ブラサイジョーものがたり(episode4 堅固な城知れる)

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20160503-21
(幸田門の名前は家臣の武将の苗字。城の直近を守る要の武将。ここまで上杉謙信は攻め込んだと言われている。その時幸田氏はどうしたのか?戦ったのか?家を捨てて城に籠城したのか?調べてみたい。)

20160503-22
(幸田門にも土塁が築かれた。これは上記地図の上の赤い矢印のあたり。高さが分かる。水色は濠、小田原郵便局本局から旭丘高校までは濠の中だった)

20160503-23
(上杉の軍勢がここまで来たことに驚嘆する。越後の地から北条支配下の群馬、埼玉、東京を通って神奈川の一番南の城。もしかしたら北條の本丸が埼玉あたりでもう少し攻めやすかったら落ちていたかもしれない、と思うと上杉郡の強さがわかり、また北条は北からの守りが堅固であったこともわかる。)


1590年梅のかおる頃、雪解けを待って各地を出発した軍勢が三々五々駿河郷の黄瀬川周辺に陣幕を張った。秀吉が大挙して攻めてくる、と言う情報はすぐさま小田原城に伝わり、関東近郊から主だった武将が集められた。氏邦が口火を切った。「ここは秀吉が沼津に来る前に攻め入りましょう。なに駿河は内府殿の地元、内府殿は我らのお味方だった方、関東に北条ありの気迫を示せば、秀吉とはいえ敵か味方かわからない徳川領を通過できますまい。下手をすれば両側から攻められ禿鼠、いや、袋の鼠となることぐらいよく知っているでしょう」
それに異論をはさむのは松田憲秀。「いやいや待たれい。永禄の上杉の猛攻をこらえた小田原城の堅さを忘れなさったか。あの天下に名だたる上杉の11万もの軍勢を追い返したのですぞ。しかもその後も各城とも普請を続けており、秀吉の軍勢がいくら多くとも足柄、山中、韮山の城を超えて来れはしますまい」
「いや、憲秀殿、上杉の兵は約1年わが北条の領土の中に居り兵糧も少なくなり帰還せざるを得なくなったのをお忘れではなかろう」
「何を言うか、上杉が1年なら、今度はその2倍、3倍の備えをしようぞ。500万石の領土と領民、それくらいは容易いじゃわい。」
世にいう小田原評定だが、得てすれば年上の意見は通りやすい。ましてや松田憲秀は幼い時から氏政や氏直を教育してきた。先代の氏康時代からの家臣の意見が最終的に取り入れられた。

20160503-24
(小田原城から北にある小田原駅を臨む。件の幸田門は城の北東、この写真の右の方だ)

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