かんべー

連れが楽しみに見ている大河ドラマ「黒田官兵衛」を一緒に見ているのだが、中国攻めに出てくる武将に小田原を祖とする小早川一族などがいて、それはそれで思うところがある。
もともとは、早川に居を構える一族だったが、平安時代末期平家追討の中で功績が認められ、今の三原に城を構えたのが中国小早川氏の始まり。
そしてそこから60kmほどにある荏原から伊勢新九郎が出て、この小田原で須雲川と早川から一文字ずつ取って早雲と名乗ったというのも何かの縁があるのかもしれない。そして水軍を率いて隆景は凱旋(?)し、5代に渡った北条氏を滅ぼすのですが、祖で言えば小田原の出身者が岡山の出身者を滅ぼした形になります。
(まぁ、1493年4月から善政を続けた北条氏ですから、どこの生まれなんて言うのは関係ないと言う正論は少しこちらにおいておいて・・・^_^;)

さて、そんな小早川が仕えた毛利ってどんな武将なのか?っていう事を調べたら、これまた面白いことが見えてきました。
先祖は、中原(大江)広元と名乗る朝廷学者だったが、源頼朝に魅入られ鎌倉に下り、数代後相模国毛利庄を拝領したことから毛利を名乗ったのだとか。
つまり、毛利の出は愛甲郡と厚木市なんですね。

しかし、「法」が統一整備されていない時代、死に直面しながらも功績を立てた武将が、大将から「よくやった。褒美に○○の庄を与えよう」と言われても、その○○の庄には既に「誰か」が住んでいて、もらったからこれで安心、というわけではなかったのですね。しかももらった土地は見たこともない1000㎞も離れている異郷の地。
そこに住む民百姓から「みかじめ料」として年貢を取り、その代わりに外敵から守っていた敵と戦いながら納めなければならない。
不渡りになるかもしれない手形1枚の紙、もしくは3億円が当たるかもしれない宝くじの券、を頂いただけなんでしょう。
国持ち大名とはいえ、上司の国替えなどの憂き目も存在するので、うかうかと生きてはいけない時代だったのでしょうね。
いよいよ信長亡き後、秀吉に仕え、そして「酒は呑め呑め呑むならば」の黒田節、太兵衛が長槍をもらうシーン(あるのかな?)に移る半年です。、

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