最初の弟子たち

2016年1月17日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 1章35-51節。表記のタイトルの説教を中田正道歌牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」



小田原教会は、教会仲間同士のお交わりを深めるために、年に数回『教会だより』という会報を発行しています。僕は前回と今回の2回でRFL(リレーフォーライフ)に参加するためにサンノゼに行った話を書くように言われ、その1回目はRFL(リレーフォーライフ)をご存じない教会の方々に「RFLとはなんぞや?」を書き、次号でサンノゼの様子を書くことにしました。
しかし、アメリカと日本のRFLの違いと、アメリカの治安への不安と未知なる土地への不安。そしてそれを解消したウェスレー・メソディスト教会の山本一牧師とのつながりを書くには文字数が少なく悩んでいた内に土曜日が終わり、主日の礼拝を守りに教会に出向きました。教会員には、RFLのお伝えも大事ですが、小田原にもご縁のあった牧者がいる教会のことは非常に大きな関心があるのだろうな…。

さて、そんな悩み事を持ちながら礼拝の説教を聞きました。
キリストに従う、つまりは「招命」。最初の弟子たちは仕事を捨ててイエスに従いました。しかし、その後イエスと行動をともにしながら「世俗的」から抜け出せないでいます。
それに対してナタナエルは、旧約聖書でナザレからメシアが出るとの記載がないのでイエスはメシアではないと信じませんでした。しかし、イエスがナタナエルのことを言い当てた(知っていた)ことでナタナエルはイエスがメシアであると証しします。
そんなナタナエルにイエスを紹介したフィリポも、「本物を見た」と感動したからこそナタナエルにそれを伝えたのでしょう。常識的に「ありえない」ことを味わったこと。それは、見て、確かめる、という行動を起こしたからに他ならないでしょう。
フィリポもナタナエルも神から命ぜられた役割をきちんと果たしたゆえの「招命」。

そんな話を聞いていたら、頭の中に漂っていたウェスレー・メソディスト教会に行ったことを思い出しました。13人で渡米したグループは僕ら以外はクリスチャンはおらず、それ故に教会に行くことも初めての人も少なからず居た訳です。
そしてその人たちを前に山本牧師は、竹林の話をなされました。1本1本自立しているように見える竹は実は地下ではランナーでつながっている。自分一人で立っていると思っていても誰かとつながっているから倒れないでいる、というメッセージに、RFLの本質とオーバーラップしたメンバーは目に涙を浮かべて聞き入っていました。
キリスト教と全く違うRFLの活動の本質をキリスト教会の礼拝の中で聞くとは思っていなかった感動。そこにあるのはフィリポやナタナエルの感動と同じだったと思えてなりません。
神が人を本当に愛している本質の愛をメッセージを通じて知った10余名のメンバーが神に招かれてクリスチャンになるかどうかはわかりませんが、少なくとも「本物」を見て確認したわけです。
教会に来たときよりも帰る時の方が希望があった。喜びがあった。一人ではない、繋がっていることで勇気がわいたと思います。

1月17日、21年前に阪神・淡路大震災がおこりました。礼拝のメッセージに先立ち、黙とうをし、そして牧師はこの災害の中で唯一の希望は、連帯感が生じ助け合ったと事と語りました。
RFLも同じです。見て、確認した結果、歩む行動を起こし、その結果希望が与えられたのです。フィリポもナタナエルもそうした見て、確認して、歩んで、希望を得た先人です。あとを歩みたいものです。

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