原市長はじめ多くの小田原在の相馬支援者もうかがっていると聞いています。
また、小田原市内の夏祭り、西湘バイパスの道路破損などで、思ったほど参加者は集まらずに少し淋しいものの、少人数ならではの和気あいあいとした中身の濃い報告会になりました。

巷では新作のゴジラが話題になっています。ハリウッド第1作のゴジラを見ましたが、僕もあのゴジラはNGでした。横綱相撲という言葉がありますが、受けて立つぞ、というどっしり感がハリウッドのゴジラにはなく、早くて頭のいい恐竜の延長のような感がしました。おまけに鋭いとんがった円錐のような頭の小さなゴジラは余りにも日本人の好みの体系ではなかったな、と思いました。
が、それなりの営業利益を上げたと聞いています。
監督を中心に一丸となって作り上げる映画には賛否両論ついてくるのは当たり前のことでしょう。観客側も「外野ならではの勝手な評論の自由」を楽しみますが、それはそれ、人の心・感情は支配されることはありませんので、自分の好きな語り口を選べばいいと思います。

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(お二人ともパワポを使い慣れておられる。すばらしいプレゼンでした。)


実はこうした報告会も同じなような気がします。
今回は僕Takeとゆいみんさん、山猫軒さんの3人がそれぞれ発表しました。
同じ行程を旅した3人ですが、切り口も、思いも、伝え方もそれぞれでおもしろかったです。
それはまさにゴジラという一つのキャラクターを素材にした映画でもバラエティーに富むものになるのと同じ感じがいたします。

ぼくだけの発表なら僕のしゃべり方や内容が気に入らない人は賛同してもらうことはできないでしょう。それはゆいみんさんや山猫軒さんにも当てはまります。
でも、まったく違う3人がそれぞれの思いのたけを話した時に、誰かのどこかにはシンクロできるところがあったのではないかと思います。

相馬・南相馬は、まだまだこの先何年も何十年も頑張らなければスタート地点にもたてません。
そうした時に、僕らは何ができるか?と言えば、その人が持ち得る様々なタラント(能力・スキル)に応じて尽力することです。
どんな能力が役に立つのか?は、自身の目で見て、考えて、そして行動をすることからしか見つかりません。

不遜な言い方をお許し願えれば、今日の僕らはのどの渇いた馬を水場に連れて行くのが仕事のような立場です。僕らが行ったから、報告をしたから、だけでは何も変わりません。その話を聞いた人が自らの目や耳で確かめ、そしてまた広げる・…。その繰り返しで復興は進んでいくと思います。
今日のこの会が、行ってみようか!?という興味の第一歩になれたらと思います。
そしてそのごように役に立てるのでしたら、出張報告会をいたしますので、お気軽に@あしがら事務局までお声掛けください。

相馬・南相馬フィールドワーク報告会

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(画面上でクリックすると大きくなります)

過日行きました相馬・南相馬のフィールドワークの報告会をいたします。
マスコミというフィルターを通せば、どうしてもそこに偏光ガラスのように届かない情報が出てきます。
もちろん僕の目は僕の目なりのフィルターがかかった情報ですが、マスコミと違って「外圧」という偏光フィルターはありません。
そうした中実態見てきたことをお伝えできればと思っております。
どうぞお越しください。

ポスター上にも記載がありますように席に限りがあります。事前のご予約をお願いします。

相馬・南相馬フィールドワーク(Ω)

紙と木の文化に突然入り込んだステンドグラス、笙や笛の音の所に入り込んだオルガンの音色。キリスト教はそうした目新しさとある種洗練された純粋な美しさがあこがれとして頭の片隅に入り込んだのかもしれません。
ですからクリスチャンというと、敬虔という枕詞、そしてスマートなイメージが付くのですが、実際のところは大いに違う側面もあります。
ただ、クリスチャンに規せられたことは、イエスのみあとを歩む、という事。
イエスのみあとというのは、差別や偏見が充満していた社会に、ローマ兵や権威の象徴の宗教者、そして無知から来る闘病者への蔑視、女性軽視、などを一切無視して、ひとり誰とでも平等に接し切った事でしょう。「あんな奴と付き合うな」「お前のためを思って言っているんだぞ」そんな言葉に耳を傾けず信念を通した生き方。
そのためどの地でもトラブルを引き起こしていました。今でいう空気が読めない人だったと思います。
が、21世紀、イエスが問題視してなくそうとした差別・蔑視は、今では当たり前のように排除するように考えられています。

しかし、2000年前、彼はこれらのことが原因で、一人磔刑の死を遂げたのです。「周りが下げ荒んでいるんだからお前も仲間に入れ。」「何一人いいかっこしているんだ。」いじめには大人も子どもも関係なく、自分のポジションが社会的にきつければ暴徒のようになって特定の人を攻撃することでストレスを発散します。
それを一人静かに受け止め、「彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と神に祈りながら死んだイエス。

そうした人の後を歩め、という泥臭く重たい命題を「引き受けます」と告白したのがクリスチャンです。

今回の旅で出会った人たちはクリスチャンではありませんが、同じ香りがする人ばかりでした。
みんながやるから、とか、誰もやらないなら自分もやめようとか、そうした判断基準が他人との比較ではなく、自分がやりたいから、と前向きに生きている人ばかりでした。
誰もやらない中始めることは、とてもパワーがいることです。出る杭は打たれる、智に働けば角が立つ、また、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰という言葉通り、お上のやっていることに黙って従うのが善策だという風潮が広がっている日本の中で、であった皆さんは自分の明日を真摯に考えて動き始めた人ばかりです。

本来ならば、これはお上の仕事。復旧復興をしますとの約束が、3年経った今も何もできていない現実。
多くの天井のないトタン屋根プレハブの仮設住宅住まい。
海からの南百mは延々と何もない原っぱ。
広大な農地は、立ち入り・耕作ができない状態。
豊潤な大地と海、そうした大切な財産を国家は無駄にしている現状。

その中で自分の十字架の意味を知った人たちです。
泥臭くても、がむしゃらにでも、背負った十字架の重みをかみしめながら、それぞれの残りの人生、自分のために、そして故郷のために、子孫のために動き始めた人ばかりです。
誰かがやるのを待っているだけでは何も動かない。なら自らの手でけん引していくという十字架。
行政の煮え切らない態度を見て、あてにできないと気が付いたら、自分で始める力強さ。

たぶん世の中にはそうした決意を持って生きている人がたくさんいると思います。そうした人に出会うと共鳴し、なんだかパワーをもらえます。
「例え明日地球が滅びるとも今日君はりんごの木を植える」 とマルチン・ルター師は言いました。
残念ながら今回の旅の中でガイドをしてくれた皆さんが復興の感性の日の目を見ることはないでしょう。
志半ばにこの世を去る日が来るかもしれませんが、それでも最後の日までりんごの木を植えれるような人生を共に送りたいですね。
(他人事のように)応援しています、ではありません、少しでも共生していきたいと思います。

悲しい現実とともにすがすがしい思いも感じて帰ってきました。それはある意味、所詮どんなに頑張ったところで、どんなにいい政治をしてきたところで、どんなに素晴らしい政治家を何十、何百人輩出してきたところで、悲しみはどこかで必ず起きるし、その時政治家という他人の活躍を待っていてもしょうがない。
小さな一人一人でも自分の政治信念をもって歩む、そうした生き方をする人が多くなればおのずとも世の政治はよくなるという見本でしょう。自分一人でもやってみよう、という意気込みが、実は世を変えていくベースなのかもしれません。
生きることはだれかに任せることではなく自分で切り開くことなのでしょう。

そもそも日本の伝統文化のいくつかは、それしか作れなかった、という貧困ゆえに育った物も多いです。マイナスの要因だけを見て悲観したところから何も生まれないのは、今回皆さんから学びました。

政治グループとしてのフィールドワークでした、そうした既成ではない政治スタイルにつながる皆さんの動きがすがすがしかったからそう思えたのかもしれません。
ガイドの皆さん、出会ったみなさん、本当にありがとう。感謝です。

相馬・南相馬フィールドワーク(4)

身も心も満足し宿を後にした僕ら。直接小高に行くにはちと早い、という事で、以前国立のぞみ教会の牧師がBlogで紹介なされていた町中(町はずれ)の処分場の記事を見て、その近さを実感したいところです。
僕の場所設定がどうもこの処分場ではなく、文中に記されている教団原町教会だったらしく、少し迷いましたが、大手スーパーの裏に広がる仮設住宅とともに処分場も見てきました。

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外に漏れだす放射線量は大したことがないようでしたが、仮設住宅からわずか100m。避難なされている人の心のケアーというものも大事にするのなら、クソ味噌の如く、人もごみも同じ場所に持ってくることに僕は違和感を感じました。

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さて迷った分だけ遅れました。急ぎましょう。
で、県道120号線を順調に南下したものの、肝心の浮き船の里の事務所が見つかりません。まずいことに代表の久米さんの携帯の番号も聞いていません(汗)
1km先のGSまで行ったり来たりを繰り返し、ようやく発見!!
お邪魔します。

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久米さんから、震災時のお話を聞き、永木さんが中心で活動なさっている蚕の育成の様子を見せてもらって、いよいよ5kmの近くまで行きます。
もちろんここへは許可車両のみという事で、久米さんの車に4人ずつ乗せてもらって、残りの4人は永木さんの車で小高の町中等のフィールドワークへ。


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(3枚の地図はクリックで大きくなります)

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検問で通行許可書を見せ入ります。久米さんは僕らのようなグループが来るたびに、こうして規制区域内を案内してくれているのでもうお慣れになっているかもしれませんが、僕らにとっては「検問」というだけでもうドキドキです。
6号線は、道路両側もきれいに整備されているので、何かここが特別な場所には思えません。交通量は確かに少ないですが、普通の郊外の産業道路のそれです。
地図で行き止まってUターンしている場所は、高瀬地区。ここから先は帰還困難区域。僕らのようなフィールドワークを目的しているものは入れません。
続いて浪江駅前に。もうマスコミなどで有名になった駅前の新聞屋さん、下柳町の瓦の重みで倒壊したお屋敷などの現物、現実が目の前にあります。ブラウン管の向こうというバーチャルが現実のように押し寄せられても、それを受け入れられないと夢幻を見ているようで、車のスピードと相まってすぐに遠くの世界に流され消えていきます。あれは本当に自分の目で見ていたのか、夢を見ていたのか、信じていいのか幻想なのか、信じられない心との葛藤をしながら、県道254号線へ。

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道は穴田あたりで大きく右折し、左手に太平洋、そして目の前には福島第一原子力発電所の3本の煙突がはっきり見えます。
かすかに香る海風、生い茂った草々、晴天の空。いやぁ、最高のドライブだね、と言いたくなるような海岸通を走行している気になれども、いやいやこの場所はそこまで海岸ではなく両側に家や田畑があった場所なのです。
ここもこの先で進入禁止のバリケード。Uターンをします。

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請戸地区に戻ればここはタイムスリップをしたエリア。3・11、そのあとの3・12、この日の夜からここには入れなくなったのです。
大事なものも、先祖の墓も、連れ添って生きてきた家畜やペットも、みんなみんなここにおいて来なければなりませんでした。
1家族防護服に身を包んで、たぶんご遺骨を探されていたのだと思いいます。そうした姿もお見受けいたしました。

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一度浮き船の里に戻り、交代します。今度は、永木さんの車で街中を案内してもらいます。まずは下の地図の上の地図(ややこしい)のように、高台の吉澤牧場をめざします。

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とうとう1μSv/hを超えてしまったところに来た。しかも一気に3μSv/h。そこにいる牛たち。
この盾看を作った人の気持ちがよくわかる。
僕らはもし仲間ががんや白血病になりそうなら、病気にならないように手厚く看病するでしょう。命を「経済」でしか考えずに、「処分」をしようという魂胆はどこから湧いてくるのでしょう?
命をそうしか見れない国は悲しいよね。

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人の姿がない町はやっぱり悲しいです。
でもよく言われるのは、大凶は後は上るだけ。踏ん張ればこれからいいことが必ずあるという事。

フィールドワークの最中、久米さんの携帯が鳴りました。宅配業者さんから…。
「冷蔵で蚕の卵を持ってきましたが、建物に鍵がかかっている」とのこと。いやいや申し訳ないです、僕らが連れ出しちゃったからですね、ごめんなさい。
でも、その連絡のあと久米さんが「この卵も小田原からなんですよ。明治乳業の小田原研究所からなんです」という言葉に思わず驚嘆。僕の属している教会にこの研究所にお勤めのご夫妻がいるから…。
神は奇しき御業をなさいます。150年前の二宮尊徳翁から始まった小田原市と南相馬市の交流は、今もなお一つの企業を通じて、また個人同士を通じてお交わりの結び付けをしてくれます。

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機織りによって商品化された時、販売ルートの一つとして小田原の街がエントリーされればいいですね。

相馬・南相馬フィールドワーク(3)

韓国に旅行に行った時、板門店に行く途中の京義線の線路に「線路は北に行きたがっている」と書いてあった(そうだ(僕はハングルは読めない))。
南北の分裂からの復活は、多くの国民の望みだと思う。
が、それを髣髴させる常磐自動車道は、相馬ー南相馬の1区間のみの営業。常磐富岡との間の工事は、福島第1原子力発電所の事故によりいつ再開できるかは全くめどが立たないのだろう。
福島は、行政区も天気予報もほとんどが「会津」と「中通り」と「浜通り」という分け方をして、縦に西・中・東と3つに分かれている。その中の浜通りは、ど真ん中の福島第1原子力発電所の影響で、南北に移動が叶わず、一度峠を越えて中通りに行って南北に向かい、そしてまた峠を越えて浜通りに戻る。行政区としても大きな痛手をこうむる話だろう。
京義線ではないがこの高速道路だって早くいわきとつながりたいだろう。
そんな1区間の高速を通り、僕らはほぼ予定時刻通りに南相馬市に到着し、平田議員のお出迎えを頂いた。

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およそ2時間の町中案内は、県道120号を南下し、まずは南相馬の馬場。相馬と違いこちらは野馬追い、その会場を見てから町中を抜け、小高方面に向かいます。

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福島第1原発からおおよそ20kmのエリア。
何が問題なのか、何が影響するのかわからないがゆえに、単純にkmだけで区切った20kmという境界線。

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ここの放射線量はこんなもの。いや、ここだけではない、南相馬の多くは意外に低いんですよ、とは平田議員の言葉。

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そして少し遠目には木々に囲まれた墓。墓だけではなく神社もなんでだかわからないけれど助かったところも多いんだとか。
海岸沿いはここもまだ土地利用の方法が定まらない。故に処分場が並んでいます。

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右田浜の一本松、そして火力発電所に隣接して広がるきれいな砂浜。
震災前が美しいところだったろうというのが容易に推測できます。

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鹿島球場は多くの方が避難しに来てそのまま津波にのみこまれた場所。高台、(当時は防風林のある)海の見えない場所、という事で皆必死に逃げてきただろうに…。
助かった人はバックネットをよじ登った人2人だけだったとか。寒い冬の夜、足元は深淵の濁流。かじかむ手で、きっと何度も人生をあきらめそうになったのだろうと思うと、亡くなった人にも負け次劣らず深い思いを感じてしまいます。

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西川原町の災害公営住宅を見学。仮設住宅ではなく、れっきとした『我が家』の落ち着きがあります。小さいながらどのお宅にも駐車場以外の庭があり、多くの方はそこを家庭菜園にしていました。
なす・いんげん・きゅうりの世話をしているおばちゃんと雑談。
件のおばちゃんのお宅は(2階建ての写真とは別の)平屋。和室1部屋フローリング2部屋で不便はないと言います。それに仮説に比べても作りもしっかりしているし、何よりも屋根だけではなく天井があるので、室内の温度の緩衝材となっているので寒さが少なくてありがたいと言います。

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周辺の放射線量は

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奥の箇所を案内して頂き、今日の宿泊場所「いちばん星」に向かいます。古民家であるお宅を改築して、農家民宿として農業体験をしたり、野菜ソムリエの母娘の作ってくれた料理に舌鼓を打ったりできる場所、とのことでしたが、この料理僕の想像を超えていました。

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炭水化物(特にごはん)大好きの僕が、もう野菜だけで大満足。うまい、そして味付けがいい。

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夕食は、

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そして、平田議員のお手製の

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そして

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朝食は

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こちらは朝からごはんのおかわりも(笑) お米もうまいぞ!!
ここはお勧めの宿です。

ちなみに鹿島区にあるこちらの宿の放射線量は

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初お目見えのもう一台の測定器。ちなみに0.01から0.02程度の測定の誤差はありましたが、どちらが正しいかは不明。

相馬・南相馬フィールドワーク(2)

5日11時に福島駅西口トヨタレンタカー新幹線口店前に三々五々仲間が集まり、小田原から車で来た佐々木号とこの店舗で借りたプリウスに分乗して一路相馬に向かいます。
ルートは国道4号から国道115号

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https://www.google.co.jp/maps/@37.771796,140.597032,3a,75y,79.41h,61.44t/data=!3m4!1e1!3m2!1sxDa04IWiSUgxHIvPMeJzYg!2e0?hl=ja

話はどうしてもここまで責任を取らない政府と東電への怒り、そして現状の推察になります。
総論では、「数値はデータの一つ」と記しましたが、それはその通りですが目に見えない放射線、そして何の手がかりもない中では、放射線測定器の数字は大きな判断基準になります。
正確を記すために、今回は2台の別会社の測定器を持ってきたので、車各1台に1機積み込んでいます。
過日、お話を伺った飯舘に行く国道349号線との交差点に建つ大型店舗に車を止めらせて頂き、駐車所のコンクリ上の数値を測れば

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しかし、すぐ横を流れる河川の土手の草むらは

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除染という行為の内容もよく知らない僕ら、そして放射線の飛び方もよくわからない中、マスコミや福島の方々のBlog等で読んではいたものの、低濃度と高濃度がわずか数十cmの所に存在することをこの目で見た、その現実にまず驚き。
続いても、相馬に行くまでにあと1,2カ所測定をしたいと思っていたものの山上楢這地区あたりから雨が降り始め、時間も押していることもあって調査を断念。

西山の交差点を曲がったあたりであい方の車から無事「報徳庵」に到着したとの連絡。慌てて向かいます。
今回ガイドをして頂くおんちゃまこと高橋さんに挨拶も早々、原釜地区を案内してもらいます。原釜尾浜の海水浴場付近に建つ慰霊碑の前で、3・11の津波の話を聞きます。高台のホテル近くまで津波が押し寄せ、そこに退避したが避難物資を取りに行くにも余震と破壊された町の残骸、そして溜まった水に悩まされた話。
マスコミが報じたきれいごとばかりではなかった震災後の話。
今後この海沿いの何もない場所をどう活用するかは、喧々諤々の意見は出るものの収拾がつかないことなどをお聞きしました。

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湾をぐるっと迂回すれば、漁具倉庫は素晴らしいなまこ壁の建物街。家の復旧前に漁具の保管場所だけが整備された形です。
そこから湾の反対側にあるおんちゃまの工場に向かいます。

事業主への復興対策の援助金は「いままでの」仕事をすることが前提だそうで、海水汚染が問題視、また風評被害を受けている漁業従事者が、海産物加工品に「転職」する場合は対象にならないなど相変わらず<行政>は頭の固い、復興よりも保護を受けて頂いてあとくされがない方がいいと思っているみたいです。
街が復興しない理由の一つに、新しい街への柔軟さがあげられるでしょう。何度も記していますが、町づくりの専門家の方の『街づくりの疎外は「前例主義」「予算主義」「法律主義」だ』という言葉が思い返されます。

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なお、高橋さんのおんちゃまセットはこちらから通販でお買い求めいただけます。
この後、報徳庵でおんちゃまの加工品が中心の食事を頂きます。それと合わせて言いたいのは、前述の(1)でも記しましたが、おんちゃまとの関係は、もう既に被災者と支援者ではなく、おいしい海産品加工屋さんを知ったのでそれをご紹介するだけです。
ただ、工場を3・11で無くし、海を3・12で無くしゼロからスタートした雑草魂が海産品加工のノウハウを手にした時の昇華のすごさは、他地方ではなしえないものかもしれません。

さて、工場を見せてもらった後、はらがま倶楽部報徳庵に戻ります。
「支援食」と銘打った1000円の定食。これを食べなかったら、上記のようにおんちゃまセットをこのBlogでPRしなかったかもしれない。

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まがりなりにも大学で食品栄養学を学び、食品加工会社の研究室にいた人間の言葉です。おんちゃまの食品の理論も理にかなっています。どうぞ騙されたと思って購入してみてください。僕もすでにポチッとしておりますよ(笑)

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15時に南相馬市役所で平田議員と会う予定にしています。あわただしくもこれにてお暇します。

相馬・南相馬フィールドワーク(1)

連れががんになった時、まさに青天の霹靂、本人よりも僕の方がうろたえて、TVのお涙ちょうだいドラマのように「死」という言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡りました。「絶望」に近い強い「不安」…
しかしつき並みの言葉ですが、時間が冷静さを呼び戻してきました。
「時が解決するよ」と言いますがそれは嘘です。でも「時」は解決するための冷静さを連れてきてくれます。深呼吸する余裕ができます。
本人の闘う気持ちに鼓舞されるように僕自身もしっかりしなきゃ、と情報収集に動き始めたものです。
抗がん剤は、まさに「毒を以て毒を制す」治療法です。毒を以て、ですからできれば避けたいけれど即効薬的な因子もある。同時にまだ年齢的にも体力的にも毒に耐えうる力があるとの判断で、術後の抗がん剤や放射線治療をいたしました。
なった時の不安はMaxです。前述のように「絶望」という二文字がちらつきますが、情報収集や実体験(経過観察)の中から、現状を知ることで「絶望」が薄れ「希望」が見えてきます。そして、方針が決まると、それまでのもやもやとした霧が晴れたように「やるっきゃない」と気構えができます。

あしがらの有志で7月5-6日と、相馬・南合馬のフィールドワークに行ってまいりました。
そこで、何人かの方のお話を伺いながら、漠然と上記の過去の体験を思い出しオーヴァーラップしていました。

放射線汚染という未知の恐怖と戦った1,2年は、我が家の体験した「絶望」の期間と同じ感じだったような気がします。
放射線量測定器を持ち、手あたりしだい測定し数値に過敏なほどの反応をする。それはがん患者の多くが通る「私はこのサプリでがんを克服した」という眉唾情報も織り込んだ高額キノコなどを買いに走る風景と同じのような気がします。
「はしか」のようなその時期を過ぎたころ、よくよく見れば高額キノコの効能を100とすればエリンギが97程度あることに気づき、普通のキノコを食べてもあまり変わらないので我が家も一時買った高額キノコはすぐにやめました。
また、久野で産廃の処分場問題が起きた時、その産廃以外の地域も知ろうと、河川のBOD・CODを測定しましたが、公表することであまりにも周囲の仲間が数値に一喜一憂するのでやめたこともあります。
デジタルの数字は、ある意味魔物です。数字に取りつかれると、それが唯一正しいものに見えてしまい、下げる努力に全神経を注いでしまいます。
長い人生の間に気づきあげてきた「経験」の方がよっぽど確かなのに、それを無視してしまうのはやはり違うような気がします。「長年の勘だよ、カン」。大工の棟梁など体に叩き込んだ人は言います。自分を信じることは大事ですよね。
それは、でも機械を無視する話ではありません。数値は一つのデータ、謹んでデータの一つとして考えれば、重視しすぎなければいい話だと思います。
しかしそれが難しい。数字の魔力に魅入られると、100と97の差異が驚くべきほどの大差に見える。そんな「はしか」の時期を脱すれば、どこまでの効能、どこまでの放射線量なら大丈夫なのか、の勘がさえてきます。
「本当に大丈夫なの?」という問いかけに、「分からないけれど、なんだか大丈夫な自信があるんだ」と答えを返せます。

しかし同時にそこまでの道のりは、人生をかける選択などなかなかない中、大きな選択の不安はノイローゼなど心に大きな負担をかけます。がんの患者さんの鬱(うつ)率が高いのは、そうした不安に一時でも立ち向かった心の重労働があったのも大きな要因ではないでしょうか?
連れはおかげさまで寛解し元気に生活をしています。それと同じ香りを、はらがま倶楽部のおんちゃまこと高橋さん、そして南相馬浮船の里の久米さんにも感じました。
この3年間はとても大きな心労の中過ごされたでしょうけれど、どっこい、まだまだ自分の人生夢がある、希望がある、明日がある、という力強さを頂いて帰ってまいりました。

はらがま倶楽部は、「産地(あえて被災地とは呼びません)」と「消費地」をつなぐ産直という繋がりです。ただ、ほかの産直と違うのは、3・11,3・12という大きな二つの災害にぶつかり、すべてを失った人たちが、全国の支援に酔って立ち上がった、復活したというドラマがあることでしょう。

二宮尊徳翁によるつながり、を頭に入れてプランニングしたフィールドワークツアーでしたが、行った先には、誰を介してのつながりではなく、僕と誰かという顔の見える繋がりができたことがうれしかったです。

さて、そんな総論の後、見て廻った場所のご紹介をいたしましょう。
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