撒く人も刈る人も喜ぶ

2016年6月19日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 4章27-42節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)



ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」



先週のヨハネ福音書4章1節から始まるこのサマリアの女性とのやりとり。中田牧師は3つのパートに分けられる、と語ります。
第1は、先週の聖書の箇所、1-26。2つ目は、27-38で、最後は39-42。今日は、その第2、第3の部分についてです。
暑い最中だれも屋外に出るのが嫌がるような時間、少しでも涼しい屋内で休んでいる時間に人目を避けるように井戸水を組む女性。
そこに過酷で悲しい差別を感じます。
先週の説教でも聞きましたが、ここでイエスは女性の過酷な今までの日常とシンクロするわけです。

2006年日本で初めてRFL(リレーフォーライフ)を開催しようと、シュウさん(三浦秀昭さん)に賛同した人たちが呼びかけます。僕らもその中の一人ですが、始める前の2005年ころは「ただ歩くの?そんなことをしてどうなるの?」と言う声も多く聞こえてきました。時には「患者同士傷なめ合ったってしょうがないじゃん。(がんが治るはずないじゃん)」とも言われました。
しかし、実際に参加した人は、別れ際に感涙と共に別れがたい仲間から後ろ髪をひかれる如くにそれぞれの家に帰って行ったわけです。「必ず来意年も会おうね」「約束だよ」
なぜ、歩くだけのこのイヴェントががんサバイバーやケアギバーの心をとらえたかと言えば、それはやはり日本と言う地域におけるがんと言う病気への偏見があると思います。
「あの人がんなんだって」「かわいそうにねぇ」そんなご近所での会話。TVでは悲劇のヒロインががんで死んでいくお涙ちょうだいのドラマが流れています。
自分の病状を誰かに話したい、情報を交換したい。そんな思いがあっても話す相手がなかなか見つからない時、心置きなくがんをカミングアウト…いや、この場に居るのはみんな自分と同じ辛い日を送ったことがある仲間だと知った瞬間、ただ歩く行為がこんなに楽しい事だと知るのです。「ねぇ聞いて…」「あら私もそうよ」そんな何気ない会話が、『もっと早くこうした機会がほしかった』と言わしめるのです。
サマリアの女性は蔑視されるという周囲の上から目線に耐え切れず苦しくも悲しい毎日を送りました。がんサバイバーさんも「かわいそうにね」と言う憐みの、つまり「私はならないからそんな辛さは無縁」と言う上から目線の視線に耐えながら生活をしなければなりません。

中田牧師は語ります。イエスは必ず1対1での会話から奇跡を生み出します。その人が何をしてほしいのか、を十分に瞬時に理解し、適切な言葉でその人を支えるのです。
サマリアの女性は、自分がイエスから聞いた言葉によって魂が解放されました。忌々しい蔑視と偏見の毎日を、イエスは自分の事のように一緒に悲しんで、そして未来への希望を語ってくれました。
RFLの活動は、ある意味イエスのみあとを歩む活動なのかもしれません。
その時は、イエスのしたことを間違えることなくしなければ、好意がうまく繋がらなくなるかもしれません。
1対1で相手を真摯に受け止めること、これは今日の説教の「肝」です。
そしてがんサバイバーだけではなく、多くの方が日々の生活で苦しんでいたり疲れたりしています。誰にもそうありたいものです。

傾聴による心の解放、免疫力のUP、気持ちが晴れることはきっとあります。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。相手のことを真摯に祈る間の場こそ神の座です。そして神は人の涙を拭いた後の笑顔が大好きです。

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