主イエス、そして神を信ず

2016年5月22日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 14章7-14節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」



礼拝の説教を聞く時、今日の説教は僕に何を告げようとしているのだろう? と思いながら聞くと、不思議と自分の関心ごととシンクロ(リンク)します。
今日はふっと子宮頸がんワクチン予防接種のことが思い浮かびました。
がんという病気の仲間が増え、必然的に早期発見啓発などとも関わっています。
子宮頸がんは90%を超える割合でヒトパピローマウイルス(HPV:Human Papillomavirus)の感染だと言われています。ですからこのウィルスにかからないようにすればがんにならなくて済む確率が飛躍的に上がると言われましたが、このワクチン予防接種をした人が少なからずの割合で副作用による苦しみを味わっているのです。
この予防接種に賛成した友人、反対の立場の友人、共におり、その話を聞けば自分が(賛成若しくは反対の)スタンスをとっている理由は至極当然のように聞こえてきます。一つ確かなことは両方の立場の方も非常に真剣にこの問題を考えているのです。

さて、今日与えられたヨハネによる福音書14章の7節以下、その箇所の少し前の1節に『心を騒がせるな。』と書かれています。
こころを騒がせるな(動揺するな)とイエスが言ったということは、少なくとも弟子たちは動揺していたわけです。
長井牧師は、そんな弟子たちにイエスは「安心していいよ」と言った訳ではないと語ります。問題が生じた時、自分が尊敬する人に「安心していいよ」と言われたらその気になって安心しただけだと同じ轍を踏んでしまいます。また同じような悲しみや苦しみが生じてしまうかもしれません。イエスは同じことを繰り返さないように「心を騒がせるな」と語り、続いて今日の言葉を語るのです。

弟子のフィリポは、イエスに神の姿を見せろ、と言います。それに対してイエスは、今まで数年活動を共にしながらお前は私の言った言葉を何にも理解していなかった、と言うのです。
でも、フィリピではないですが、『証拠』がない中信じるのは難しい事です。
昔(結構重篤な病で)入院していた上司に『一番の医者はどんな医者だと思う?』と言われたことがあります。手術が上手な人? 患者を安心させれる人? 医学知識が豊富な人? さまざまなことが思い浮かびますが解りませんでしたので、聞くと『俺はこの先生にかかってだめで死んでもあきらめのつく人だ』と答えられたのです。実はこの上司の言った「先生」は僕の通っている教会の信徒だった方ですが、それはまた別の話です。
本当に信じることは、証拠など存在しないのでしょう。いや、不要なのでしょう。
昨日もTVで、年上の奥さんが一回り以上若いご主人が心配で、私以外の女の人と過ちを犯していないだろうか?の疑念が大きくなりすぎて、奥さん一筋だったご主人を殺してしまったことを報じていました。
この二つの話は共通しています。信じることこそ人間の一番大事な要素でもあり、それ故に難しい事なのかもしれません。

聖書に話を戻しますと、そしてそんなフィリポにイエスは『わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。』と語ります。
子宮頸がんの予防接種に賛成な人も反対な人も、目的は同じです。がんと言う病になる人を減らしたい。苦しまなくていい苦しみは味わせたくない、訳です。共通の思いがあるのだから、反目することなく、お互い信じ信頼し合いながら目的達成に向けて歩めば、「また、もっと大きな業を行」えるようになるのでしょう。

世の中はコンピューターが驚異的に進化を遂げています。既にルーチンが決まっているゲームなどは人間の敵ではなくなりました。これがどんどん進めば、近い将来、自宅に帰り脳波や電極を体につけてコンピュータの質問に応じるだけで、体の変化、強いては病気が発見できるようになるかもしれないし、そのすべてのデータを集積することで新薬すら開発される時代が来るかもしれません。
でも、その姿は「一生懸命」生きる姿ではないような気がします。なんだかコンピュータによって生かされているだけで、言うことを聞く安堵の毎日だけで、楽しくなさそうな気がします。

子宮頸がんで手術を経験した人、ワクチンの副作用で苦しんでいる人、もっと言えば、他の病気でもそうです。
福知山線脱線事故でお連れ合いを亡くした方は、今、脱線事故で後遺症を負った方へのサポートと言う生きがいを見つけたそうです。ピアニストの彼女は、音楽で癒すボランティアをしていると報じていました。

ならなくていい病気になってしまったことは決して不幸ではありません。不幸だと思うことが不幸なのです。
イエスは自分の生きざまに従えと言います。磔刑の死を不幸と思わないその生き方に従えというのです。
より人生を高められる、そして隣人と信頼合いながら生きること。これはあんがいどん底を知った病気の体験者故にできることなのかもしれません。
病になっても「心騒がすことなく」「隣人に信頼を置いて」笑顔を絶やさず生きていきたいものです。

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