4月6日のパトビラ(№973 - 『春の日』直前、受難の木曜はお休みします! -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。


いろいろな神様が自分のテリトリーを支配する八百万の考え方を日本人の多くが持っていたりします。「サ」というのも稲作農業神の神様の名前で、稲を植える時期は「さなえ」、そのころ降る恵みの雨を「さみだれ」、田植えが終わった後の祭りを「さのぼり」、稲につく虫を「さばえ」と稲に関するものに「サ」の字がついたりします。諸説ありますが「桜」も、稲作の神の「サ」の居る場所「座(くら)」に植える木から来たとも言われています。
神の居る場所、神と出会った場所、そうした貴重な場所に「建屋」を立ててほめ奉りたいのは、一神教のキリスト教でも同じことで、例えばエルサレムには聖書の各場面の場所と言う場所の上に教会がたてられています。まさに結界のごとく「聖地」としての神の場に桜を植えたとするのなら、それはそれで古代日本人の美意識を感じます。
と同時に日本はやはり農業国なんだな、と感じます。四季の移り変わりを肌で感じ、春と言う生命の誕生の時期を桜を愛でることで喜ぶ姿は素敵だなと思うのです。
さて、来週はキリスト教会ではイースターの直前の木曜で大切にしている洗足の木曜です。ですので私たちの訪問ももお休みをさせて頂きます。そしてイースターは洋の東西は違っても、主のご復活と生命の誕生を喜ぶ日です。希望の春であります。


桜を愛でるのが大好きな日本人は多いと思います。
季節が生命の誕生と言う春になってきたこと、そして短い期間で花が散ってしまうはかなさを一緒に味わえる花見の文化は、本来は宗教的・哲学的な意味合いに感じますが、最近はまさに「花より団子」。寒さに負けずに楽しく飲むことが最優先のような気がしてなりません。
この裏には、農地の減少を感じざるを得ません。四季を実感しながら労働に勤しむ百姓の減少を感じざるを得ません。
桜の語源や由来を探りながら何か本来の意味が失われていく一抹の寂しさを感じてしまいました。

来週の木曜は洗足の木曜。そして最後の晩餐の日です。教会が大切にしている日です。当初クリスチャンばかりで始めた小田原交流パト、クリスチャン以外の方も参加するようになった今も相変わらず年に1,2度のお休みの週です。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
検索フォーム
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター