心も思いも一つに

2017年7月9日、小田原教会に与えられたみ言葉は、使徒言行録 4章32-37節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。


長井牧師は今日の箇所に至るまでの間に起きた出来事をペンテコステの後から時系列に話をし、そして使徒言行録2章42節に彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。 と書かれていると紹介されました。
(同じ志をもった集まったすべての人が)心を一つとし、使徒の教え(説教を聞き)、相互の交わり(仲間との交流)、パンを裂くこと(聖餐を受けること)、祈ることを熱心にした、と言うのです。つまり教会として、クリスチャンとして共に大切だと思っていることを皆でしたと言うことでしょう。

そして今日の箇所は、信じた人々の群れは心も思いも一つにし、とあります。心だけではなく思いも一つにしたというのを僕らはどう読むのでしょうか?
今日の使徒言行録はパウロの行動が中心の記事です。そのパウロはイエス(キリスト教)伝道の熱心さのあまり牢につながれます。
イエスの最後もそうでしたが、指導者が捕捉されることは、集団を分裂させます。パウロが捕まったことは、心を一つにしていた人が、一つでなくなることでもあるのではないでしょうか?
それゆえ教会を守ろうと言う思いの一致も大事だったと思います。

2000年の間教会が心と思いを一つにしたからこそ今なお残っているのでしょう。
一つのことで集まったグループ。それが粛々と継続していくというのは、まさにその部分が大事でしょう。
僕も教会以外でいくつかのグループの仲間と一緒に人生を楽しんでいます。
イヴェントが終わってうやむやの間に消滅してしまったグループと長期間活動をともにしているグループ。一番の差異はそこなのでしょう。
逆に言えば長々続いているグループも心と思いを一致できなければ消えてしまいます。

今日の箇所の直前、使徒言行録4章4節には 二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。 とあります。
一度のパウロの話を聞いて、なるほど、それは信じるに値する、といった所で5千人の理解度や咀嚼内容は違いがあるでしょう。しかし、自分の咀嚼故に信仰の道に入った訳です。お前の咀嚼は違っているとかおかしい、と言われることには不服です。
誰もがその咀嚼が正しくその大切な思い故に信仰の道に入ったのですから、それを主張し合え、そして理解しあえる教会でなければならないと思います。
自分の解釈とは違うけれど受け入れるよ、という関係性こそが、心と思いの一致の根底にあると思います。そしてそれは教会だけではなくどんなグループにも通じることだと思うのです。

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