5月18日のパトビラ(№978 - 痛みを共感する -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

大阪釜ヶ崎の本田神父の「釜ヶ崎と福音」と言う本で、師が野宿の仲間の床屋をしていた時、仕事が見つからないとぼやかれたそうです。「なぁ、先生どうしたらいい?」と言う言葉に本田神父は返す言葉が見つからなかったそうですが、順番を待っている他の野宿の仲間が「兄ちゃん、みな一緒やで」と答えたことで、その人は納得し「しゃーないな、も少しがんばろか」と答えながら帰ったそうです。
本田神父は2500年前の聖書のイザヤ書という言葉の中に『慰めよ、私の民を慰めよ』と言う一節があるけれど、この慰めと言う言葉は『共有する』と言う言葉が語源だと言います。自分がたくさん持っているものの中の1,2をあげることは共有とは言いません。なけなしの物をあげることが共有でしょう。そしてその最たるものは自分自身です。自分の体験や思いが相手に伝わること、これこそまさに共有です。余裕がある時に余裕がない人にとか、健康で病にかかったことがない人が病人にとか、若者が足腰が弱くなった人に「頑張れ」と言うのは決して共有ではないのでしょうし、そのアドヴァイスは薄っぺらいもので相手に納得していただけるものではないかもしれません。僕らも相談を受けた時に『そうだな言うとおりだ』と納得してもらえるよう尽力したと思います。


たとえば、生活保護についての法律や解釈については、理屈ですから少し学べば答えることができますが、生きざまに関して、人生については答えが難しいです。
そう言う意味では牧会者は心理学や哲学まで学び、生き方を宗教を介して説くスペシャリストですので僕らよりよっぽどの納得して頂けるアドヴァイスができるのでしょうけれど、そんな本田神父がそう言っている訳です。
でももしその場で本田先生が「オッチャン、みんな一緒。頑張りましょ。」と言ったらきっとその野宿者は、神父という職業があるやつに俺の悩みなんてわからねぇだろうよ、と反発したでしょう。それが推測できたからこそ言葉に詰まったのでしょうね。同じ境遇の仲間の言葉故にあの回答は納得できた…。
そして聖書に立ち返ると、イザヤ書の文字が目に飛び込んできたというのです。
日本でも亀の甲より年の功、とか言います。いろいろな人生の経験が少しでも何かの役に立てるように生きたいものです。

4月下旬にとあるルートよりインスタントみそ汁を大量に頂けましたが、今日もまた別ルートから頂けました。
いろいろな方が小田原交流パトロールの存在を記憶して頂き、何かの際に思い起こして支援してくださることは本当に感謝です。

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