歳時記の撮影

半日時間が空いたので近場でどこかと探したら藤沢で曼珠沙華がきれいな畔があるというので行ってきました。

20160917-03

ところが昨今のおかしな陽気。まだ全然咲いていませんでした。ヴ~ン残念。

20160917-01

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あきらめないことにしたの

20160619-01

もうタイトルだけで十分です。こんなに気持ちがシンクロして、こんなにエールを送れる言葉ありません。
きっと小高のお仲間さんも、そしてRFLに参加しているがんサバイバーさんも、そしてこの僕もそうして生きています。
あきらめなくても「BEST」な人生にはならないかもしれないのは、飯舘村の人も小高の人も、RFLにくるがんサバイバーも僕も皆一緒です。
でも、やらないで後悔するのならやってやってやりきりたい。やりきった達成感は、ぜったいに満足を生み出します。

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書12章24節)
この聖句は、僕にとっては、喩が分かりにくいです。
この聖句は、僕にとっては、一つの種芋、あなたの体の栄養分が、多くのじゃがいもを宿す。です。
ユダヤの砂漠ではない日本の土壌ではその方が理にかなっているように見えます。

そうしたジャガイモの話です。
種芋の栄養を吸い取りながら、新しい小芋は土の中で大きくおいしくなっていきます。
僕らは出来上がったジャガイモをただ美味しいね、と食べていますが、そこには、土の中では、とても大きな世代交代が起こっているのです。
先人が耕した土壌の上で私たちは生きて、生きがいや信仰を得ている話を今日の礼拝で聞きました。

飯舘の豊かな土地で生きるという事も、僕らの信仰に生きることと同じような気がします。

ユダヤの人はバビロニアの捕囚を受けイスラエルと言う国は長い間滅びました。
でも(再生の形は悪く、その後の国の在り方も支持はできませんが)イスラエルと言う国は復活しました。

「あきらめないことにしたの」であれば必ずいつに日かです。僕らの時代ではないかもしれない。
でも、あきらめなければいつの日か、です。
「あきらめなきゃあ」飯舘村のかぁちゃんたちと言う種芋からきっと素晴らしい子芋がたくさん取れるはずです。

読む私たちが勇気づけられる本です。そして飯舘に行きたくなる本でもあります。
たぶん多くの人は人生の中であきらめを考える時があるかと思います。でも、あきらめない生き方は、しんどいですが絶対楽しいはずです。

南相馬―フィールドワークキャラバン(土とともに、の巻)

ご縁がある時はご縁が向こうから来てくれるのかもしれません。もう少しクリスチャンぽく言えば奇しき神のみわざがそういうストーリーを組んでくれたのかもしれません。
南相馬―フィールドワークキャラバンから帰ってきたのが5日の夜遅く。自宅のPCを開ければ久米さんが小田原に向かうとのコメント。
えっ!なんで?? お会いした時には何も言っていなかったじゃない、と思いながらも行き先は僕の友人の会社なので友人に電話をするとすでに到着しているとのこと。
1日ぶりに、久米さんと小林ご夫妻にお会いしお礼を言うことができました。

それから数日、鎌倉で飯舘村の映画があるよ、と教えてくれる友人あり。これは何としても行かなくては!といざ鎌倉。
5日に通った県道12号線から数Km北の佐須地区にお住いの榮子さんと芳子さんのドキュメント。

20160611-03

前述のBlogをはじめ、何度も同じことを書いていますが、フクイチ以降の生活の場としての問題は2つに分かれています。
移住して安全な生活の場を求める派と故郷で生きたい派。
それと放射性物質の他地域への飛散(移動)や食の安全、そして偏見問題と絡んで、江戸末期の討幕護幕・攘夷開国の2点が絡んだ大問題のような有様になっています。
「安全な」を求める声は体の健康を重視し、「帰村』を希望する声は心のよりどころを重視しているように感じます。
いずれの言い分も理解できる点が多いので意見を出すのが難しいところです。
今回の映画は、後者。つまり年齢的なことも関与しますが、心のよりどころを求める2人のばぁちゃん。

「穢れ」という言葉は忌まわしく思われる不浄な状態ですが、今日どちらかと言えば差別を助長する言葉として使われます。
でも元の言葉は、「ハレとケ」非日常と日常のケ=日常をすることができない状態をケ枯れから来ていると言われています。
まさに、原発難民として故郷を追われ故郷から10余Km 離れた未知の場で生活をすることは、ケができないケ枯れの状態でしょう。
なんとかケの状態になりたい、と人生の終盤、必死にもがいている姿は、見ている僕らにももどかしいです。
土とともに生きた百姓は土がケ枯れていれば、百姓もケ枯れるのです。作ったものが喜んで食べてもらえるからこそ働く意欲がわきます。ケの楽しい労働の日々が送れるのです。そのやるせなさを笑い吹き飛ばそうと顔晴っています。
でも、久米さんも言っていましたが、このお二人のおばーちゃんも「不幸」を背負っている訳じゃあありません。「かわいそうな人」でもないです。
ただケの毎日を送りたいと一生懸命誠実に生きている人たちです。

孫たちが墓参りに返ってきても放射線量を気にして1時間で帰宅してまた1人ボッチになって入りまう。一人ひっそりと仮設に戻って行く姿。そこでの食事はTVではなくディジタルフォトフレームに入れた孫の写真を自動切り替えにして見ています。
国との折衝では、孫と住めない苛立たちをぶつけます。

それでも、佐須味噌や染み餅といった郷土料理を他地域に教えに行き、この技術を持っている人が飯舘村からいなくなってしまっていても、教えた先で技術が踏襲され、そしていつの日か飯舘村に戻れるときに無くなった技術を逆輸入させてほしい、といいます。
監督の古居さんは長くパレスチナ地方の弱者を追いかけてきたドキュメント映画の監督です。
だからではないでしょうけれど、このフレーズを聞いてユダヤを思い出しました。

20160611-02
(映画会のあと、鎌倉に震災銭湯を作る会の会長(左)と古居みずえ監督(右))

子ども讃美歌のクリスマスの歌に
昔、ユダヤの人々は
神様からのお約束
尊い方のお生まれを
何百年も待ちました
というのがあります。
神がモーセにイスラエルの地をユダヤの民族に与えるといったのが紀元前13世紀頃。つまり1300年いつ生まれて自分たちを救ってくれるのかを、そしてそれはどんな形なのかも分からずずっと待っていたわけです。
救い主に会えず多くの人が次の代にその使命と希望を託し死んでいく、という壮大なドラマは、幼き頃の僕の中では希望よりも出会えなかった悲しみ・絶望感として映っていました。
しかし年を重ね、今になると、ユダヤの民の気持ちが分かります。自分が全てできないのは摂理で、できないものは次に委ねるべきなのでしょう。
ですから榮子さんのこの活動はすとんと胸の中に落ち、映画を見ながらエールを送りました。

もう一つおもしろかったのは榮子さんと芳子さんの関係。親戚筋に当たる年もほど近いお二人ですが、主導権を握る榮子さんと少し後ろを安心しながら歩く芳子さんの関係。
なんだか世の多くのご夫婦を見ているようでした。そして圧巻なのは、その芳子さんがいがんで入院する場面。
RFL(リレーフォーライフ)の会場に行ってもよく言われるのは男性は弱虫だということ。
自分の健診にもがんが発見されることが怖いから行かず、また連れががんを告知されようものならただおろおろして何をしていいかわからない毎日を過ごします。
結果を聞くのが怖いです。最悪を想定しながら勝手に落ち込みます。
そんな自分の姿がオーバーラップした榮子さん\(^o^)/
怖い気持ちもよくよくわかります。蔭ながら応援。病院でのお見舞いシーンで二人して号泣したのもよくよくわかるシーンでした

お二人のベースは「ケ」です。世の中がケ枯れをさせようとしたとき必死にケに戻すことは、本当に豊かな毎日を感謝の気持ちを持って生きるためには大切なことだと思います。
映画を通してお二人から大きな勇気を頂けた映画でした。

飯舘村は0.5μ㏜/h程度はあります。それを年間2m㏜にして帰村しようと村長は動いていると言います。
仮設ではなくふるさとで死にたいという村民の声もあることは確かながら、急いで選択をさせ、仮設や支援を終了させる必然性はどれだけあるのか、と思います。帰村してもリフォームから何から全部一からやり直しです。そうした部分や、病院・スーパーなどのインフラ整備が完全に復活し、町としての機能をするまでは仮設の解体はしてはいけないような気がします。
非のない飯舘村民は、妥協をすることなく、東電と原発を許可した国に対して、日本の各地に示したのと同等の1m㏜に1年にないに戻せ、を言い続けそれができないうちは責任を自覚し政策と補償(年数が経てば経つほど精神的苦痛が増すので補償額の増額も)で対応しろと言い続けていいのではないでしょうか?
原爆被爆者から始まり各公害病も、国は責任を取ると言いながらも引き伸ばしで関係者が亡くなっていくのを待っているような気がします。その引き伸ばし作戦にピリオウドを打つためにも「攻めた」要求を突き付けていいと思いますよ。
自ら自由の巾(選択肢)を狭める必要は全くないのです。

陽光桜

戦後70年が経ち戦争の悲惨さを実体験なされた方が少なくなり、困窮を想像できずに威勢のいい発言をする人が増えています。
想像を越えた悲惨さは、たとえドラマであったとしても伝えていかなければいけないでしょうし、戦争を知らない僕らは文献(生き証人の証言)などからトータルとしての戦争を頭の中で組み立てていかなければいけないと思います。

多くの教え子が戦場で亡くなった教師。それはとてもつらい体験だったでしょう。
たとえ本意でなくても『お国のために』と子どもたちにジハード(聖戦)を説き死を美化したことは、現在自爆テロなどで死んでいく若者を悲しみを持って見ている僕らにしてみれば、それを一度は指導してしまった悔いを感じている痛みをひしひしと感じてしまいます。

戦後、自費をはたいて様々なサクラを掛け合わせたのは、自分の生徒たちがシベリアから熱帯のジャングルまであちこちで死んでいった、その場所にサクラを植えたいという気持ちだった、という自伝だというのを聞いて購入してしまいました。
この秋映画になるそうです。
映画も必見です。

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もやしもんに誘われて

RFLのお仲間、看護師のぶいちゃんがFBでお勧めしていたので思わずぽちっと…

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ところが思った以上きちんとした専門書だった(^_^;) 学生時代 生物化学を専攻したとはいえ、そのジャンルは食品科学だったし、そもそもまじめに学校行ってなかったし、しかももう頭の中は錆びついたおやぢだし・・・という事で書いてあることを理解するのに時間がかかるかかる(笑)
でも、科学は昨日の「正」が今日の「偽」になることも多分にあるので、最新の微生物についての「入門書」を読むのも悪くないな、と読み始めています。

そもそも僕らはどこまで正しい生活をしているのだろう?
一昔前までは手洗いについても「トイレから出る時は手を洗いましょう」は当たり前のように言われてまして、それは「外から家に帰った時はうがい手洗いをしましょう」よりもはるかに強制力を持っていたと思います。
だって小学生だった頃を思い起こしても、学校で「Takeのやつ汚ねェ、トイレから出るとき手を洗わなかったんだぜ」などと一緒にトイレに行った友人に言われようものなら、少なくとも一週間はクラスの女子から軽蔑した目で見られる。
けれども「昨日Takeのやつ学校から家に帰った時、手洗いしなかったらしいぜ」と言われても女子からは口をきいてもらえないなんて言うことはなかったと思う。
つまり手洗いの重要性は、外出先よりトイレ、という図式が学校内では蔓延していたはず。

でも、本当なんだろうか? 僕は先ほども言ったように食品科学で衛生学は一般教養に毛の生えたものくらいしか履行していなかったはず(授業を聞いていなかっただけかもしれない)
だから専門的なことはかけないけれど、
1.出る時に手を洗って(ゼロクリアー)した人が、電車で吊り革を握って帰った人の手
2.手を洗った後(ゼロクリアー)トイレに入って、トイレットロールと便座蓋と水洗の金具を触った後の手
3.昨日のお風呂を沸かし返した2日目の40度のお湯
4.30分前に入れて、2,3度口をつけたカフェオレ(現時点40℃)の中
の4つのシチュエーションだったら、明らかにトイレから出た人の手が一番きれいだと思う。

僕らの子どもの頃は、トイレ事情はよくなく、俗にいうポットントイレで、臭うしハエは始終飛んでいるし、時期が悪いと蛆の姿を見ることもあった。そんな時はトイレの中は汚れていたけれど、水洗が当たり前でしかもリトルベンが「嫌な時代になった」



という時代にはトイレよりも手洗いおっこうしなけなら居場所は多分にあるのでしょう。
そんなことを本を読み読み思いました。
僕の友人の専門家の皆さん、間違っていたらご指摘下さい。
それとあくまでもトイレからでるとき手を洗わなくてもいい、という事ではありませんので御間違いなく(笑)
なんだか変な方向性に流れたBlogでした

名探偵 かく生まれり

「勝ち組・負け組」という言葉が流行ったのは、友達を出し抜いても自分が有利になりたいとか、自分は騙されて貧乏くじを引きたくない…つまり騙しても騙されたくないという気質が日本の中に蔓延したからかもしれません。
日本人はそんなピリピリした気質じゃないと思ったのに残念な気もします。
そんな昨今ですが、実は騙されることに快感を持っている一面も持ち合わせています。

昨日本屋で見つけたこの一冊。帯にひかれて買っちゃいましたが、その帯に間違いなしでした。
短編4編、特にタイトルになった「そして名探偵は生まれた」は、まさに「してやられました」

関西の名コメディアン「アホの坂田」こと坂田利夫さんは、他人に「アホの坂田」と言われることはOKでしたが、「アホ」と言われることはいやがったと言われます。
「アホの坂田」というのはアホを演じているからで、「アホ」は天然のアホと言われているように思うからだと聞き及んでいます。
人に騙されることに非情な反応を示す僕らですが、騙されようと思った時にうまく騙されるとそれは快感になるのかもしれません。

20150302-01

名探偵影浦速水はまるで密室の中を3Dで見ているように完璧に頭の中に浮かべ、そしてシャーロックホームズのように多彩な知識を駆使して犯人を捜しあてるのですが…
いやぁ、ここからが歌野晶午さんの真骨頂。しばらく前にはまった樋口有介さん以来久々に一番はまっている推理作家です。
もし本屋でご覧になったらぜひご覧になってみてください。

今日も嫌がらせ弁当

TVや映画のキャラクターをモチーフにした弁当をキャラ弁というのは、もう日本の中で周知されているかと思います。
まぁ、子どもが喜ぶからって昼に食べちゃうものに何でそんなに手間暇をかけるの?と少し反発していた僕ですが、この本を見てその作業もありかな?と少し心変わりをいたしております。

20150228-01

嫌がらせ弁当? 何? と思う方に少し説明をすると、この弁当を作っているのは高校生の女の子のママさん。この高校生は少しクールで、キャラ弁?、そんなの恥ずかしくてみっともない、というような女の子。
そしてご多分に漏れずに親への反抗期中。
「親なんだしィ~」「弁当くらいつくるの当たり前だしィ~」
若気の至り、僕も高校生くらいの時は親の苦労とか考えもせずに自分勝手に、自分中心に物事を考えていたきらいはあります。権利ばかり主張して義務はたしてなかったです。
そんな母親がカチンと来て娘のために作ったキャラ弁が、キャラ弁嫌いの娘への嫌がらせ弁当という訳です。

本の内容は見開き完結。その日の弁当の写真と、その弁当にした理由の文章が1ページずつ。
こんなことが昨日あって頭に来たから今日のキャラ弁はこれ! って感じです。
一例をとると弁当箱出さなくって朝になってがびがびに乾いたものを洗ってそこに今日のお弁当を詰める時の「作品」

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ま、こんな感じの弁当が続くのですが、そのキャラ弁が上手のなんのって、芸術の域なんです。そして娘とのバトルも、うんうんとうなずけるものばかり。

・・・本の最期は娘からママへのお礼の言葉で締めくくられていました。
自分もそうですが、反抗期の子どもは決して親が嫌なわけではないのです。伝えられない苛立ち、感情を素直に出すことへの照れが「反抗」という形になるだけで、この娘も反抗期を終えママへの感謝の言葉がたっぷり書かれていました。

反抗期に頭ごなしに怒鳴っても、また冷静に注意しても、子どもはわかっていても従えなかったりします。
この本を読んで、いい感じで娘に注意を促せたな、という感がしました。
文章(キャラ弁)という形が程よく冷静に、しかもタイミングよく(叱るのもタイミングが悪いと、今更なぜ、って思ったりするじゃないですか)注意を促せたから良い関係が保てたのかな、と思います。
そういう意味では、母娘の交換日記だったのでしょう。「アッ、ママはこのことを注意しようとしているんだ」「悪かったかな」そんな気持ちを呼び起こしたのでしょうね。

ほのぼのとした弁当の写真集をまさかこの僕が買うとは思っていませんでしたが、なんかいい教育書を読んだような感じが致しました。

KANO・1931海の向こうの甲子園

遺憾千万とお叱りを受けるかもしれないけれど、もし日本のアジア侵略が残したもので「よいこと」があるとすれば、困窮の悲しみを省みながらも誤解を恐れずに言えば言葉を奪った結果の功績を鑑みれば、意思の疎通ができて仲間として一丸になれたことなのかもしれません。もちろん僕が語るのは薄っぺらな表面だけで、(言葉や文化を奪われる)深層の悲しみの厚さに比べれば、そんなのは複数語でもできる友情なのかもしれませんが…。
日本統治時代(日清戦争後から第二次世界大戦終了まで)に関わる映画「海角七号 君想う、国境の南」や「セデック・バレ」 を立て続けに発表された魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督が「セデック・バレ」と同じ時代の高校野球を題材にした映画のプロデュース作品が今回の「KANO・1931海の向こうの甲子園」です。

20150126-01

勝ち負けよりも野球をプレーすることを楽しんでいる嘉儀農林の子どもたち。しかし何とか周囲の学校と同じくらいのレベルにしてあげたいという教師は、元松商の選手であり、その後同校の監督としても鳴らした近藤氏を招へいします。
氏のスパルタ指導の下、そして的確な適所的題を見出す目により、嘉儀農林(KANO)は力をつけ、台湾№1となり海を渡って甲子園にやってきます。
その間、嘉儀の町で、そして甲子園で日本人から民族蔑視の言葉を投げかけながらも生徒同士の友情も、近藤氏の教育もそこに差別はありません。

この時代の映画は支配者として入った日本人が、原住民や漢人と呼ばれる中国本土から移住してきた客家とどういう関係にあったかが、理解する一番のカギになるような気がします。

そして『いい人』も居たし『悪い人』も居た、という極めてありふれた結論にたどり着きます。
どこの学校にも校歌(学歌)があり、同時に応援歌があるところも多いかと思いますが、僕の出身校も多分に漏れません。大根を持って踊る応援歌で有名な「青山ほとり」もありますが、そのほかにも「団結節」という応援歌があります。
****
押忍、押忍、団結だ
押忍、意気だよ、その意気だ
北は樺太、北海道 南は九州、台湾の 猛者が集まる常盤松
(略)
****
果たしてKANO(1931年)、大先輩が青春を謳歌していた農大には人種差別はあったのか?は、その時代を検証したことのない僕にはわからないですが、そして身びいきかもしれませんが、縦社会には厳しかった学校ですが、「農民」という結の文化、協力する作業団体ゆえ人種差別はなかっただろう、きっと嘉儀農林のように和気あいあいとしていた中であの団結節が生まれたのかな、とは思います。嘉農に人種差別がなかったのは農業がベースにあるような気がします。
いいものを作りたいという情熱は、差別などしている余裕を生みません。
それゆえ八田氏は烏山頭ダムが作れ、近藤氏は強いチームが作れたのでしょう。

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札幌商業の錠者投手も同様の差別よりもライバルとしての尊敬を優先した人の一人です。彼も切磋琢磨して『いいもの(野球)』を作りたいと願う人だったのでしょう。呉投手の投球、嘉儀農林の野球に対する取り組みはその後も脳裏から消えなかったのでしょう。彼はその後フィリピンの戦場に赴く際に、嘉儀の町に立ち寄り嘉儀農林の練習場を見に行きます。こんなところであいつらは練習していたのか…・、粗末なグランドを見て衝撃を受けます。

今、中国や韓国との間に「不審」という空気が流れています。ヘイトスピーチが日本でなされたりする報道が流れます。
でも、日本に住んでいる僕らから見てヘイトスピーチをするもの、嫌韓のものはそんなにいないと思うのです。ただ、そこにスポットライトを当てた報道ばかり見ていると日本中ではそうした空気が流れているように見えてしまいます。
でも、占領・戦時中でも嘉農野球部や烏山頭ダムの八田氏のような出来事もありました。『人として』正しい人もたくさん活躍していたことは、不幸な戦争を起こした国の子孫として、反省をしつつも少し安堵の思いを起こさせます。
歴史を「水に流して」はいけないと思います。しかし過去の和解が未来の友好につながることも確かです。プロデューサーならびに監督はじめスタッフからはそうした気持ちを汲み取ることもできました。本当にありがたいことです。

20150126-02

さて、映画の中で、嘉儀の町を再現されたセットが流されました。失礼ながら台中・台南のはざまの小街、玉山(真珠湾攻撃の暗号に使われた新高山)の登山口のイメージでしたが、その再現された1930年代の町はモダンでおしゃれな街でした。
セディクバレの舞台となった霧社、埔里には一度行ってみたいと思っておりますが、続いてこの嘉儀や烏山頭ダムにも興味津々です。

熱血スポーツドラマなら最後は優勝で終わるのでしょうが、神様はこのチームに優勝の二文字は送られませんでした。しかし、それゆえに仲間たちの団結力も周囲に与えるインパクトももっと大きなものが得れたような気がします。
天下のKANO、楽しませてもらいました。多謝。

2本の映画(2つの桜が繋ぐ日台の話)

KANOという台湾映画の公開を待ち遠しくしています。そんなワクワク感はFB(フェイスブック)の公式情報にリンクを張って情報を得ているわけですが、その情報の中で14日19時からラジオ文化放送で『霧社と嘉義』と題した特集番組をすると書かれていました。インターネット放送のラジコをインストールしてスタンバイ。

元西武ライオンズの渡辺久信氏はコーチ修行のために台湾のプロ野球チーム嘉南勇士に入団しますが、言葉の壁に阻まれ「なら実際投げて、見せて、教える」と現役復帰し、見事18勝をあげます。
そんな渡辺氏は、せっかく台湾に居るのだからと台湾の歴史や観光書籍を読み、霧社事件を知り、居てもたってもいられず霧社の地を訪れたそうです。

台湾は親日国です。だからと言って誰もが恨みを忘れられるはずもなく、霧社の地で夕食を食べていた時に「お前は日本人か?」と詰め寄られ、「この地がどんな地なのか知っているか?」と問われたと語られます。鎮魂のために花をささげに来た、と返答、そして台湾プロ野球で活躍の渡辺氏だという事もあって、逆にそこで豊かな交流をしたと語られました。真摯な渡辺さんのお人柄をしのばれるお話です。
最近隣国との摩擦が続いています。やはり忘れられない人もいます。逆に、忘れようとして、いい一面を語ってくれる人もいます。
僕らも渡辺さんのようにそうした相手と真摯に向き合い、謝罪と許しを乞うた上で新しい友好を築きあげたいものです。
渡辺氏の訪れた新春はこの地の名前を付けた白い霧社桜がきれいだったとも語っていました。

そんな霧社からさほど遠くない台中の嘉義の町に赴任をした近藤氏は、地元の高校生に野球を教えます。
「蛮族」と見下す記者に激怒し、平等にいいところを伸ばす手法で嘉義農林はみるみる力をつけて、甲子園に出場します。

今はこの高校は紆余曲折を受け鍵大学に編入されましたそうです。が、その校内には、ボールをかたどったモニュメントと陽光桜が植えてあると聞きました。
この陽光桜、実は四国で品種改良されたものです。
そこには、軍国主義で子どもたちを戦地に送った先生の懺悔と平和を願う意味があるのです。
そんな映画、その名も「陽光桜」が撮影されています

昨年は1本しか映画館で映画を見ませんでした。その映画がセディック・バレ、上述の霧社事件の映画です。
そして今年は1月24日から上映のこのKANOを25日にでも見に行こうかと思っています。
そして、引き続いて「陽光桜」、これも今のうちからcheck it out!

戦後70周年、多面的に学び、過ちを繰り返さないようにしたいものです。

更け行く夜のお楽しみ

いわゆるカレンダーの旗日と言われる祝日は僕の勤めている会社にはなく、カレンダーの色が赤かろうが青かろうが黒かろうが関係なく出勤(第1土曜と、毎週の日曜、そしてGWや夏休み・年末年始休みはあります)です。
が、体育の日と成人の日は、地元のお祭りの神輿の休憩所になったりどんど焼きの会場に関わったりするのでお休みになります。ただ、今年はありがたいことに仕事がボチボチと続き12日に全員一斉に休むわけにはいかず、僕は10日の日にお休みを頂くことになりました。
久々に何も予定のないお休み(^_^)/

そんな訳で年末島牧師よりお借りした漫画の一気読みをし始めました。

20150110-01

ビックコミックに載ったのは知っていましたが、読むことなく過ごしていて先生から勧められなかったら読むことはなかった本ですが、1巻から数冊一気に読みました。
何か・・・そう知力・体力・気力の優れた主人公はゴルゴ13のようだな、と思ったらビンゴでした(^_^)/
原作者の勝鹿北星さんこと故きむらはじめ氏はゴルゴ13にも原作として関わっているそうで、歴史、国際情勢、文化人類学、動物行動学等を駆使して、問題提起をしそして相手を追い詰める内容はワクワクしますね。
また氏の友人(のちに絶交)の雁屋哲氏は、美味しんぼの「福島の真実」で社会派として論争を巻き起こしましたが、実は氏の男組という漫画は荒唐無稽な学園物ながら、最後にワルシャワ労働歌という社会主義的な側面が出たことで驚いたのは今もってよく覚えています。
そんな漫画家の仲間たちを見るとこの漫画が面白いのはわからなくないですね。お借りした漫画はまだ2/3残っています。冬の夜長読みふけたいと思います。
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