福音を恥としない(2)

山口市内の小学校でいじめを受けた女児が不登校になった問題で、男性担任教諭が女児に「先生に超能力があったら加害者を見つけられるのに」と発言していた。女児の父親への取材でわかった。女児は「加害者のことを伝えているのに、真剣に取り組んでもらえない」と受け止め、学校に行けなくなったという。

 市教委によると、「しんでよね」などと書かれたメモが女児の机の中に入れられるいじめは昨年1月下旬から約3カ月間続いた。父親の説明では、その後も夏ごろまで、同級生ににらみつけられるといったことがあった。

 担任と女児の家庭で交わされた「連絡帳」によると、担任は昨年11月16日、女児と個別に面談。女児は「担任に『なぜいじめられたと思う』と尋ねられ、『どうやったら加害者は見つかると思う』『先生に超能力があったら加害者を見つけられるのに』と言われた」と親に伝え、親はそのことを記入した。

 翌17日から女児は不登校に。女児の母親は連絡帳に女児が「加害者の話も何度もしているのに、超能力の話だなんてありえない」と落ち込んでいると書いた。これに対し、担任は「気持ちがやわらぐといいなという思いで話をしていました。傷つけてしまったこと、とても申し訳なく思っています」と記した。

 ログイン前の続き12月2日の連絡帳には女児が自ら「私は先生に傷つけられたことは一生忘れません」と記入。担任は「苦しんでいる気持ちを考えないような幼稚な言い方をしてしまいました」と謝罪の言葉を書いた。

 学校は今月27日夜、緊急保護者会を開き、いじめや学校の対応の経緯を説明した。女児が不登校になった経緯について、市教委は26日に開いた記者会見で「担任との言葉の中で行き違いがあった」と説明。校長は朝日新聞の取材に対し「個別のことでお話しできない」と話した。
朝日新聞 2017年1月30日19時16分

昨日の今日なので、29日の説教はよく覚えている。そんな最中のこの文章に説教がオーヴァーラップした。
説教を聞いて僕は2つに分解した。
1つはキリスト教はドラえもんのポケットではないから「奇跡」を望んでも何も出てこない。→先生が超能力を使えたなら、という言葉は、失望以外の何物でもない。
もう1つはインマヌエル=神共にいまし、である。映画「沈黙」のインプレッション「サイレンスΩ」にも記したけれど、神という名詞を固定概念で思い込んでしまわないで、例えば聖書の「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書 18章20節)という概念を外した人の心の中の神性を重視すれば、彼女に共に居ます神のなさ、つまり隣人不在が彼女を苦しめてしまったわけのように見える。

福音とは神という既成概念による「与えられる」存在ではなく、神性により隣人を愛す心を持った人の行為でもあるのではないか?
何の力もないような、ささやかな言葉や無言でいても寄り添える周囲の人。その存在はドラえもんのいかなる道具よりも光って見える。

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