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因果

フェイスブックでお交わりを頂いている田崎牧師が
「クリスチャンはタバコを吸っても良いのですか?」
いやいや、タバコの問題は、別にクリスチャンだから、クリスチャンではないからという問題ではないでしょう。
なんでもその人の宗教で判別しようとすると、とんでもない世界に入り込むよ。気をつけようね。

というコメントをUPされたので、然りとシェアーさせてもらいました。

因果関係という言葉があります。人はどうしても、因果を気にするものなのかもしれません。
僕も例えば語源とか由来と言ったものが大好きで、そこに「何か」があったからこそ「今」があると思うことは多いです。

でも、すべてが因果ではないです。こじつけもあります。
「タバコを吸う」という事象と「クリスチャン」という事象には関連性はありません。
この質問をされた方は、教義・戒律でキリスト教はタバコという中毒性のあるし好品を禁じていますか? という意味かもしれませんが、聖書の書かれた時代にはイスラエル周辺にはタバコを吸うという文化がなかったので、聖書の中にはありません。
のちのちの宗教指導者が、自分の宗派の中でお勧めをすることがあったかもしれませんが…。

敬虔な、という枕詞がよくつくクリスチャン、故に因果のないタバコというし好品との関連性があるのではないか? と言うバイアスがかかりやすいのかもしれません。それを田崎師は諫めていると思います。教会に足しげく通い、質実剛健な清貧さを持った生活態度をする人を敬虔な、と言うのでしたら聖書はそんな敬虔なクリスチャンを目指せとは言っていないのですが、いくつかの時代のエピソードなどを通して、クリスチャンはそんな人たちの集団と勝手な解釈をしている人は多いかもしれません。


新幹線内での殺傷というショッキングな事件がありました。襲われた人ではなく助けようとした人がお亡くなりました。神に御霊の平安と残された家族の上へのねんごろな慰めを祈ります。

そしてこのニュースも、加害者家族も、マスコミも、声をそろえて加害者の障碍を口にします。
聞いている視聴者は、「ほほぅ、障碍を持った人なのか」とこの事件を色眼鏡で見てしまうことはないでしょうか?
常軌を逸した事件は、「何か」誰もを納得させるものがなければならない。それを「障碍」にしようとはしていないか?が気になります。単純な殺戮事件ではない方がニュースバリューとして、そして雑談の中で話題性が上がるという意識はないでしょうか?

そしてその先の相模原の事件を思い起こしてしまいます。

報道を見聞きする時は、一度心を落ち着かせ、ニュートラルな気持ちで見ないと、不要な因果に心を奪われてしまいそうです。

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