続・引っ越しの効能

小児ぜんそくと過保護の影響か、僕は些細なことでも幼稚園や学校を休むのは当たり前で、そのたび祖母や母に連れられて「安間医院」にいった。
小児科は大先生で、小学校中学年になると1+1は? 2 、じゃあ2+2は? 4、じゃあ4+4は? と診察中ずっと算数の問題を出し続けられたことと、(小児科なので)壁に便の模型があったのが妙に記憶に残っている。
病院内の片隅に、電話ボックスがあり、電話をする人はレトロな木製の、そして仰々しいボックスの中に入ってしていたのだと思う。行書体の縦書きの電話の文字が簡単には入ってはいけない特別な場所であるかのごとく入口のすりガラスに書かれていた。

市内の安間医院が我が家のかかりつけ医師だったのは、母親の・・・いや当時の若物みなの趣味が映画鑑賞だったからかもしれない。いまでいう合コンの走りだったのかと想像する。
そんな合コンサークルならぬ映画同好会が小田原にもいくつかあったようで、母親は安間医院の大先生が主催する小田原映画同好会に入っていたようだ。

今日のお宝はそんな同好会ニュース1957~58年のニュースが約1年分出てきたこと。

20171219-01

僕が覚えているだけでも、夏休みになれば、東宝と東映と日活で怪獣映画をし、オリオン座も子ども向けのアニメを上映していたので行ったことあるが・・・、いや母親の無知なるワザか大怪獣ガッパは日活での上映のために行けなかったと思う(苦笑)

20171219-02

が1957年6月時点では日活はない。

本町3丁目12−22 にオリオン座
本町2丁目9の歩道橋の所に中央劇場
本町2丁目7−5の菜の花の所に東映
本町2丁目5−5の駐車場が日活  推測するに銀映がここにあったかもしれない。
栄町1丁目14−41の音羽のあたりにも映画館があった気がする
栄町2丁目2−8−14のドンキ横が東宝とフキザ だった気がする。

それが1軒残らず消え果て、今やTOHOシネマズとコロナと言うアミューズメントパーク化した大資本の映画館2軒のみ、しかも場所はともに川東地区だ。

さてなぜか1通だけ他映画同好会の会報が混ざっていた。

20171219-03

こちらの会の話を聞いた覚えはない。

さて、この古資料、どうしようか悩んでいる。どなたか映画や昭和期の文化への造詣の深い方読んでみたいという方がいれば差し上げたい。紙ごみになる前に少しでも多くの方が50年前の小田原の映画文化に触れて頂ければと思う。

引っ越しの効能

久野の持家を処分してアパート住まいになった理由の一つに、久野の家の基(もとい)を建てた母親の逝去がある。
僕自身は家に頓着がある訳ではなく、立って半畳寝て一畳とまではいかなくとも、今の自分の部屋である四畳半+半畳の押し入れですべての荷物を収納し切れてしまう程度しか持っていないので、全然問題はないが、母親にしてみれば自分の家に固執した思いはあったろう。だからその母親の逝去は引っ越す大きな理由になった。

だから引っ越しは母親の荷物の整理でもある。既にいわゆる認知症がかなり進んでいて自分の身の回りすらできなくなった時に妹が介護を引き受けてくれたので大方は荷物を運びまた捨てたが、若干の「どうでもいい(生活に関係ない)」荷物は残っていた。
そんな荷物の整理も兼ねているわけだ。

そんな中からお宝が出てきた。

20171218-01

離婚した父親は組合の旗振りをしていたので、そんなご縁で色紙を書いてもらったと聞く。
が、離婚の際母親が贈り主の父から半ば半分奪い取ったのであろう(笑)

片山哲氏。僕でも名前を存じている。たしか社会党として初めて内閣総理大臣になったはず。同時期の政治家としては吉田茂氏などがいる。
書も素晴らしかったと聞く。また、日本キリスト教団富士見町教会員でもあったそうだ。
不飲濁泉水不息曲木愾 どんなにのどが渇いても盗泉と言う名前の水は飲まない。どんなに暑さで熱中症になろうが悪木の下の木陰では休まない。悪木盗泉の語源で、片山氏の政治姿勢だったのだろう。

最も保存状態は悪いし、何よりも僕の父親の名前が入っているので価値はないだろう。それよりも母親の死によって父親の資産か遺産かが飛び出したのは驚きだ。
子として保管をしておこう。

とはいっても四畳半。飾る場所は限りなくゼロに近い。
強引な飾り方だが、ご縁のあった方が書いてくれた額の上が空いている。ここにしよう。

20171218-02

オオカミが来たぞぉ~

イソップ童話の「狼少年」の話。僕はどうしても腑に落ちない。
村人である子どもがオオカミに食べられててしまったのを「嘘いついたのだから自業自得だ」と言うのは好きな考え方じゃない。信用されない人よりも信用しない人の問題が大きい。
あの話から僕らが教訓としなければいけないのは、何度も繰り返された外れた「(嘘)予報」にも臆することなく、ひるむことなく、愚直にでも被害にあわないようにしなかった大人たちへの批判と言う一面ではないか?
またか、と言う思いで行動が鈍くなった大人への警告ではないか?

地震が来るたび、大雨が降るたび、行政等から避難の勧告が出されるが、被害にあう話を聞く。
今回も 「来年1月、伊豆で大きな地震があるかもしれない」ある研究者の警告 とある。

オオカミがいなくなったわけじゃない。仲間の子どもが食べられたことを悔やもう。
備えあれば憂いなし。ただ物的と心の準備を怠らないことだけで被害が減るのならお安いものだ。

アドベント

転居して家の面積は1/3くらいになっちゃっただろうか?
当然のことながら壁が減って飾り付ける場所も少なくなった。

20171204-01

飾れないのならせめてクッションでも(笑)

20171204-02

サンタクロースと雪だるまは、玉川温泉に湯治に行くたびに立ち寄った鹿角あんとらあの木楽舎のもの。人生の中で一番大きな出来事の時期だったから、鹿角で購入したものは特に大切なもの^_^;

あとは玄関にリースを飾りたいけれど(玄関の)外側に飾れる場所がない…どうしようか思案のしどころ。

ところで・・・
ナザレからベツレヘム・・・Googleで見ると約170km。身重の体で大変だったろうな。
ロバに乗って時速4kmで8時間でも32km・・・いや当時は道も整備されていないし、荒れ野の山超え谷越えだし、マリアを気遣いながらだから半分くらいか…。
もしかしたらヨセフの皮算用ではお腹の大きい間にナザレに戻れると思っていたのかもね。ルカ2章6節の書きかたは想定外の出来事のような気がする。
そうだとすると1日10Km程度・・・? もうそろそろ準備が整ってナザレを旅立つ時なのかもしれない。
何ていう愚にもつかない想像をしながらの飾りつけでした(^_^)/

少し早目の・・・

最近は「ねェ、教会もクリスマスするんだって」なんて笑い話のような話があったりします。
が、クリスマスは、キリスト・ミサがなまったもの。救い主(イエス)を祝い礼拝することですから(笑)

そんなクリスマスはアドベントの入りから公現日までをお祝いする事が多いです。
今年で言えば12月3日から1月6日です。(ですから教会等ではお正月になってもリース等を飾っています。しまい忘れたわけではありません(笑))

まだ教会ですらクリスマスの飾りをしておりませんが、町の中はクリスマスムードが始まりました。
都内をはじめ都会はあちこちでクリスマスイルミネーションの競い合い・・・。

さだまさしさんが「風に立つライオン」の中で
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
と歌っておりますが、こんな処にもクリスマスデコレーションは飾られました。

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20171124-02

会社から90分、そろそろ疲れが出てきた場所でクリスマスのイルミネーションに励まされました。

会社話 -大手のスピーディーさに(@_@)-

会社の基幹システムのコンピュータ。朝久々にWRKPRBコマンド(問題処理)を押したらエラーがあった。どうもキャッシュバッテリーがヘタって来たという内容のよう。
あわてて弊社がお世話になっているJ社に連絡。エラーコードを伝えると保守の範疇なのでコールセンターに連絡してください、とのこと。これが9時。
コールセンターに電話すれば、早速IBMに部品調達と担当者派遣の連絡をします、とこと。最初にJ社に連絡してからわずか1時間以内でIBMを経由して関連会社の倉庫から宅配バイク便で部品が来る・・・。
バッテリーはあと60日間は保証されているので、そうは焦らなくても大丈夫なんでしょうけれど、時間単位で多くの方が弊社のために動いてくれているのを実感でき、なんだか感激です。

周辺探索

9月23日に大きな荷物を運び、翌週の1日はRFLで横浜に行き、やっと片付け半分生活に余裕を感じることが出来てきました。

少しアパート周辺を探索してみようか、と散歩開始。
東海道線がまだ山北経由だった時代にぎやかだった駅前も、東海道本線から外れたローカルな御殿場線になってからは閑散とした、と言うイメージ。
カメラを持ち出したものの写すような建物があるのかなぁ?

なんていう考えは全くはずれで

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素敵な喫茶店発見。
今日はこの後まだ歩くことを目的とするのでお邪魔しませんでしたが、次はこのお店でコーヒー飲もっ\(^o^)/

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駅前の八百屋さんもおしゃれ。

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下曽我駅の東西自由通路。
と言っても、改札は1か所のみ(笑)

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駅舎と駅前の軽食・喫茶。いわゆる昔からの街並みはこちら側。

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小田原の街中にもある屋号の和菓子屋さん。でも別のお店らしい。

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連れ曰く昔は駄菓子屋だったとか・・・。辞めちゃった店も多い。

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こちらも老舗の和菓子屋。

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今日はこっちの和菓子をチョイス。
「田植え」と言う草餅のあんころ餅。みたらし団子と「あけぼのの梅」と言うご当地和菓子。

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この2軒も昔からあるぅ~と懐かしむ連れ合い。

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平野屋さん。ご当地の先輩友人がFBでお勧めのお店。この店舗、いかにもThe昭和、ですね。

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中はもっとThe昭和(笑)。唯一昭和でないのは氷川きよしさんのポスターの数々。
ラーメンと親子丼を注文し、半分こ。

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少し甘口ですが、おいしい\(^o^)/
どれだけおいしいか? テーブル席9席が常にいっぱいの繁盛ぶりからご推察ください。
個人的には丼物よりラーメンをお勧め。

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お店の裏から横丁(裏通り?)を通って帰るとします。

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連れ合いが高校時代帰りがけによく買ったというコロッケ屋さん。

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意外に面白いじゃん、下曽我。ぜひ遊びに来てくださいね。お待ちしています。

己を知る

インターネットに載っていたお話。

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娘を思う父親のいい話。と読んでいたが違うな、この話。
お酒の席の話だけじゃない。社会で羽ばたくための話なんだとふと思った。
今日日の社会はやはりおかしい。理不尽な事が多すぎる。だから変革しようではないか!と血気盛んに口角をあげ突き進むことは大切なことだと思う。
だが、それを理解しただけでは社会は変わらないことも事実だ。
そして逆に、どうせできっこないじゃん、と、他人ごとにしてしまっていても人生つまらない。人として生を得た以上は社会に役に立つよう行動したいものだ。

理不尽な世の中を変えたいとしてじりじりと焦れなんで俺がこんなに頑張っているのに何も変わらないのだ!という気持ちが過ぎれば、おかしな逸った行動に出てしまう。学生運動のなれの果て過激派と呼ばれる面々はそうした人たちだったのだろう。
僕らが出来る事は何か?をきちんと把握しなければならない。己の力なさも同時に知るべきなんだろう。
そう、麗子さんはビール2杯と酎ハイ5杯という限界を知り、それをあまりに越さない中で生きるという術を教わったように、僕らも社会の中でこの程度までの運動は自分のスキルにあったものだ、という事を知り、それをあまりに大きく超えて活動をしない方がいい。
人生は短いようで長い。一瞬の高揚だけで自分を越えてしまったらその活動は長続きすることなく燃え尽きてしまう。己を知る、という事は絶対大切なこと。まさに継続は力なり、だ。
せいぜいビール2杯と酎ハイ5杯プラスαまでにしなければ楽しい人生が一転してしまう。燃えた気持ちがシュンと消えるだけでなく挫折というおおきな負を背負う事になる。
だからこれは飲みの席だけの事じゃないことを教わった気がする。
良い指導者だよな、おやじさん・・・。

麗らかな春の日差しが降ってくる

僕の小学校の卒業式はこんな歌から始まったのを覚えています。

今日はそんな麗らかな良き日。
何組もの親子連れとすれ違いました。

歌詞と曲からなる歌はどちらかは始まるかと言えばケースバイケース。
僕のもう一つのBlogはおおむね写真を撮ったものにタイトルをつけていますが、今日はそんな風景を見て

『礼服に コサージュの母 笑みの春』

うん、すれ違ったお母さんの笑顔と黒い服の胸の白いコサージュを写真に撮れたらUpできたのになぁ…と思いながらもカメラを持ち合わせず残念な日でした。
ご卒業のみなさんおめでとうございます\(^o^)/

鬼と於爾

むか~し、むか~し。そのむかし。
この大倭日本の国を治めていたのは
決して争いはしないと誓った、まさに、和を以て貴しとなす。
そんな一族たちでした。

そこへ、南の方からやってきた一族が
この島を俺たちに譲れ
さもなければ、血を見ることになるぞ!と脅したのです。

話し合いで収まるような相手でもなく
この大倭日本の国を治めていた一族は、政権交代を受け入れたのでした。
相手の血も、自分たちの血も流すことのない決断。
それしか無かったのです。

ただ、いつの日か
この国をもう一度わたしたちに返してくれるようにと頼みました。
南からやって来た一族は承諾しました。

そして、いつになったら返してくれるか?と問えば
炒り豆から芽が出た時にと答えたのです。

炒った豆から、芽が出る筈もないのです。

それから、元々この国を治めていた一族は
日の陰、山の陰、森の奥へと追いやられ
いつの日か彼らは「鬼」と呼ばれるようになりました。

それから毎年、年の節目になると

 「鬼は外、福は内」と叫んでは
ほーれ、まだ炒り豆からは芽が出ていないぞ
お前たちの番はまだだぞ、と
鬼たちに炒り豆をぶつけて追い出すのでした。

なぜ、節目の節分に行うのかと言えば
新しい節目は流れが変わりやすいからです。
なので、流れが変わらないようにと、この日に鬼を追い出します。

そういった事を知っている鬼に纏わる一族や地域は現存しており
この時期になると

 「鬼も内、福も内」と叫ぶのです。

しかし、全国の日本人のほとんどはそんな事を知らないので
 「鬼は外」と叫びます。
凄い事ですよ、日本中のほとんどがその言霊を発するのですから
まさにそれは、呪術なのです。

そろそろ、争いよりも、和を以て貴しとなす一族に
この大倭日本の国を返してもらっていい頃だと思います。

我が家では毎年 「鬼も内 福も内」と叫んでいます。

鬼も福も、みんな仲良しが一番いいのです。

宝船 一華
2015年2月3日 ·

古今東西、悪魔(邪気)から身を守りたい気持ちは共通だ。
クリスマスも節分も季節の変わり目、その時にヒイラギを飾るのはその証拠。

しかし、悪ではない自分との意見を相違する人や異民族を排他するために、相手を悪と呼ぶとしたらまったくけしからん話。
上記の話は遠い昔この日本の政権交代の話。敗れた民族は鬼とか手長足長と呼ばれる人に迷惑をかける妖怪として排除致し方なしと、モモタロウの昔話のように語り伝えられる。

そもそも中国の思想「鬼(き)=悪魔(邪気)」と日本の「於爾」は違う。
於爾とは、物に隠れて顕(あらわ)れることを嫌うことから「穏(おに)」であって、不安や疑心のようにまさに心の中でムクムクと湧き上がるもの。
他人を貶めようとか、騙そうとか、また逆に被害妄想を抱いてしまったりというのが「於(atとかin)」「爾(しかり)」つまり自分の弱き心を省みることを言っているのだろう。

自由の国アメリカは、自らの利益だけを考え隣人の困窮に耳をふさいだ。アメリカンドリームは死んだ。
同時に日本も同様だろう。少しでも保守的なグループに異論を呈し反省を求めようとすれば「自虐史観」と言う。
また、アメリカ軍が沖縄から撤退すれば中国が攻めてくるという。そんな不安に苛まされて弱者のための福祉政策は切り捨てても、防衛費や米軍関係費を増やす。
それこそ鬼(於爾)だ。
国も個人も於爾にとっては一緒だ。個人に住み着けば伝染病のように不安を助長させればいい、諍いを起こす気持ちをばらまけばいい。思惑通り蔓延してしまっている。

20170203-01

節分、僕はクリスチャンなので豆まきはしないが、季節の変わる時に、神様に「イエスに与えた『荒野の誘惑』にあわさないでください」と祈ろう。鬼(悪魔)の誘惑に陥って於爾になってしまわないように。
宝船 一華 さんの仰る 社会の多様性のない「鬼は外」は「鬼も内」に、そして「鬼は外」と言ってしまう我が狭き心に住み着いた「於爾は外」と追い出そう、省みよう。世界終末時計はトランプ氏が大統領になったことで11時57分30秒になったという。でも、みなで於爾を追い出せば、まだ戻せる。
教会では往々にして夏に歌われる讃美歌「幾千万の母たちの」 特に4番の歌詞を心に刻み。http://yassan71.web.fc2.com/yassan.files/hym.files/hym399.files/hym372.htm
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