板部岡江雪斎

20160618-02

20160618-01


板部岡江雪斎展を長津田で行われているという事で行ってまいりました。
北条氏は3文字苗字の人も多く、読みにくい方が多いですが、その最たる名前かもしれません(笑)

僕は存じ上げていなかったのですが、子どもの岡野房恒がこの長津田を中心に町田に至るまでの所領を受け、江戸時代も徳川御三家の屋敷のそばに屋敷を構えた旗本だったそうです。
そんな理由で、この長津田の地での展示会になったようです。
と言っても、地区センターと言う公民館。各部屋では子どもたちのイヴェントや料理室でも講師が指導する声が聞こえる廊下のスペースに、地元の歴史好きの方がこれでもか、と言うくらいにインクジェットで打ち出した資料が張ってありました。
残念ながら撮影は禁止。

興味ない方には申し訳ないですが、文字だけでその功績やエピソードを書いていきたいと思います。

まずは北条時代奉行として出向いた八丈島で「黄八丈」の産業化に貢献。
北条が秀吉に敗北すると、秀吉はその稀有な才能を高く評価し、自身の御伽衆に入れます。その後、秀吉が死すと家康の配下につき関ヶ原の戦いでは、一足先に関西に出向き小早川秀秋を調略します。
このことも恥ずかしながら存じ上げていませんでしたが、伊藤氏の「城を噛ませた男」の中の江雪左文字を読み、会場に。

20160618-03

しかし、もし秀吉が小田原城落城の責任を、松田憲秀や大道寺政繁とともにこの板岡部江雪斎も取らされて切腹をしていたら、関ヶ原の合戦は石田三成が勝っていたかもしれません。

秀吉時代は、伏見城を作らせるのに、三成と江雪斎を競わせます。戦国(秀吉)一の三成よりも綿密な計画と実行で先に作り上げた実行力。今も町の名にその実力が名残っています。
そして幻庵や山上宗二との交流。文化人の一面。

名前が読めない、だけの歴史上の人物としてではもったいない御仁でした。

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