時の到来を迎えて

2月1日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マルコによる福音書13章32-37節。表記のタイトルの説教を島耕一牧師より受けました。
今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)
島牧師の説教概要はこちらに記載されます。


「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」


礼拝が始まる前、ニュースでテロリストに拉致されていた後藤氏が殺害をされたというニュースが流れてきました。まだ真相はわかりませんが、もし真実なら残念なことです。
こうした紛争地での拉致事件があると「自己責任」論が取りざたされます。
でも、第二次世界大戦は「大本営発表」の報道以外は一切報じられませんでしたし、沖縄の話も福一事故の話もずっとずっと秘密裏にしていて「実はあの時は」と後になって報道があったりしています。そのころには「覆水盆に返らず」の喩えではないですが、議論のタイミングは失われてしまっています。
今回の事件は、後藤氏がシリアに出向いたことよりも、そのタイミングで安倍首相がイスラエル国旗の前でイスラム国に対して声明を出したことに違和感を感じます。しかし「自己責任」論を語る人はそのことには追求をしません。それはまるでそのことを隠すために「自己責任」論を出しているかのようです。

氏の講演会の模様がTVで流されていました。カメラマンでもある氏は、「汚いものは汚く撮る」と言っていました。
しかし例えば昨年中国北京のAPECの会議に際しては工場を止めて空気をきれいにして取り繕いましたし、フィリピンではローマ法王訪問に際してストリートチルドレンが留置所に入れられたという報道もあります。
それらの事実は当日だけでは解らない、長期の時間寄り添って初めてわかるものだと思います。

時間を共にする…。そこには傍から見えるもの、見えないよう隠しているもの、その両者があって現実なのでしょうけれど、隠したいものをしることは難しいです。

逆な意味でも隠しているものは見つけにくいです。例えば秘伝のたれ、は秘伝で解らないから秘伝であり、公開していたら誰もが同じ味のたれを作れてしまいます。

見えないものから今朝のショッキングな話からこんな話を思い出しましたが、聖書の話に戻りましょう。
島牧師は、今日の箇所の話のヒントとして、今日の箇所の少し前のマルコ10章35-45節を読まれました。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」
イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」
彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」
ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

十字架の道の直前、弟子たちはまだエルサレム入城後の希望を語っています。
イエスの危機感とは全く違います。

イエスと弟子たちの違いは、見ている時間の違いではないかと語られます。
今を見ずして未来に希望を語る弟子たちに、今を知ろ、というイエス。
目を覚ましていろ、というのは、今何をするのか?を弁(わきま)えろということでしょう。

今何をするか?の答えを、イエスは
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
(マルコ14:3-9)
後がない今を悟った女性、Bestを尽くそうとする姿は一期一会に通じるものがあります。
今がなければ明日はない。

テロがあり、そしてそれを武力で弾圧しようとする動き。音もなく静かに粛々と進むその動きは、目を覚ましていなければ見逃す動きです。
為政者が「隠したい」ということを暴こう、汚い姿をきちんと見てもらおうとする後藤氏の動きに目を覚ましている者の姿を見出しました。

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