言葉は肉となって

2016年1月3日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 1章14-18節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。


2016年最初の礼拝です。新年ならでは、昨年を思い起こし、新しい年に活かすことが大切かと思います。
ヴォルテール氏は、「われわれはすべて弱さと過ちからつくりあげられている。 われわれの愚行をたがいに宥しあおう。これが自然の第一の掟である。」と語られています。
ダライラマ師は「平和は祈っても訪れません。私たちの行動によって訪れるんです」というインタビューが載っていました、と中田牧師は語ります。
この2つから行動は祈りに基づき思慮深くすることが大切ながら、昨年は安保問題をはじめ、意見を聞くことなく進めたことはやはり多くの先人のアドバイスを無にしている、つまりは「亀の甲より年の功」を無視した危険な行動だと思えます。それは先人の言葉だけではなく、今を生きる老若男女の抗議を無視していることでも言えるでしょう。歴史を活かしていない+今生きている人も活かさない政治は問題です。

歴史に残る多くの方は、言葉を残します。そんな言葉は、落ち込んだ時や行き詰った時に、僕たちに勇気や、時には(自死を止めるような)命すら与えてくれます。そうした言葉に力があるのは、その言葉に愛があるからでしょう。

聖書は、「神は愛である」と記し、そして「言葉は神と共にある」と記しています。つまりは言葉は愛ある神自身(神の意志)なのでしょう。
そして、今日の御言葉の最初。言葉は肉になった、つまり言葉=愛ある人、イエスの誕生を伝えている訳です。

あなた方の言葉は愛があるか? 確かにイエスは人生を通じて愛を語っているわけです。聞く相手に恵みをもたらすのか?真理を語っているのか?事あるごとにそう言っています。

愛を語っているか?と語る牧師の話を聞いて、星野富弘氏の「くちなし」という詩画を思い出しました。

鏡に映る顔を見ながら思った
もう悪口をいうのはやめよう
私の口から出たことばを
いちばん近くで聞くのは
私の耳なのだから

愛ある言葉を1年つづれますように。
主なる神(愛ある言葉)とともに過ごせますように。

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