光として来たりたもう

12月20日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ヨハネによる福音書 1章1-14節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。



冒頭中田牧師は「クリスマス、ありがとう」とあいさつなされました。
生まれながら、王に命を狙われ、そして若くして権力によって命を落とすことが定められた。その出来事によって私たちの罪が許される、そんな人生の初めは「おめでとう」ではなく「ありがとう」という方が確かに適切かもしれません。

LOGOS(言葉)という形のないものが神によって肉(体)あるものになる、と書かれています。形ないものが闇の中で形作られる、つまりは闇の中に光り輝くものになる、ということです。
それは、例えば、死の恐怖という闇が、喜びや平安という光に勝利できなかった、ことです。
このことは、僕はがんでもいいじゃん♪というグループで実感している点、です。
サバイバーと呼ばれるがん患者は、がんになった時おそらく多くの方が死すら意識をしたと思うのですが、今このメンバーは喜びや平安、希望を持って生きています。
もちろん、この病気が原因で死を迎えることもあるでしょう。
でも、死の不安より大きな喜び、希望、平安の中に生きていることは、まさにこの聖句の言葉通りでしょう。
神の言わんとする生き方を僕は実感しているのです。

さて、この一年、敬愛する姉妹を神様の御許にお返ししました。特に12月にお返ししたY田姉は野宿の方へのためにいろいろと洋服等を提供してくださいました。そんなことで何度もお宅まで荷物をお引き取りに上がったりしており、そのたびにもう少し体調がよくなったら教会に行きたいと言っていただけにその希望がかなえられず残念です。
でも、病の不安という闇の中でも主共にいます(インマヌエル)という光の武具をまとっていたはずです。不安なき御霊が神の元に戻れたと信じています。

20151220-01

そうした淋しい話もありましたが、同時に今日2人の方が転入会、受洗という形で私たちの群れに加わりました。
特に後者の受洗者は、がんでもいいじゃん♪とも懇意になさっていたひみ子さん。
がんでもいいじゃん♪のお仲間には何人ものクリスチャンシンパの方がいますが、僕らと出会ってから実際クリスチャンになった方は初めてで、そしてその方が僕の集っている小田原教会ということに神様のくすき御業を感じます。
本当にうれしい出来事でした。

僕は友人をクリスチャンにすることを目的にはしていませんが、たとえばこうした説教のインプレッションを通じてキリスト教に安らぎや平安を持ってくれるのなら、何事にも変えられない嬉しいことです。
すてきなクリスマスでした。感謝。

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