主の御心はどこに

2017年2月26日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 14章22-36節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。


この出来事の前後を聖書から見てみると、絵画や演劇・映画でも有名な「サロメ」と言う女性。ヘロデ王の娘でもありますが、大宴会の中で見事な舞を踊って見せ王は大いに喜び、何でも褒美をとらせようといった所、母親が(ヘロデとの結婚で律法違反だと言った)洗礼者ヨハネの首がほしいと言うように唆(そそのか)され、王に言ったところ二言は言えぬと断首をされ、盆の上の首を母親が不気味な冷笑をもって見ていると言う話は多くの方がご存知かもしれません。

自分に洗礼を授けてくれた預言者であるヨハネ。それが誰かの褒美として断首と言う形での不当な死刑を受けたことでイエスは大きなショックを受けたことでしょう。
つい先日も北朝鮮の金正男氏がクアラルンプールの空港で暗殺されました。推測の域を出てはいませんが、そこには「恨み」がある訳でもなく、単なる権力争い・保身のために異母兄弟の関与が多分にあったと言われています。
権力争いと言う理由で…しかし見ず知らずの人が殺されることであっても僕らは非常に憤りを感じる訳ですが、ゲームのような感覚で近しい人が殺されることは何にも替えがたい悲しい出来事だったのでしょう。

イエスは舟で町から離れた場所に行き、一人静かに追悼し神に祈ろうと思っていましたが、そこに多くの民衆が押し寄せ、それどころではなくなります。悲しみをこらえながら5000人への給食を分け解散させ、今度こそ一人祈っているところが今日の箇所です。

祈り終わる頃には夜明けになっていました。夜が白々と明ける直前、一番暗い時間です。今と違い電気のない時代、天気はどうだったのかはわかりませんが、煌々とした月夜ではなく、強い風が吹いていたことでしょう。
そんな中、イエスは友である弟子たちが心配になり山から下りてきました。

僕のBlogでは何度も出てくるRFL(リレーフォーライフ)。
1985年にアメリカワシントン州シアトル郊外で、アメリカ対がん協会(ACS)のゴルディー・クラット医師が不安な夜を過ごす患者のために「がんは24時間眠らない」をテーマに階下のグランドをマラソンし、1週走るごとに自分と仲間の募金をささげたことが始まりです。
そして真っ黒な空が夜明けで紫に染まる、そんな紫色をシンボルカラーにしました。

「安心しなさい」と言う新共同訳で使用されている日本語は、別の聖書では「勇気を出しなさい」と訳されています。小舟が強風で揺れている暗闇。必死に転覆を避けようとする弟子たち。
そんなところに行ったイエスが言葉をかけるのなら「勇気を出しなさい」の方が近いかもしれません。
私が来たからもう安心、ではなく、さぁ一緒に困難に立ち向かおうに近いような感じをこの後すぐに強風がやまなかったことから感じるのです。
そしてそれは不安な夜を過ごすがんサバイバーさんへの声掛けにつながります。「勇気を出して闘いなさい。」一番不安で一人ぼっちの、一番暗い夜明け直前。
そんな言葉に顔をあげたらそこには真っ黒な闇をじわじわと侵食する朝日の赤によって紫色になっていく美しいグラデーション。
朝日を見ることなく死んじゃうかもしれない。このまま目を覚ますことが無いかもしれない、とまで思い込んでしまう押しつぶされそうな不安。そこに「おはよう、きれいな朝だよ」と言わんばかりの夜明け。そんなささやかな喜びに多くのサバイバーさんは、「安心しなさい」ではなく勇気をもらって闘病に向かったはずです。

弟子のペテロは言います。自分に歩けと命じてください。神の命令ならば自分も水の上を歩けるはずです。
イエスの言葉で湖の上を歩いたペテロは、自分が超人的なことをしていることに気付き恐れて沈みそうになります。
自分は人間であることが甦ったのです。自らの力では立てない、ゆえに主につながらなければならないことを悟ります。
限界(沈みそうになった時)、イエスは手を差し伸べます。
よくよく考えれば、神は万能です。ですので、イエスが愛してくれている弟子ならば、手を差し出さなくても天に召すことはないでしょう。それでもイエスは瞬発問わず手を差し出した、それはイエスの感受性と言うか人道的というか愛のなせる業でしょう。とっさに手が出たのでしょう。
がんサバイバーの人も決して一人での戦いではなかったはずです。お見舞いに来てくれた家族や友人、隣のベッドの人、一緒に頑張ろうと声をかけてくれる看護師さんや医者。そんな隣人もですが、先ほどから記した夜明けの紫のグラデーションのような自然の中からも知らない力をもらっているのではないでしょうか?

僕らも限界はあります。それはがんサバイバーの方も一緒です。でも差し出した手にすがりつけば日の目が見えることがあります。
今日の箇所は、ペテロが勇気を出して行動することに着点があると思います。

そして今日の最後の箇所は、イエスの服に触れさえすれば、と言うところです。
信じるものは救われるとは陳腐な言い古めた観の言葉。鰯の頭も信心からと言う言葉もあります。でも顔をあげた時の暗闇が赤と混じったパープルのグラデーションが美しくそこに何かを感じたら勇気をもって歩み出したいものです。
そこにはきっとしっかり握ってくれる手があるはずです。

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