説教と曽野綾子氏の土人発言擁護

11月16日付の産経新聞で曽野綾子氏は
私は東京の八丁堀生まれの父の娘である。私は父のことを「東京土人」とか、「東京原住民」とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。「沖縄の土人」というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる。(中略)
 土人も原住民も、それなりに自然な郷土愛や文化への自負を持っている。ましてや沖縄ほどの、料理にも焼き物にも染色にも、個性豊かな文化を持っている土地ならなおさらだ。父が生まれた土地の「土人」だと言われたら、「人の言うことなんざ、気にすることはないよ」と笑うだろう。


一見理にかなっていそうに見えるが全く的外れな解釈としか思えない。それは特に氏が聖書に親しんでいらっしゃる方だとすればなおさらのこと。

障害者を障碍者とか障がい者とか書く機会が多いです。
それに対して、事は字だけではないから意味のないことと言われることもあります。
確かに障碍者とかけば偏見で見てもいいはずはありませんが、他人に「害」と言う字をあてはめることに違和感を持てば、偏見も持たずなおかつ字も障碍とか障がいと書きたいと思っています。
それは見られる側がどう思うかの問題でしょう。私は偏見を持たない、蔑視していないからこの字を使わっても構わないというのはやはり問題があると思います。

部落と言う言葉も同様でしょう。今だに僕の住む地域では自分の地域の事を部落と呼びます。社会的な学習云々から言えばいまは控えるべき言葉なのでしょうけれど土地の老人たちの話の前後から推測するに当たりそこに差別や蔑視は無ければ、本当は正すべきなのかもしれませんが(相手がことお年寄りなら)僕はあえて言葉を制することはしていません。

土人もそうでしょう。
まず、このストレスを抱えた若者がつい口走った「土人」と言う言葉がどういうつもりで発したのか? は前後のやり取りや彼らが何をしに沖縄まで来たかによって推測できます。
そこでのこの発言がどういうものか、は物書きであれば…いやそうではなくても十分に推測できるはずです。

日本キリスト教団の暦で言えば11月第4週は収穫感謝日です。先日の説教でも大いに触れられたのですが、Blogが長くなったのでさわりだけ書いて多くは割愛しました。
収穫感謝日の翌週から教会は待降節に入ります。教会歴で言えばここから新しい年度が始まります。
つまり1年の最後の週、締めの礼拝でした。総括の礼拝でもあります。
そこで与えられた御言葉がマタイによる福音書 25章31-46節でした。
羊と山羊の差異は何か?に相手を自分のように愛せよ、と言ったイエスの言葉が光ります。

アメリカ大陸に渡りながら途中で多くの人が病死し、着いた後も農業経験の乏しい人が次々と亡くなる中、ネイティブアメリカンの愛ある支援に翌秋収穫感謝において共に祝ってから時代が経ち、その困窮とその喜びを知らない人が増えた時アメリカでは迫害の歴史が始まりました。
総括の説教で、そしてそれがサンクスギビングスディの日であり、その日、羊と山羊の喩を聞いた時、僕らはそこから何を得なければいけないかと言えば、相手の痛みを知ることでしょう。

関西お笑いの大御所坂田利夫氏は、自ら[あほの坂田]という事には別段痛みが無いが、他人から[あほの坂田]と言われるといい気分ではないと何かで語ったのを読んだことがあります。
曽野綾子氏のご尊父も自らの経歴を江戸土着と言う意味で言う分には笑い飛ばせるでしょうけれど、沖縄のあの現場で「土人」と言われればそこには心の痛みが伴います。

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