釜訪問あらため大阪訪問記(3)

一番の不幸は謂れもない偏見蔑視を受けること。たぶん釜の子どもはそうしたことは何度か経験しているかもしれない。
行く前に読んだBlog手記の一つ、オコジョさんの「大阪府西成区で過ごした28年」は何度かご紹介した。
子どものときはわからない偏見蔑視を思春期や大人になって感じてしまう。それはコリアンタウンでも聞いたことのある話だし、釜や寿だけの話じゃない。
でも自分の故郷のことをせせら笑うかのように『ああ、あそこね』と言われた悲しみは言い難いものがあるだろう。
それを払しょくさせるものは何か?それは周囲の大人たちの愛情でしょう。

20170715-21

今回の目的は何度も書いています通り、『さとにきたらええやん』の自主上映会がきっかけでした。釜ヶ崎と言う特定のエリアで、なぜに子どもたちなのか? 他エリアではなくなぜに釜なのか? という疑問は正直払拭はし切れずに実行委員になりました。Bestな選択ではない、でもBestな選択のみがスポットの当たる必然性もなく、Bestじゃないことにスポットが当たることでまた違う視線での考えが生じることもあります。
そして齢60近くの僕らにとって「こどものさと」の風景は実は何も珍しくない風景なのです。兄弟の上は下の子の面倒を見なければ親に叱られるのは当然でしたし、下の子はおにーちゃんおねーちゃんの理不尽な事にも我慢しなければならなかったものです。
いいものはいつもおにーちゃんおねーちゃんのもので自分はお下がり。遊びに行く時は体力のあるおにーちゃんおねーちゃんが仲間と走っていくのを泣きながら追いかけていくのに自分の遊びに夢中でかまってくれなかった。
そんな子どもながらの熱い戦いに似た一生懸命のコミニュケーションがこの狭い空間にびっしり詰まっていました。この日僕のほかに神戸親和女子大の方がフィールドワークで訪れていて一緒に施設を案内してくれるというので、子どもたちは公園に遊びに行くことになりました。
『(今まで)自分が遊んだもの片づけて』『片づけられない子は連れて行かないよ』中高の子がリーダーシップを発揮します。
「こら、○○、片づけてへんやろ』「エー自分が遊んだものは片づけたもん」『嘘や、**がまだ出しぱなしやん』「あれはおれのあと誰かが遊んだ」
いわゆる「いいこ」じゃない、なんとかずるしようとする戦い。昔思い出すなぁ~。生き馬の目を抜くことこそ生き延びるコツだというのは、児童数の多かった僕らの時代では何の不思議もない子どもならではの戦い。
児童少子化やモンスターペアレント、ゆとり教育…さまざまな世の中の変動と教育論で子どもを取り囲む環境も変わり、内申書を気にして『いい子』にならなければいけなくされた今。
さとの施設中の熱気はそうした昔を髣髴させる熱き楽しき戦いの場でもあったように思いました。

20170715-22

さとの運営組織は
大阪市留守家庭対策事業(学童保育)
大阪市地域子育て支援拠点事業(つどいのひろば)
小規模住宅型児童養育事業)(ファミリーホーム)
児童自立生活援助事業(自立援助ホーム)
そして緊急一時保護・宿泊所やエンパワメント事業など自主事業 です。

そして、川崎の自主上映会の時にも、最初に質問が出されたのはその運営費。
それでも行政から約6割がねん出されているそうですが、軍事費はふやせども福祉に関する費用は減らせという多くの国会議員・地方議員の大合唱の元、今後はますます減額の可能性もあります。
そんな中で、この里の子どもたちは自分たちで1年間(もしかしたら数年間?)様々な学びをして、遠くはアウシュビッツや沖縄と言ったところにフィールドワークに行っています。意外でした、もっと汲々としているとおもったのに海外までのフィールドワークしているなんて・・・驚きでした。
こうしたお金は海外の企業や宗教団体から送られてくるもので、海外のお金の使い方が実際形として目に見えない『教育』につぎ込まれているという姿勢に感銘を受けました。そしてそうした資金を取り付ける弛まぬ努力をしている職員の皆さんにも頭が上がりません。
同時にそうした勉強をしてきていざ行こうとした時に無国籍の子どもがパスポートを取得できないと言った残念な事例もあるのだという話も聞きました。
この話は昨日中田牧師よりお借りした小柳牧師の「教育以前」につうじる話でした。
お役所の管理のために個が無視される。何か大切なものが認められずに残念な思いがしてなりません。

20170715-23

『自分は自分じゃないか』『ここにいる自分を証明して見せているのだから納得しろ』と自分が言っていても戸籍がある以上融通が利かない。誰のための戸籍なのか?何のための戸籍なのか?なんで戸籍で証明されなければならないのか?
星新一氏のショートショート『番号をどうぞ』
湖のボート遊びで湖に落ちてIDをなくした青年。何をするにも「ではIDの番号をどうぞ」と言われ、駅でも警察でもキャッシングディスペンサーでも何もしてもらえない。自分の友人に会ったものの、「いや確かに似ているが他人の空似かもしれないし、君に化けたスパイが俺に近づいて情報を盗もうとしているかもしれないので信用はできない。君だと信用できるのは君のIDだけだ」と証明してもらえなかった、と言う寓話。
まさに本人よりも戸籍が優先される社会、そして今後は戸籍だけではなくマイナンバーとして、自分以上に尊重されちゃうようになるのでしょう。
何かの都合でマイナンバーが取得できない子は生涯日本国内の様々な権利の恩恵が受けられなくなるかもしれません。

話は変わりますが、同じ戸籍の問題で蓮舫氏の行動が注視されています。彼女が公表すると当然悪しき前例となり、同じような無戸籍や他国籍の方も立証しなければいけないという羽目になる可能性もあります。責任ある党首と言う立場はそうしたことも熟考してほしいところです。
さてそんな話から友人が新美南吉氏の「手袋を買いに」を思い出した、と言うトピックスを書かれました。
素敵な話を思い出され、僕自身はほのぼのとしたのですが、あの話は単にほのぼのではなく、例えば洋品店店の店主はお金が本物かどうか確認するのです。その姿に憐れみではなく人の平等の大切さや不正を許さない新美南吉氏の決意も感じるのです。
冬の寒空だから憐れんでやるとか子ぎつねだから可哀想、ではなく、正規のお金を持ってきたからキツネにも手袋を売るという平等の正義。
もし日本人でなければ国会議員はおかしい、党首という責任ある地位につくのはどうか?と言う議論の前に、日本を愛することとは何か?大切な故郷であり続けるにはどうしたらいいか?が大事な話ではないかと思うのです。
そこに戸籍は存在しない論議する真摯な姿勢の有無の平等性、そして国を憂う体を装った自分の利益の追求者への鉄槌、そうしたものの大切さを感じてしまうのです。大切なのは無国籍になった子供への憐れみではなく、戸籍ではなく大切なものの有無を大事にする社会でしょう。
マイナンバーで管理する社会が素敵な日本の創造なのでしょうか?

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