25'th anniversary Travel diary(7章2節 一考察その2)

アイデンティティ(地域・組織・集団などの共同体への帰属意識)を持つ、とは何か?
カナダの旅で一つの大きなテーマを感じました。
ノバスコシアでは、ノルマンの民の入植後、今度はしきりにゲルマンの民が入植し、しかも英国人たちがヨーロッパで入植を斡旋し、その母国らしい町作りを進めたわけです。
たとえば世界遺産に指定されたルーネンバークという名前は明らかに、ドイツ語の響きを醸し出しているし、そこの教会の多くが、プロテスタント系が多いことからも理解できると思います。

州のタータンがあると言うガイドさんの説明に、興味を持ちました。

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お土産に買ったノバスコシア州のタータン柄のボールペン

アイデンティティを持ち続けるためには、やはり「絶対」なものが必要であり、一つはそれを宗教に求めると思います。個々の信仰ではなく、アイデンティティのための「宗教」、つまりは町のどこからでも見えるような大きな伽藍の礼拝堂と、力ある存在の加護と反した時の絶対的な罰。こうしたものを共有することでアイデンティティは保持できるのでしょう。
見知らぬ場所、しかも未開の地です。どんな動物がすんでいるのか? 近隣に人はいるのか?いるのなら友好的な人なのか? 数千年前、イスラエルの民は、土地をめぐって、全滅をした民族もいますし、自分たちもそうして滅ぼした上に国家を成り立たせています。逆にバビロニア捕囚などの憂き目にもあっています。そうした時々にいつも民衆の希望は『神』にあったわけです。インマヌエル=神ともにいまし・・・・そうして自分たちをいつも愛して救ってくれた・・・・そんな歴史が、頭の中を通過したのだと思います。この不安の解消は、コミニティの強化、つまりは中心に絶対的な存在が必要になるのでしょう。
ルールを守る間、仲間の中でトラブルを起こさない間は、祝福された時間が与えられるも、そこから逸脱した瞬間村八分の恐怖があるわけです。この恐怖を味わいたくないがために、自分を殺してでも村の中でうまくコミニュケーションをとっていこうとするわけです。
信徒を急激に伸ばす宗教の特徴の一つは、必ずそこに罰という名の恐怖を与えることがたぶんにあります。ルールを強めて、そこから逸脱させない、この規律こそアイデンティティの保持には不可欠なのかもしれません。
日本が日本人としてのアイデンティティが余り持たないのは、僕ら日本キリスト教団の中のリベラルな一派(小田原教会もそうですが)と同じく、自由に生きる権利が義務や責務や一致に比べて非常に強い点にあるでしょう。
しかし、戦時下は、そんなことをしたら統率力を失い、敵対する力に敗北してしまいますから、神の名によっての聖戦と位置づけ、神ともにいますことに心を奮わせることで戦意を維持するわけです。そのような時には、自らのユニフォームを共に着ることで安堵感と戦意の向上があるわけです。
ヨーロッパにおいて自分たちの先人はそうして権利を守ってきた、1000年ほど前の移民者はそんな知恵と知識を持って、新しい地での生活にそれを生かそうとしたのでしょう。

タータンはファミリーである証拠。この町でつつがなく暮らしていくために、そして仲間意識を持つ楽しみと強みを実感するためにだんだん広がっていったのでしょう。そしてそれが町の色合いとなってみなが認めたのでしょう。

そんな話を奥田実紀さんの『タータンチェックの文化史』を読みながら想像しました。

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名は体をあらわす、と言う日本のことわざがあります。
マシューやマリラは言います。アンが自分の名前に誇りを持たずに、友人のダイアナの名前にうっとりとすると、異教徒のような名前だ、と快く思わないシーンもでます。
アンの語源はヘブライ語の Hannah(恵み)から来ていると言われていますので、すなわちそのままキリスト教の流れを持つ名前に対して、ダイアナはローマ神話の月神ルーナとごっちゃになったり、樹木神とよばれたりする、多神教の女神の一人に名前の語源があるので、マシューやマリラは好まなかったのでしょう。
こうしたマシューやマリラの宗教的な頑なさは、時代背景や所属教会の指導もあるかと思います。
日本でもキリスト教はハイソサエティの家庭の情操教育も兼ねて広がった経緯があります。僕ら子どものころの「こども賛美歌」には、「神様が見ているので良い子でいましょう」的な賛美歌が何曲もありましたが、最近は「そのままの君を神様は愛しているんだよ」的な歌のほうが増えてきました。
マリラがパフのない洋服にこだわったのも、同様に清貧を重んじているプロテスタントの色が濃く現れている時代ゆえのエピソードで、タータンの歴史と同じく、その町でつつがなく生きるためには、そうした「常識」を守ることは必然だったのでしょう。

しかし、音楽もビートルズがビーチボーイズが、ビートの聞かせて曲を作れば、顔をしかめていた大人たちをよそに、そうした新しい時代が町の中に浸透し、そうして歴史は流れていくのでしょう。

自らの地を離れて、たぶん二度と故郷の地を踏めないと思った移民の民が、新しいカナダの地において団結して生きていくためのアイデンティティ。
それがタータンであり、名前であり、強いては国家意識、国民意識、民族意識、つまりは自分自身が何者なのか?と言う疑問なのでしょう。
そんな疑問と、融和によって(ルーツが何であろうが)自分はカナダ人という誇りの狭間で、それでもゆったりと朗らかに生きていけているアトランティックカナダの風土がやはりうらやましいほど素敵なものだと感じました。

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