抗がん剤と言う毒、希望の党と言う毒

誤解を恐れずに言えば抗がん剤は毒薬です。わずかにいびつながん細胞は殺してしまう、だけれど正常な細胞は何とか持ちこたえる、そんなレベルの毒です。
だからがんになった人の中でも抗がん剤を利用した治療を拒否する人も少なからずいます。正しくもあり正しくないでもあります。それはこうした方がいいですよ、と言う標準治療はあっても、その標準治療をもって必ずしも正しいか?といえば医者ですらよくわからず、過去のデータからそう言っているにすぎないのです。
でも、連れ合いの時は、その毒薬を利用した治療に耐えられると僕ら夫婦は判断し、利用をして成功したわけです。

「毒を以て毒を制す」
まさにそういうことです。毒を以て、という事はその毒以上の生命力が無ければなりません。

今の日本はそんな感じがします。
憲法を変え、そして原発を推進し、弱者の補償を切り捨てる自民党に対して多くの国民はあきらめムードでいたので、ここは一発解散をしよう、と安倍氏は踏んだわけですが、どっこい安倍さんと同じような思想・政治信念の持ち主が台頭したのが今回の話だと思います。

喩は良いかどうかは別として、僕らは安倍さんと言うがん細胞をたたくために抗がん剤を使用するかどうかです。
毒を以て、が毒の強さにやられてしまう抗がん剤ならば使ってはいけないことは明白です。が、どうもこの抗がん剤の毒は命を殺めるほどの猛毒の恐れを感じます。
山本太郎議員がインタビューで
「(小池新党の)踏み絵は踏めない」と きっぱり 答えた。「憲法、安保法制、沖縄の踏み絵は踏めない」と繰り返した。
 山本は辺野古や高江で体を張って米軍基地建設反対を訴えている。国会では安保法制に反対の立場を貫いてきた。選挙で勝ちやすいからと言って、希望の党に行くわけにいかないのである。
 しかし「安倍政権を倒すためには(野党は)大きくならないといけない」と苦悩の表情を浮かべた。
 とはいえ「毒をもって毒を制す。だけど毒が国中に回ってしまったらどうしようもない」。


毒に関することわざはもう一つある。それは毒を食らわば皿までも、だ。
自身の主義主張を変え、当選するためには希望の党に入る民進党議員もいます。

でも毒の国で生き延びるのが嫌だという政治家が増えてくれる、そうした代替え治療を僕はのそみたい。
明日は横浜MM21地区でRFL横浜に参加します。
がん治療も国政も患者(国民)のものになりますように。

どの政党を選ぶのではなくどういう政治を選ぶかだ

民進党が希望の党との合流をして政権を取ろうとしているというニュースが飛び回っている。
そして同時に希望の党は合流条件として、改憲(特に9条)を公言している。
それはそうだ、小池氏はもともと日本会議のメンバーで改憲をもくろんでいる安倍氏らと志を同じくする仲間だ。ただ反発しているのは、「お山の大将」として自分が改憲をした時の総理だという名誉を欲しあって反目しているのと利権を手中に収めたいだけの違いだ。
だからもし今回の選挙が、自民党と希望の党の争いになるのなら僕はもうどうでもよくなる。自民党が勝っても希望の党が勝っても「改憲」の言葉が出れば協力し、2/3の賛同で国会を通過させるだろう。
それを抑えるのは護憲派の政党しかないし、選挙に勝つためだけに護憲の口を封じて民進党に残ろうとしている人には失礼な言い方だが無理ではないかと思う。議員数が少なくとも地道に言い続けている護憲政党にしか託せない。

小泉元総理がさかんに政策の違いを原発問題に特化して差別化を図れというが、自民だって原発の廃止を一時は訴えた。しかし、国民の声がさほど大きくないことを悟れば急展開して利権につながる原発再稼働に戻ったことを思い起こせば、希望の党が選挙公約として原発ゼロを言ったところで、政権を取れば再稼働に意見を変えることは推測に易い。
小池氏は新党立ち上げに際して
「しがらみのない政治、大胆な改革を築いていく新しい政治のために、日本をリセットするために党を立ち上げる」
と言った。それは自分たちに利益供与しないしがらみの排除であり、自分たちに付さないグループのリセット。新しい自分たちのしがらみづくりの第一歩だと思う。
それは選挙に金がかかる、議員に口利きを依頼する、そうしたルールの日本を変えなければ永遠に変わらないことだろう。

誰のための解散か

昔、地域の環境を守るための林道通行条例づくりを先輩友人が企画し末席に加えさせてもらった。
ちんぷんかんぷんながら必死に食らいついてようやく出来上がった文面を五十嵐敬喜先生に添削をしてもらったところけんもほろろ…。NGな部分は不服に対して申し立てできない点が最大と言われました。
その後その点を修正し見事合格点を頂きましたが、行政がビビり日の目を見ることはありませんでした。
そこで教えられたのは、泥棒にも三分の理ではありませんが、どんなやり取りでも一方的にしてはいけないということ。

政府もそうなのです。多数派が勝手なことをさせないように作ってあります。
内閣不信任という形で内閣を拒否しようとすれば、いや私たち内閣は実直に仕事をしています。きちんと仕事をしているかどうか国民に判断してもらいましょう、と解散権を使うことが許されています。
つまり内閣不信任でない中解散する理由は全くないはずです。そして解散というのは内閣総辞職と同じ重さのある重大なことなのです。

今回の解散の理由は大きく2つだと思っています。
1つは、加計学園問題や森友の問題。これは安倍氏や安倍昭恵さんへの疑惑をうやむやにしたいがために、火の粉が飛んでくる前に解散してみそぎを済ませたといいたのでしょう。
もう一つは唯一対抗馬になりそうなファーストの会(新党)の地盤固めの前に選挙をしたいのでしょう。

いずれも解散権を使うべく不信任とは別の話です。私利私欲で解散をすることはあまりにも無謀であり、税金の無駄遣いにしか見えません。

解散総選挙に際してはさまざまな名前が付けられますが、今回の解散総選挙は「俺たち夫婦に白羽の矢を立てないで」解散なのでしょう。

8月24日のパトビラ(№992 - 9月1日の防災訓練は気を付けて -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

9月1日にビッグレスキューかながわというオリンピックを前に関東全域の大きな防災訓練が開催されます。人数もさながらホバークラフトも来るらしく規模も最大級だそうです。そうなると気になるのは、空をオスプレイが飛ぶかもしれないという不安。何しろ2009年から9回事故を起こしている世界一危険な乗り物です。そしてストロンチウム90という放射性物質がつかわれている可能性もあるという話も聞いています。
会場の酒匂川は、白鴎中や小田原東高校がある文教地域。多くの学生のいる傍で開催するのなら危険なオスプレイは飛ばさないでほしいと思います。また、「君子危うきに近づかず」の言葉通りみなさんも酒匂橋や大橋通過の際はお気をつけてお通り下さい。近隣で寝ている方はその日の昼間は避難していたほうが無難かもしれません。ホバークラフトにしろオスプレイにしろ尋常じゃない風が吹きます。
さて、私事ながら今週をもって無期休暇を頂きます。
無期と言う言葉は永遠にと言う意味に誤解されそうですが、そうではなく、いつになるか分からないだけで戻る気は満々です。ただ半年後になるのか1年後になるのかは不明ですが・・・。拙いパトビラでしたが、「楽しみにしているんだよ」と言う言葉に励まされて書き続けました。読んでくれたみなさんありがとう。またお会いする日まで。


何度墜落しようが、速度が早いだけで荷物も積めずに被災した家をもっと大きな破損につなげる暴風を起こそうが、オスプレイをどうしても使おうとするのは何故なんでしょう?
また記事にも記しましたが、ストロンチウムが使われていると言うニュースをみるとあながちいい加減にも見えず不安だけが広がります。ストロンチウム90は放射性同位体元素で、カルシウムと似ているのでカルシウムのように体内に取り込まれやすいと言われています。学校のそばに果たしてそんな危険な物質を使っている可能性のある危険なヘリが来るのでしょうか?残念ながら否定できないのが、安倍政権です。

さて、文面後半は私事で紙面を頂戴しました。個人的な話ですが、転居します。引っ越し作業や遠方になる職場との往復等で、しばらくはバタバタしそうです。そんな訳でお休みを頂くことにしました。
将来の計画を立てた後は、残りのメンバーに委ねなければならないので、「無低からアパートに入る」ことを阻むさまざまなファクターの回避と、野宿者への偏見の打開、そしてパト運営の基盤の一つ財政を健全にすることに半年をつぎ込みました。
8日の小田原市との意見交換やさとにきたらええやん実行委員さんの協力に基づく集会の開催などで、不在になる前に一定の効果を残すことができました。まだまだ不完全な所はきっと残りのメンバーさんが知りぬぐいをしてくれるでしょう。
年末年始の炊き出しも新しいメンバーさんがお力を貸してくれることになったので安堵であります。
ただ、昨日の集会などで「小田原交流パトロール」にご関心を頂き、パトに参加してみたいという方もいらっしゃいました。僕の都合がつく時はご一緒するのは吝かではありませんのでお気軽にお問い合わせください。

また、今号を持ちましてBlogにパトビラを載せるのも終了となります。お読みくださいました皆様にも感謝申し上げます。

8月17日のパトビラ(№991 - 神頼み -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

この8日に市民を対象に小田原交流パトロールの報告会を致しました。会の内容やコンセプトをお話ししました。
そこで話しきれなかったことですが、聖書に「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」と書かれていると言う話。
サッカーの背番号12はサポーターのもの。応援の力を知っていればこそ11人でやるサッカーの次の12番をファンのためにあけてあります。野球でも同じでホームグランドでは勝率が上がります。また、受験勉強をして合格した生徒は『家族の応援のおかげ』などと言うインタビューもよく聞く言葉です。僕らは一人で頑張っているようで、決して一人ではなく、縁の下の力持ち、支えの上で生活をしています。
僕らも力には限りがありますが、精いっぱい応援したいです。そしてそう思う多くの市民がこの日の集会で増えました。またそれは神様も一緒。神頼みをしたから、パトのメンバーにお願いしたからもう大丈夫ではなく、ともに変わっていけるよう力をあわせたいです。


トピックスだけを見ると直前と同じことを書いていますが、前回のはBlogをご覧になっていられる方、そしてこのトピックスは野宿を余儀なくする仲間たちへのパトビラの内容をUPしているものですので重複をお許し下さいね。
どんな誰もが神様の目には等しく尊い方。それは平等と言う側面だけではなく、自分の意志と自由で生きる権利を与えられたという意味でもあります。だから逆に言えばだれもが一生懸命生きなければいけないし、一生懸命生きている者同士支え合わなきゃあいけないんですよね。
そして支え合いの中から希望と元気(パワー)が生まれます。

野宿者のことを学ぶ中から

13日表記の集会を開始しました。

20170813-01

現役中学教師の柏木先生の講演は、授業内容が度肝を抜くようなもので、そしてその授業を受けて、自分で考える能力の開花をする中学生たち。それはスタンディングオベーションをしたいほどの内容。

20170813-02

それは今回は直接野宿者支援とは違うし、きっと他の誰かが書いてくれるでしょうからここでは割愛します。

この会の中でフリーディスカッションをいたしました。その中でとても大事なことが質問されました。それは
「寄り添っているか?」と言う疑問です。「相手の気持ちに寄り添えているか?」と言う問いかけです。
本来一番大事なことでこの話をしたかったのですが、不慣れなコーディネートでどんどんピンポイントの論議にはまり、肝心な精神(なんのために活動をしているか?)を事前に話しきれていなかったので、そこに切り込んでくれたことはありがたかったです。

聖書の中に、マタイによる福音書と言う箇所があり、その25章35節に
「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。
そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」
大いに違うことがお分かり頂けるでしょうか?僕らはこうでなければいけないと思っています。

でもそれは一時のおにぎりを不要だと言っている訳ではありません。人は十分に食べなければ活動できません。遠い明日に就職活動をするためには今日一日生き抜かなければならない、そのためのおにぎりは「自分で食べていけるようにする」ものです。
でも、永遠に「あげる」「もらう」の関係ではいけないというのです。

その人が自分で食べていけない理由はどこにあるのでしょうか?
実はそれを柏木先生の授業ではきちんと取り上げたのです。
まさに「イエスが隣人を語る」ことに目をやった結果、子どもたちは否定していた野宿者を受け入れ、野宿者問題の本質にぶつかったのでしょう。
本質は路上で寝ている事実ではありません。本質は路上で寝なければならなくなった社会構造です。
一生懸命働いた揚句に、路上で生活をせざるを得なくなり、それを何も知らない自分が蔑視していたことに気付いた時に、社会の理不尽さに立ち向かいたいという勇気をもった。その気づきが授業内容だったのでしょう。
そして微力な自分であるのならどうするか?そこにディベート力が必要で、そこには他人と生きていくための語学の大切さ、それが国語(日本語)学なのでしょう。

もう一つ大切な関係は「祝福」です。この話は質問者の回答にも少し触れました。
以前こんなBlogをかきました。
社会の中に居る事で大切なボランティアはなにか?と言えば笑顔を作り出すことでしょう。
それが 子どもたちのように何のスキルもなくてもできることが僕らには残念ながらできなくなっていく。
それをしっかりと認識し、力不足の大人たちが子どもたちの力を借りて、笑顔と言う明日の希望の力にしてもらう活動にしていければいいですね。本当に寄り添えて行けているか?はひび葛藤で、もしかしたら出来ていないかもしれません。でもBestを尽くすことだけはしっかりと全うしたいです。

そして「している」だけではないことも教わります。パトのメンバーに家族を送る出してくれた方、「息子にとって野宿のオッチャン達は『道親』だ」と言う発言こそが、隣人の本質だったと思います。

多くの仲間たちと一緒に一つの集会を作り終え、そして幾何の方が野宿者支援に関心を持ってくれたことは感謝です。
また、カンパ箱には15.761円 もありました。謹んで御礼を申し上げるとともに大切に用いますことを申し述べさせて頂きます。

野宿者のことを学ぶ中から

20170727-01

「さとにきたらええやん」上映会がこの日曜 30日に行われます。映画のあと北村年子さんを講師にお話をお聞きします。
一つは釜ヶ崎にあるこどものさとに集まる子どもたちが血縁でなく地縁で結ばれた多くの大人たちの愛情で育っていく「道親」と言う考え方の拡大。
そしてもう一つは野宿者がおかれている現状。
そうした中、小田原でも野宿生活を余儀なくされている方のこと、それを支援する側に釜ヶ崎のこどもの里と同じように子どもたちがいるのなら、もっと深く聞きたいというと言う要望が出てきたので、映画会の第2弾を開催する運びとなりました。

会場は80余人ですので、早いもの順です(^_^)/
予約もお受けいたしますのでご興味ご関心のある方はご連絡ください。

原爆投下の日

正確な時期は失念したが1980年代中旬から小田原のスクランブル交差点で小田原在住の被爆者の方と一緒に原水禁の署名と募金活動を約30年続けた。
きっかけは、

20170809-01

20170809-02

の絵本でも紹介されたHさんの音頭取り。(右下の小田原と書かれた方)
世の中を変えることが出来るほど大きな力ではないことは分かっているけれど、町の中で大きな声をあげてPRすることが、すなわち風化防止。なんだかわからない輩がでかい声張り上げていたな、原爆がどうだとか…。そんなあやふやな理解でもいい、原爆と言う言葉がインプットされれば、いつかその記憶が蘇える。
何割の方に理解して頂けたかもわからないし、今日日「長崎に原爆が投下された年月日は?」と問われて何割が正解を言ってくれるかも知るのも怖いくらいなデータなんだろう。少しでも食い止められればと切に思う。
その活動が今から約30年前に終止符を打たざるを得なかったのは、もう被爆者の方々も(もちろん僕ら教会での協力者も)高齢になり、夏の暑い昼下がりにやれるだけの体力が無くなってきたから。活動をやめなければならないのは悔しいいし苦しい。
苦しい…それは思いが広がらないという側面がそういう気持ちにさせる。始めた方の意志が通じ国の考えが改まったならともかく、思い半ばでやめてしまう事は申し訳ないという気持ちも湧く。
でもスタンディングだけがPRではない。今僕らは自由にFacebookやツィッター、ミクシーなどのSNSに投稿する権利を持っている。
9日、僕らは今一度原爆に想いを馳せよう! 唯一の被爆国、いやそんなことはない、実験地に住むネイティブアメリカンやビキニ環礁の住民たち、そしてチェルノブイリに住んでいた方々・・・。みんな被害を受け困窮の日々を過ごしている。そうした人たちと一緒にやはり原子力の使用は人類には無謀だと言わなければならない。そしていかなる理由であれ人を殺める権利が無いことも声を大にして言い続けたい。

8月10日のパトビラ(№990 - 小田原市生活支援課と意見交換してきました -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。
いつもはA4一枚ですが、書ききれなく今日はA4二枚です。

20170810-01
20170810-02

8日に小田原市福祉健康部生活支援課と意見交換をしてまいりました。
大きなテーマは2つで、その1つはジャンパー問題に端を発した「生活保護行政のあり方検討会」報告書の「改善案」の動向。
1.所内で研修をたくさんしてどうすれば正しく優しく生活困窮の人たちと対応できるかの検討。 
2.1項で学んだことを窓口やケースワーカーの訪問時に実践できるようにする改革。このなかには既に改正した「保護のしおり」やそれを使っての人権に伴った利用審査、保護の申請からの決定まで14日で治める努力の徹底などがあります。 
3.またケースワーカーなどの職員が仕事をしやすくするような環境づくり。人員の増員や市長・副市長とのミーティングなどをする等を掲げています。 
4.保護を利用している人が後ろめたくないように、当然の権利と胸を張って使えるようにすること 
5.市民に開かれた生活保護。4項と類似していますが、市民が保護利用に理解をするように啓発していく。 こうしたことをしていくと報告がありました。

もう一つのテーマは、NPO無料低額宿泊所からアパート等への転居や無低の施設概要について、です。
いわゆる厚生省課長通達7―107で、面接時にいくつもの要件を中心に総合的に判断をすること自身は異論ないですが、「あり方検討会」の中で有識者の方が、一時宿泊所なので長期無低に留めるのはよろしい事ではないと語り、それについては市側も納得したことなので、最低限の金銭管理や火元管理などの安全管理などができる人に関しては、アパートに転居後にケースワーカーさんと一緒にそのほかの詳細改善をしていけるようにしてほしい事。面接官が本人以外無低の運営者や施設管理者などの意見を重視するのは(空き部屋を嫌がる運営者と言う立場なので)アンフェアーになる、等の意見を提言してきました。
多くの部分は市役所担当者も納得していただいたので今後改善されると思っています。
こうした意見交換会は定期的に行っていきたいと思います。


小田原市さんが板挟みで大変なことは重々承知の上で、でも国や県は顔の見える関係じゃなく、僕らが頼るのはやはり市行政なのです。野宿の一人一人の顔を見ながら、困窮の悩みを直で聞きながら、小田原で生活してよかったと言える街づくりにしていってほしいです。そのためには市民グループとして協力を惜しみません。

第三のレス

30日の会が神奈川新聞の紙面に載りました。取材ありがとうございます。
それを実行委員仲間の友人がフェイスブックで教えてくれました。ありがとうございます。
そうした2つがあってこのトピックスをあげることができました。

20170806-01

houseless(物質の家というものが無いハウスレス)とhomeless(帰る場所・家族などの精神的なつながりが無いホームレス)は以前から多くの方の指摘がありましたが、今回北村氏はinformationless(と言う言葉は使わなかったけれど情報不足)も一つの貧困になると言われました。

なかなか理解できずにおりましたが、学校でラインの仲間外れなどといういじめが多発していることなどは、お金があり、家には心配をする家族がいても、長時間ともに過ごす学校の仲間がいなくなると途端に人生が謳歌できなくなることなのだと、後々実感がわいて…。

いまや情報と言うのは一つの大切な道具であり、それ故多くの人が、ラインやフェイスブックなどでほかの人とつながりを求め、そこからの情報で安心感を得ている時代です。
それを良し悪しと言う分析をしたところで、残念ながらそういう事実はありますし、このBlog自身だって、一番最初に書いたように、新聞記者と僕にその情報をフェイスブックで教えてくれた友がいなければ成り立たず、その嬉しい情報をほかの仲間とも共有したいという意思によって成り立ちます。
スマホと言う物質を持っていながらも、まさに「情報ホームレス」の問題は新しい貧困(心の痛手)を生み出す問題なのかもしれません。

それに第三次産業は情報で利益を生み出している産業帯です。インサイダー取引なんて言葉があるように、その情報を不正に取得するのは法で罰せられています。それだけ情報は貨幣価値を持っている事でもあります。
パソコンの使い方がわからない人が不平等に、不利益をこうむらないように、少なくとも人と人との交流の中では考慮しなければならないのでしょうね。
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