主イエスとの約束

7月12日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ガラテアの信徒への手紙 6章 1-10節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。
めいめいが、自分の重荷を担うべきです。御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。


長井美歌牧師は礼拝の中の「子どもたちへの祝福」と当教会で呼んでいるパートで子どもたちに「ハチドリの一滴」の話をなさりました。
この話はこんな話です。

森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て 「そんなことをして いったい何になるんだ」といって笑います

クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」


この日、説教を聞いて、端的に今日の説教を現すのはこの話なのでしょう。僕がとやかくとインプレッションを語ることなく、この話がすべてだったような気がします。

でも、少し語れば、互いに重荷を担いなさい。という御言葉。共にという「カン」という言葉、ラテン語の(パンを)食べるという「パニー」からカンパニーという会社という言葉ができたように、一つのグループが目標に向けて一致団結していくためには「共にパンを食べる」つまり一緒に生きるということが大切なのだと思います。

森の火事という敵うような相手ではないとしても、共に生きるものとして最善を尽くす、その姿勢は今の様々な社会問題を考えた時大切なことだと思います。

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