教育以前

寄せ場(ドヤ)に住む人も当然のことながら普通の人間だけれど、そこに来るまでの半生の紆余曲折は町に暮らす僕らよりはるかにすごいものを持っている人が多い、これもまた事実だと思います。
小田原で路上生活を余儀なくしている人たちも、少なからずここに書くことを阻まれるような方もいますし、野宿を余儀なくする人がもっと多い横浜寿町でも「やばい」人とたくさん出会いました。
ですから書いておきたいことはありますが、さてなんて書こうか躊躇することも多いです。
それでも書いたのは、釜ヶ崎に行くまえにと中田牧師がお貸ししてくれたこの本です。

20170614-01

小柳牧師の著書。もうなかなか手に入らない本です。お借りできたことはとてもラッキーでした。
小中学校の先生でケースワーカー。しかし、当初書いたように僕らの想像を超えている家族が多いです。
戸籍がない子、長期欠席を余儀なくする子。親に育成を拒否されてひとりで生きていく子。
以前にも紹介しましたが大阪府西成区で過ごした28年はまさに20世紀から21世紀になるころの釜ヶ崎で生活したとある女性の半生ですが、小柳牧師とはまた違ったタッチで、でも同じ苦しさを書かれています。
オコジョさんの書は小柳先生の文章を裏付け、そして子どもの立場から描いていました。
そして小柳先生の本には書かれていない麻薬の販売の話なども書かれています。つまり見てはいけないものを見てしまうこともあるのでしょう。その危険性は小田原の町の中のそれとは違うのだと思います。
釜ヶ崎の赤ひげ先生矢島祥子さんが何者かに殺害され遺体が木津川に浮かんでいる事件も、何かそうした危ない事件と関係しているのかもしれません。
しかし釜ヶ崎と言うだけで警察すら捜査がおざなりになります。
人として認めていない側面を感じます。
小柳先生の御本の中にも、あいりん小から来たと言うと途端に無言の蔑視を感じるという旨の記事がありましたが、まだまだそのような差別はあるのでしょう。



2分過ぎからの警察の暴行・・・やっぱり問題です。釜以外だったらこうはならかったじゃいでしょうか?

そうした中ゆえに愛がとても愛おしいのかも知れません。
子どもは親を選べないと言います。そして生まれる場所すら選べません。
でも親は自分の子ども以外も愛おしむことができます。育てることができます。

生きる事に必死な動物、例えば草食動物は肉食動物から襲われた時に、敵いそうだと判断した時は誰彼を問わず集団で守ります。
集団での守りが無くなったのはもしかしたら、安全だから大丈夫と言う生命の危機能力が欠乏しているからかもしれません。
それ故に生きることがしんどい寄せ場の仲間は血縁を問わずに助け合おうという意識が強いのかもしれません。

書きながら自問します。自分はいったい何を言いたくてこのBlogトピックスを書いたのだろう?
何も目的は無い。ただ自分が抱えられない何かがある。理不尽な思いを吐き出したい。誰かに読んでもらって共有したい。
社会はますます劣化している中、僕は何をすればいいのだろうというストレス。
でもまずはあと1か月後、フィールドワークに行く。有意義な時を過ごせるように準備を怠りなくしたいものです。

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