尊厳の回復

2016年11月20日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 25章31-46節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」



この聖書の箇所を見聞きすると、思い出すのは『くつやのマルチン』

昔、ある国にマルチンという働きもののくつやさんがいました。マルチンは、家族みんなで楽しく暮らしていましたが、ある日奥さんが病気で死んでしまい、とても悲しく思っていました。
いまは十才になるピーターと二人きりで住んでいました。ピーターはマルチンのお手伝いをよくするしっかりした子だったので、マルチンはピーターをとてもかわいがっていました。
ところが、ある日ピーターが病気になってしまい、高い熱が何日も続きました。マルチンは、神様に一生懸命お祈りをしました。
「神様、私の家族はもうピーターしかいません。お願いですから病気を治して下さい」
でも、とうとうピーターも死んでしまいました。
マルチンはとても悲しみました。マルチンはひとりぼっちになってしまったのです。
「たった一人私のそばにいてくれたピーターまで死なせてしまうなんて、神様はどうして私にばかりこんな悲しい思いをさせるのだろう」
と、マルチンはだんだん仕事をするのもいやになり、毎日お酒ばかり飲んでいました。

ある日、そんなマルチンを心配して友だちが訪ねてきました。そしてマルチンに「仕事もしないでお酒ばかり飲んでいて、天国にいるピーターが喜ぶと思うか。聖書を読んでごらんよ。神様のお考えや、君のしなければいけない事がきっとかいてあるから」
といいました。マルチンは言われたとおり聖書を読んでみました。ひとつひとつの言葉を大切に読んでいきました。そのうちいつのまにか疲れて眠ってしまいました。

「マルチン!マルチン!」
誰かが呼ぶ声に目を覚ましました。
「私はあしたおまえの家に遊びに行くよ」
姿は見えませんでしたが、たしかに神様の声です。マルチンは夢をみているのか、本当なのかわかりませんでした。
つぎの日、朝早く目を覚まし一生懸命お部屋を掃除し、いつ神様がいらっしゃるのだろうと楽しみに待っていました。

ふと窓から外を見ると、道の雪をとるお仕事をしている人がとても疲れたようすでしゃがみ込んでいました。かわいそうに思ったマルチンは、その男の人を部屋の中にいれてあげて暖かいお茶を飲ませてあげました。男の人はとても喜んで帰っていきました。
「神様はまだいらっしゃらないのかな・・・・」
そう思いながらまた外を見てみると、今度は赤ちゃんを抱いた女の人が寒さに震えながら立っていました。
マルチンはとてもかわいそうになり、二人を部屋に入れてあげました。そして、赤ちゃんには温かいミルクを飲ませてあげました。
女の人はとても喜んでマルチンに何度もお礼を言って帰っていきました。
もうお昼もすぎました。神様はまだいらっしゃいません。すると、
「こら、まちなさい」
女の人の大きな声が外から聞こえてきました。マルチンは驚いて窓の外を見ると、ひとりの男の子がおばさんからひどく叱られていました。 男の子はお店から黙ってリンゴを盗んでしまったのです。それを見たマルチンは急いで外に出ると、男の子に言いました。
「ぼうや、私がかわりにリンゴのお金を払ってあげよう。でもこれからは人の物を盗んではいけないよ」
男の子はマルチンに、 「どうもありがとう。これからはもうしないよ」 「おばさん、ごめんなさい」とお礼とお詫びを言って帰っていきました。

外がだんだん暗くなってきました。マルチンは今日一日のことを考えてみました。
そして、その夜お祈りをしました。
「神様、今日は三人の人のために私は出来る限りの事をしてあげたら、みんなとても喜んでくれて、私も嬉しくなりました。でも神様、今日はどうしておいでにならなかったのですか。私はとても楽しみにしていましたのに・・・」

するとその時、「マルチン!マルチン!」と声が聞こえてきました。たしかに神様のお声です。
「マルチン、私は今日あなたに会いましたよ。あなたは雪かきをしていた男の人を部屋にいれてあげたり、寒さに震えている女の人と赤ちゃんにミルクを飲ませてあげたり、リンゴを盗んだ男の子のかわりにお金を払ってあげましたね。それは、実はみんな私だったのですよ」
「えっ!では神様は私のところへ来て下さったのですか」
マルチンはとても驚きました。自分が世界で一番かわいそうな人だと思っていたけれど、もっとかわいそうな人がいることを知りました。
そして、自分のような者でも、人に優しくしてあげられることがわかり、何だか心の中がとても温かくなってきました。
マルチンは、神様はいつも私の事を見ていてくださるのだということがよくわかり、とても嬉しい気持ちになりました。



トルストイ氏はこの御言葉をわかりやすく文学作品にしたのだなと思えます。

礼拝では中田牧師が教訓めいた箇所だが教訓として味わうだけではいけない、と語ります。
そして、王が羊と山羊に分ける時の項目を再度確認されました。一つは食であり、一つは住であり、一つは衣であります。そのほかに健康と自由を以てその時にどうしたかを考えています。
旧約外伝のトビト記には、
シャルマナサルの存命中、わたしは同族の者たちに慈善の業を行った。
飢えた人々に食べ物を与え、裸の人々には着物を着せ、
また同族のだれかの死体がニネベの町の城外に放置されているのを見れば、埋葬した。

と記されています。それがマタイによれば埋葬の記述が無くなり、牢に訪問するという自由からの解放の祈りが書かれているようになりました。つまり、キリスト教が死者はすべて神に委ね、生きている者のための宗教になったことがわかります。
生きている者が必要なもの、生きている者同士相互相憐れむ関係性についてどうしたのかが、この王の区分けとなっているのではないでしょうか?
私たちは生き社会生活をする上において大切に思いたいものが、食・住・居・健康・自由の5項目でしょう。この5項目について自分がしてほしいように他人にしてあげれているかが今日の問題点だと思います。
サンクスギビングスディの時助けてくれたネイティブアメリカンに対してその後移民白人たちのしたこと、江戸時代や明治初期に北海道に渡って人たちがアイヌ民族にしたこと、終戦直前切り離して命乞いした沖縄の人たちには今もって僕らは極めてひどい礼遇を続けています。居、食、住、健康は目に見えやすいですが自由と言う尊厳は見ようとしなければ見えない差異です。山羊グループの人もその場を逃げようとして命乞いをしているのではなく、本当に自分が差別をしていることを理解していなかったのかもしれません。自分の行動が聖書の評価委にあっているのかはいつも確認しなければならないことでしょう。
単なる教訓ではない、日々の実践の言葉として味わいたい言葉で、この週もそうありながら生きたいものです。

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