ホームレスと呼ぶのはもうやめようよ

中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。という聖書の一節を抜き出したトピックスを書いた。
その御言葉の前段は
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。


昨日のパト。ここ10日ほど帰っていない方いて、2週目の昨晩は周辺の仲間からのまず第一声は、その仲間の安否。
自分のことでもない、血もつながっていない方の安否。
もし、行き倒れになっていたらやってられないじゃないか。その心配の仕方は家族を、言い方を変えれば少し年老いてきた自分の父親を気にするそれだ。辛い人生は自分にも置き換えられる、推測できる。その最期の時、せめて孤独死ではなく仲間として手向けたい、だから安否は他人ごとではなく気にかかる、そんなオーラが伝わってくる。

ホームとハウスは違う。
ハウスは単なる物理的な「家」であり、野宿を余儀なくする人の中にも、ハウスレスの人もいればしっかりしたブルーシートやダンボールのハウスを持つ人もいる。そんな為かハウスレスと呼ぶ人はいない。
ホームとは単なる「家」という構築物ではなく、家族という概念までを込みでホームだ。だからホームレスという言葉を言いだした人は家族から離れて、孤独に家を持たない人を指して言った言葉だろう。

でも、この日僕が出会った人は、個々にハウスを持ちながら見事なコミニティを構築していた。そこには血縁は無いがホームがあった。
僕らはこの夏、「さとにきたらええやん」という映画の上映会と、北村年子氏による道親を主とした講演会を企画している。
道親とは、釜ヶ崎こどもの里のような、血縁を度外視して大勢の大人がみなで地縁の子どもたちを育むという意味のようだ。
その趣旨からいえば、野宿のコミニティも道親社会だ。
中風の友を助けるためには、屋根を剥がすことすら厭わないほど激しい愛情だ。

もう僕らはホームレスと呼ぶのはやめよう。しっかりとした道親としての「家族」がそこにある。

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