オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。

高山右近の列福式の記事

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カトリック司教協議会列聖列福特別委員会は、大阪教区(池長潤大司教)と共に2月3日、ユスト高山右近の列福祈願ミサと講演会を開催、会場の大阪・城星学園講堂には約800人が集った。400年前のキリシタン大名右近の生涯を知ることで、神がへりくだられた意味を深く理解し、キリスト者であることの使命を再確認する機会となった。

オープニングセレモニーは、路上演奏やコンサートで注目されているミュージシャン、坪山健一氏のサックスで始まった。その後、北摂地区青少年委員会の子どもたちによって右近の生涯の紙芝居、続いて「捨ててこそ―イエスの福音と高山右近―」と題して古巣馨神父(長崎教区)の特別講演が行われた。

「400年間語り伝えられてきた高山右近の出来事は、閉塞(へいそく)感に満ちた今だからこそ日本の教会の『共通の記憶』として、皆が知るべきことだ」と切り出した古巣神父は、始めに右近の生涯全体をおおまかに紹介。その上で、「高山右近という生き方」について、人生は神によって起こされた出来事だという理解のもとで、聖書の箇所を引用し、右近の人生と重ね合わせながら解き明かした。

まず右近の人生を、①「出会いの神秘」、②「苦しみの神秘」、③「復活の神秘」と三つの時期に分けて解釈し、それらをキリストの三つの神秘と一致させて見るとき、イエスの福音と右近の関係は鮮やかになると話した。

①「出会いの神秘」では、ザビエルにいたる右近の信仰の系譜(誰を通して信仰を得たか)に触れ、②「苦しみの神秘」では、神と人の絆をより深く結ばせる苦しみ、すなわち「試練」を通して右近が神によってつくり変えられたと語った。右近には三つの大きな試練があったというが、古巣神父はこう説明した。

「『荒木村重事件』では、人生の岐路に立つとき、神の前に身を置き、問い掛け、静かに聞き、決断するという、右近の生涯を貫いた『祈りによる決断』を身に付けました。秀吉による伴天連(バテレン)追放令では、『他のことは譲っても、神の教えにかかわることは譲れない』と公言。身分も財産も全て捨てることを選択したのです」

「降りてきて、十字架の死に至るまでへりくだった神」と出会った右近は、下克上の上り詰めることを競った時代に、“負け組”として、「降りていく生き方」を選ぶ。右近のこの生き方は、競争社会の中で福音を伝えようとする現代教会に大きな示唆を与えると、古巣神父は指摘した。

また、63年の生涯のうち、28年間を追放の身として過ごした右近は、秀吉、家康からの追放を「キリストからの派遣」と受け止め、彼の行く先々には信仰共同体(教会)が誕生した。右近の追放の人生は、③「復活の神秘」の中にあったと指摘した。

「洗礼の恵みを深く生きた結果が『高山右近という生き方』になりました。右近は現代のキリスト者に、洗礼の恵みを喜びとし、その情熱のうちに生きるようにと励ましています。人は本当の神の教えに出会い、洗礼を受けたこと、キリスト者であることをもったいない(ありがたい)こと、と公言した時、福音の証し人になれるのです」(古巣神父)

締めくくりの列福祈願ミサは、大塚喜直司教(京都教区)をはじめ、池長潤大司教(大阪教区)、松浦悟郎補佐司教(同教区)と他13人の司祭による共同司式で行われた。大塚司教は説教で、右近の人生が「長い殉教」そのものだったため、その生涯の道のりは私たちの信仰の模範となると話した。

さらに、教皇ベネディクト16世が、昨年「信仰年」を定めた背景にも言及。かつてはキリスト教国と呼ばれた国々の深刻な教会離れがあると説明し、私たちには、今どうしても内面の刷新が必要だとして、右近の列福を心から祈りたいと結んだ。

カトリック新聞OnLine February 15, 2013

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