イエスと一緒に導かれる

2016年11月6日、小田原教会に与えられたみ言葉は、テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 4章13-14節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

日本キリスト教団では11月第1週の主日を「聖徒の日」と呼びます。先達の方々を覚えて、でもキリスト教は仏教と違ってお亡くなりになった本人が「仏=神化」しません。あくまでもその聖徒をこの世に送り出してくれた、そしてそれに連なる私たちを教会に招いてくれた神を賛美する日です。
そしてこの日は教会によって「永眠者記念礼拝」とか「召天日」と呼ばれたりします。永眠と言う何となく後ろ向きな言葉よりも召天=神に天国に招かれたというほうが好きだと言う牧師のご意見には大いに賛同します。
人は誰でも必ず死を迎えます。これは例外がありません。ならば、この世において全力で走り切って、神様に「よくやった」と言うお褒めの言葉とともに天国に行けることが最高の最期ではないでしょうか?

今日の聖書の箇所を原語で読むと「知らずにいてほしくない」と言う書き出しです。
つまり、こんな大切なことなのに案外この世の人は知らない、と言うことがこの箇所の言葉です。

死に対して希望を持て、と書いています。
ふっと、がんサバイバーでシンガーソングトーカーの杉浦貴之さんのコメントを思い出しました。
がんと闘うことを決意したら、「絶対治す」と宣言しない。絶対とすると荷が重くなる。だから「治るに決まっている」と自分の体を信頼する。その希望が闘病につながるという旨のコメント。
人間は己のみに頼ると意外に弱いものかもしれません。もっと大きな力(ここで言う神)が加護してくれている信頼、これが大事であり、拡大解釈すると今日のこのみ言葉に通じるように思えます。

キリストはすべての人に救いをもたらすのです。それはクリスチャンでもブッディストなどノンクリスチャンでも同じです。そこで違うのは(受け手である人間が)イエスを信じて救われると思うかです。極端な言い方をすれば、それはキリスト教でなくてもいいのかもしれません。絶望をしないこと、信じること。それをしやすくするのが聖書です、悩んだときくじけそうになった時、希望を思い出させる本です。
クリスチャンになることが人生の目標ではなく、希望を忘れずに生き、そして最期の時は神のお招きをもって天国に行き、そしてそうした人生を過ごした先人に喜びを感じ出会い得たことを神に感謝することが目標でしょう。その信頼を忘れないこと。
今日は多くの方々と一緒に礼拝を共にしました。その方々がその信頼を持ちながら笑顔で生きられますように。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
検索フォーム
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター