ブラサイジョーものがたり(episode7 家康攻める)

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20160503-44
(現住所で言えば広小路というが、戦国時代は井細田口の虎口だった場所。ここでは渋取川の流れを見ることができる。この川はここから北上し寺町大長院を西に合同庁舎の裏を通り荻窪用水にぶつかる。この広小路の交差点は複雑な形をしているが、虎口として重要な場所であったのだ。)


荻窪用水に端を発し濠として整備された渋取川。その東側には葦子川が流れている。この川もまた小田原城の濠の役割をしている。籠城を得意とする北条故に、うかつにこの濠を渡れば怒涛の攻撃を仕掛けられるやもしれない。おいそれとは入れずにらみ合いが続く。
いちばん海側の山王に陣を敷いたのが徳川家康。その数3万。一つの軍勢では一番大きな軍団だ。


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(渋取川は新玉小・蓮上院の裏を流れ浜町で東に折れ山王川(久野川)に注ぐ。今歩いている場所の下が渋取川、暗渠だ。この場所は川崎長太郎の私小説「抹香町」の舞台として昔歩いた場所だ。)


家康は事あるたびに河口の神社に詣でた。途中原方の村には大きな屋敷がある。「はて、葦子川の外側にこのような屋敷とは」家康は、村の外れで畑仕事をしている老父に訪ねた。小柄な老人は体型に似合わず大きな声で、「あの家は、皮田の太郎左衛門の家だ」という。
当時の小田原はいわゆる革職人は蔑視されておらず、この太郎左衛門も早雲が腕を見込んで伊豆長岡から連れてきた職人である。早雲は城内の職人町に住むように告げたが、「わしのようなものは城内なんぞ」と断りこの原方村に屋敷を構えた。
家康は神社に詣でた帰りに屋敷を訪れ、自分の陣の兵の武具の修理を頼んだ。しかし、太郎左衛門は、北条の殿に代々仕えこの周囲の長吏をまとめる権利まで頂いた。その殿を責める敵方の武具の修理などできないと断った。
何食わぬ顔をしながら陣に戻った家康は、井伊直政を呼んだ。夜撃ちをせよ、原方村から南袖が藪の篠曲輪を焼いてまいれ。
6月22日、小田原城が唯一攻められた日であった。


20160503-41

(山王神社の裏で山王川(久野川)にぶつかった。相模湾はもう目の前だ)

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