沖縄フィールドワーク(抗議スタンディング)

高江ヘリパッドを作るには、森を破壊することと同時に、建築資材を搬入する必要があります。
現在は道路などを作っておりますので、コンクリートが必要になり、それに使う砂利は国頭やなんと天草から運ばれているそうです。
先週行った熊本とこんなことでつながるとは思いませんでしたが、天草は天草で反対運動が起きているそうです。
そして国頭や大宜見のおじー・おばーから若者まで自分のふるさとがヘリパッドと言う軍事基地の礎石になってほしくない、人殺しの村になってほしくない、騒音で苦しむという未来への禍根を残してほしくない、と早朝トラックや関係省庁の車へのアピール、そして啓発として反対の意思表示を表らしています。
「本来ならゲート前で座り込みしたいがそうも出来ない」「だから自分のできることをやっていくんだ」と語ってくれます。

僕らも2日間7時から1時間ほど2カ所の道路わきで反対の意思表示を一緒にさせてもらいました。

20161025-21

僕らの親くらいのおじーやおばーは戦争を体験し、その悲惨を「想像ではなく」「実際に体験」しているわけです。だから絶対反対と体をおしてでも来ます。
小さなお子さん連れのお母さんはこの子の将来のためにと言います。
そして若者は30分ほど通過の車へアピールをした後、仕事へと出かけて行きました。本当は砂利を運搬する車へアピールをしたいのでしょうけれど、そんな願いを持っていて叶わぬままの出勤でしょうけれど、でも出来る事をする姿は僕らを奮え立たせます。

20161025-22

無線を使って仲間と連絡を取るリーダーが『来るぞ』と言います。初めて参加する僕らは緊張をします。
そんな中、パトカー2台、続いて機動隊のバス2台に続いて10tダンプが続きます。
ゆっくりゆっくり30km/hと言うスピードで走ります。
真ん中に関係ない車を入れないように、警官の緊急車両が信号の色に問わず走るのだそうです。
時には通学する子どもたちの列を危ないよ行って歩行をさせずに警官が遮り『トラック様のお通りだい』とばかり、大名行列が続きます。20台を超えるトラックがゆっくりゆっくり30㎞/hのスピードで走るので、一般車両はその後ろに長蛇の列です。
そんなことを毎日毎日国道を40kmと言う長い距離迷惑行為を続けています。
この姿を見ただけで、そこまで市民を犠牲にしてやることかと言う怒りが湧いてきます。

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排気ガスを出しながら走る車を前にした抗議活動。でも道路の向こうは青い海、そして海からの心地よい風が重苦しい活動を和らげてくれます。

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晴れの日も雨の日も黙々とスタンディグ。やんばるの天気は特に通り雨が多いそうで、青空なのに雨降り。

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久野の闘いの時、農民の抗議はやはりむしろ旗掲げてだな、と僕らも多くのむしろ旗を掲げたのを思い出しました。権力者に対抗するのは泥臭いこうした闘い方が似合う。

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上記でも書いたけれど、パトカーが民間車両を守る。久野の闘いの時も行政検査を深夜(早朝)4時からした。そこまで肩入れするのは何故か?
どう見ても平等ではない。住民の主張を無視しても日米安保を守りたいのか。アメリカ軍人の違法行為には逃げ腰の行政が、日本人には強気なのが気に入らない。

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ダンプが行き過ぎてからドヤドヤドヤと僕らの前にバリケード。なんなのだ?

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ほぼ一人の住民に一人の機動隊員がつく。僕にはこの彼だ。目を伏せて前に立つ彼はまだ10代なのかとも思う。
写真を撮ろうとするとすかさずカメラの前に立つ。上官に「身を挺して写真を撮られるな」と言われているのか?だとしたら彼らに人権は与えられていないのだろう。
アメリカの海兵隊は、人間の権利を奪うために名前を奪う、全員ナンバーで呼ぶ。そういえば、宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」も名前を奪う。
名前と言う差別化をする道具はそこに感情を生む。だから飼い犬のように名前があればその死は悲しみだが、犬の死と言う一般論の時には涙は出にくい。
故に軍隊も機動隊も個別と言う差を奪い十羽一絡げにするのだろう。

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わずか数分、僕らの前に立った彼らはすぐにバスに乗り込んでダンプカーとともに高江に向かった。何のためにバリケードしたのかわからずじまいだった。

沖縄フィールドワーク(続・やっこくねーぞ)

N1で聞いた、「俺は負けたことが無い」…自信過剰か!と思われるような発言。
でも勝つまでやり続けるなら、途中途中の局面で挫折しそうな困窮に陥っても、へこたれても、もうだめだと思っても、そして一時活動を休止しても、充電して立ち上がって元気なもとの姿になれば「俺は負けたことが無い」訳だ。
オキナワの闘いで得た哲学。でもこれは住民運動だけじゃない。
人生、嫌なことが続いたり、悩んだり、それこそ生きるのが苦しくなったりしても、そしてそこで歩き疲れて歩くのが嫌になりしゃがみこんじゃっても、もう一度立ち上がれば負けじゃない。
「俺は負けたことが無い」と威張ろう(笑)そう人生の最後の日まで胸を張りながら生きたいものだ。

そんなことをFacebookに書いた途端、がんのソウルメイトの杉浦 貴之さんが2013年に書いた言葉をUPしていた。
自分の中でシンクロした。

先日の投稿で、「決める」ことの大切さを書きました。
体の全細胞は、宿主が“決めて”くれるのを待っている。「どう生きたいんだ!」と。
そして、「決めた」あとの続きが必要です。
「絶対に治す!」
「絶対、絶対、絶対」
というのは、強いようで、実はもろい。

「絶対に中折れしない!」
って、“絶対”を続けすぎると、かえってプレッシャーになり、中折れしやすくなる。
何だか例えが良くない(笑)。

妻に「絶対にこぼさないで食べて!」と言われるほど、食べ物をこぼしてしまう自分がいます。経験ないですか?
「絶対に」を続けすぎると、実はその逆の現象を引き寄せていることに気づきます。
一度、強い決意を持って、「絶対・・・」とやるのはいいと思います。
ただ、それが過ぎると、陽極まって陰に転じるように、ずっとは続けない方がいい。
“決意”のあとが大事。

決意した後は、“信頼”。
「中折れしないに決まっている」
自分は大丈夫という信頼に持っていく。
「絶対に治す!」から「治るに決まっている」へ。
「絶対・・・」は交感神経が優位で、「治るに決まっている、大丈夫」は副交感神経が優位になりそうですね。
”決意”の後は、“信頼”に昇華できたら最高!

闘いもそう。一度ダンプが入られたら負けてしまった、おしまいだ、ではない。
高江の闘いは前向きだ。ダンプの搬入を5分遅らせた。やったね。
このしたたかさは勝ちにつながる。

沖縄フィールドワーク(やっこくねーぞ)

三上智恵監督の『票的の村』の短縮版を見た。
泣いた…。それは昔関わった闘いを思い出したから。
理不尽な業者と行政の二人三脚。既に結論ありきの中「ならぬものはならぬ」という天の原理原則に従い、勝ち負けを別としてやるだけやろうと、住民の力を見せようとした地元の農民に手弁当で協力してくれた2人の弁護士や専門家の先生。

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思わず闘いの終わった後に住民みんなで記した報告集を引っ張り出して読んだ。
わずか5,6年だがその時の一つ一つが甦り、高江や辺野古の仲間とシンクロしたような気がした。
高江に行きたい。そんな独り言に何人かの仲間が同調してくれた。

行っても何もできない。でも行きたい、それだけのことだ。
行こう! 負け試合から始まった久野の農民魂、やっこくねーのは沖縄の人たちも同じだ!!

僕には一つの理論がある。「『正義は勝つ』は嘘だ」 やはり強い方が勝つ。
では強いとは何か?それはその問題に執着がある方だ。日米の為政者はここに軍事基地を作ることで東アジアで軍事需要ができ経済界が潤う。つまりは為政者にも政治献金が渡り懐が潤う。
勝つにはそれ以上の執着がなければならない。それでも、たとえ執着があっても住民には経済力がない。強権的に押し切られる危険性がある。
それでも勝てる可能性は低くないと思う。それは個の力が小さくても数はまさるからだ。
繋がろう! ハチドリの滴は山火事を消す。

悲しくなっちゃったから帰ろ・・・

2016年の小田原教会平和集会は、ミホプロジェクトのメンバーをお招きしての開かれたコンサートをいたしました。
おかげさまで大盛況のうちに2回の公演を終えることができました。
少し個人的なインプレッションですが記させて頂きます。
まずはミホプロジェクトのポリシーとメンバー紹介(当日のパンフレットから)

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ソプラノ歌手の木田さんの独唱と詩の朗読が交互になされ、その後ろには詩の朗読者でもある信木美穂さんの絵がスライドでうつされます。
オルガン(またはパイプオルガン)とチェロの音がすばらしい。特にオルガンは旧礼拝堂時代に購入した年代もの。きちんと整備・調整もしていなかったので演奏者からこんな楽器じゃ無理!と言われそうでびくびくしましたが、そこはプロ。チェロの音量、歌手の声量にも引けを取らないでどうどうと大役を果たしました。

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ふと高校時代の教科書に載っていた安岡章太郎氏の「サアカスの馬」を思い出して、オルガンが悦に浸ったドヤ顔をしているような気に見えたほどです(笑)

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さて、
これは祈りです。拍手は不要です、ご遠慮ください。そんなアナウンスの後に下記のプログラムで進行していきます。

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昼の部の公演には、幼稚園児を連れたお母さんが来てくれました。メンデルスゾーンの重厚な曲の後、美穂さんが福島の子どもたちを想っての詩を朗読します。素直な言葉、大人たちが語る放射能汚染の沈痛な想いを聞く耳、それでもふるさとが恋しい思い、虫取りの、そして林の中を走ったたのしい思い出・・・。
来場の園児は敏感にそこでおこった3・12(東日本大震災ではなくフクイチ事故と言う意味で)の衝撃的な事件を感じ取ったのでしょう。
思わず隣にいるお母さんに語った言葉が標題の言葉です。
つまらないから帰ろう、ではなく、悲しくなっちゃったから帰ろう。この言葉こそこのコンサートのすべてを物語っているような気がしました。祈りには喜怒哀楽すべての感情のもとでの祈りはあるでしょうけれど、やはり本当に苦しい時、悲しい時に人は祈るような気がします。悲しくなっちゃったのはきっと園児の小さな胸の中にこの事件がいっぱいに広がった故の祈りの言葉だったのでしょう。もう抱えきれなくなっちゃったのでしょう。
残念ながら僕たちは大きな間違いを犯したのです。そのことを猛省しなければならないのです。子どもたちにすまないことをしてしまったのです。そんな懺悔の気持ちを促すコンサートでした。
そう、まさにコンサートと言う名の祈りの場。
素敵な時間を過ごさせてもらいました。

ミホプロジェクトのメンバーは、観客のために前日も11時から24時に至るまで準備をしてくれました。素敵な公演を本当にありがとうございました。

PS 物販もなされて売り上げの一部はきらきら星を通じて福島の子どもたちに!これは協力しなくては・・・。

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あっ、やっぱりね、って言われそう。
でも、こちらも購入。

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終戦・・・?記念日

Blogより手軽に他人のトピックスをUPできるFacebookでは最近は高江の話題ばかり。
でも、警察や機動隊と言う治安を守るはずべき人たちが、その仕事を放棄し米軍兵は相も変わらず暴行や飲酒運転が繰り返される中及び腰なのに対し、憲法下の生存権、または環境権を訴える地元住民は、ごぼう抜きに際して首を絞めて失神させたりパトカーでぶつかったり(ひき逃げ)する横暴さ。
警察とは何か?と言う根幹の問題のように思えます。

同時にヘリパットは本当に必要か?と言う問題にもぶつかります。
高江のちにおいてジャングル戦の訓練をする。それは実戦さながらなので米軍基地と集落の間に境はなく森を抜け川を遡上した米軍兵が自宅の庭に銃を持って出てくる・・・。
そんな実態を聞いた時に、本当に戦争は終わったのか?と言う思いが湧きあがりました。

終戦記念日・・・。
庭に銃を持った、そして顔を迷彩色をペイントした人が突然現れたら、その時の気持ちは・・・。
戦争が終わったとは言えないのではないでしょうか?

だから、ちょっと先にはなりますが高江に行こうと思っています。
終戦でない、もしかしたら戦前でもある場所へ。
政府が国民を守らずにアメリカの言いなりになっている場所へ。
アメリカが極東の地を愛ではなく武力で管理しようとしている場所へ。

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時間が取れないのでトンボ返りの旅ですが、でも百聞は一見にしかず。目で見て、耳で聞いて、肌で感じてくることはとんぼ返りの旅でも何か得るモノはあるでしょう。

でも、沖縄にはやはり行けないという郷土の皆さんへ朗報です。
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礼拝後教会会計の仕事をしたらこの時間南足柄にはたどり着けそうもありません。残念ながら僕は欠席です。

バングラディシュのテロに思う

日刊ゲンダイの2016年7月6日のインターネットトピックスに「親日国のバングラデシュをテロに走らせた“2人の戦犯”」と題した文章が載っている。

日本人7人を含む計22人が死亡したバングラデシュのテロ事件に対し、あらためて在外邦人の間に衝撃が走っている。
 バングラデシュは世界でも有数の“親日国”。襲撃された飲食店は首都・ダッカの高級住宅街にあり、現地の日本人駐在員が頻繁に利用していた店だった。そんな「安全」だったはずの場所でさえも、日本人がテロ組織の「標的」にされることが確実になったのだ。
「バングラデシュと日本の結びつきは深い。07年の調査では、バングラデシュ国民が世界で最も好きな国は『日本』でした。アニメのドラえもんは国民的な人気で、輸入車も日本車がほとんど。日本との時差が3時間とビジネス環境もいい。先月29日にもJICA(国際協力機構)とバングラデシュの間で総額1735億円の円借款貸し付け契約を結んだばかりです」(外交ジャーナリスト)
犠牲者がJICAのODA(政府開発援助)の業務委託で派遣されていたというのも因果を感じざるを得ない。JICAの北岡伸一新理事長は安倍政権の「70年談話有識者懇」の座長代理を務め、安倍首相と近しい間柄だ。
 昨年10月の理事長就任会見では、安倍政権がODAの軍事目的の使用を禁じた規定を見直し、他国軍への支援を一部認めたことに対し「今まで軍事はだめという限定が厳しすぎた」と“容認”の考えを示していた。北岡理事長は今回のバングラデシュの襲撃事件について「テロリストに怒りを禁じ得ない」と言っているが、安倍首相と二人三脚で“軍事化”に向けて突っ走ってきた結果が今回の悲劇を招いている状況をどう思っているのか。
 元毎日新聞記者の板垣英憲氏はこう言う。
「もはや『日本人』であることは通用しない。テロ組織から日本は米国と一体とみられている証左です。この事実について安倍首相やシンパである北岡氏はどう考えているのか。一切、言及しないのは無責任です」

 日本が大好き――だった国で日本人が狙われた意味は重い。こうなったのも安倍首相が昨年1月に「IS(イスラム国)と戦う」と宣言したカイロ演説が引き金になっているのは言うまでもない。安倍首相はISによる後藤健二さん斬首事件後、「日本人にはこれから先、指一本触れさせない」なんて威張っていたが、それがこのザマだ。



何度もこのBlogに記しているが、坂本竜馬の言い伝えられているエピソードの中で僕が好きなのは、彼が仲間とともに京の町を歩いている時、道の向こうから、方針の違う考えをもつ何人かが来るのが見えた。
竜馬は共の者に「こういう時はどうすればいいか教えちゃる」とつぶやいたので、仲間は『北辰一刀流免許皆伝の腕が見れる』と喜んだそうだ。
一歩一歩近づくにつれて緊張が走り、一触即発、刀に手がかかるかと言う時に、竜馬はしゃがみこみ靴の紐を直した。緊張感がそがれ、相手もタイミングを外しそのまま通り去った。

ここに極意を見る。竜馬は間違いなく素晴らしい剣の達人だと感じた。

「テロに屈しない」その精神は僕も同意する(人命との兼ね合い・方法論は異論はあるが…)。しかしそれは公言をすることで、難癖をつけて戦いたいと思っているものに喧嘩を売っているだけではないか。
それは「暴力団」はだめだ、という。だからと言って暴力団の事務所に入って行って喧嘩を売る人はいないのと同じだ。
竜馬のように極意で戦ってほしい。最善はどこにあるのか見極めてほしい。
代償は非常に大きかった。

オバマ氏の広島訪問とゴジラ

漁船第五福竜丸が被爆した。
被爆後日本への帰港コースを取るが船長の判断でSOSは発信しなかった。
SOSを発信すれば米国の飛行機や艦艇により証拠隠滅の為に撃沈射殺又は拉致されると船長達は考え、電波を発信せず航行を続け母港の焼津港についたのは3月14日だった。

この話は有名な話で、乗組員たちは2つの死と戦いながらの撤退だったのだろう。
1つは9年前に落とされた2つの原爆のひどさを伝え聞いていたから発症の恐れ。
もう1つは、SOSを打電できないいつアメリカという権力によって抹殺されるかとの恐怖。

ここで彼らが帰ってきてビキニ環礁での出来事を語った故に、いわゆる下田裁判は始まった。2度の原爆の悲惨さをアメリカは『早く戦争を終えるために』と言う善為によるものと発表した。が、世界を巻き込む戦争が終わった後もより強力な兵器の開発実験をしたことに、岡本尚一弁護士は異論を唱えるべく下田氏らと日本国を訴えた、と聞いている。

逃げ帰れたことは日本にセンセーショナルを巻き起こす。
ふっと思ったのは大怪獣ゴジラのオープニング。
静かな海が突如として揺れ、ゴジラの頭が海中から飛び出すと同時に船は沈没。唯一生き残った山田某氏の証言でゴジラの存在が明らかになる。

ああ、そうだ。ゴジラは反原水爆のために作った映画だとは聞いていたが、ここで生き残った山田某氏が証言したからこそ、ゴジラの存在が明らかになったのは、まさに秘密裏のビキニ環礁でのアメリカという権力の実験の象徴からの逃げ出せたシーンなんだ。

・・・

明日は礼拝の司会の奉仕に当たる。つまりは、会衆を代表して祈らなければならない。会衆の思いとはかけ離れてはいけないと思うのと同時に、代表とはいえ自分の祈りであることも確か。そのせめぎ合いはいつも苦悩する部分。
明日は、もちろんオバマ氏の広島訪問と沖縄での女性の殺害事件を絡めて祈らなければと思う。が、オバマ氏への評価は果たしてどうしたものなのだろう?と思った時、このゴジラを思い出した。
アメリカはエゴなのか、正義なのか? オバマ氏や周辺の人はともかくとして、アメリカの国民は核軍縮や戦争のない平和社会をどう考えているのか?
SOSを出さずに逃げようと思わざるを得なかった人たちの思い、広島・長崎の人たちの国家権力への思い、平和を願う僕らに希望はあるのか、ないのか? この祈りはそうした隣人と向き合えているのか?
2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、議長国メキシコからの「被爆国日本からのメッセージ」を求められ、アメリカに追従し政治的に徐々に減らすしかないだろう、という旨のコメントを出して世界を失望させた。日本の国はどこを向いているのか?

祈る言葉が決まらない悩ましい時間を過ごしそうだ。

ちなみに、ゴジラの存在を公にした山田某氏役をしたのは山本廉さんという役者さん。何とわが郷里小田原の隣町、南足柄のご出身の方だったのだ!!

沖縄を知ろう!! (2)

20160215-11


映画上映会
3月27日 13:00-15:00
「教えられなかった戦争・沖縄編 阿波根昌鴻伊江島のたたかい」


20160215-13

講演会
4月3日 13:00-14:30
講師:西浦昭英 兄

カンバーランド長老高座教会で受洗。「平和学習の旅イン沖縄』を企画。

20160215-12

両方とも参加費は無用ですが「沖縄の基地反対運動」の方へのカンパをお願いします。
席に限りがありますので、事前に教会までお問い合わせ、お申し込みください。

(写真は本文とは関係ありません。以前沖縄伊江島に行った時に撮影したものです)

沖縄を知ろう!!(1)

教会の社会委員会委員長をしていた時、沖縄のフィールドワークに行きました。当時WebSite(ホームページ)を作ってまして、「前略おふくろさん」や「北の国から」の倉本聡さんの手法を恥じることもなくものまねして、そのレポートを記しました。

主の御名を讃美します。例年に比べ暖かい日が多い今年、しかも温暖な小田原の地もさすがに11月も半ばを迎えるとめっきりと涼しくなってきます。お元気でお過ごしですか?
1999年11月10日から13日にかけて沖縄に行って参りました。
 前に少し書いたかもしれませんが、日本基督教団は戦後アメリカ占領下の沖縄教区を切り離してしまいました。沖縄は沖縄キリスト教団として出発することを余儀なくされたわけですが、戦後50年経ち合同の捉え直しを協議されるようになりました。
 日本基督教団沖縄教区にしようとする牧師たちに対し、「ヤマトンチュウ(大和人)は、16世紀に攻め入ってきて支配し、戦後見捨て、今度は小さなグループとして吸収合併するのか?」と不満を持った沖縄教区は「基督」をわかりやすい「キリスト」に替え、日本キリスト教会と言う合同名称を提案しました。
 ところが、自分たちが負の部分を負うことに何故か反対するヤマトンチュウの牧師が約半数おり、いまもって一本化されておりません。戦争の「反省」の懺悔を告白し、「隣人愛」を説く日本基督教団の本音と建前を見る様ですがなかなか難しいようです。
第二の基地県に住む僕たちは「沖縄を知ろう」と牧師、役員、会員の誰が提案するわけでもなく周知のように計画が粛々と進められ、今回を迎えました。
 10日の21:00に羽田を発った僕たちは、22:30にまだ夏の陽気の那覇につきました。

20160215-01
トロピカルな沖縄をイメージするハイビスカス。でもこれは戦後アメリ カ人の手によって持ち込まれた樹木。アメリカ統治下のシンボル

沖縄海洋博があった本部港から約30分。そこに目指す「伊江島」はあります。ここは、村の8割ほどの米軍施設を阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)兄ら反戦地主がインド独立運動のマハトマ・ガンジーのように静かに平和的に闘い約4割の返還を実現し、尚残りの1割ほどを村の道路として使える状態にしております。しかし、そこにたどり着くまでは当然の如く並大抵の闘いではありませんでしたし、阿波根兄の半生も物凄いものがありました。
 「ヌチドゥタカラ(命は宝)」資料館は、そこに行き着くまでの歴史を展示してあり、同所のスタッフは見てもらうためにはどんな苦労をも惜しまないと言わんばかりでした。17時に着いた僕たちを迎えてくれたのは70にもなろうかと思われる謝花悦子姉.。今日既に4組のグループにお話をしたと言うのに元気に約2時間、僕たちにもお話をしてくれました。
 夕食後、その運動史をまとめたビデオ上映をみせてくれました。終わったのはもう22時でしょうか?スタッフはその時間までお付き合いをして下さり、「わび合いの里」の宿泊施設までお送り下さりました。僕たちはそのまま寝れば良いのでしょうけれど(と言っても泡盛を飲みながら深夜までだべっていましたが^^;)彼女らは次の朝も私たちの朝食の準備のために早起きをしなければいけません、本当に感謝です、ハイ。

20160215-02
ボスニア・ヘルツゴビナを髣髴させるような伊江島の公益質屋跡。つい50年前までこの地でも同じような悲惨な事件があった。

反戦地主は極減しているそうです。というのも、米軍に土地を貸せば、借地料が入る。その上、平和な今ですから、空いている場所での耕作は認められております。いわば二つの収入が見込まれるからです。問題になるのは自分の家計が優先なのか?沖縄から基地をなくすという沖縄の願い優先なのか?という選択です。しかし、戦後自分の地所を基地として没収され、その返還運動に生涯を掲げた人や基地外で米軍の銃弾に当たり亡くなったものの保障もされなかった人、等々といった困窮の世代が自分の子には同じような苦労を与えまい、とした結果、過去を断ち切り自分の家庭優先の二個所からの収入がある地主になってしまうのも致し方ないのかもしれません。
しかし、確かなことは基地を持っていれば有事の際は必ずそこが修羅場になるという事実です。それは歴史が語っています。

 ヤンバル(山原)地方を快適に走り、太平洋に面した辺野古地区に入ります。ここはジュゴンの住む海です。
太平洋側は濃紺の海です。東シナ海のようなエメラルドグリーンの美しい海ではありません。それは潮の流れが速い事に影響を受けます。東シナ海が鮮やかでありながら水産資源を持ちあわせないのに対し、太平洋は地味ながら豊かな海であるのです。その辺野古はご承知の通り、普天間の移転予定地。沖合いにメガロフロートを置き、そこに巨大ヘリポートを建設する計画。何で海上なのか?と言えば今までは米軍施設はアメリカが作っていたものの、ベトナム戦争で金を使い果たしたアメリカ政府が、日本に援助を求め、合意し「思いやり予算」を計上したのがきっかけです。そのためアメリカは資金を考えること無く、いかに費用がかかろうが作れれば良いわけで、アメリカの傲慢な考え方を垣間見ます。当然フロート状の基地なんて言うのは陸上よりも、技術的にもコスト的にもかかるはずです、でもそれは僕らの税金なんです。そしてそこに来るはずのメガロフロートは数年前に既に建設され、横須賀の沖で時が来るのを虎視耽々と伺っているのです。そうなんです、日本政府は、既に十年近く前、イヤもっと前なのかもしれませんが…、からアメリカ政府と移転の決定をしているのです。そこには、バブル後の大手企業の仕事の絡みもあったでしょう。横須賀基地の片面縮小により日本鋼管と日産自動車が潤ったのも事実なのです。そのように住民の意向など無いところで、政治は大手企業と共に動いているのです。
  いかに反対があろうが、あの象の檻と同じように、強権発動をしてまでも辺野古に持っていくのが予想されます。

20160215-03
境界杭と有刺鉄線。これが日本国土とアメリカ領土を区分けして いる。延々と海の中まで続いているが、動物には関係ない話だ…

辺野古は、隠れキリシタンの村。今の多くの教会の礼拝とは若干差はあるものの、豊かな自然の中で心も穏やかに過ごしています。海は、神の創った場所であるだけでなく、今までを悔い改めて主に従って生きていく、という信仰を言い表す「受洗(バブテスマ)」を受ける場所なのです。その地にメガロフロートを作られることは、生活のためだけでなく心の痛み、信仰の屈辱でもあるのです。そしてメガロフロートは、ヤマトンチュウのゼネコンが作ります。それだけでは地元にはお金は落ちないので、メガロフロートと本土(辺野古村)を結ぶ道路は地元建設業者に発注されるそうです。つまり沖合いに施設を作るから、海には影響が無いなどうそっぱちなんです。道路を作ることにより、海は死んでしまうのです。しかし、それでも産業の停滞をしている沖縄では賛成をし、その仕事にありつき、生きようとする人がいます。僕たちはその人を非難することは出来ないです。その仕事も無ければ従業員を、家族を食べさせることが出来ない人もいるかもしれないからです。しかし、逆にその事により海を生活の場にしている人の生活や宗教的な場所にしている人の生活は踏みにじられます。その事も忘れてはいけません。
  「どこの家にも便所は必要だ」と僕たち久野の反対運動が始まった時、ある市議がいいました。小田原市を一軒の家に例えその掃き溜めを久野に押し付けようとした蔑視したものです。それに対して約10年の闘いを繰り広げました。このことは農業VS開発の図式であり、文化VS文明の闘いでもあります。つまり辺野古の闘いは、実は日本が2000年を向かえどういう国家にしていくのか?と言うことを、右肩上がりの、生産性最優先の、GNPが高い国家の、それがなんだったのか?を国民一人一人に問う問題だと思います。
 豊島が、日の出が、御嵩が、西吉野が、そして久野が抱えたゴミの問題と同じように、必要悪の施設だがどこかに作らなくては、人口が少ない場所だから、と言った多数決の差別制を認識させる問題でもあると思われます。
  反対運動を指導している方と短い時間でしたがお話をし、別れ際に「お祈り下さい」と絞るような声で言われました。共に祈る言葉、そして「その(祈りの)通り」と言う意味のアーメンを言った後、その方は頭を上げられませんでした。泣いておられました。「祈り」がこんなに重いことも、「祈りましょう」と言う言葉よりの「祈って下さい」と言う言葉がこんなに辛いことを初めて知った気がします。僕らも目頭に涙を溜めながら祈りました。この重い祈りをシッカリと共有できるようになりたいと思います。

20160215-04
米軍基地の一部を返還させ、作られた佐喜真美術館。

この後普天間の佐喜眞美術館に行きました。普天間基地の一部を返還させて作った美術館は、あの丸木位里さんが描かれた「沖縄戦の図」を展示した美術館です。
 屋上には、23段の展望台が立っており、そこにあるスリットは6月23日の夕日の位置だそうです。沖縄にとって6月23日は特別な日ですから…
  佐喜眞さんはまだ50代(?)前半の青年とお呼びしてもおかしくない方でした。普天間の米軍基地ケーブルのトラブルが僕らが訪れている最中の12日にあり、それにより沖縄の空は乱れました。ニアミスによる事故防止かと思っていた僕の思惑はもろくも崩れました。与論島を過ぎたあたりからの沖縄の空は、運輸省の管轄を外れます。そこでは米軍の管制による管理の下、空港の離発着が行なわれます。勿論JALやANAと言った民間機も例外ではありません。米軍が優先される事は言うまでもなく、この日一日那覇空港がパニックになっていたことは、全国紙にも大きく記載されました。修学旅行のシーズン、閉館間近に伺った僕たちの前には、多くの修学旅行生でごった返していました。閉館時間を過ぎても次世代の子ども達に、この絵を見てもらい何かを感じて欲しいと、遅れてまだ空港に着かない子どもを待っています、と言われました。伊江島の「わび合いの里」のスタッフの方もそうでしたが、伝える必要性を切実に感じられ、そのための努力は惜しまない多くの方の姿を知りました。それは、戦後50年を悠に過ぎ、体験者の減少に伴う語りべの減少、そしてここに来ての新ガイドラインを中心とした戦争への道を歩み出した日本の姿に対し必死の抵抗をしている姿でもあります。残念ながら見ていた子ども達は、絵など見ておらず、説明をしている佐喜眞さんが気の毒なようでした。僕と同行したメンバーはそんな姿を怒っていましたが、そこは「来た」人と「連れてこられた」人の違いがあるのでしょう。ただ、頭の片隅にあの衝撃的な絵があってくれれば、有事の際に反対できる人間に育って下さるのではないかと思います。

20160215-05
決して「観光」地ではない。戦跡であることが実感できるアブチラガマ の入り口。

戦跡もいくつか伺いました。チビチリガマ、糸数ガマなどの防空壕。
 チビチリガマは、現在も遺骨収集が行い終わっていないということで、(半)自主的に立ち入れないようにしてあります。入り口には、慰霊のモニュメントがありましたが、心無い人に破壊されたということで、新しいものに置き換わっていました。
 糸数ガマは、入り口で懐中電灯を借り、中に入っていきます。垂直のような階段を十数段下るとそこは闇の中。自然のままの鍾乳石の洞窟は、ガイドさんの後を歩かなければ迷子になってしまう様な所。子ども達の楽しんでいるコンピューターゲームのダンジョン(洞窟)の本物ヴァージョン!いつ何が飛び出してきてもおかしくないような曲がりくねった狭い穴を恐る恐る歩いていきます。
 途中いくつか大きなホールに当たります。そこが、診察室であったり、病棟であったりします。このようなガマは最初は住民の防空壕だったと聞きます。そこに日本兵がやってきて、住民を追い出し、自分たちの避難場所にしていきます。今まで自分たちを守ってくれると思っていた日本軍によって砲弾の前にさらけ出された悲しみ、泣き声で敵兵に見つかるといって責められ我がこの首を絞めざるを得なかった母親の苦悩、不潔な環境の元破傷風が脳に入り半狂の後死んでいった懲役兵。
最後まで尽くした女子校生、そう、ひめゆりの手記には爆撃を受け、友達同士シッカリ手を握り合って耐えていたけれど、ピカッと光った後気を失ってしまった。どれくらい時間が経ったか解からないが、気がついて手を握り合っていた友達を見たら頭が無かった…。握っている手の持ち主は死体であったら、そこには恐怖しかないと思いますが、アッ死んじゃったんだ、という感覚しかない、涙も枯れ果ててしまった…。そこまで死に対する恐怖が欠如してしまうという戦争に恐れを覚えます。16,7才の女の子が生に対する恐怖を持っていても死に対する恐怖がなくなるなんて、本当にむごい事だと思います。
 途中で、懐中電灯の明かりを消して当時を偲んでみましょう!の言葉に僕たちはささやかな光を消しました。闇という言葉をはっきり実感しました。もし目の前に誰かがいても分からないほどの暗闇です。静寂の中に「ポッタン、、、ポッタン、、、」としずくが落ちる音が響きます。まるで遠くからゆっくりとなにかが忍び寄ってくるように…。大勢の仲間が周囲に居る(はず)です。が、孤独による恐怖を感じます。「早く電気をつけたい…」それだけを念じながらしばらくの時を過ごしました。明かりが外に漏れるのを恐れた戦時下の人は、そんな恐怖と見つかる恐怖を24時間感じていたのだと思います。
 爆撃が近くなると負傷兵は、自害するようにと青酸カリか手榴弾と共に置いていかれました。その人たちは僕が感じたのと違う感覚だったらしいです。孤独感の中、あの遠くから忍び寄ってくる様なポッタンという音に、せめて体が動いたらあの水が飲めるのに…と悔しんだらしいです。生への執着は奇跡を呼ぶのかもしれません。その方はある時の爆撃で水の傍に吹き飛ばされました。その時水を飲め満腹感を味わい、それによりいざりながらでも歩けるようになり生き延びれたそうです。出口直前には高さ3mほどの天井に一斗缶がへばりついておりました。外からガマを爆撃した際の爆風で食い込んでしまったのでしょう。外に出た時の安心感はなんとも言えないものでした。
  もう一つショッキングな話を聞きました。
「そう言えば(女学生たちは)包帯を洗った事が無い…なぜ?」という事に気がついて聞き込みをしたところ、「そう言えば奥の方で分からない言葉を話す人が居た」との事。従軍慰安婦として連れてこられてお払い箱になった人がここに連れて来られたのでしょう。ここにも作業内容の差別があったようですし、多分その人たちは撤退も最後だったと思われます。批判的な人が言います、そんな史実は確認していない、と。しかし、爆撃の激しい中、日本人からも見放された従軍慰安婦の方は全滅したと考えてもおかしくはありません。
  伊江島のガマの中には戦後(沖縄戦の)集団自決をしたものもありました。僕らが見たら40人も入ったら一杯になりそうな所に150人以上も入っていたそうです。「戦争に負けた」と言う噂で、ガマ内はパニックになり爆死したそうです。小さな子どもたちは本当に死を望んだのでしょうか?家族かもしれません、しかし他人が決定権を奪って、「生きたい」と望む子どもを「自決」に追い遣ったとすればそれは「自決」ではなく殺人です。公然とそのような事が行われた戦争はやはり狂気です。
 狂気といえば、なぜ竹槍での攻撃で勝てると日本人は思ったか知っていますか?今回の旅の中で、僕ははじめて知りました。米英人は赤鬼と同じだが、彼らは昼間は目が見えない、だからその間なら彼らを倒すことができる、と教えられ竹槍をつく練習をしたそうです。そんな事を信じてしまうなんて、如何に教育が大切かと言う事を再認識しました。
  象の檻や安保の丘などの反戦のシンボリックな場所も見ました。そして道の両側にどこまでも続く金網と有刺鉄線…。コバルトブルーの海と白い砂浜といったトロピカルなイメージと対比するような街中も、若者にとっては西洋のペンキ一色の街並みや横文字の看板といったエキセントリックな街としか写らないのかもしれません。
僕だって戦争を知らない世代です。でも、色々な社会問題を認識した中から、危険な方向に行っていることを感じます。それを少しでも多くの若者に伝える必要を感じます。
自虐史観だといいます。でも自虐ではありません。反省する心を持っているだけです。他国のやっている事も間違っていれば批判しなければなりません。戦時下のようにいい事だけを書くのなら、それは正しい歴史でない事を知っているだけです。堕落するのは本当に簡単です。でも、必要な時は上昇志向を持っていかなければ行けないことを少しでも言い広めることが、聖書に書いてある「隣人を愛せ」だと思います。

20160215-06
一行で「象の檻」の前で記念撮影。はためく星条旗が何をか物語る…。

本当にいろんな事を見聞しました。でも、残念ながら消化不良をおこしています^^;。2泊3日の行程ではあまりにも多すぎました。もっと知りたい…、そんな気持ちを抱きながら、羽田に向かう飛行機の住人になりました。米軍管理の唯一の利点は、空気抵抗の少ない3000m以上は、民間機の走行は出来ません。そのため、与論島周辺までは低空を飛行していきます。17:50発のJAL906便は、夕日に染まった美しい海の上をフライとしました。本当に綺麗な風景でした。あの悲劇から50年しか経っていないとは思えないほどの平和な夕焼けでした。そんな体験をして参りました。
長々書いてごめんなさい。思いを共有できる誰かに話したくて書かせて頂きました。また手紙を書きます。元気で頑張って下さい。
主にあって平安。

なんでこんな古い文章を引っ張り出したかと言えば、我が家のプロパイダーが@niftyに委託したJCNからJcomに変わりWebSiteが消滅してしまったことと、このあと公知する映画会と講演会のお知らせをしたいが故です。
では、沖縄を知ろう!!(2)にGo

それでも世界には良いニュースがある。あまり知られていない10のグッドニューズ

FBで標記のようなトピックスが紹介されていました。
10. 1990年以来、小児死亡率が半減
9. 10億人以上が極度の貧困から脱出
8. 普遍的教育の実現まであとわずか
7. キューバでHIVに関する大ブレイクスルー
6. カーターセンターによってメジナ虫病が根絶間近
5. ボコ・ハラムが弱体化
4. ISIS(イスラム国)が劣勢
3. 世界で飢餓が激減
2. 女性を取り巻く環境が大幅に改善
1. 世界の殺人発生率が激減


3,9,10位は類似のニュースですが、これは本当に素晴らしいニュース。
はじめてキリスト教に触れた(自主的に興味を持った)ころ…たぶん中学に入ったころだと思うのだけれど、「主の祈り」の「日用の糧を今日も与えたまえ」がどうもしっくりこなかった。
・・・糧とはなんだろう?直訳すれば食べ物だけれど、そんなちっぽけなことを祈ることを強要されているのか。大志を祈るべきだ、そうだこの糧とは「生きる意味」を暗に示しているのだ、と思っていました。

いやはや浅はかな考えで、今思えば同時に自分と言う人間が恵まれた環境で育ってきたのだな、ともうのです。
生きることとは命を維持すること。食がその中心にありながらも、多くの人がそれがままならないこと。
それがきっかけになって多くの戦争が起こっていること。
そして恵まれた環境の自分が、隣人を愛しなさいという聖書に従いながら「糧を与えたまえ」と祈るなら、その祈りの糧を与えられる人は、自分だけではなく、飢えに苦しんでいる人の祈りでもなければならない、ということを知っていくわけです。

海外での極貧の方たちへの具体的な活動は何もできませんが、それでもこうしたニュースを読んで解決に向けて取り組んでいる人たちにただただ感謝です。
この一年も多くの悲しく辛いニュースが飛び込んできましたが、10億人以上の方が極貧から脱出と言う言葉を見て少し心が穏やかになれた年の瀬です。
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