(続) 知る力、見抜く力

先日の説教のインプレッションが、なんだか自分の言葉にしきれなくて、頭の片隅に少しもやもやが残っていました。
で、ふっと頭の中に一つの例題が浮かんで、自分の思いをかくにはぴったりとはまりました。それは、昨日天に召された川島なお美さんのこと。
彼女は胆管がんで、抗がん剤を選ばず、高濃度ビタミンC点滴療法や栄養療法を選び、最後まで舞台に立ち続けるという道を選んだ訳です。
いわゆる現在の医学で言われている標準療法を選ばず、学術的に認められていない民間療法に頼ったのですが、このことは僕の前述のBlogで否定しているような書き方をしてしまったように思えるのです。そこがもやもやだったのかもしれません。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)。人は生まれた瞬間から「いつか」定められている召される時間までの間の余命を過ごしています。まぁこんな哲学的なことを考えているのは人間だけなんでしょうけれど…。
その余命をどう生きるか? がQOLです。
少しでも長生きをしたい、と言うところに最大の目標を置くのなら標準治療は現在の医学では最適な方法だと思いますが、彼女は違ったわけです。
舞台に立ちたい。つまりは副作用で頭髪が抜ける(まゆ毛やまつ毛も)こと。爪や顔の皮膚が黒ずむのを嫌う事。などなどの理由で、命の長さを縮めたとしても、舞台の回数を増やすことがQOLだったのではないでしょうか?

世の多くのがん医療関係者は、標準療法を進めた時、それを鵜呑みすることが、サウロ時代の律法に染まった生き方だと思うのです。
いや、標準療法を否定しているのではないのです。連れ合いも標準療法でした。それは、「毒を以て毒を制す」抗がん剤であっても今の連れ合いならやりぬける体力があると2人で決めたからです。
僕が今言わんとしているのは、医者が言ったから、世の中それが【標準】だから、で選んではいけないと言う事が、この日の説教だった、と言いたいのです。

世の中みんながやっていたこと、それは第二次世界大戦時の生き様でした。「日本は大丈夫?」などと口にすれば、非国民と村八分にされる時代。でも言い続けた人もいました。

どう生きたいの? と言う言葉に整然と意見が言え、その意見に従って生きること、それがQOLではないでしょうか?
川島さんは「知る力」「見抜く力」があったのだと思います。だから命の長さより自分らしい最後の一瞬を選んだのでしょう。そうだとしたら、意味のなかったかもしれない民間療法にかけてよかったのだと思います。

星野富弘氏の作品の一つに

命が
いちばんだと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

というのがあります。直接この話とはぶつからないかもしれませんが、長生きする標準治療よりもQOLが高い治療法があるかもしれません。もしかしたらないかもしれません。
それを探さずにして、みんながこれがBestだと言っているからこれにかけよう、と言うのではなく、まず多方面の切り口で資料を集めて分析して、それで何を選ぶか決めること。

科学の実験の話で言えば、どんな実験をするかよりも、実験が終わった後いろんな人とディスカッションして「果たして自分の実験はあっていたのか?」「やり残した実験はないのか?」を考える時間が大事なのでしょう。
そして、生きる上では、冷静に祈ること、言い方を変えれば自分と向き合うことなのではないでしょうか? それでも答えが出ない時は、周りには一緒に考えてくれる多くの友がいます。
それがこの日の説教の要点だったと思います。

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