2月5日のパトビラ(№866) - 自己責任 -

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ。
ショッキングなニュースがあり、それに対する日本人の反応。何かモヤモヤがたまっていて早めですが書かずにはいられませんでした。自分のフラストレーションのはけ口にしたようで申し訳ありませんが、こんなことを書いてみました。 (緊急な情報があれば差し替えの可能性があります)

後藤さんのイスラム国による殺害では相も変わらず「自己責任論」が飛び出しています。この言葉は『自分だけ』守る言葉だと思います。僕らの生活する社会は一人では生きて行けず、必ず誰かの助けを要しています。
交通事故で家族が怪我をすれば「車が通る道路に出たのだから」と自己責任は問わないでしょう。「難儀だったな」「痛かったろう」「まず怪我を治せや」と言葉をかけるでしょう。
安否を問う前に「(きちんと注意しない)自己責任だからやむを得ない」というのは、そこに相手の行動をを否定し、関係性を拒否した言葉でしょう。
野宿を余儀なくするのも「自己責任」という人は、その人生を知ろうともしないで拒否しているだけで、それは集団生活をする社会の否定でもあると思います。
地震などの大きな災害があった時、隣に住んでいる人の安否を問えば、だれが住んでいるかもわからない、という回答が報じられることもあります。
日本が持っていた隣組の優しい結のつながりの欠如を如実に表したのが「自己責任」という言葉に思えます。


この言葉がもてはやされたのは、たぶんバブルがはじけてからだと思います。
一度華やかな生活を経験した後、生活が厳しくなった。周りも同様で、社会がギスギスしてきた。雇用制度が変わり、年俸制というノルマ重視の企業が増えた。そんな社会に変わってきて、ストレスの発散場所が無くなった人たち。
他人に優しさを振り分ける余裕が無くなって、口から出てくる言葉は自己保持。少しでも自分が損をしないように、という考え。同時にお得な情報は聞き漏らしてはいけないと始終神経をとがらせる毎日。

だから自分が被害者になった時は、些細なことで怒る。これ幸いと土下座をさせて罵声を浴びせ挙句にYouTubeにUPして被害以上の加害を咥えることをする。
だけれど、誰かが被害者になった時、皆でその人を助けよう、という意識は薄れる。見ず知らずの誰かのために俺が支払った税金が使われる!? 冗談じゃないわよ、私だって苦しいのよ!!

それが自己責任という言葉を生み出したように思えます。
野宿の方々のところを伺って学ぶことがあります。まったく財産のない方々ですが、それ故なのかもしれませんが、些細な持ち物自身にも執着がありません。ですから彼らの生活にはある意味優雅な所があります。
21世紀は、福祉と健康の時代とか、資本主義から新たな主義への変革、とか言います。この二つから導き出されるのは、心豊かな生活こそが次の時代かもしれません。
そういう意味では、彼らは最先端な生き方かもしれません。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

take1960

Author:take1960
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
検索フォーム
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター