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イエスさまの郷里での伝道

2018年7月8日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、マルコによる福音書 6章1節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
そして、人々の不信仰に驚かれた。


閉鎖的と言うか保守的な村々ではよくある蔑視がナザレでもあったのでしょう。清水牧師は、村の(イエスの周辺の人たち)は決して悪気が合わった訳ではないでしょう、と言います。

昨今、保守と革新と言う言葉は、極めて政治的な意味合いでしか使われませんが、昨日と同じ生活を守りたいと願えば保守ですし、新しい事をしようと試みるのは革新です。
僕は今の世の中が住みよい世の中ではないのでどうにか変わって行って良くなってほしい、と言う革新的なスタンスですが、人間的には「石橋を叩いて歩きたい」保守的な人間です。
たとえば世がインターネット時代になった時、Web上に言いたいことを書きたいと、ホームページと掲示板を載せて楽しんでいました。ある日、友人が「Blogと言う掲示板より簡単で面白いものがある」と教えてくれましたが、Blogを理解していませんでしたし、掲示板で楽しめていましたのでそっけない返事をしたみたいです。
その後自分自身でBlogの面白さに気が付き、僕のsiteの中心はBlogになりました。
その友人から、そっけない言い方したけれどはまっているじゃん、と冷やかされましたが、そこが「石橋を叩きたい」人間の性(さが)で納得できないとはまれないのです。

大工の息子じゃないか! ある意味蔑視的な見方です。が、蔑視ではなくその道(宗教指導者)のプロじゃないだろう? と言う意味なのでしょう。具体的にどこかできちんと学んだことを示さなければ納得しない、と言うのは残念ながら僕も持っています。まったく前述のBlogと同じです。大工であろうがその思想がきちんとしたものなのか?否か? は、今日日のオウム真理教などの新興宗教を見ると、洗脳なのかを僕は疑ってしまいます。
だから大切なのはとことん調べて納得できるかどうかでしょう。
しかし併せて、マリアの息子…もしかしたら出生の話に遡り噂になっているのかもしれませんし、ヨセフの名前が出てこないのはヨセフはすでに死んでしまい寡婦と言う差別社会の中にあって厳しい家族を卑下しているのかもしれません。

いずれにしろ、つまらない理由です。くだらないナンセンスな話です。そんな理由でイエスの言動を重要視しなかった訳です。
でもそれは後の世になり、聖書がまとめられ、それを読み納得して受け入れられたからなのかもしれません。その場にいたら僕もどうだったかは甚だ疑問です。
だとすれば先人の過ちから僕らは学ばなければなりません。

医者が患者を治そうとする時、患者が医者のいう事を聞かなければまず治らないでしょう。
どんな名医でも、医者の力には限界があり、その限界は患者力でしょう。

イエスの言動を頑なに聞く耳持たないナザレの人たち。イエスの言葉がどんなに鋭くも、イエスの行いがどんなにスキルが高くても成し遂げられないでしょう。
「何言っているんだ」と言う態度なら、重要なポイントだって聞き漏らします。馬耳東風なら聞いたことも頭に入りません。

ナザレの人たちは極めて人間的な出生とか生活環境とかで、重要なものを聞き漏らしてしまったのです。頑なな心で大事なものを受け入れられなかったのです。

イエスはそれでも周辺の村々を訪れました。神は愛をあきらめません。
そして併せて、イエスが来た日も平凡な毎日の中の突然であり、特別な肩書やスタイルやお連れが居た訳でもありません。「ナザレのイエス」で現れました。
僕らの生活の中にも神の愛が顕われているかもしれません。が、平穏無事な時に神を忘れ己の成果のように楽しみ、困窮の時だけ神を恨み何もしてくれないと言った自己中心にならないようには心がけたいです。
今日の喜びは、普段着のイエスがそっと寄り添ってくれただけなのでしょう。
神がよろってくれている恵みを神から頂けたものと感謝することは大事だと思います。
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take1960

Author:take1960
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