NOWHERE IN EUROPE

概念の中で一番もろいものはもしかしたら「幸福感」かもしれません。
幸せと信じて止まない人が、些細な他人の幸せを見て嫉妬すると、今までの自分の幸福感は崩れて「あー私は不幸だ」と思い込んでしまったりするのでしょう。

そもそも多くの人の「満足な幸せ」は、平均的な他人よりちょっぴりでも自分は上である、と思うことなのかもしれません。きつい言い方ですが、見下せる喜びが「満足な幸せ」を生み出すのかもしれません。
ですから、生活保護費で慎ましく生活している人はいいのですが、保護費でパチンコに行ったり(自分より)いい車に乗ってニコニコ顔でさっそうとドライブに出かける姿を見ると、見下したはずの彼らより自分が劣っているように思えて、「保護費の適正使用」を声高に訴えるのです。
今日日、保護費でパチンコをすることも、車の所有も全く法的に問題はなく、また人道的にも保護を利用しようが余暇を過ごすことは当然の権利であり、至極あたりまえの時間の使い方です。
腹を立てる方がお門違いなのです。
しかし、残念ながら人は寛容な度量よりももろい幸福感に生きる生き物かもしれません。
江戸時代以前からも、庶民の困窮のガス抜きのために差別階級と言う制度を生み出させ、困窮の農民も「満足な幸せ」を感じさせる政策がとられました。
それは日本だけではなく海外でも、さまざまな事由で差別を余儀なくされる人たちが存在しています。

ロマ(ジプシー)と言う括りでまとめられている偏見・蔑視された人たち。その人たちを撮影に行くと、松田町観光協会写真部の顧問の武智先生はフランスChinonに渡りました。
そしてその個展が、修善寺のドットツリーで本日20日まで開催されたので午後の時間を使っていってまいりました。

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誰もが当然の権利と主張で人間らしい生活をしたいと望んでいますし、住む場所、受ける権利、そして自由は平等にしてほしいと思っています。
しかしどうしても差別と言う概念は無くなりません。それは、誰かが這い上がれない人を哀れんで見ることで「満足感・幸福感」を得ているからでしょう。
その視線は、送る側より受ける側の方が敏感に感じられるものです。

僕も昨夏は大阪釜ヶ崎に行きました。「さとにきたらええやん」上映時のパネル展示にしようと写真を撮りましたが、オッチャン達と関係が構築できていない釜の中では、遠方からの望遠での半隠し撮りでした。
もちろんこのオッチャンなら大丈夫だろうと言う直感は、野宿者支援を四半世紀以上してきた感覚と、釜でも寿でも有名な支援者とも交流があるのでいざという時はその方々のお名前を拝借して誤解を解けれるだろうと言う気持ちもありました。でも、短い期間では会話の中で撮影することは叶いませんでした。

それが文化の違う、そして会話する原語の違うフランスでの撮影。どうだったのかな?と興味津々でしたが、お忙しくじっくりと撮影秘話をお聞きすることは叶いませんでした。

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でも帰り際車を走らせて思いました。たとえ、HowToを聞いたとしても、それを真似できるかい?
たぶん僕には無理でしょうね。
それができるのなら大阪でもオッチャン達と話しながらシャッター切れたはずです。
昔、郷里での産廃反対運動の最中、激化した折にF社と言う写真週刊誌の記者が現地を案内してくれと言われ、助手席に乗って現地を案内しました。相手敷地内には行って写真を撮っている最中に見つかり車で追いかけてきた際に、「大丈夫です。無視していれば諦めます」と平然と言ったのを聞いて、少なくとも僕には出来ない職種と思ったことも思い出しました。

分相応、と言う言葉も大切な言葉。でも、勇気を出して半歩でも前進できることも大切なことでしょう。
素敵な写真をどうもありがとうございました。写真家の先生に言うのは失礼ですが、でもやはりできればどこかで報告会で撮影秘話聞きたいです(笑)

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もう一つ「満足感・幸福感」は、己の社会の大きさです。
季節によって移動をする前提のモーターホーム。しかし泊まっていいのは有刺鉄線に囲まれたエリア。
北朝鮮による拉致被害者、もう自らは高齢になりきっと家族を持ち幸せに過ごしているでしょう。日本に住む僕らが、北朝鮮は貧しいから不幸だ、と言う定規で語るのは決して正しい事ではないと思います。
経済ではない、家族との語らいの時間に幸せを感じているのなら北朝鮮拉致被害者の方も今は幸せを見つけた「良い時間」かもしれません。
周りに住む人と同じくらいの生活レベル、苦しみも悲しみも共にして楽しみを笑顔で共にできる仲間がいれば、それは(他国を知らなければ)幸せだし、たとえ他国を知っても一時は経済的に裕福な国に羨望し憧れても、心の豊かさを感じられなければ幸せはしぼんでしまうかもしれません。
だから「大変だったね。お疲れさま、日本に来れば幸せになれるよ」は正しいとは限らないと思います。本人以外の人が「あなたは不幸せな生活をしている。私が救い出してあげよう。」などというのはおこがましいわけです。傍から見ても辛そうでも、「幸福」の概念は本人が決めるものでしょう。
ただ、国家として交渉として、『知る権利』『移動する自由』は確保しなければいけないと思います。大切なことは、日本に住む家族・親族や友人と会いたいと思っても会えないという国交がないゆえの移動の難しさです。
それは全く今日写真の中の有刺鉄線と言う『知る権利』『移動する自由』のない彼らにも同じものを見ました。

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僕らは短絡的に間違った解釈をしてしまうことが多分にあります。
「幸福感」が思い込みで崩れることもありますし、時の権力者が作為的に壊して差別・偏見を助長させることもあります。

カメラマンの方はもとより、僕のようなずぶの素人でも今のカメラはよく映ってくれます。映像と言葉、もし作為的に誰かを貶めようとするのなら十分に対抗できるギアで、その使い方を知ったものとして有効に活用をしたいものです。

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小田原市 生活保護行政に関する 検証会

小田原市生活保護行政に関する検証会なる集会が30日14時から小田原駅前のUMECO1―3会議室で開催されましたので行ってまいりました。
寿日労のKさんや、パトメンバーのKさん、そして昨秋に「さとにきたらええやん」をご一緒に実行委員としてご尽力くださった方10名ほどと知った顔がずらり。
事の顛末は、小田原市ジャンパー事件を検索してもらえば概要は理解頂けると思いますし、拙Blogでも「生活保護行政乃あり方検討会」には行われた4回の協議とそれを受けてのシンポジウムの様子を書きました。
最後のシンポでは、『「有識者と協議して提案を頂いた」だけでは済まない。1年間その提案を受けてどう変革していくかの検証が大切』と行動こそ反省と言う強い姿勢を自らに課し、この日になった訳です。
会場はマスコミ数社を含む多くの方でほぼ満席。その前には、5名の有識者の皆さん、小田原市関連部署の福祉健康部長、生活支援課長ほかの職員が向かい合って座り、市長と座長の井手氏のあいさつでスタート。
支援課長が、配布された「生活保護行政のあり方検討会からの改善策に対する取り組み状況」とそれに付随した資料を読み上げてから、各有識者の方が意見を発現されました。
膨大な意見交換なので、僕が強く記憶した数点のみ記載します。

ここまで1年間通常の業務をこなしながらの新な施策提言を矢継ぎ早に作成し実行を重ねた行政の尽力に対して、各有識者の方は一様に及第点を評価されましたし、僕自身もそう思っています。
特に3月末に検討会を終えて、わずか1カ月ほどで「新生活保護利用のしおり」を作り上げた熱意にはただただ驚いた覚えがあります。

しかし、満足いくかと問われればそんなことはありません。昨日今日のこの日の案内をUPした際にも記しましたが、NPO無料低額宿泊所は一時避難でありながら、アパートへの転居を申し出ると、申し出た日から無低の管理人さんの意見を踏まえアパートの転居を認めるか協議する、と言った言語道断のガイドラインを持っております。
金づるである入居者が施設から出て大丈夫かどうかをその施設利用者と言う関わりの深い人の意見を聞くと言うのは、まさに癒着以外の何物でもないことをやっているのが実態です。
しかし、それを小田原市だけの問題にしてでは解決しません。これは県行政の下達であり、そもそもセーフティネットである住居を民間に委託していることが問題なのです。
でも、野宿を余儀なくしている方々、それを支援する僕らは、目の前の行政である市町村にその問題点を提議し解決に向けての努力をしていただくしかないのです。

有識者の一人和久井氏は、「(今回の改善策について)いちばん大切なことは利用者がどう評価しているか?」だと言います。
まさにその通りで、野宿を余儀なくしている方、様々な困窮でこの制度を利用しようとしている人に、『小田原市は変わった』ことがわからなければ、絵に描いた餅です。
その点はどうでしょう? 今日このような集会があることを市民のどれくらいの人がご存じなのでしょうか? 小田原市は、どういう手法で市民に広報したのでしょう?
評価の以前に、情報が伝わっていないことを危惧します。

また、和久井氏はこうも言いました。「困った時相談できる、信頼感のある市役所になったか?」
今日の行政の回答は聞いていて難しい部分が多かったです。それだけ高度な施策をしているのでしょうけれど、それが市民に伝わらないと意味を持ちません。
毎日その仕事をしている担当者なら、生活保護法と生活困窮者自立支援制度は違うことは当然のことで、語る言葉に主語がなくても、今語っているのは保護法なのか自立支援制度なのかは常識的に使い分けていますが、僕らは頭の中で咀嚼しないとどちらの話をしているのかわかりません。この点も利用を希望している人に明確に聞き取れるように語ってほしいものです。

猪飼氏は、大前提を振り返ってみようとこのあり方検討会の発足に戻って意見を言われます。生活保護はセーフティネットでありながら、その存続は形式的になり下がり、使わせない前提での業務になっていた。この点の反省をどう活かしたかが今日のポイントだと語ります。
それに対して和久井氏が捕捉します。
高齢者、障碍者、その他の方の保護受給率の増加に比べ、母子家庭のそれは変化が異なる、と言うのは昨年から何度もお伝えした、と。
それに対して支援課長は、推測の域を出ないが、
1.小田原市は家族と同居している率が高く、保護の利用をしなくて済む人が多い。
2.例えば幼児の送り迎えや病院通院などで車が必要、かつ、生活保護になると車の所有が出来ないと思っている人が多い。
3.住居確保給付金等の事前の貸し付けをうまく利用している
と語りましたが、和久井氏より、相談に来たとき、車がつかえなくなってしまうことを苦慮しないように、先読みして不安になりそうなことを払しょくしてあげる努力も生活保護を利用してもらう努力ではないか、と語ります。

施策やマニュアルはかなり出来上がりましたが、こうしたPRや思いやりの対応などはまだまだスキルアップは必要だと思います。
そして、有識者からの提言は、市民への啓発についても定義がありました。
例えばこども食堂などは、貧困だけに特化すれば、行っていることがばれれば貧困故のいじめの対象に遭うかもしれないと思えば来なくなる。
また、貧困困窮と言うのは経済的な物だけではない。
つまりは『生き易い小田原』『街づくり(ケアタウン)』として生活保護行政は市民と向き合わなければならないと。
そうなると、主体は生活保護担当部署ではなく、全市を挙げての街づくり計画になるでしょう。
そして行政が向かおうとしているベクトルが市民のそれと一致しているのか? 協力をしている市民グループと充分な情報共有を持っているか? など、市職員のクローズドの研修ではなく、開かれた皆で作り上げる町づくりとして、この問題もうまく利用してくれればと思います。

何度も言いますが、まだまだ細かい点については、僕はもろ手を挙げて合格とは言えません。が、1年間と言う機関の中で行政内部の改革は十分果たせたと思います。
あとは利用者、利用者以外の市民、関連グループと充分な意見交換と情報共有を今以上やっていければ、あり方検討会の意味が出るものだと思っています。

小田原市生活保護行政に関する検証会

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ジャンパー問題に端を発した福祉政策について、有識者からの意見提案を受け福祉課は取り組んでまいりましたが、2017年8月の時点ではまだまだ無低とのかかわりなどは腰が引けた状態で、市との意見交換の席では改革に向けて発奮を促したところです。
そして9月、私事ながら転居をし、活動になかなか参加できなくなりました。

さて、その後半年どれだけ変革したのか? 有識者の方々は、それをどう評価するのか? 興味あるところです。
数日前になってしまいましたが、ご参加できる方はぜひ参加してみてください。

子どもたちの意見の方が正論に見える

あるところに、腕は良いが、
あまり売れない手品師がいました。
彼は、いつか大きな劇場で手品をすることを夢見ていましたが、
ものすごい貧乏で、
その日のパンを買うのもやっとのことでした。

そんなある日、お父さんを亡くし、
お母さんは働きに出てずっと帰ってこない
という男の子に出会います。
手品師は、その男の子に手品をしてみせます。
男の子はとても喜び、手品師は、
明日もここに来て、手品を見せることを約束します。

その日の夜、手品師に友人から電話が届きます。
明日、大劇場で手品をやる手品師が急病で倒れたため、
急きょ、大劇場で手品をするチャンスがあるから、
今すぐ出発してきてほしいという言うのです。
手品師は、男の子との約束と出世のチャンスを交互に考え、
結局、友人の誘いを断りました。

次の日、手品師は、
たった一人のお客さんのために、手品をして見せました。


この道徳の教材を使用し、子どもたちに伝えると、子どもたちの意見の多くは、「男の子を劇場に呼んであげればいい」だそうです。
なるほど理に叶っている。流行りの言葉でいえばウィンウィンの関係。
しかし、授業で指導する教師が、「手品師は一人の男の子のためにいいことをした」ように言うと、教室の空気は変わり、先の発想は影をひそめるのだそうです。
まぁ、聖書も道徳的な読み方をする人も多く、一匹の迷える羊の話も同じような形に解釈される場合もあると思います。(「先生」と呼ばれる人は誰もが持つ危険性ですね)

いろいろなアンケートがあります、「あなたは○○について賛成ですか?反対ですか?」ほど回答に窮するものはなく、そこまで行くプロセスがどうであるのか、とか、△□のような例外にはどう対応するのか、などを含めて0-100%の範囲で自分の意見を決める人がほとんどでしょう。単純にYes,Noでは答えられないものでしょう。
この話ならまず子どもたちの言った至極まともな回答に対して、教師はなんて答えるのか? が、最優先ではないでしょうか?

そして、この手品師は、劇場勤務の友人を困窮に落ち入れらせたことも分析しなければいけないでしょう。友人の依頼を断るという非情さを隠しているのは、『貧乏なのに自分の夢や経済を優先しない』という色眼鏡ではないでしょうか?

桃太郎の話を思い出しました。あの話は2部構成です。桃から産まれたと言う出生に関してと鬼退治に行くという話です。そこには、鬼の非道さは書かれていません。もしかしたら「泣いた赤鬼」のように村人たちと仲良くしたいがためにコツコツと働き貯めた財産かもしれません。
それを鬼=悪者(明治政府以降のヤマト民族選民思想)として征伐するのは至極当然という「常識」を国民に植えるものだったように思います。

福澤諭吉氏は、「ひゞのをしへ」の中でこのように書いています。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」
簡単に言えば不法侵入で財産を勝手に持ってくるとは犯罪行為だ。しかもその理由に大義名分はなく、得たものは家族にあげて裕福になりましたというのは極悪非道な行為だ。と。
しかし、国民の扇動のためにこの話を使いたい政府はこうした福沢諭吉氏の話を取り上げるはずもなく今日まで来ています。

そもそも童謡唱歌「桃太郎」も、桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたキビ団子、一つ私に下さいな だけはよく聞きますが、明治から昭和初期までは
そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

やっつけることを面白がる…(>_<)。
そして手品師のように自分の夢をあきらめても他人に尽くすこと「のみ」が美徳だ、と教えられた多くの若者が、未来を捨てて戦場へ行って国家に尽くしながら死んでいった事実もあります。
やはり道徳は日々の生活の中から得るもので学校で指導してはいけないですよね。

自民に変わる野党がいない

表記の意見をよく聞く。
頼りないとか指導力がないとか。

本当にそうなのか?

これだけ不祥事を起こし続けるのは、そういう思い込みの国民が、いついかなる時でも自民(&公明)に入れ続けるからじゃないのかい?
何をしても俺たちは許される、そう思い込ませたのは、いつまでも一票を投じ続けたほかならぬ頑なな保守支持層だろう。

どうみたってこれ以上ひどい政治をすることはない。

ミサイルと拉致

北朝鮮の脅威に関する大本営発表は日に日に増えているように思う。
確かに、無視やドタキャンというルール破りは強調力のなさを、いや生き残るためにはこだわれないほどの切迫感を感じる。

しかし冷静に見るとなにが問題なのか? 独立国(国の定義は、国土、国民、規律の確立)として何が優先かを考えなければいけないのではないか?

兵器に関しては詳しくないが、北朝鮮が保有しているというスカッドミサイル。これは1980年代から保有しているらしい。射程距離1000km、ほぼ日本の全土まで飛ぶ能力を持っている。
1980年代に、だから武器の自粛を抗議しよう、なら話は分かる。国土、国民の安全を訴えたのならわかる。
が、すでにその武器は完成を極め、今北朝鮮が製造しているテポドンや大陸弾道ミサイルなどは、日本をはるかに超えて彼のアメリカまで届こうという代物。
時速30kmのグネグネ道しかないところにレーシングカーを購入するやつがいるのか?という話でしょう。直線は無茶苦茶なスピードで走れてもカーブが曲がれない車など無用の長物。時速30km道路にそんなものでいらん装備の高い買い物する奴なんて、と馬鹿にされるのが落ち。
でも北朝鮮は超1万キロの開発を進めている。鼻から日本にミサイルなんか落とす気がないのだろう。
狙いはアメリカとの対話。金一族の栄華の保身。

それを大陸弾道弾のミサイル反対と、今更北朝鮮軍事力の脅威をことさら煽る。
いや、軍事力などない方がいいから、大陸弾道弾だってない方がいい。でも1980年、日本まで届くミサイルが旧ソ連から入ったときの脅威論に比べてあまりにもアメリカ様をところに届くかもしれない脅威論の方が大きいのは解せないなぁ。

それよりもやることはあるだろう。国家は国土と国民と規律だと書いた。
日本はその国民が拉致された。
小泉氏はそこにメスを入れた。が、安倍氏はミサイル一辺倒で拉致被害者のために対話をしようという兆しすらない。アメリカ様に媚を売るために国民を見捨てたと言っても過言はない。

もう一度、日本にとっての北朝鮮外交とは何かを考えてもらいたい。

安倍さん、起死回生の一手は軍事問題ではなく拉致問題の解決に向けての対話じゃないのかい?

3・11

門外漢がこういうことを言うのは憚れるかもしれませんが、共産党と公明党の仲が悪いのは、支持層が同じ人たちで、いわゆる困窮している人に、社会改革で良き世をと言う共産と信心(仏法)で良き世をと言う公明故だと思います。つまり方策は違えども困窮の国民がよりよくなってもらいたいという気持ちは共通認識だったのでしょう。
この世での希望がない時代、キリスト教も含めそうした宗教は来世に希望を求めました。神の国はあなた方のような現世での困窮者にこそいる場所があると説いたのです。

3・11の大災害から7年経ちました。
が、

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7万3千人の人が今もなお困窮していると言います。
7年・・・この世にはもう希望がない、と思ってしまうような長い長い年月をかけても、日本の政府は対応を進めていません。
「北朝鮮のミサイルが・・・」この言葉に踊らされているのは、今日の日がとても充実し不満が少なく、そして火災保険や自動車保険かけておかないと万が一の時に大変だからね、と言う人ばかりでしょう。
多くの財産と楽しい毎日の中で生活しているから、ほんの些細なリスクもつぶしたいと思っているのではないでしょうか。

前述の7万3千人の被害を余儀なくしている人、すべてを失って復興したくとも自分の家の場所さえ決まらない人は、そんな可能性の極めて低いことに大枚をつぎ込むなら、先に私たちの生活を考えて、と言っているのではないでしょうか?

多くの宗教がこの世の希望がない時代は来世に希望をつなぐ、と言いました。が、僕はそれは宗教の正しい在り方ではないと思っています。民主主義、憲法で保護されている国家、そうした先人たちが築き上げてくれた社会の中において自分たちが努力をせず神に委ねるのなら、それは「委ねる」意味をはき違えているのではないでしょうか?
隣人の困窮と共生しようとする姿こそが宗教の根幹のように思っています。

小田原市内において、この日「さよなら原発 小田原パレード」が行われました。
出発の会場には しるしる憲法 のブースがあり、

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好きな条文にシールを貼るイベント。僕も25条と99条にペタッ。
こうした条文をいくつか読めば、7万3千人が今も困窮するのはおかしいことが分かります。憲法違反なんです。

そんな中、再稼働の話がいくつも進んでおるのです。
第二次世界大戦後、広島の原爆被災者が日本国を相手取り起こした裁判があります。いわゆる下田訴訟と呼ばれる裁判ですが、この弁護人を引き受けられた岡本弁護士は、当初「アメリカの正義」を信じていたが、戦後のビキニ環礁での水爆実験で、単に核開発を進めたいがための原爆投下だと確信し、日本国を訴える下田訴訟の弁護団になると決意したと書かれています。

岡本弁護士の主張からすれば、福島の原発事故後あちこちの原発再稼働はまさに正義無き稼働です。
カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。なぜならば、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない。(パスカル)


正義と力を結合せよというパスカルのことばを実践すべく小田原の町をパレードしました。

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空は青く広く勇気を与えてくれます。

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サニーさんの歌声に合わせて歌いながら町を歩き、Goalにつけば14:46でした。

たぶん各地で(^_^)/

3・11  今度の日曜日です。
あの大被害をもたらした地震から7年間経ちました。

もっとも福島のお仲間さんは、3・11と3・12を、天災と人災を別けて言われる方も多く、そういう意味では3・12から6年間経った最後の日、7年目を迎える直前の日です。

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あの当時は自民党でさえ殊勝に「原発ゼロを目指します」などと言っていましたが、のど元過ぎればなんとやらで、何とか各地方の巨大電力会社への忖度で再稼働を進めようとしているのが現実です。

しかし僕らは忘れてはいません。あの時どれだけ多くの人が困窮をしたのか。自死を選ぶほどの悲しみに暮れたのか。そしていまでも驚くような数値を示すような土地もたくさん残っていることを。放射性残土を入れた黒いフレキシブルコンテナバックが山積みされた横の道路を走りながらその山がいくら走っても終わらないのを見てどんどん暗い気持ちになった旅をしたことを。

声をあげても進んでしまう。だからやってもしょうがない、と言う人もいます。
でも、やらなければゼロです。やれば「今は」敵わないかもしれないけれどいつかは闘いに勝利をする時が来るかもしれません。巨大企業(電力会社)と為政者と行政のタッグは余りにも巨大です。それに対抗するには小さな僕らは数だけです。
多くの市民が参加して、そして学んで、変えて行こうと行動する。そうすれば世の中少しはよくなってくれると信じています。
一緒に歩きましょう。

使い捨て全面禁止へ

【AFP=時事】台湾はストロー、コップ、レジ袋などの使い捨てプラスチック製品を2030年までに全面禁止する方針だと、複数の当局者が22日に語った。

 飲食店内で使用する使い捨てストローの提供はまず2019年に大手レストランチェーンなどの飲食店で禁止され、2020年に対象を全飲食店に拡大する。

 台湾行政院環境保護署(EPA)の工程表によると、使い捨てのストロー、レジ袋、食器、コップの利用について消費者の追加料金支払いを2025年に義務化し、その5年後に使い捨てプラスチック製品を全面禁止する。

 台湾はすでにスーパーマーケットやコンビニエンスストアを含む大型小売店が無料のビニール袋を配布することを禁止しているが、今年から飲み物などを販売する売店やパン屋などの小規模店舗にも同じ規制を導入する方針。
【翻訳編集】 AFPBB News JIJI.com 2/23(金) 12:31配信

ニュースで取り上げられる中国の環境問題は、昭和の高度成長の日本のそれと同じ、そして日本の環境問題は裕福になりすぎた日本人がお金の使い方がわからず文明やサービスをはき違えている結果。
台湾の今回のニュースは、変に無理な高度成長をせずに、そして本当に欲しいサービスだけを受け取ろうとしている成熟された政治を醸し出している。原発も止める、そして使い捨てもしない、アジアの雄を気取っていた日本は成熟した文化という面では台湾に抜かれたかもしれない。

匿名掲示板の話だけれど…

ファンのくせにそんなことも知らんかったんかい!と言われそうだが、知らなかったのだからしょうがない。
インターネットでベイ井納投手のお連れ合いさんの容姿について屈辱的な「匿名」書き込みをしたのを、井納投手が突き止め、裁判にしたことがあったというニュースを見ました。
天晴ですわ!練習の忙しい合間を縫いながらも、家族の名誉のために東奔西走する姿に感動しました。

そんなニュースを知ったのが、後日談。
ニュースソースも2cHのようないわゆる匿名掲示板サイトなので、信ぴょう性は高くないのかもしれませんが…、

「軽い気持ちでした書き込みで、まさかこんなことになるなんて……」
 そう語るのは、OLの山田彩奈さん(20代・仮名)だ。
 山田さんの自宅に、横浜DeNAベイスターズの投手である井納翔一(31)から、突如、「通知」が届いたのは、昨年11月末だった。

「内容は、私が昨年7月に匿名掲示板にした書き込みによって、井納選手と奥さんの名誉が侵害された、というものでした。
暇つぶしに井納選手に関するスレッドを見ていたら、そのスレに奥さんの写真が上がっていたので、〈そりゃこのブスが嫁ならキャバクラ行くわ〉と書き込んだんです」
井納は通信会社に情報開示請求をして、書き込みが山田さんによるものであることを特定。山田さんは通知に記載のあった井納の代理人弁護士に電話をしたが、取り付く島もなかった。

 昨年12月中旬には、山田さんの元へ、情報開示にかかった費用約77万円を含む損害賠償金191万9686円を支払えとする「訴状」が届く。そして今年1月初旬、「第一回口頭弁論」の呼出状が裁判所から送られてきたのだった。
「書き込んだことは本当に反省していますし、200万円近いおカネも払えないので、どうしたらいいのか途方に暮れています」(山田さん)
愛妻への誹謗中傷を夫として見過ごせるわけがない。まさに後悔先に立たず、である。井納が多額の費用をかけて情報開示をしてまで訴えを起こした理由について、本誌は横浜DeNA広報部に問い合わせたが、
「個人の事案であり、係争中とのことですので、球団としてはコメント差し上げる立場にないものと考えます」 と、回答するのみだった。
はたして、この裁判の行方はどうなるのか。弁護士法人・響の天辰悠弁護士が言う。
「賠償金の額は書き込みの言葉の使い方や執拗性を裁判所がどう判断するかによりますが、名誉毀損に当たり得る書き込みと言えます。『書き込み』という明確な証拠が残っていますので、被告の反論は苦しいと考えます」
 連日、匿名掲示板に著名人の罵詈雑言を書き込みまくるネット民たち。今回のようなケースが増えれば、たとえ匿名であっても責任が問われることが、周知されていくだろう。
今回の裁判は、「匿名だから何をしてもいい」という無責任なネット民の認識を正す契機になるかもしれない


「軽い気持ちで」というけれど、そして「匿名」であればなおさらだけれど、モラルはとても大切だと思う。

しかし何よりこのストーブリーグの間、プロ野球の一番のヒーローは井納選手ですね。家庭が守れなきゃあマウンドも守れないぜぃ

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