500年のタイムトラベル(八王子城を歩く・過去から戻る)

本丸から下ります。
もう一つの井戸坎井(かんせい)は今もコンコンと水が湧いています。この山城が歩きにくいのは硬質砂岩によるもの。ふんだんにそれがあるのでしょう。掘り返せばなんそうも硬い岩盤層にあたるのでしょう。それと深い森林の保水力が山頂にでも水を貯えさせているのでしょうね。
北條氏照は武蔵滝山城主大石定久の娘・比佐姫を19歳の時に娶ります。生まれは小田原でもこの八王子はほぼ自領(わがや)、走りつくし、シカ狩りや鷹狩などをしてこの山も駆け歩いたのでしょう。そうした中、山頂近くに水が湧いているのを見つけたのかもしれません。

松木曲輪を経由して下山しますが、その途中には八王子の街並み、そして遠くには都庁やスカイツリーが見えます。
八王子の町は住宅街とこんもりとした林が絶妙に配置され、紅葉彩美しく本当に絶景です。残念ながらここを通過したのは午後1時ころ、霞が出始めていましたので、次来る機会があれば朝一に山頂本丸に登り、下山後居館エリアを見れればと思います。

そして高台方面の看板直前には恩方からの登ってこれそうな道。寝返った譜代奉行の平井無辺の案内で上杉の武将・藤田能登守信吉率いる一派がこの道を登ってきて上から攻撃を仕掛けたのが短期敗戦のきっかけになったとも言われています。

昨日野球の日韓戦を見ました。技術力に長ける日本は大谷投手の活躍もあり8回を終了時点で3-0と快勝ムード。しかし9回の表に4点を入れられて3-4と逆転負け。日韓戦になると韓国の選手は実力以上の力を発揮すると言われていますが、その一つに勝利報酬(軍役免除)があるとも言われています。プロ野球の選手たるもの2日と開けずに練習に取り組んでいるわけですから、それを2年も3年も出来ないというのは選手生命の危機でもあるわけです。それを避けるために勝たなければいけないとなれば気迫が違います。
戦国の下級兵士や農民もそうだったのではないかと思うのです。道を通って攻め入るなんてきれいごとではなく、手柄を取れば苦しい暮らしから解放される、「お侍さん」と言う称号(誉)が手にでき家族に3度3度旨い白飯を食わせてあげられる、という一攫千金を狙った人たちは藪でも山でも駆け上がったでしょう。だから21世紀の僕らがこの道を登ったというように整列をしてきたわけではないはずで、柴田さんからもそんな旨の説明を聞きました。
スマートな戦いなんかいらない、生きるか死ぬかの瀬戸際、と言った目が血走った鬼の形相で鍬や鋤、竹やりをもって四つん這いになって駆けあがってきた敵勢と、氏照以下有力家臣は小田原に籠城している中、こちらも小田原まで行けなかった古老の武将と百姓たちが必死になって戦ったのでしょう。
自分たちの田畑を荒らされて生きて行く糧を失った百姓が戦いあう…辛く悲しい話です。

数年前のぼうの城を読み、そして映画を鑑賞しました。忍城明け渡しに際して成田長親が城攻めのために田んぼに敷いた蓆を片付けるように要求するシーンがありましたが、もし本当だとしたら稀有な殿さまですし、フィクションならその一言に「辛い戦国の百姓たち」への夢を託した原作者や脚色者の願いだったように思えてなりません。

「次はいよいよ小田原攻めって言っているようだぜ」 町の噂は持ちきりだったかもしれません。
が、僕は北條氏政はじめ一族が世間知らずだったとは思えないのは、北条長綱の誘いで秀吉に近しい千利休は何度か小田原に来ていますし、信長謁見もしています。氏政自身も京に出向く直前までしていました。
同時に有事を憂い八王子城をより強固なものに増築しているのは当時の世の習いだったと思いますし、風魔一族の乱破・情報取集や千利休はじめ近しいものの助言だったと思うのです。太閤殿下は脳軟化症、または、老衰による思考能力の低下が著しい、と。
その言葉通り、北條は許す、の舌の根が渇かないうちの小田原攻め。翻弄のうちに100年の王国は崩壊しました。

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