25'th anniversary Travel diary(5章1節 Hillsborough橋を越えて)

13日、この日は残念な日の一つである。それは、今日が観光の最後の日となってしまったからに他ならない。
ワクワクしながら待ったこの旅行も、今日の観光を終えれば、明日の朝早く日本への帰国の途に着くだけな訳だ。

もっと一杯吸収したいことがある、と今日も時差ぼけ午前3時の起床をしたので、荷物の整理(今日でこの宿は終わり)をして読書Time。外が明るくなったので、みな(連れ合いとF母娘)を誘って食前の散歩。
キンドレットスピリッツへの入り道、メモリーレーンを6号線(キャベンディシュメインロード)に向けていき、そして、昨日バスが入ったグリーンゲーブルを戻るルートだ。
突然キツネが道を横断。朝食の支度かな?

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朝焼けのグリーンゲイブルズはやはりきれいだった。最後にもう一度目に焼き付ける。

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食後、僕らは笑顔のDave氏に迎えられながらバスに乗り込む。

Dave氏は、今日も一本赤い道を教えてくれた。

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ますはポイント・プリム・ライトハウスを見に行こう。
シャーロットタウンに向かう13号線の途中にハンターリバーの町がある。ここがアンとマシューの出会いの駅とされているので、ここからマシューの馬車で13号線を北に向かったと思われる。その道を僕らは逆にシャーロットタウンにむけて走る。

多くの灯台がある中、今回僕らは(PEIの中では)2つの灯台を見学した。一つは、昨日見に行ったケープ・トライオンの灯台。こちらはセント・ローレンス湾を照らす灯台だ。
そして今日行くポイント・プリムは、昨日フェリーで渡ったノーサンバーランド海峡を照らしている。

キャベンディッシュからポイント・プリムまでの距離が長いことと、同場所にトイレがない(あるのかもしれないが数が極めて少ない)ので、シャーロットタウン観光案内所でトイレ休憩。
こちらに来て思ったのは、観光箇所が観光箇所化されていないことがある。日本なら、こうした場所は過剰な利便性を観光客に与える。
曰く、トイレやコンクリの大駐車場。曰く、説明の看板や綺麗なパンフレット。あるのが当たり前だと思っている。
しかし、それらの整備には当然ながらお金がかかる。お金がかかれば、それを観光客から回収しようと、入場料を取る。入場料を平等に取るには、支払わない人をなくす為に、周囲に塀や柵を作る。つまりは日本の観光地はクローズド、そう外部と分け隔たれた『そこだけが観光地』になっているわけだ。
解りやすい一例をあげれば『古都・京都』に行き、拝観料を払った名刹の中は確かに古都だが、一歩その寺から出ればコンビニやチェーン店が軒を並べ、その前の大きな道路を車が我が物顔に走る。その姿は決して古都ではないはずだ。お寺の中と外は明らかに遮断された世界だ。
それに対してこちらの多くは、周囲の大自然も含めて、自分の街の誇りを自分のフレンドのためにおすそ分けしている感がある。街も我が家もそして観光地も一体化して、楽しんできたような気がするのだ。
だから、トイレがないとか、観光案内所にベンチやジュースの自販機がないとか、道路の舗装がしていなく道が悪いとか、そんなことは一切気にならない。いや、返ってそんな『異物』があったら目に付く、そんなおおらかな感さえした。
これは日本の観光地も考えてもいいことかもしれない。

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真っ白なこの灯台はPEIで一番古い灯台だと言う。へーそうなんだ、僕は丸(円柱)く作るのが難しいから初期の灯台が四角(四角錐)で、だんだん風を受けない丸(円柱)にしたのだと勝手に推測していたが、どうも違うようだ。しかもこの灯台はレンガ造りである、とのこと。

やはり海を渡る風は強く冷たい。襟を立てながら海岸に降りられるところに行く。海岸では海草が打ち上げられていた。

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朽ちたボートが哀愁ある『絵』のモデルになってくれた。

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ここは国立公園外、手ごろな赤い石をお土産に持ってきた。



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Aの位置ではなく、その上あたり。

さて、続いて廃村になってしまったオーウェル村をそのまま、日本の明治村のように残したOrwell Corner Historic Village(オーウェル歴史村)に向かう。
明治村と違うのか、かの施設は、現存している施設を全国(一部は外国)から集めたのに対して、この歴史村はつい最近までこの形で生活が営まれていた点だ。
だから正確に言えば、明治村よりも木曽妻籠・馬籠宿や白川郷・五箇山、福島大内宿に似ているのかもしれない。

本当はこの施設は既にクローズト(冬期休業)には行っている施設だが、KNTの交渉で開けてもらえることになった。
これまた明示村との比較になるが、ここは最近何とか運営費を回収しようとするために、また来客を楽しませんるために、施設内を色々なアトラクションに改造している。が、オーウェル歴史村は、中で飲食もできなければ、アトラクションも全くない。いってみれば自分の街の昔を知ってくれ、といさぎいいまでの無経営振りだ。それができるのは、カナダと日本の税金と経済、生活費の違いがあるのかもしれない。

まずは教会に行く。確かここも長老主義教会だったと聞いたような気がする。

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椅子の背もたれの補強の板の木目が綺麗に見えるのが解るだろうか?しかし、これは貧しい教会ゆえにそんないい板が買えないので、全てペインティングしたのだと言う。聞かなければ全く解らないほど見事だ。

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隣には学校がある。
全学年が1つのクラスで授業を受けていたようだ。

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M川先生の授業を受ける。

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黒板の上には、英国連邦の一員のカナダの学校。エリザベス女王の肖像が飾ってある。

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学校の前(きっとここが奥様方のおしゃべり広場だったのだろう)、共同の井戸がある。が、結構重たい。女性ではなかなか水が出ない。

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その奥には商店がある。村一つの商店で、生活必需品は何でも揃うし、時にはここで物々交換もしたらしい。

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また、郵便局の業務も兼ねていたし、2階では装飾の仕事もしていたようだ。

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その裏には鍛冶屋など農工機具屋が並んでいた。夏の間はこの島一番のイケメンがここでデモをしていたらしい(TVにも出演したとか)

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農家もあった。と言うより、家畜が好き勝手に遊んでいる。1890年代の農家は日本でもそうであったと思うが、そのままだ。

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ちょっぴり童心に戻ってワクワクしながらわざわざ開けてくれたオーウェル歴史村を後にした。
ここの紅葉がこの島では一番きれいだったかもしれない。

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テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

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