サイレンス(α)

初めて文章を見たのはまだ小学生の頃。母親が買ってきたぐうたらシリーズ。
今でも覚えている
「経済学部
 への期待」
と黒板に書かれた小論文のタイトル。緊張のあまり2つのどちらかから選ぶと思った受験生が盲腸のあとガスが出るのを家族一同で期待した論文を書いた、とか
まだウォシュレットをTOTOが開発したばかりでモニターとしてつけてもらったが、温度調節を忘れて客人のお尻を熱湯が直撃した話に笑いながら、読み漁り、そしてクリスチャンであることを知り、芥川賞受賞作品の「白い人・黄色い人」を買うに至りました。
ところが中学生には難解。当時の僕は、今の世の中の多くの人と同じようにクリスチャンのまくら言葉は「敬虔な」であって、神を裏切ることのない人がなるもんだと思っていましたので、何となく許せない話と言う感じで、それからしばらくは遠藤周作さんからは離れてしまいます。
そして続けて読んだのは三浦綾子さん。心地いいですよね、いかにもTheクリスチャン。こうでなくちゃ、と言う感じで読み漁るのですが、なんかげっぷが出る「生」への重さ、襟を正す生真面目さの厳しさを感じ、遠藤文学に戻ります。私が・棄てた・女とかおばかさんとか実直の中に信仰がある生き方を読んでいく中で、信仰が培われていったのかもしれません。そして、沈黙に出会うのです。
もうこの頃は「白い人・黄色い人」を最初に読んだような表面的なクリスチャン像ではなく、物語の中の人たちの信仰における愛を意識できるようになっていたので、この踏み絵を踏む時の神の言葉は涙なくして読めないほどの感動をしたもんです。

そういえば、遠藤周作氏の言葉で「母なる神」と言う言い方がありますが、この言葉も大好きで、キリスト教の神に僕も父親ではなく慈愛満ちた「母なる神」を感じてしまいます。無上の愛の存在を感じるのです。

そして30余年経った数年前。アメリカのなんだか有名な監督がこの作品を気に入り撮影したがっているという話を聞き、遠藤文学を映画に出来るのかい?と言う冷めた目で見ながらも完成を楽しみにしていました。
どうも浮気性(?)なのか、作ることを公言しながらも他作品を先に作ったりとやきもきさせましたが、いよいよ日本での公開が決まりました。
居てもたってもいられず、封切を待っていってきました。

20170121-01

ご覧になっていない方もたくさんいるでしょうから詳しく書くことは憚られますので、ちょっとしたインプレッションのみ。
原作を読んで30余年。忘れている点も多々ありますから、勘違いがあったらごめんなさい。
でも原作に非常に忠実だったと思います。惚れ込んだから忠実だったのかもしれません。
が…。
遠藤作品の「白い人・黄色い人」や「沈黙」は、神の愛だけに特化されて人はおろおろとし、そして悩むだけでしたが、マーティン・スコセッシ監督は、少し情に厚かったのか人の希望が描かれていました。果たして遠藤周作氏はこの『人の愛』が書きたかったのか?疑問ですが、なかなかの秀作でした。
でも、その疑問の分、ノンクリスチャンの方にはわかりやすい作品になったのかもしれません。
そして欧米のクリスチャン向けにはあちこちに聖書の場面がちりばめられています。たとえば主人公ロドリゴ神父が転ぶとき…、おっとその先は…内緒です。

ところでキチジローは棄教しました。棄教後は聖餐に与れるのでしょうか?
聖餐の本質はどんなものか?も気になっています。


PS
1/24 追記 サイレンス(Ω) 記しました

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
検索フォーム
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター