暗闇から光へ

2017年1月22日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 4章12-17節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

メガネをはずすと目の前が見えなくなるだけではなく何か頭の中もぼんやりする様で思考が定まらない、そんな感覚に僕はなります。同時に話も雑談ならともかくきちんと聞く時はメモを取らないとどうも理路整然としないし、覚えている時間も短くなります。
先週は耳だけで説教を聞いていましたが、家に帰るころにはどんな説教だったか内容もあやふやでBlogにインプレッションを記載するどころではなく失礼をしてしまいました。


イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。



4つの福音書の著者は、書かれた背景、書いた時期、書きたい事、当然のことながらすべて違います。このマタイはきっと「正当な」王家系統者、つまりユダヤ最大の王であったダビデやソロモンのような強大な国家を作ってほしいという民衆の願いに対しての回答を書きたいという願いがあったのではないでしょうか?
ですから1章1節からは、初めて聖書を読む者にはただただ面白くもない名前の羅列を記し、今日の箇所もイザヤ書9章からの引用を書き、そこには正当な神に油注がれたイエスが神の名によって平和を作り出すことを書こうとしたのだと思います。
イザヤ書の中では異邦人のガリラヤと書かれていますが、長井牧師はこの地はマカバイ王家の地、熱心党の本拠地であり、異邦人の地ではないと語ります。では何ゆえに異邦人の地と記されたか?と言えば、イエスによる新しい解釈のユダヤ教つまりはキリスト教に対して異邦人の町と言う意味だったのでしょう。
そこでイエスは悔い改めよ、と伝道を始めたのです。
もちろん、2017年の日本と言う地も異邦人の町。2000年と言う月日、極東と言う洋の東西の違い、そんな辺境の地でも、イエスに出会い、イエスの悔い改めよという言葉によって教会は建てられ、この日僕らも礼拝の民として集いました。

悔い改めよ、よく日本でも一部の福音原理的なグループの金属板のプレートがあちこちに貼られていますが、何か大きく懺悔をして生き直さなければならないようなインパクトを与えます。
しかし長井牧師は、もう一度神を見よ、と言うニュアンスの発言だと語ります。

放蕩息子の喩えが聖書には載っています。乱れた生活の挙句日々の生活にも事欠いた息子が父の所へ行って謝ろう、と帰ると、遠くからその姿を見た父親は駆け寄ってよかったと涙流さんばかりに喜んで帰宅を歓迎した。と言う話です。
僕らが何かをきっかけに「神はいない」とか「もう信仰生活は疲れた」「勝手に生きたい」と神に背を向けて(放蕩息子の喩えでは放蕩生活をはじめても)、何かをきっかけに神の元に戻ろう(もう一度神を見よう=悔い改めよう)とすれば、神は喜んで遠くからでも駆け寄ってくれる、と言う話です。
大きな懺悔のような、「○○しなければならない」という条件は神は求めていない。ただ神の元に帰ろう、と言うだけで十分なのでしょう。

もちろん放蕩生活を進めているわけでもありません。でもこの放蕩息子の話には兄もいます。父親に仕え日々精進しながら仕事に明け暮れても質素な食事の毎日。遊ぶこともなく一生懸命の兄は、弟の帰宅に際して父親が歓迎の宴をしたことに腹を立てます。
ずっと自分は父に仕えたのに、何一つしてくれなかった。
わかるなぁ、その気持ち。僕には痛いほどよく解る。やっぱり一生懸命生きた人は放蕩の限りを尽くした人より目をかけてほしいよ。お前はよくやっていると言ってほしいんですよ。
と言う弟との比較。それ自身がお門違いなのでしょう。

僕の天国論は誰でも行ける場所だと思っています。地獄は永遠の場所ではないと。
じゃあ放蕩息子のようにこの世でも好き勝手やった方が得じゃん。悪い事して死刑になっても天国に行けるなら悪い事しようぜ。なのでしょうか?

もしそうであってもイエスのみあとを歩んで人の目には兄のように要領の悪い生き方をしたとしてもそうあれ、と言うのがクリスチャンになるということなのでしょう。

悔い改めよという言葉は神が人に言う言葉。人と人との関係では愛し合いなさい。です。
隣人を愛しながら神を見ながら生きること。そしてそれがしんどくなったとしても神は何度でも赦してくれるからそれを信じて希望を持つこと。
今週も背伸びしすぎることなく身の丈に合った愛の中に生きていきたいものです。

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