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ハラスメント

たとえですが…

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山登りにも種類があって、ハーケンを打ち込みながら垂直のような「壁」を登るのを楽しむものや、なだらかな尾根を歩きながら広がる大空だったり樹林の木々を楽しむものだったり、また山頂でビールを飲むことや下山後の温泉を楽しみに「登る」をつまみにする人もいるでしょう。
逆に言えば、ゆったりと登るハイキングは好きだけれど、ピッケルやハーケンを使う山登りは無理と敬遠する人もいたり、(切り立った壁のように)スリルがない山登りなんてと違う山登り方法に興味を持たない人もいるでしょう。

山登りの楽しみを教えてくれたパーティーやその先輩方に一度剃り立った「壁」に連れて行ってもらった人が、ビビッてもう自分はこの登り方はしないと思ったとします。
その時に先輩から、たまには一緒に登ろうよ、と言われ、「自分はもう『壁』は無理です」と言ったところ、そんな事言わないでさぁ、みんなも一緒に行きたがっているよ、と言われたら、やはりそれはハラスメントなんですよね。
自分に登山の楽しみを教えてくれた先輩であるのなら、後輩はむげにできない、としたら、ここで「No!」と思っても言いにくいはずです。先輩にしてみれば気づかなくても、そこには先輩後輩のパワーがあります。
ハラスメントを日本語にすれば人を困らせること。ですから、まさに回答に困るこの質問をするのはハラスメントと言っていいのかもしれません。
また、みんな(仲間)という言葉を利用し、1対1の関係ではなく、1対多数で有利に持ち込むことも、問題でしょうね。

ハラスメントには
セクシャルハラスメント(スクールセクシャルハラスメントを含む)
セカンドハラスメント
パワーハラスメント
モラルハラスメント
アルコールハラスメント
ジェンダーハラスメント
アカデミックハラスメント
リストラハラスメント
テクスチャーハラスメント
ドクターハラスメント
カラオケハラスメント
スモークハラスメント
ブラッドハラスメント
テクノロジーハラスメント
エレクトロニックハラスメント
エイジハラスメント(シルバーハラスメント、マリッジハラスメントを含む)
ペットハラスメント
スメルハラスメント
エアーハラスメント
ソーシャルハラスメント
レイシャルハラスメント
レジシャスハラスメント
フォトハラスメント
カスタマーハラスメント
などが今の世の中問題視されているそうです。出展:社会人の教科書 さま
お前もカラオケ歌えよ、もしつこくて嫌だと思われたらハラスメントです。
パソコンのやり方を聞いた時に、そんなことも分からないのかよと言って嫌な思いをされたらそれもハラスメントです。

10年ほど前にKY(K:空気Y:読めよ)という言葉がはやりました。昨年に流行った忖度に匹敵する言葉ですが、このK;空気は、大勢のというものが含まれていて少数派の意見が入っていませんでした。忖度も上位下達でパワーのないものがあるものの心内を考えろ、的に使われています。
その点、ハラスメントは、たとえ一人であっても「嫌だ」と思う人がいたら、それは「わがまま」ではなくやってはいけないことと自粛する心構えなのでしょう。

しかし読んでいるうちに、例えばブラッドハラスメントなんて言うのは日常茶飯事的に「A型だから」なんて言われますし、機嫌が悪ければモラハラ的にもなりますし、前述の山登りパーティの話ではありませんが、自分は意識しないで後輩を誘っても後輩は断りずらいとするのなら、それは日々の生活態度から生じるものでしょうからそこから修正をしなければパワハラを生み出すわけで、ハラスメントしないようにするのはなかなか難しいですね。
ついこのくらいは…、という甘えから脱却することを意識したいものです。

不祥事の後始末

末は博士か大臣か、という言葉があるけれど、安倍さんを見たり、日大の内田さん見たりしていると、明治の初めと平成の終わりでは意味が全く変わったのだなぁとしみじみ思う。

なんてツィートめいたものをFBにUPしたが、考えてみると

国会議員も不祥事を起こすと「党に迷惑をかけるから」と政党を離脱するけれど、議員はやめない。
今回も「(日大ブランドは)落ちません!」と自校のことが判断基準だった。

国会議員だったら国民の代表なのだろう? 対抗試合の出来事だから相手校への見舞いとリスペクトがあるべきなんだろう?
と、ここにも共通項を見つけてしまったのだ。

生田教会

初めてお伺いした生田教会は素敵な教会でした。
2014年11月に新礼拝堂が献堂されたばかりの教会。
この日も、礼拝に1組(5-6人)の建築学部の学生、午後にはお母さんに連れられた建築学部志望の捜真の女の子が見学に訪れていました。
僕もコンパクトデジカメだけしか持っていかなかったことを悔やんだほどです。

小田急線読売ランド前下車。各駅しか止まらない駅ですが、古くから住宅地として有名な生田界隈。
駅前は狭くごちゃごちゃながらにぎわっています。人波をよけるように小田原方面に歩きます。小田急OXの前を通り、下記写真のマンションの1,2階がお店になった建物の前を左折。坂道から

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階段へ。

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地図を見れば、川が流れてるのが分かります。

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タモさんの番組でおなじみになった河岸段丘ってやつでしょうか。
アップダウンはありましたが、駅から10分程度の好立地。

建築委員長のH兄が説明してくれます。宗教施設の多くは心を落ち着かせ、礼拝の場に誘う「参道」があり、生田教会も道路から礼拝堂、礼拝堂1階から2階と2つの参道で徐々に心を礼拝に向かわせている、と。

20180527-04(写真は第1の参道)

礼拝堂は目指すべく「開かれた教会」をシンボリックに現すガラス張り。見てもとてもさわやか。そして松材の骨格と十字架がアクセント。

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2階の礼拝堂の中は一面カバ材です。大きな一面の板塀

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屋根は少し角度がかえてありその隙間には風通しの空気抜き。

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一転礼拝堂から出れば、そこはアルミスチールの無機質な空間。アクセントに置いてあるオリーブの伸びた蔓が逆に生命力の力強さを感じさせてくる。

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1階は集会室。広く使い易そうな空間。目隠し扉の奥にはたっぷり収納できる場所がありそうな予感。

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なによりも、用がなくても仲間同士ゆっくり過ごせる雰囲気があるのがいい。三々五々おしゃべりを楽しむ。
今教会が求められているのは、この時間とこの空間なのかもしれない。

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素敵な教会、写真の撮影もご快諾頂きありがとうございました。

債務履行

2018年5月27日、ちょっとした”野暮用”で日本キリスト教団生田教会に集いました。与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 8章12-17節。表記のタイトルの説教を池迫直人牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。

それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。



今日与えられた聖書の箇所の直前、8章1節
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。 は、
There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who don't walk according to the flesh, but according to the Spirit.と英語では記されています。
イエスキリストと結ばれているものとは、who are in Christ Jesus です。

2節キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
For the law of the Spirit of life in Christ Jesus made me free from the law of sin and of death.
キリストイエスによっては、in Christ Jesus です。
共にinなのですね。

教会に行くと、先輩クリスチャンの方が、『○○であるべき』的な言い方をなさる方もいたり、信徒のたしなみや責任を強要したりするところも多分にあります。
半パブリックスペースであり、なおかつ「額(ぬか)ずく=敬意を払う、神聖な場所」であるから、その場所の維持を信徒はしなければならないし、礼拝には清潔感あふれてふさわしい服装で・・・・。というのは、わからなくもないけれど、なんだか最近よく聞く『学校のへんな拘束』に載りそうな精神論の強要にも思えます。

教会に初めて門戸を叩く人は、それなりにいっぱいいっぱいであったり、譲れない何かを持っている人が多く、それを一方的に教会のルールの押しつけをするのなら、足が遠ざかる人がいるのは致し方ないのかもしれません。
もちろんそれが間違っていると言っている訳ではなく、教会はそれぞれ自身の特長を醸し出しながら立っていけばいいと思いますが、始めて来る人にも明確なアイデンティティがあることを忘れてはいけないのでしょう。
池迫牧師も、教会に戻り始めた時、油まみれの作業着で出席できる教会を捜した、と語りましたが、例えば野宿者の方で礼拝に集いたいと思っている人に、ジーパンやスエッツではだめですよ、と言われたら着るものがないかもしれませんし、周囲の人が皆スーツで来ていたらスエッツしか着るものがない人は来難く次に教会を訪れることはないでしょう。
また、華美なおしゃれは慎みましょう的な発言をしている中ネクタイは何のためにするの?と問えば明確な答えを出せる人がない中、ノーネクタイでなんかと眉をしかめられることがあります。

思想にこだわりを持ち、また頑なな所がある人にとっては、教会と言う場所は角が立つ場所であり、角を立てたくない人は生きにくくなったりする場所なのかもしれません。
日本人の1%しかいないクリスチャン。こだわりを持って選び取った独特の感性の人たちなのでしょうけれど、行った先の教会の中でも、そのこだわり通しがぶつかることがあり、それ故に1%をなかなか越えられないのかもしれません。

ですから「キリストに出会ったのだから(あなたが)変わらなきゃ」と言われて変われる人はすくないでしょう。
それよりもキリストに出会えて自らが変われなければ教会に足を運ぶことはないのかもしれません。
それは、今日の御言葉の直前の1,2節の「in」と言う言葉だと池迫牧師は語ります。

善悪を人が定めれば、未必の故意に陥ることがあると言われます。知らず知らずに他人を傷つけることがあるかもしれません。教会に来ようとした人の意欲を奪い取ってしまったかもしれません。
それが肉の生き方です。
しかし、神に委ねる生き方は、善悪を定めることなく、委ねて生き生きと生きる事だと言われるのです。

別の例をあげれば、人が善悪を決めれない場合、どうするのか?です。
3・11の天災、病や不慮の事故など、「なぜ?」と言う疑問が消えない事もこの世には多く、そういう苦しみはどう解決するのか? がパウロの疑問でもありました。

「主権はどこにあるのか?」がこの疑問の解答でしょう。主権が自分でも隣人でもない、ならば、主権の放棄しかありません。
某法律家の人が「どんな例外にも解答できなければ主権者ではない」と語ったそうですが、それから言えば、僕らは主権者にはなれず、唯一なれるのは十字架の死を以てすべての罪を贖わったイエスのみでしょう。
それがパウロの見つけた命と霊の法則だったのでしょう。

2018年寿地区センター講演会 ~こやしん牧師大いに語る~

2018年寿地区センター講演会が紅葉坂教会で開催されたので行ってきました。
講師は小柳伸顕牧師。大阪釜ヶ崎で子どもたちと向かい合って約60年。あいりん小中学校のケースワーカーをしながら、こどもの里と山王子どもセンターにも関わり、そして子ども夜まわりの設立にかかわった方。


2017年7月、小田原での映画「さとにきたらええやん」上映に当たって、釜ヶ崎に出向いた。そのためまずインターネット等を駆使して情報を集め、そしてそれを確かめるように釜に行った。
こどもの里では、僕のような外部の人間に理解をしてもらおうとプロモーションビデオを見せてもらった。
その中には僕が知らない情報がたくさん詰まっていた。
一つは里の子どもたちが、海外の視察に出かけていること。
もちろんカトリック系の篤志家の人からの多額の献金はあったろうけれど、それにもまして子どもたちの「見たい」と言う強い意志はバザーなどで旅費費用をため、そして出先での教会の協力もあり何度か海外にまでフィールドワークをされたことが映っていた。
失礼な言い方だが、汲々とした財政だと思っていた僕は、見当違いであることを知らされた。もちろん運営自身は極めて厳しい財政であり、拍車をかけて府からの圧力に苦しんでいたが、子どもたちは自分の人生の中の探究心を謳歌していたことは確かなようだった。

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小柳先生のお話は、子ども夜まわりがなぜ始まったか?から発題された。
1983年山下公園事件。子どもたちが横浜山下公園で生活をしていた野宿者を「ゴミ」と称して、暴行しごみ箱に押し込んで放置し死に至らしめた事件はご存知の方も多いだろう。
その事件後、里の子どもたち、山王の子どもたちに、野宿者とのかかわりのアンケートをとったところ、子どもたちからは『いじめ』『襲撃』をしたという回答が出てショックを受けた。
そこで打開させるためにも、野宿者の方がどういう存在なのかを子どもたちと学ぶところから始めたのが夜回り。

子どもたちがなぜ襲撃をするのか問えば、『知らないオッチャン』が、みんなが働いている『昼間から昼寝』して怠けているから『嫌いだ』という図式。
それは、自分たちの家でもおとーちゃんが昼間から酒を飲んでクダをまいている嫌な面とオーバーラップしたり、警察も寝ている路上での生活を余儀なくする人に水をかけるなど暴力的な行為をし、そうした大人たちを見ているところから生まれたものなのかもしれない。
小柳師は、釜周辺の同和地区でも「襲撃」があったと報告された。僕らの住む関東よりも同和問題の取り組みは厳しい関西。その場所であって被差別の発言をすれば大人たちは注意をしても、事野宿者への襲撃は見過ごしていた、と言う教育不足の側面があったことを教えてくれた。

1987年にこどもの里においての学習会が始まった。
怠けて寝ていると思った野宿生活を余儀なくしている人たちは、実は怠けていなかったことを子どもたちは知る。
この町を作ったのも、隣接の町の高層建築も、駅もスーパーも自分たちの学校も作っている最中は、『○○建設』『△△組』といった誰もが知っている大手ゼネコンの名前が張ってあるが、実際作っているのは孫請け、曾孫請けのオッチャン達であることを知る。
自分たちの学校のトイレが壊れた時、直してくれたのはその場に同席していた野宿のオッチャンであることに意識が変わった。
子どもたちはみなオッチャンに興味を持つ。その人となり、半生を知れば、今野宿生活を余儀なくしていることは理不尽であることが道理であると思う。

そして夜回りに出かける。子どもたちの訪問は、野宿生活をしている人にはとてもうれしい事だ。わずかな日銭を自分のためにではなく、夜まわりに来る子どものためにお菓子などを買って待っている。
もらったお菓子は夜回りを終えた後の報告会のおやつだ。
誰もがその日夜まわりをした思い出を原稿用紙に書く。オッチャン達は子どもたちの質問にはいつも以上に懇切丁寧に回答をするらしい(笑)

怪我をしている野宿者を見たよう学校の低学年の子は、その晩明け方まで寝られなかった、と書いた。
文字が欠けない園児は「あのオッチャンもお母ちゃんのお中から生まれてきたんやろ?」と自分たちと何ら際のない人が理不尽な生活をしていることに疑問を呈した。

犬を飼っている野宿の仲間が入院をしなければいけない事態になったが、自分が居なければ飼い犬は保健所に連れていかれ殺処分されるだろうと、入院をためらっていた。が、子どもたちが自主的に面倒を見るように段取りをつけて入院にこぎつけさせた。

さて、夜回りに行く前にはみんなで歌を歌う。みなみらんぼう氏のくまのぬいぐるみの替え歌。「なんでよまわりするの」
少し淋しくてちょっと悲しくてとても肝(ちむ)苦しい と言う歌詞の歌。

夜回りの事を学校でしゃべる。先生も行こうよ、と誘う。すると学校の中でも変化が生じ、学級通信にこの話題が載ったりするが、残念ながらそういう担任はいつしか転任の憂き目にあう。
それ故、地域全体の、学校全体の取り組みにはならない。

この話は釜ヶ崎の話だが、小田原のパトロールでも同じである、と言いたい部分はいくつもある。

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さて、こどもの里での学びの時、日本以外の生活困窮や差別蔑視で苦しんでいる人たちの話になり、「アジアの労働者とバナナ」を見てフィリピンのバナナプラントを見たいという声が上がった。
なんとか工面し出向き、子どもたちはそこで現地の人たちと一緒にバナナを洗ったり、トラックの洗車をしたりしたそうだ。現地の人も、多くの日本人が来るが、ここまで手伝いをするのは非常に稀だと言う働きぶりだったそうだ。

自分たちで実際野宿のオッチャンの所に出向き、語り、理解する等作業をする中、「本当の学び」が身について行ったのだろう。
フィリピンの学びは沖縄につながり、そしてアウシュビッツと駆け巡り、その映像を僕がこどもの里のプロモで見た訳だ。
何も考えずただ襲撃をしていた子どもたちが、命を考えるようになり、沖縄やアウシュビッツと連帯する。壮大な教育がこどもの里では行われている。
子ども夜まわりは30余年経った。最初夜まわりをしていた子どもは成人し子どもが授かりその子が夜回りに携わっているなどと言う事例もあるそうだ。

1年間の間路上で亡くなった人の場所へ献花をする儀式をしている。釜の場合は、その場所が病院の真正面であったり警察署の真正面であったりすることもある。
警察の真正面に献花をすると、警官がそんなところに花を供えてはいけないと追い返すそうだ。すると子どもたちは警官に抗議するらしい。
正しい事をするのに気おくれをすることのない子どもたち、僕らが少し見失ったものをこどもの里では実践している。

さて、小田原も1990年代後半は100人以上の野宿を余儀なくする人がいた。が今は20人を割っている。
それは、寿もそして釜ヶ崎もそうで、2000人ほどいた炊き出し利用者も今は100人を割る程度だそうだ。
釜も高齢者と外国人が目立つ街になり、府は一気に再開発を進めようともくろんでいるようだ。
しかし、ほかに行けない生活弱者がいる。この町でずっと過ごしてきた人が高齢化して、もう他の町に移る気力のない人も多い。そうした弱者の最後の砦として釜ヶ崎はまだ使命が終わってはいない。
そうした中、「さとにきたらええやん」に感化された里の女の子が映画作りをしているという話も聞いた。
あと数年かかるかもしれない、と言うが、その上映を楽しみにしたい。

この日の参加者は100余名、献金は9万弱が集まり、釜の支援へと小柳先生に託した。

2018年寿地区センター講演会 ~釜ヶ崎こども夜まわり30年の歩みから~

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(画像上クリックで大きくなります)

2017年猛夏釜ヶ崎の町を歩きました。心地よいのんびり感は行ったことのない東南アジアのそれを髣髴させるもので、こどもの里の子どもたちは愛らしく、街行くオッチャンは見ず知らずの僕にパチンコの出玉の様子をフレンドリーに教えてくれます。
釜の街中の山王こどもセンターのこども夜まわりは、残念ながら僕の行った週の翌週、ご一緒は叶わずその様子を見ることはできませんでした。
子どもの里がこども夜まわりにかかわったのは、ここに来る子が襲撃に関わったことによると聞いています。教えなかったので襲撃に加わってしまったのなら、それは大人に責任の多くがあるでしょう。そこから夜回りを体験し始めて、オッチャンの優しさに触れたと聞きました。

しかし、それは僕が少ない情報から得たすこしのデータ。もう少したくさんの釜のこと、そこに過ごす子どもたちのことを聞きたいものです。
お時間のある方はぜひご参加ください。
ご一緒できそうな方は、ひと声お声掛けくださるとうれしいです。

NOWHERE IN EUROPE

概念の中で一番もろいものはもしかしたら「幸福感」かもしれません。
幸せと信じて止まない人が、些細な他人の幸せを見て嫉妬すると、今までの自分の幸福感は崩れて「あー私は不幸だ」と思い込んでしまったりするのでしょう。

そもそも多くの人の「満足な幸せ」は、平均的な他人よりちょっぴりでも自分は上である、と思うことなのかもしれません。きつい言い方ですが、見下せる喜びが「満足な幸せ」を生み出すのかもしれません。
ですから、生活保護費で慎ましく生活している人はいいのですが、保護費でパチンコに行ったり(自分より)いい車に乗ってニコニコ顔でさっそうとドライブに出かける姿を見ると、見下したはずの彼らより自分が劣っているように思えて、「保護費の適正使用」を声高に訴えるのです。
今日日、保護費でパチンコをすることも、車の所有も全く法的に問題はなく、また人道的にも保護を利用しようが余暇を過ごすことは当然の権利であり、至極あたりまえの時間の使い方です。
腹を立てる方がお門違いなのです。
しかし、残念ながら人は寛容な度量よりももろい幸福感に生きる生き物かもしれません。
江戸時代以前からも、庶民の困窮のガス抜きのために差別階級と言う制度を生み出させ、困窮の農民も「満足な幸せ」を感じさせる政策がとられました。
それは日本だけではなく海外でも、さまざまな事由で差別を余儀なくされる人たちが存在しています。

ロマ(ジプシー)と言う括りでまとめられている偏見・蔑視された人たち。その人たちを撮影に行くと、松田町観光協会写真部の顧問の武智先生はフランスChinonに渡りました。
そしてその個展が、修善寺のドットツリーで本日20日まで開催されたので午後の時間を使っていってまいりました。

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誰もが当然の権利と主張で人間らしい生活をしたいと望んでいますし、住む場所、受ける権利、そして自由は平等にしてほしいと思っています。
しかしどうしても差別と言う概念は無くなりません。それは、誰かが這い上がれない人を哀れんで見ることで「満足感・幸福感」を得ているからでしょう。
その視線は、送る側より受ける側の方が敏感に感じられるものです。

僕も昨夏は大阪釜ヶ崎に行きました。「さとにきたらええやん」上映時のパネル展示にしようと写真を撮りましたが、オッチャン達と関係が構築できていない釜の中では、遠方からの望遠での半隠し撮りでした。
もちろんこのオッチャンなら大丈夫だろうと言う直感は、野宿者支援を四半世紀以上してきた感覚と、釜でも寿でも有名な支援者とも交流があるのでいざという時はその方々のお名前を拝借して誤解を解けれるだろうと言う気持ちもありました。でも、短い期間では会話の中で撮影することは叶いませんでした。

それが文化の違う、そして会話する原語の違うフランスでの撮影。どうだったのかな?と興味津々でしたが、お忙しくじっくりと撮影秘話をお聞きすることは叶いませんでした。

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でも帰り際車を走らせて思いました。たとえ、HowToを聞いたとしても、それを真似できるかい?
たぶん僕には無理でしょうね。
それができるのなら大阪でもオッチャン達と話しながらシャッター切れたはずです。
昔、郷里での産廃反対運動の最中、激化した折にF社と言う写真週刊誌の記者が現地を案内してくれと言われ、助手席に乗って現地を案内しました。相手敷地内には行って写真を撮っている最中に見つかり車で追いかけてきた際に、「大丈夫です。無視していれば諦めます」と平然と言ったのを聞いて、少なくとも僕には出来ない職種と思ったことも思い出しました。

分相応、と言う言葉も大切な言葉。でも、勇気を出して半歩でも前進できることも大切なことでしょう。
素敵な写真をどうもありがとうございました。写真家の先生に言うのは失礼ですが、でもやはりできればどこかで報告会で撮影秘話聞きたいです(笑)

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もう一つ「満足感・幸福感」は、己の社会の大きさです。
季節によって移動をする前提のモーターホーム。しかし泊まっていいのは有刺鉄線に囲まれたエリア。
北朝鮮による拉致被害者、もう自らは高齢になりきっと家族を持ち幸せに過ごしているでしょう。日本に住む僕らが、北朝鮮は貧しいから不幸だ、と言う定規で語るのは決して正しい事ではないと思います。
経済ではない、家族との語らいの時間に幸せを感じているのなら北朝鮮拉致被害者の方も今は幸せを見つけた「良い時間」かもしれません。
周りに住む人と同じくらいの生活レベル、苦しみも悲しみも共にして楽しみを笑顔で共にできる仲間がいれば、それは(他国を知らなければ)幸せだし、たとえ他国を知っても一時は経済的に裕福な国に羨望し憧れても、心の豊かさを感じられなければ幸せはしぼんでしまうかもしれません。
だから「大変だったね。お疲れさま、日本に来れば幸せになれるよ」は正しいとは限らないと思います。本人以外の人が「あなたは不幸せな生活をしている。私が救い出してあげよう。」などというのはおこがましいわけです。傍から見ても辛そうでも、「幸福」の概念は本人が決めるものでしょう。
ただ、国家として交渉として、『知る権利』『移動する自由』は確保しなければいけないと思います。大切なことは、日本に住む家族・親族や友人と会いたいと思っても会えないという国交がないゆえの移動の難しさです。
それは全く今日写真の中の有刺鉄線と言う『知る権利』『移動する自由』のない彼らにも同じものを見ました。

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僕らは短絡的に間違った解釈をしてしまうことが多分にあります。
「幸福感」が思い込みで崩れることもありますし、時の権力者が作為的に壊して差別・偏見を助長させることもあります。

カメラマンの方はもとより、僕のようなずぶの素人でも今のカメラはよく映ってくれます。映像と言葉、もし作為的に誰かを貶めようとするのなら十分に対抗できるギアで、その使い方を知ったものとして有効に活用をしたいものです。

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教会の設立

2018年5月20日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、使徒言行録 2章1-21節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、 下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、 太陽は暗くなり、 月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』



クリスマスやイースターと比べてマイナーな聖日のペンテコステ。これは、クリスマスとイースターがイエス=キリストの生涯に関わる聖日に比べて、ペンテコステはイエス―キリストと直接結びつきのない日だからなのかもしれません。
しかし考えてみると、宗教が宗教である所以は、神の存在、神の教え だけではなしえないでしょう。どんなに正しくとも、正しさが受け継がれなければ、消滅してしまいます。
生きるベースである信仰ほど重たくない物であっても、例えば着物の文化が薄れ、ちょん髷を結うのは関取ぐらいになった現在。継承者の大切は、傍から見るより大きな問題のような気がします。
日本工芸の技能者に入門するものが居なく、多くの日本文化があと数十年で消え去ります。優れたものでもなくなったら復活させるのは至難の業でしょう。

ペンテコステの話は、そういう側面で見れば奇跡物語です。
ローマ兵が怖いから、イエスの仲間と知られたから、逃げ隠れた弟子たちが、突然「そうです。私はイエスの弟子でした。」「イエスの言っていたことを守りなさい。」
と言い出し、そしてイエスよりむごい殺され方をしていった弟子たち。
何があったのでしょう?
その突然の勇気、気力、宣教の精神、それはどこから来たのか?と問われて、具体的に性格が180度変わった彼らの変質を説明できる人はいないでしょう。
それゆえ奇跡だと思います。
目に見えない聖霊の力なので、2000年前の彼らは風や炎で表現したのではないでしょうか?
その奇跡が実際どんな形状だったか?については僕はあまり興味はありません。感動を覚えるのは、それによってユダヤ民族でもなくイエスが死んでから1900年も経った今頃生まれた僕も、神は救ってくれる。その方法は、なんでもない漁民や(当時は差別を受けていた)医者らの勇気ある行動があったという事です。

清水牧師は語ります。
ペンテコステの起こった場所は、「皆が一つに集まっていた」のであり、これが起こった理由は「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」ためです。
何人であろうが、肌や目や髪の色が何色であろうが、どんな言葉をしゃべろうが、いつから神の名を呼び求めようが関係ないのです。そしてどういう神の名の呼び求めをしようがも記載がありません。多様なのです。
その多様性が教会です。教会はキリストの体なのです。


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しかし、突然 Revenez à Dieu Wende dich zu Gott zurück 转回上帝 Turn back to God (神に立ち返れ)と僕が言ったら酔っぱらっているだろう? なんて言う人はいないでしょうね?
それだけ良いと言う行為に対する科学知識や異言と言う概念が2000年の間で変わったのでしょうね。

早川地区 紀伊神社と正蔵寺

5月19日に、小田原の石造物を調べる会の定例調査会がありました。

前回に引き続き、早川地区の紀伊神社に向かいます。
神社前には、市の指定文化財の道祖神があります。

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紀伊神社は、参道の真ん中をJRが通過しています。

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参道から石段を臨めば貨物列車が通り、鐘突堂に立てば横を列車が走り抜けます(笑)

大きな忠魂碑ほかの石造物を調査し、メンバーの疑問は、大量の玉垣が奉納された時期前後に何があったのか?という事。
丹那トンネル開通で、前述のJR線が境内の中を通過する補償費で玉垣などを奉納できたのか?
しかし、漁協組合のメンバーと言う書きかたもあるので、それは何かしらの漁業権の問題なのか?
もちろんバックボーンになる下調べもしてこない話ですので、推測の域は出ませんが、そんな自分の推理をおしゃべりし合うのもこのグループの魅力。

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調査を終え、隣接の正蔵寺に向かいます。すぐ隣に見えるものの一度道路に戻り、次の小路から丘を越えないとお寺にはたどり着けません。今日はこちらのお寺さんには事前にアポイントメントをとっていませんので、ご挨拶のみ。尼僧のご住職にご挨拶をすれば、君ヶ濱安右衛門と言う関取の顕彰碑があるとのことで、今日はそれだけを拝見させてもらいに行きます。
僕はその関取を存じ上げなかったですが、小田原の端々さまのBlogに載っていました。

古い石造物が豊富にあるお寺ですので、次回はじっくりと見させて頂きたいと思います。
ところで自宅に戻りGoogleMapで場所を調べると

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紀伊神社の南南西の方角に正蔵寺の文字。
しかしズームインしてみると

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正蔵寺の文字が2つ、JRの線路を挟んで左右に。
つまりはこのお寺さんは紀伊神社と同じ参道から左に折れてお寺の参道があり、本堂に向かうのですが、それがJRによって分断され、本堂へは違うルートでしか入れなくなったと推測されます。
次回はぜひともそこら辺の所も聞きたいものです。

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 もやもや晴れました(^^♪

拙宅は、Jcomのケーブルテレビで、TVとインターネットをしていますが、3つ契約すると割引があり、以前はこれに固定電話(au)を追加していましたが、アパートに転居をきっかけに固定電話を持たなくなりました。
そこでもう1つを何にするか悩み、結局はオンデマンドギガパックにしました。
だいたいは連れが韓流ドラマを見ているのですが、昨晩は「ローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅」の項目がトップ画面にあり、暑くて寝苦しいこともあって、深夜25時過ぎから見てしまいました。
ご存知の方も多い、太川陽介さんと蛭子能収さんがマドンナゲストと共に路線バスだけで目的地を目指すバラエティ番組です。
ゲストは、ぶりっ子と女性にはあまり人気のないさとう珠緒さん、僕は己の魅力の表現方法を知っている方なので大好きですけれどね(笑) 

2003年の8月、皆さん、若いです(笑)15回目のチャレンジとのこと。

いきなりの5kmのウォークや山形ー秋田県境越えの15kmのウォークなどかなり厳しくも、かつローカルゆえの本数の少なさに難儀をし、結局はたどり着けなかった…。
しかし、田沢湖から玉川温泉を経由して鹿角に出るコースは、湯治療養で何十回も車を走らせたので、光景が頭の中にインプットされています。懐かしいなぁ~、と、楽しませてもらいました。

失敗に終わったこのコース。でも、番組作成の企画段階で「成功」できるからこそ、3人にチャレンジさせたのでしょう、と思いながらも、本当に成功できるのか? は今日になっても、もやもやしています。
そこで、インターネットでくぐると、やっぱり同じもやもやさんがいたのですね。

テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第15弾 米沢~大間岬」の「正解」を探してみた。やっぱりありました。
鎌倉淳さまと言う方のBlogを見ると、矢立を経由する方法がありました。

前述の玉川湯治の際にも、往復路中を含めて1,2回はどこか観光に行っていたので、十和田湖も行きましたが確かに十和田湖は、ここと奥入瀬渓谷が終点。
幹線道は、鎌倉さまの言われるように、小坂町ー矢立ー黒石だったように思い出しました。
でも、なんで鹿角BTの方は教えてあげなかったのだろう? 鹿角から小坂方面は本数ありそうなのに…?

チャレンジャーと企画スタッフの知恵の絞りあいがこの番組を盛り上げていますが、無理なルート設定が多くなりましたよね。歩くのが番組の目的じゃないので、たとえ9分9厘成功し、今回は簡単だったね、でも道中のバス車中の触れ合いがあれば御の字だと思います。
とはいえ、懐かしい風景も堪能でき、そしてもやもやが晴れました。
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