キリストの香りを身にまとう

8月30日、小田原教会に与えられたみ言葉は、コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章 14-17節。表記のタイトルの説教を戸塚教会の坂口聖子伝道師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。


坂口伝道師のご尊父もお連れ合いもがんでお亡くなりになられていることは以前からお話し頂いておりましたが、今日はそんなお連れ合いの闘病生活をベースに話をしていただきました。お連れ合いさんは肺がんでしたが、その場所は心臓の後ろでしたのでレントゲンなどでは見つけられずに、気づいた時(発見できたのは)心臓より患部が肥大した事によります。当時牧会の道は考えておらずアロマテラピーとマッサージの勉強をしていた坂口伝道師は、ステージ3のお連れ合いさんにアロママッサージを駆使していた痛がっていた背中をマッサージしたそうです。
坂口伝道師は、体をマッサージしながらのコミニュケーションはとても良い時だったと回顧されました。
最近僕はがんという病気での最後は悪い最期ではないような気がしています。いつも一期一会のような生き方を僕らはできていません。急死だったらコミニュケーションが取れないで終わってしまうことがありますが、時間の区切りを感じながら一生懸命コミニュケーションできることは素晴らしい最期の時を持てるものだと思っています。自分のすべてを一番親しい人に語り伝え切れる最後が与えらると思うので、坂口伝道師の言葉は身に沁みます。

今日の聖書の箇所はキリストの香りを身にまとう、という言葉がありますが、キリストの香りとはなんなのでしょう?
キリスト教の根底の思想は「愛」です。愛とは、無視しない、触れ合うこと。理解しようと努力すること。受け入れようとすること。
そこにはコミニュケーションがとても大切だということ。

がんが消える、とかよく本のタイトルで見かけます。が、それはそのがんの状況、患者の状態、など様々なファクター(因子)によって違うので消える場合解けない場合があるので、正しいかもしれないし間違ってもいます。そこに100%はありません。
しかし、苦痛の中の坂口伝道師のお連れ合いさん、接するとその苦痛が和らいだのは事実だと思います。それは触れ合うことでその痛みを和らげられるし、もう一つは「会話・関係性」の力でしょう。
自身の体験としても、がんによく聞くと言われた玉川温泉。強酸のpHのお風呂、放射線物質がある岩盤の上で寝る行為。さまざまなことも確かに効能としてあるのでしょうけれど、有言無言で仲間が応援してくれていることを感じられる場所であることがその理由のような気がします。がん患者が8割9割の温泉。黙っていても応援してくれる仲間意識が元気の源だと思います。

マッサージをするとか玉川温泉に行くことで元気になる。ということは決して「奇跡」ではありません。そこにあるのはコミニュケーションだと思うのです。坂口伝道師は言います。聖書の中のイエスは、必ず1対1で向かい合う、と。
その人のためにと向き合うのがイエス流です。そして問答無用のように一方的に癒すわけではなく、会話を通して相手を癒していきます。

キリストの香りを身にまとうということ。それは相手を理解し相手を愛することではないでしょうか。

さて、話は変わりますが、坂口伝道師が香のエキスパートというのは以前聞いたことがあります。今日のこの聖書の箇所になった時香水の話になるのかな、と思っておりました。
ほとんどの香水はその成分の一つにスカトールがあります。大便の香りです。これがないといい香水ができないとも言われていますが、それは人間が不要で忌み嫌うものと思っているけれど、どうしたものがなければ世の中が回らないことを知らしめるからのような気すらします。
何かこうしたことからも人として、クリスチャンとして、そして「がんでもいいじゃん♪」メンバーとして、ケアギバーとしてどう生きるかを教わりました。

そうそうもう一点、坂口伝道師の説教を聞いた中で書きとめたいこと。
それは「イエス様の返事って、声が直接耳に聞こえるわけではないんだけれど・・・」と言う旨をお話しされました。
旧約聖書で、ヨナが神の声を聞き「ニネベに行け」と命じられたに背きタルシュシュ行きの船に乗るが難破する話があります。この世は神のストーリーで大きく外れても神様は元に戻してくれます。だからどうしたらいいか分からない時は浮き輪をつけた状態でただ漕ぎもせず何もせず祈りながら待っていれば「待てば海路の日和あり」ではないですが、神は行き先の岸につけてくれるはずです。祈りって焦らずに声(神の息吹で神の示された岸につくのを)「待つ」ことかもしれません。

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