ペテロの葬列

20141015-01
先日の主日の礼拝説教のインプレッションを記しましたが、実はその前段で、島牧師は宮部みゆきさんの『ペテロの葬列』に触れられました。
なにか読まないとこの説教は理解できないかもしれないと、アマゾンで中古本をぽちっと。
届きました。読みました。
説教のインプレッション2として書こうと思いましたが、少し様相が変わりましたのでレグザミネーション(考察)を(笑)


後ろめたいこと、言葉にやましいことがあると、人は逃げ道を探します。一番簡単な逃げ道は自分で戦わないこと。国会などでも多数決で解決を図ることを急ぐときは、その提案が国民の多くが納得していない時が多いです。
もう一つは、「ぬえ」を作り出すことです。『みんなお使いですよ』というCM、『他国もそうしているじゃないですか』という国会答弁。「主語」をあえて消して、やらなければならない「ぬえ」に脅えさせて、じゃあ自分も…、という気持ちにさせてしまいます。
ある意味多数決の延長戦です。噂になびくものは噂の味方になります。

この本の主たるストーリーは自己啓発セミナー・マルチ商法などの手法でした。そこに潜む罠を縦糸に「袖触れ合った」多くの人の翻弄を横糸に作品は紡がれていきます。
最近、マルチ商法の手法は、ネズミ講ではないと言われています。それは現在ではネズミ講に対する不信感が蔓延し、対策の充実しているので、広げることを目的とはせずに「洗脳」できるターゲット探しに代わっているからです。
ですから、入り口は質のいい安価な商品の販売から始まります。『いい商品ね』と不信感を払しょくするのが目的です。そして、その中のターゲットに「洗脳」というセミナーに誘い、販売員にしていきます。誘われた人は自分が使っている商品が『質が良かった』ことを知っているし、「ノルマがない」ことを力説されているので、「それなら普通の会社と同じ」と簡単に引き受けます。
マルチ商法と会社の違いは、「誰が利益を出すか?」という点です。通常の会社はノルマがきつく半強制的に自社商品を買わされない限り、利益は一般の消費者が出しますが、マルチ商法は一般の消費者からも利益を取りますが、同時に下部会員から『会費』を得ることで利益を出すというスタイルゆえに問題なのです。つまり会員獲得という「ねずみ講」は水面下に存在します。自分の知人・友人という大切な人が利益を得る『顧客』に成り下がってしまうのです。友人の懐をあてに生きるという業に陥ります。
そしてマインドコントロールされた会員の一番の恐ろしさは、自分が悪いことをしている実感がないこと。「ただ良い物を友達に紹介しているののどこが悪いの?」と友人が会費を払って入会していることを棚あげしている点です。マインドコントロールとはそうしたものでしょう。目に鱗を貼り目隠しするような作業なのでしょう。された人は目隠しされたことに気が付かないのです。
だからみんな騙される…。TVでこんな被害があった、と言っても自分の目には鱗が貼られているので自分自身と結びつかない。「何で騙されるのかねぇ~」という…。
本文中でさえ、被害を目のあたりにしているのに・・・というシーンがあります。(ゴメンナサイ、ネタバレです)

ですから、割り切って自分の消費する分だけ購入しているだけならマルチ商法はマルチにはなりません。育っていかないのです。しかし、宮部みゆき氏は、児童小説でもあり映画にもなった「ロード・オブ・リング」を例に挙げて語っています。
持ってしまった「邪悪」はなかなか捨てきれないのです。
それは、お金であり、権力であり、名誉であり、地位であります。

自己啓発などの席で講師が言う言葉は2種類あります。『世の中をよくするためにあなたの力が必要です』という社会善としてのスピリッツ。と同時にくすぐる言葉は『その結果、あなたの懐も豊かになります』という「欲望の意識」の増幅です。
そこにターゲットが染まっていくのをマルチ商法は待っているわけです。『いいものを売って、自分も金持ちになれるのなら…』という「邪悪な指輪」の虜になるのを待つのです。
それは若い人には「ハワイのコンドミニアムで仲間と過ごすパーティーができるような大金持ちになったら」と、そして高齢の人には「お孫さんにたまにはプレゼント買ってあげられるような小金持ち」と、相手の乗りそうな想像力を膨らませるのがマルチ商法なのでしょう。

お化け屋敷に1人で入った場合はさほど怖くないものです。それは頼る相手、比較する相手がいないから、自分自身の意思で歩き、自分自身だけの意識で恐怖と戦うからです。
でも、大勢がいると他人に頼ります。同時に誰かの悲鳴が恐怖を呼び起こします。恐怖が恐怖の連鎖を引き起こします。だからスピーカーで『キャァ~』という悲鳴を流すのです。恐怖という共感のきっかけを植え付けます。
歌手の谷村新司さんがアリス時代、幕が開き一曲目を歌い終わって最初のスピーチをするとき、会場の反応が悪いと緊張をほぐすために「緊張は伝染します。みんなが緊張するとこっちまで緊張しちゃう」と言っておりましたがまさにそうでしょう。
同じことが『欲』にも言えるのではないでしょうか?
みんなが儲けているのなら自分も儲けなきゃバカを見る…。
共鳴…。マルチ商法というのは仕掛け人が仕掛けても共鳴しないと鳴らないものでしょう。
実はマルチ商法の世界だけではなく、世の中みんなそんな「邪悪な指輪」の力に惑わされているように思います。
今日食える分だけ稼ごう、だった時代が、もっともっと…となってしまいました。

イエスがペテロに鶏が鳴く前に私のことを知らないという、という言葉。ある意味、自己を捨ててまでの社会正義を貫くという発言を妨げる自己防衛という『欲』を諭した言葉かもしれません。
知らず知らずに身に着いてしまった最低限の生きる力ではない欲の収入への執着への問いかけではないでしょうか?

****

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、
日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」

****

滑稽話に見えますが、僕らの人生は『欲』という「邪悪な指輪」によってこうした滑稽な無駄をし続けているのでしょう。
自己啓発セミナーが今なお開催され、多くの方が様々な悪徳商法や詐欺事件の被害にあっている今、この本から僕らは何を得なければいけないのか?
宮部みゆき流の問題点のメスの入れ方に酔うだけではなく、口八丁で世渡りすることは要領よく生きることである、と自己啓発が『欲』と絡んでしまった「邪悪な指輪」の力の存在と、そして、時折その滑稽に義憤を生じた人が、自身のふがいなさと猛省によってこうした事件を起こしかねない、そんな「経済至上主義」時代にまかり通る時代からの脱却、21世紀のペテロに言ったイエスの言葉のような気がした読書でした。

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で、説教のインプレッションに戻ります。
僕は修行をした聖職者ではない限り人はそこまでストイックな生き方はできないと思います。
ほしいものはほしいし、おいしいものも食べたい。TVで素敵葉旅番組を見れば行きたくなるし、今流行の洋服だってほしい、というのが本音でしょう。持っているものは使おう、でも、持っていないものを無理して持ちたいと思うのはよそう、ケセラセラとなるようになると生きよう!!
だから、人に迷惑をかけない程度の贅沢はしましょうよ。
そして万が一、(本文内の)坂本さんのような状況に陥ったとしても、悔い改めは実行力ではなくただ告解と祈り、そして迷惑をかけた人への謝罪が大切だと思うのです。自己嫌悪に叩きのめされたそこに神の愛を感じる、その憐れみにひしがれて被害者のために誰の迷惑もかけないように尽力をする。本文中にある「悪の連鎖・伝染」を断ち切るのも神の御意志だと思います。
礼拝の説教に無事繋がりました。
PS(ネタバレ)

出て来る人たちは、ある意味嘘で塗り固められり自分をごまかしたりした人生を過ごしています。その中を主人公夫妻は偽りのない人生を過ごしているのが救いでしたが…。結局は最後の13章のために壮大な前ふりがあったような気がしたのは僕だけでしょうか?

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