羊飼いの声を知っている羊

2016年9月4日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 10章1-6節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。



故・三浦綾子さんの著書「塩狩峠」の中の、「君はなぜイエスが十字架にかかったかを知っていますか?キリストを十字架に架けたのはあなた自身であることをわかっていますか?」 主人公の信夫は「とんでもない!僕はキリストを十字架につけた覚えはありません」と答えます。 伝道師は言います。「それじゃ、君はキリストと何の縁もない人間ですよ!」。というやりとりは、キリスト教を理解するうえで大切なやり取りだと思います。
主人公は言います、「だって自分は明治の御代の人間だ。2000年も前には生まれていなかった。」と。
極めて常識的な意見で、このBlogを読んでくださっている多くの人も納得する意見ではないでしょうか?
しかし、神はアルファでありオメガである。と言うことをクリスチャンは信じています。宇宙の始まりよりも前に神は居まして、宇宙の終わりの時が来ようとも神のみは残る、と思っています。つまり、神の前には時間軸はなくどの時代に生まれても神の愛の中に生きることを聖書は語っています。
だからイエスの磔刑の死をもってそのあと生まれた僕らは「赦し」を受けているのです。逆に言えば、(イエスにとって将来の)僕の罪のために「も」イエスは十字架にかかってくれたわけです。

なぜイエスが僕のために十字架にかかってくれたか?を、イエスは十字架にかかる前にユダヤの人たちに喩えを使って話すのが今日の箇所でしょう。
しかしこの喩えだけではファリサイ派の人たちではないですが、「その話が何のことか分からない」です。

ではこの話の直前を見てみると、そこには◆生まれつきの盲人をいやす と言う小見出しのある個所が載っています。
安息日に生まれつき盲目の人を癒したイエスですが、治って喜んでいる盲目の人は9章22節の『ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。』の言葉通り『彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。』コミュニティには入れなかった可能性が記されています。
目が見えるようになって喜ぶ人を村八分にするファリサイ派の人。
失意の盲目の人はこの後イエスに再度出会います。そして39-40節、『「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。』
と語った後の喩えです。

イエスとファリサイ派の人が「人間」で、盲目の人などが「羊」だとして読むと分かるのではないでしょうか?
羊飼いによって獣や盗人から守ってもらっている羊。守ってくれる、つまり目を癒し罪の世界から(当時の世界は心身の障碍は先祖か自分の罪のためと言われていましたから、目が見えることは罪からの脱出でもあります。ただ、罪が癒されたのは神殿に仕える人の証がなければいけません。ファリサイ派の人たちは、証しすることなくコミュニティから追い出したのです)救ってくれる人が羊飼いである訳です。
それに対して、清められたことを証ししないで追い出す人は羊にとってどういう存在でしょう?

旧約聖書詩編23編
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。


羊飼いをこう言い表している聖書の御言葉。果たしてこの羊飼いに近いのは、イエスでしょうか、ファリサイ派の人でしょうか?

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