キリストの平和

9月13日、小田原教会に与えられたみ言葉は、コロサイの信徒への手紙 3章 12-17節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。



長井牧師はこの手紙が書かれたのはパウロの死後直後ではないか、つまり暴君ネロによるキリスト教の迫害を強めている時代だと語られます。作者はパウロと言われていますが、文体が違うという点から最近は別の方が書いたと言われているようです。
必要なのは、5つの身に着けること。憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容。
そして忍び合いと赦し合えといいます。

しかしそれはとても難しい事です。それが完璧にできれば争いは無くなるでしょうけれど、イエスが生まれる前も出来なかった故に戦いが繰り広げられたし、イエスの後も今に至るまで戦いは終わりを告げていません。
空論だよ、と言ってしまえばそれまでですが、長井牧師は、このスキルの高い厳しい事を云うのは『あなたならできる』というイエスの信頼の上で、だと言います。
『豚もおだてりゃ木に登る』という言葉がありますが、そして受ける人の性格によって違うからかもしれませんが、おだれられてでなければ僕はしないかもしれません。
イエスのお前ならできる、という言葉。乗り越えられない試練は与えない、という見守ってくれている安堵感。
神共にいることは忘れそうになる中、イエスの言葉と安堵感を忘れないように、僕らは教会に行き、5つの身に着けることと2つのすべきことを繰り返し身につけて行くのでしょう。

さて、この5つの身に着けることと2つのすべきことをするとは実際どういうことなのでしょうか?
長井牧師は、子どもたちへのお話の中で「平和を色で表すとどんな色?」「平和を形にするとどんな形?」と問います。
色も形もいろいろなことを言う子どもたち。そうつまりはいろいろなことを言う友達の意見を聞いたときに、そこに聞く耳を持ち、自分の意見と違っても非難しないことこそ「愛」であり、それこそが5つの身に着けるべきことと2つのすべきことなのでしょう。

今日こうして礼拝を聞くときも内閣は隣国を仮想敵国として、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そして忍び合いと赦し合いを粗末にしているような気がします。「愛」をもって接したいものです。

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