幸いな者

2月8日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ルカによる福音書11章27-28節、並びにルカによる福音書1章39-45節。表記のタイトルの説教を島しづ子牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)


イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」
しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」



そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」



旧約聖書サムエル記の主人公サムエルの母ハンナの歌。子どもが出来なく虐げられあざけられて精神的にも弱り果てていたハンナに子どもが出来た、そんな恵みが、後世マリアの讃歌になったのでしょう。
マリアはまだ少女。世の中のことも様々な知恵もまだ十分知り得ていない時、いや歳を重ねて世を十分知ったとしても、自分の理解能力を超えたことが目の前で起きた時は不安と動揺に包まれるものだと思います。そんな動揺を落ち着かせ不安を受け入れたのがハンナの歌であり、マリアの讃歌でしょう。

天使はマリアに言います。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1:28後半)
神が選んだ恵まれた方、ですが、マリアはイエスを出産させる場所すら見当たらず、ご存知のように馬舟の中で出産します。
また、シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ2;34-35)

島牧師はこの2つの御言葉を紹介された後、果たしてこの2つは「恵まれた」出来事か?と問います。
確かに、もし自分なら、恵まれた人と言われながらも宿に求めてくれず、心を剣で貫かれるなどという預言を受けたら、その矛盾に悩むかもしれません。
マリア自身は多分自分の人生は恵まれていないと思っていたかもしれません。困窮したイエスの誕生であり、そのイエスは自分の言うことを聞かず、母親の幸せよりも神の国の建設を優先します。家族である我が子がとても遠く感じます。

ではなぜ天使は神の御言葉として恵まれた人とマリアに言ったのでしょうか?
それは神とのつながり、という意味ではないでしょうか?
青年になったイエスはマリアに「神の御心に従う人が幸いである」と語ります。
本当の幸い、本当の恵まれている人は、子どもと生涯を暮すことではなく、自分も子どももこの世に送ってくれ全知全能ですべてを与えてくれる神の恵みを感謝できる人だ、と。
そんな言うことを聞かない息子の全てをも受け入れた時、つまり世の中が自分の思い通りにならなくてもそれが神の御心なのだろうと静かに受け入れる、それは恵みなのかもしれません。
子どもという言葉は子を供(従者)とすると書きます。所有したものが言うことを聞かないとすれば腹も立ちます。が所有することから解放されれば腹も立ちません。
全ては神の所有物、あなたとの関係は所有被所有ではありません。自分をも所有してくれている被所有物として信頼のおける神に従っていきたいものです。

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