私たちに出来ること

7月19日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ルカによる福音書 8章 1-3節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。


ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:20-21)
もう一つ
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)
「神の国」の訪れというのは、ともに喜びともに祈り共に生きる、すなわち「共生」をすることを心に決めたもの関係性を言うのでしょう。
中田牧師はそうした関係性のある教会を目指そうと語られます。1週間の出来事を喜びも悲しみも共有できる関係性、心からさらけ出して語れる場。おかしな言い方ですがこの1週間の延長が人生である訳です。毎週毎週の重なりが人生ですから、この週の出来事の共有が続けば人生を共有する友となれるはずです。
しかし残念ながら僕は小田原教会の中はそれはあまり感じられずに、その姿は「がんでもいいじゃん♪」の中にこそ感じてしまいます。残念なことに小田原教会のメンバー同士はまだよそよそしい「友人」の域でのお付き合いが多いです。
例年「あごら」にはがんでもいいじゃん♪のメンバーが北海道から四国まで全国の友が来てくれます。「たかが“1”バザー」のために時間と多額なお金をかけて飛行機に乗ってくる…、教会員が他教会に転会してそこのバザーに来てと言ったら行くか?と考えるとこのメンバーがしてくれる「共生・共有」の凄さがわかります。
また、昨日相談事を「がんでもいいじゃん♪」のメンバーにしたところ、二つ返事で時間をとってくれた時、その友人との間にある「共生・共有」に本当に感謝の思いを感じました。
まさに、こうした関係を味わっていると、教会はまだイエスの言葉に従えきれていないと感じたり、逆にそれ故にがんでもいいじゃん♪に他の聖書の御言葉に触れてほしいと思ったりします。
しかし、そうした体験をしていればこそ、今日の説教はよくよく理解できたような気がします。
「できない」というのは簡単でス。でも『断らない』もっと言えば『断ってはいけない』ほどの強い信頼関係を築くことは忘れてはいけないでしょう。極端なことを言えば、断られた、ということは、そこまでの信頼関係が築けなかったことと再構築を考えるべきなのでしょう。こちらから歩み寄ることを忘れてはいけないのでしょう。

さて、もう一つ今日教わったことは、牧師の語られた、「女性たちと一緒」と書いているのはルカによる福音書の特徴の一つという言葉。
何度もこのBlogにも記しているし、歴史好きな方はご存知かもしれませんが、この時代の女性は人として扱われていません。人権を大きく阻害されています。
そうした中に個人名まで記されているのは特記すべき出来事でしょう。
イエス、そして12弟子、そのほかにも取り巻く多くの男性。その人たちは「宣教」というミッションのために、たぶん日々の生活雑務はしていなかったでしょう。それを陰でサポートしてくれることを、こうした形で後世に残してくれた大事なしるしなのかもしれません。
そしてこの女性メンバーはイエスの死後12弟子のように逃げたり隠れたりせず、イエスの遺体を引き取りに行くことで最初にイエスの復活を知ります。
世の中の価値や地位、そんなものは神の前では無なのでしょう。
2つの話を書きましたが、実は同じことだと思います。この女性たちもグループの中で「共生・共有」したのだと思います。

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