歴史の主が共にいる

5月17日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 28章 16-20節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」



今日はアジアキリスト教協議会(Christian Conference of Asia)のアジアサンデーで、アジアの正義と平和を求める祈りを供に致しました。21の国と17の地域は、それぞれ既にキリスト教を信仰していた国家であったり我が国などによって平和が踏みにじられていました。そうした負の遺産に関わった身として真摯に懺悔しなければなりません。しかし、安倍総理は安保法制関連法案閣議決定という戦争ができるような体制を作る法案を「平安法」と言い換えています。安倍氏の言わんとしているのは力による支配を「平安」というのでしょう。
パックス・ロマーナ、イエスの時代もローマ軍という強大な軍隊が支配しており、庶民は言いたいことも言えず、虐げられ力に屈して辛い毎日を過ごしていました。だからこそイエスは人としての解放を語り隣人との平等な交わりを訴えましたが、その言葉は庶民まで理解されず庶民はローマ軍を打ち破る神の軍隊を引き連れてくると思った、というのがイエスの人生と死なのだと思います。
力で黙らせることを平和だというのなら、その平和は偽物でしょう。それを聖書は何度も何度もイエスの言葉として語っています。

さて、今日与えられた聖書の箇所を中田牧師は、復活の最後の場面であり、同時にマタイによる福音書全体の締めの部分であると語ります。まさにザ・グレート・ミッション。
前述でイエスの言わんとした教えを民衆は理解できずに終わったと記しましたが、弟子たちもイエスの教えを理解できたようでできない毎日を過ごしていたように思います。イエスにあって平伏しながらも弟子たちは未だ信じきれないでいます。
その疑いをイエスは十分に知って、ルカによる福音書では磔刑上でついた掌やわき腹の傷を見せることで示しましたが、マタイによる福音書では言葉で疑いを排除した、と牧師は語ります。

人は自分がする可能性がある、つまり想像できることに対して、相手にされるかもしれないという疑いを持つのでしょう。
弟子たちはイエスを裏切った、その思い出は消し去ることができなかったのではないでしょうか?だから、イエスの復活には恐怖(怨念)しか感じなかった。しかしそのイエスが何度も「赦す」ことを伝えてくれました。
反省と謝罪、そこに神の愛と赦しが生まれます。私たち日本人も70年前の過ちを謝罪し続けていますが、そこに本当の半生はあるのでしょうか? パックス・ロマーナのように恐怖政治での平和を作り出すのなら、そこには反省はないように思います。
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように、というイエスの教えは何だったのか、再度聖書から学びながら、世の終わりまで共にいてくれることを感謝したいものです。

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