2年前の強姦殺人の賠償金が支払われます

小野寺防衛大臣は、2年前、沖縄県でアメリカ軍の軍属だった男が女性を殺害した事件をめぐり、アメリカ政府が遺族に対する賠償金の支払いに合意したと明らかにしました。

「補償の問題についてもマティス長官と話し、日米両政府から支払うことにした。本件のような事案が二度と起こらないよう、引き続き日米間で協力して取り組む」(小野寺五典防衛相)

沖縄県うるま市でアメリカ軍の軍属だった男が女性会社員を殺害した事件をめぐり、アメリカ政府は、日米地位協定に基づく「補償金」ではないものの、「自発的かつ人道的な支払い」と位置づけた「賠償金」を支払うことに合意したということです。

防衛省によりますと、このような形での賠償金の支払いは極めて異例だということで、社会的な影響や遺族感情を踏まえて対応したものとみられます。
(29日18:27 グノシー)

猛烈に腹が立つ話だ。いや、相手が支払い能力がなく、被害者がかわいそうなので見舞金を出す、のなら何にも文句を言う気はない。
しかしそうじゃない。なぜ米軍に全額を出させない、何故米軍が頭を下げない。

だから米軍基地は沖縄から無くならなきゃあいけないんだ!!

第5回新会堂チャリティコンサート ~歌とお話と”LOVE” をあなたに~

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ビートルズ世代と言う言葉ができるくらい彼らの残した音楽は世にインパクトを与えました。その理由の大きな一つに社会へのメッセージがあると思います。
芸能プロダクションに歌わさせられている、好きでもないけれどマネージャーを通してこの曲を歌え、と言われている、と言うのは如何にも寂しく、そしてそうした歌が記憶から消えるのも早いのかも知れません。
歌は歌を通してのメッセージであったり、たとえばゴスペルは教会で言うところの神への賛美であったり、確たるポリシーがあるのが僕は好きなんです。

サニーさんとお交わりを頂くきっかけは、映画「さとにきたらええやん」の実行委員としてご一緒させて頂いたこと。そのあと、おきなわんナイトでの舞台を拝見したり、大友さん・伊藤弁護士のトークライブの司会と歌を拝見したりと、彼女の持っている「舞台」のメッセージ性を実感させて頂きました。
そして今日こうしてもう一度松田教会の礼拝堂でのコンサートに相成ったわけです。

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司会の清水牧師の挨拶の後、さっそくいつもの元気ないでたちのサニーさん登場。

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普段は幼稚園等での活動が多いこと、そして「参加型」というスタイル。最初は戸惑う大人たち(笑) 普段教会でのコンサートはクラッシックなどを「聞くだけ」が多い中、体を動かすことに抵抗があるのかも知れません。しかし…
しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。ルカによる福音書18:16 です。
子どものように受け入れ楽しむことをイエス様もお奨めになっているのです\(^o^)/

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”Love”をあなたに! と言う式次第のタイトルのように、まさにゴスペル(福音書)のように、
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
 マタイによる福音書11:28,30
を歌い上げていきます。

体と心を解放した後はハイドレインジアさん達。

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木村カエラさんのButterfly と、ジブリ映画いつも何度でも の2曲のカヴァー。
楽しそうな歌声、お子さんも一緒に舞台で歌う姿にほっこり

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その間にお色直しのサニーさん。

歌の間に絵本朗読。昨日が6月23日という事でチョイスしてくれたのは「へいわって すてきだね」でした。
小学生が思う素敵な平和の世界を固辞しているのは為政者たち。そんなことどんな大人も分かっているのに…。辺野古がいいんだって…安倍さんがそう言っています。いや、トランプさんが自分と一緒に歩んでくれると思っていたら最近金正恩さんと仲良くなったから気を引こうとして大変なんですよ。「命より重い日本の経済と威を借る狐のプライド」堅持の為に・・・。
やっと各国がシェークハンドして「平和って素敵だ」と言えそうなのに・・・

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そして僕も大好きな曲。ルイアームストロング氏の名曲。what a wonderful world
ベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て書いた曲。まさにその前の絵本とシンクロします。

愛にあふれたコンサート本当にありがとうございました。
こうした地域に根ざした個人やグループが気軽にコンサートをしたり、またお茶を飲みながら練習したりする場に会堂改修は進んでいきます。
またいつか素敵な歌声聞かせてください。
今日はありがとうございました。

神に信頼する

2018年6月24日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、マルコによる福音書 4章35-41節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。


今日与えられた箇所の前後、マタイによる福音書の4―8章はイエスの起こした奇跡がつらつらと書かれています。それだけ奇跡を起こしたわけですが、実際目の当たりにしない僕らは、奇跡と言われても“いわゆる自分の理解の範疇外”の非科学的な出来事を『眉唾』とオミットするきらいはあります。
と同時に、火の粉がかかれば人間だれでも慌てて、奇跡でもなんでもいいから助かりたいと思うのだと思うのです。
奇跡をすべて非科学的な出来もしないこととするのなら、医者の「余命3カ月です。奇跡でも起こらなければ治りません。」などと言う言葉は噴飯ものでしょう。医者ですら奇跡に掛けたい、と言う気持ちを持っているのです。
「ばかばかしい、奇跡なんて存在しないからあなたの命は3カ月以上ありません。」と言う医者よりどんなに頼りになるか! と思うのです。
もし自分の主治医が上記の2人だったらどちらがいいでしょう。『自分は科学者の端くれでもあるけれど世には未知なるものもたくさんあります。奇跡もあるかもしれませんから奇跡に掛けましょう。』 と 『オカルト興味本位だと変な宗教や薬つかまれます。科学で理解できないものはやらない方がいいのです。』
溺れる者は藁をもつかむのです、僕は理屈では正しいかもしれませんが後者の医者は信じられないです。前者の医者が居ればそちらに主治医になってほしいです。

さて、この湖を根城としていた漁師たち。その漁師たちが慌てているほどの波です。
しかしイエスは寝ています。イエスにしてみれば神にすべてを委ねているのです。一人では何もできない程度の赤子が自分の人生すべてを親に委ねているが如く、イエスも神にすべてを委ねているからのんきに寝ていれた訳です。
しかし弟子たちは違いました。
パニックになれば、人はそのパニックを正当化するために「怒り」の感情に変化させることがあります。グリーフサポートの専門家のお話を聞いた時も同様なことを言われました。

人は不完全です。ですから、前述の医者の話ではありませんが、完全に治せるという100%は口にできませんし、自分のスキルではできない可能性が高いと感じる時もあるでしょう。
それでも、僕らは主治医に全幅の信頼を置き、治療をしてもらいます。

ならばなぜ「全能の神」には信頼を置かないのでしょう? 人間以上の能力全能の存在者です。そしてその人は僕らを「親が生まれたてのわが子を愛おしむように」愛してくれています。
全てを自分が決め、責任を負いながら生きる事は時にして辛くなります、全能の神に委ねて生きることで荷は軽くなります。楽をしましょう\(^o^)/

松田教会ライブ

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聖契キリスト教団松田教会では、新たなコンセプトを視野に入れた教会堂の全面改修をいたします。
それは「クリスチャン」の集まる場所ではなく、「人」の集まる教会を目指す改修です。
ですから隣接の町民文化センターでのイベントの前後お茶を飲みに立ち寄ったり、友達同士おしゃべりしにきたりできる場所を作りたいと思っています。
そんな改修工事のために上記チャリティコンサートを開催いたします。

小さな教会ですが、ホッとできる場所を目指している教会。そんな教会に入ってみるチャンスでもあります。
ぜひご参加ください。
詳細、チケット購入は教会まで!!

紀伊神社地蔵堂

小田原の石造物を調べる会の定例会で今日は早川の紀伊神社さんと正蔵寺さんをお尋ねいたしました。
特に紀伊神社さんは、同行のIさんご親族と懇意という事で事前にお願いをしてくれ、地蔵堂)お念仏堂のような感じの本堂)を開けて本尊を見せてくださいました。
中世前期と言われています石造の地蔵菩薩像。

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両膝を見ると分かりますが、粗目の石でできています。それに漆を塗りその上に金箔を貼ったり色彩豊かな色を施したりした60cm弱の坐像。地蔵らしく右の手には錫杖を持っています。触ることは禁じられましたので、素材は不明ですが蓮華の上に座っています。そして左手には壺を持っているようです。


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そばに赴きのある招き猫。粗削りの素朴な顔立ちがなんともいえません。

こうした普段目に出来ない仏像等を見れるのもこの会の楽しみです。

なおこの会は定例会でみんなでアクセスのしやすい場所を廻りながら、個別でも調査を進めることになっております。7月7日は久野舟原地区を廻ろうと思っております。
こうした活動にご興味の方は是非郷土文化館・小田原の石造物を調べる会までお問い合わせください。

ドコモ・プラスハーティ と言う会社

先輩友人のBloger笹鶏さんこと笹村さんが氏のBlogで紹介されていた本。

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特例子会社という全く存じ上げないジャンルの会社にお勤めなのが郷土の田んぼ仲間という事、そして難しいタイトルのわりにわかりやすいというし、なによりも関心のあるジャンルのお話なのでさっそく通販をポチリ。
障がいをお持ちの方を積極的に雇われているドコモの子会社、とは何か?

松田教会の第2回 cafe workshop(~(仮称)畑の食卓~) でスピーカーとしてお呼びしたのは、小田原駅西口にあるえりむの創設者のお一人のTさん。
牧師の清水師も精神障がい者就労継続支援(B型) えりむには関わりのある方だし、Tさんも清水師も野宿を余儀なくする方々の支援をしている小田原交流パトロールの仲間。

将来的には松田教会内の喫茶もそうした障がいを持った方を雇う方向になるかもしれないとも思い、購入してみました。

本は、雇用法規などの難解な部分や障がいについての説明、それと交互にドコモ・プラスハーティーに入社した若者の成長と言う内容のコミック(漫画)で構成されています。
コミックはまず多い自閉症についての症状や対応の仕方が書かれていて、言葉は知っていながらも症状や対応方法を存じていない自閉症について学べました。
たとえば「片づけてください。」と言う言葉に、僕は指示した人間と自分の共通した「出しっぱなしのもの」を探せますが、それが難しい人には、「何を」「どこに」を言わなければいけないでしょう。
でもそれは障がいを持っている人だけではなく、『今日からアルバイトできました○○です。』と言う人に、書類を片づけて、と言ったら面食らうと思います。どの書類をどこに整理するのか?の指示だしをするのが正しい指示でしょうから、まぁ五十歩百歩なんでしょう。
そしてそのいい加減な指示出しは会社の中でトラブルを引き起こすことは多いです。

分かったつもり、は間違いのもとです。
逆に主語のない日本語も魅力でもあるのでしょうね。
『姉は男だ』と言う言葉は、性同一の問題ではなく、日本語の問題としてその前の会話が、『お前のところ兄弟の子どもはみんな女の子だったな』という会話があれば『いや、姉(の所は)男だ』と言う回答もあり得ます。
たぶん自閉症の人にしてみればこうした推測をしながらの会話は難しいのだろうという事が分かってきました。僕だってこの例題くらい”ひねられ”たら、その言葉の真意を想像できません。何を言っているんだ?と思ってしまうでしょう。

通りすがりの程度なら深く学ばなくてもいいのかも知れませんが、せっかくのスーパー講師が小田原にいるのですから、何かの折に岡本さんにもお話しして頂けたら嬉しいですね。

まずは素敵な本をご紹介くださった笹鶏さんに感謝。

自分の世界

故・萩原慎一郎氏の歌集を買った。
いじめに遭い、体調を崩し、そして派遣社員の苦しい生活の日々を歌った歌集。
31文字に全てが凝縮されていた。

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最近僕も写真を趣味とし、17文字でタイトルをつけてBlogという誰もが目に付くところにUPしている。自分を表現しようとしているのだろう。
が、本当にその画像に自分の言いたいことが写されているのか?その言葉がその写真の言いたいことを言い表しているのか?
と言われると、不可とは言わないが優や良と言った評価を頂けないものだと思う。知っているスキルを見せびらかしているだけで自分の世界の表現ではないのかもしれない。
こうした良質な文字を見ればその思いが確かなものだと納得する。

なんだ、この言いたいことが全て凝縮されている31文字は…。
うなずきながら読み進めて行った。

形式とか日本語の美しさというものから評価すれば氏以上の短歌は世にたくさんある。が、それは人の心を打つか、と言えば読み手それぞれだ。
小豆島に尾崎放哉氏の庵を訪ねた。「咳をしてもひとり」この文字数も無季語と言う形式も無視した俳句を初めて聞いた時から忘れられなかった。
山﨑方代氏の「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る」を聞いた時もそうだった。

その瞬間の喜怒哀楽が素直にシンクロされた。孤独の恐怖と言う悲しみやボサボサ髪で欠けた歯の口でニマッと笑いながら豆腐を大事に抱える喜びが目の前に映像として現れた。
そんなものと同じ映像の見える感覚がぎっしりと詰まっていた。

たぶん王様には王様の悩みや苦しみはあるだろう。二枚目でスポーツマンにも困窮はあるだろう。だけれどたぶんそれは僕とは遠いからなかなかシンクロしにくいのかもしれない。
それに比べて前述の尾崎放哉氏や山﨑方代氏、そして件の萩原慎一郎氏の吐き出したい気持ちは僕からさほど遠くないところの感情なのだろう。だからシンクロしてしまうのかもしれない。

しかし、こんな風に自分の世界を表現する写真とか歌を作ってみたいなぁ
無理を承知でそんな思いがふつふつと湧きあがる。

ストレスの多い人生、30余年で自死されてしまったことが残念でならない。.
彼はこの世と言う抑圧された物から自らの翼で羽ばたいて行ってしまったのかもしれない…。
髪をなびかせて天馬のように駈け上って行ったのかもしれない。

年齢と気力

昨晩、夕食を食べながら、テレビ東京の『あなたの街の「気になる疑問」突撃調査 解決!ご近所キニナール』と言う番組を見ていました。タイトル通り待ちゆく人にこの街の気になるものを教えてくれと頼みそれを調査するという、テレビ東京の得意とするジャンル(笑)の番組。
赤羽の荒川土手で全日本草刈り選手権の碑。4万人もの農民が地区予選を戦い、その精鋭が荒川に集まりスキルを競い合ったというのも初耳だったし、大阪天満のたこ焼き屋「寛子」のおばあちゃんも素敵だった、お笑いの千鳥の大吾さんは昔たこ焼き屋でアルバイトの経験もあり、その経験からあと2回ひっくり返すときれいな真ん丸になるけれど、もしかしたらあの位のうちの方がおいしいって経験したのでやめているのかなぁ?と。その話を聞けば普通のたこ焼きと食べ比べたくなる(笑)

さて、最後は井之頭公園。いくつかの面白い話もあったけれど、最後に出てきたのが、階段の中ほどで一日中歌っている吟遊詩人のFURAさん(54歳)。
銃弾に倒れイマジンの歌で愛と平和を広げたJ.レノンさんに感化され、レゲエミュージックをひっさげ世界を放浪。スペイン人の女性と結婚し2人で世界を放浪中に、スペインで第1子、日本で第2子、インドで第3子、ネパールで第4子を生みながら、子どもたちのママは僕たちに任せてパパは自分の人生を全うして、と言う言葉を受けて1日1,000円程度の収入で路上で生活をしているそう。家族とはインターネットで連絡を取り合っている、と言う。

若い時は気力がある。頑張れるが、年齢とともに「革新しよう」と言う気力が失われるのではないでしょうか?少なくとも僕はその傾向があります。
アパートに引っ越す決断の一つに、「竟(つい)の住まい」と言う言葉が頭をよぎります。まだまだ新しいことをチャレンジしよう、ではなく、ほどほど腰を据えよう、落ち着こう、と言う意識が生じ、まず「居場所」の確保があってこそ、何か始めようという気になるようになりました。それは加齢による不安なのでしょう。もうここから動きたくない、ここで生活ができる中で楽しめれば十分と言う保守の姿。
若いころはそんなことなく、突っ走れた感がありましたが…。いい意味の貪欲さがなくなりました。

韓国は日本と違い財閥の解体がありませんでした。そして兵役があります。だから、突っ走れる気力体力のある若者は海外に新天地を見つけに行きます。慰安婦像の問題を活発にロスをはじめとする海外で行われているのは、韓国人が多く移住しているという側面があると思います。
が日本人は移住が少ない。それは朝鮮戦争による朝鮮特需があり戦後復興が進み景気が良くなったことと兵役がないことで若者が住みやすかったことが大きな点だと僕は思っています。
がそれから3/4世紀が過ぎ、日本国民全体が確信かを失い、未来に希望を持てない老人国家になりました。
人並みに自分の生活が出来ればいいや、と言う風習が蔓延し、自分らしい生き方を夢見なくなったと思います。

国家がそうだから、国家内のそれぞれの組織もそうなって、指導者が新しいことにチャレンジしなくなり、強いては若者に魅力のない組織になってしまっているのだと思います。
大企業に入社して1,2か月で退職する若者の言葉が、会社の魅力不足を口にします。
若者が組織を離れればその組織の明日はありません。静かに余生を過ごしつつ消え去る日を待つだけです。
そうでない組織は、時代にあった組織に変革をするのでしょう、が、指導者が変わろうとしなければそれは無理な相談です。

この日、FURAさんのオリジナル曲を聞き、僕と同世代の彼がとても気力充実して「根無し草」のようになにも失うもののないスタイルで不安にならず井之頭公園の片隅で歌っている姿に感銘を受けました。
いま日本で足りないものは、失うことの不安・恐怖でどんどん保守に陥っていることからの解放。もう一度若い心へのリバイバルなのかもしれません。それは企業と言う組織だけではなく、ボランティアや無収益組織というあらゆる組織に応用されると思います。

サニーさんライブコンサート、いよいよ来週♪

来週24日は、いよいよサニーさんのライブコンサート
いままでこうしたイヴェントを企画実行した際は、「満席にしなくちゃ」と実行委員さん皆が無理をして疲弊しやすかったりしますが、松田教会のそれは深刻じゃないんです。
「集まるといいねぇ」とニコニコ。「チケット何枚売れた?」なんて言う確認もなく1週間前。
何なのだろう?この余裕。
考えているうちに、ふっと思い出したのがこのトピ。この教会のベースは、この世的な考えではないのでしょう。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」  マタイによる福音書6:31-34

考えてみれば(お越しくださる方は意識なされないだろうけれど)、新会堂建築のためのコンサート。つまりは礼拝に準ずる奉献の意識があるわけで、例えば毎週の礼拝にも「満席にならないと」、と不安に思い、思い煩う(べきなのだろうけれど(笑))こともなく、そこまで満席にこだわらない。が、ことコンサートに関してはこだわるのは本末転倒なのかもしれません。もちろん出演者の皆さんをお願いした以上、僕らは全力を尽くしPRし多くの方に見聞きしてほしいと思っています。が、無理をすると楽しくなくなります。
誰も(出演者、参加者、そして企画をした裏方)が笑顔でいることこそ、教会のコンサートだと思うのです。

教会員数もそうです。さほど多くなく、僕と同じくらいの年齢層。10年後はこの教会はどうなるのだろう? などと言う不安は…松田教会においては感じられません。それは人間がどうこう考えるものじゃないよ、神様に委ねて祈っていればいい話じゃないか…。そんな雰囲気を醸し出しています。


神様に委ねて個々が祈りと感謝と喜びの中行動する。結果はついてくるもの、未来は人が悩むものではないのです。人はただ今の恵みを感謝するものでしょう。前述のマタイによる福音書の通り生きていく集団なのかもしれません。
24日は、神様の祝福によって集まった人たちと楽しい時を過ごす恵みの時です、お時間のある方は是非どうぞ!
教会はストレスフリーの場所。礼拝以外も楽しいことたっぷりな場所だと実感して頂ければ嬉しいです\(^o^)/

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神の国は成長する

2018年6月17日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、マルコによる福音書 4章26-34節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)


また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。



今日も聖契キリスト教団に与えられた御言葉は3つのセクションに分かれていました。
「神の国」についてイエスの喩え話は易しそうで難しいのは、「『神の国』とは何ぞや?」を僕らが全く理解していないから、そこまでのアクセスと言われてもなぁ…、と言うのが引っかかるからではないでしょうか?
もともとはバッシレイヤと言うギリシア語ですが、イエスはそれを「罪の赦し」とか「福音」と言い換えていると解釈してもいいのかもしれません。『神から与えられた愛』と言う言葉に置き換えると理解しやすくなります。

蝶の幼虫である芋虫は当然のことながら内臓を持ち口からえさを食べ内臓で消化し、栄養物を取り入れ成長し、不要物を排出します。が、さなぎになった時に、その既にある内臓はいったん溶けで体の中は液化するのだそうです。
そしてまた蝶になるために内蔵が形成される、と言う話を最初に聞いた時、何か無駄な作業のような気がしたのを覚えています。
しかし、それが無駄であるかどうかは、他の生命体である僕らが判断する必要性は全くなく、まさに今日の聖書の語っている土中で実がどうなるのか?と大差ない話です。
僕らにはどう見えるか?と神が実際様々な生物をどうお作りになられたのかは違う話なのです。
例えば遠い将来地球の重力が大きくなれば人間は、ゴキブリのように這う生命体になるかもしれませんし、そのゴキブリ人間は遠い昔(今の僕ら)の姿を見ておかしな姿だと言うでしょう。
僕らは、エゴイステックに自分の生活がすべてであり、他の生命体の事を専門家の人以外は深く考えないものだと思います。
昨日生まれたパンダの赤ちゃんも生まれた時は100gで成獣になると1000倍の大きさになります。人間で言えば、3000gで生まれたら3tになる人はいないことからその成長は驚異です。
同じ犬という遺伝子情報を持ちながら、チワワは20cm2kg、セントバーナードは90cm100kgほどで、その比はそれぞれ5倍、50倍です。人種が違っても平均身長が1mの民族と体重が50kgの民族と5m250kgの民族はいないことから遺伝子以外の情報で姿かたちは変わることもあることがわかります。
しかし、蝶も犬もそうしたことを気にかけることはありません。ただ毎日を一生懸命生きています。
そう聞いた人が、当たり前だろ、あいつらには知能がない、と言うのなら、そしてその知能によって不安を感じるのなら進化ではなく退化にすぎません。
ただ、神が作ったくれた肉の体で神の作られた大地を楽しく生きられるのならそれに越したことはなく、気に病むことなくそう生きなさいというのが今日のお奨めでしょう。

聖書は種がどうなって実がなるかなんて誰も知らないだろ?それでも神様はきちんと種から実にしてくれると言います。からし種もパンダもみんな僕ら人間より小さく生れ大きくなるのです。
神の国、すなわち『神から与えられた愛』も心配することないんだよ。わからなくても種が実になるように、いつも神様は目を注いでくれている。と書かれているのが今日の箇所でしょう。

本当に知らない生命の神秘が多いです。知る大切さも重要ですが、知らなくても生かされる愛への感謝はもっと重要だと思います。
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