神の前に共に

2017年8月27日、小田原教会に与えられたみ言葉は、マタイによる福音書 12章46-50節。表記のタイトルの説教を長井美歌牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」


家族が待っていた理由は書かれていませんが、ファリサイ派の人々がイエスを殺害止む得なし、とまで言っている噂を聞きたけたからでしょう。家族故のイエスの身を案じた忠告であります。
また、ハリウッド映画「ベン・ハー」の最初のシーン。瓦や植木鉢が落ちたことで一族郎党が処罰の対象となったように「家系」を守るための忠告をしに来たのでしょう。

それに対し、イエスは『母親とはだれか?』と冷酷と言えそうなほどの冷たい態度で回答をします。
僕らも家族の忠告にはなかなか素直に受け入れられないところがありますが、それでも『(面倒くさそうに)分かったよ、うるせーなー』程度のあしらいかたです。『あんた誰?』『何様のつもりで俺に説教しているの?』と言うのはなかなか言わない言葉ではないでしょうか?

長井牧師は、イエスのこの回答を2つの意味を持った回答と話されます。
一つは、ペテロら弟子と始めで出会った時のこと。
「人をとる漁師になれ」と言うイエスの言葉にどこまで理解したかは不明ですが、父親も家族も生業も捨ててついてきたこと。それは貧困の庶民は神の救いから遠いと言われた時代、父親や家族を捨てるという代償の代わりに、神への救いが得られるということ。社会のしがらみからの解放があるという側面。
もう一つは、ファリサイ派の人々から殺されそうなほど確かな預言者であると信じられ、万難を排しイエスの後をついてくる多くの群衆の姿。

キリスト教とはよくクリスチャン仲間の事を兄弟姉妹と言いますが、ここから来た呼び名でしょう。神の救いを信じている仲間はイエスの言葉を借りれば「私の兄弟、姉妹である」訳です。

では、どういう人が兄弟姉妹なのか?と言えば、イエスは「天の父の御心を行う人」だと言っているのです。
洗礼を受けたものではないのです。「天の父の御心」を行うもの、とは、例えば蔑視をしない人、例えば平和を求める人、例えば隣人を愛する人な訳です。
そこに洗礼や毎週礼拝に出席している人ではないのだと僕は思いますし、長井牧師の言葉もそれに近いものだったと思います。
それは宣教と言う自分の信仰の現し方を否定するものではなく、肯定をしながらもキリスト教者以外の人も十分に主の御心に近い方はたくさんいるということです。

7月に大阪釜ヶ崎に行きました。週末でしたので、主日には礼拝をささげることが出来ました。ふるさとの家では本田神父が、種まきの喩えを講解してくれました。
宣教を重んじるばかりに日本のクリスチャンは他の人をクリスチャンにさせようと躍起になり、この聖書の箇所を読んでは、だからこの日本の地に種まきをしようと言うが、既に種はまかれていて、神を知っている人も知らない人も多くの人が、平和を考え、平等を説き、隣人との交わりの中に生きている訳です。

イエスの家族は、神を信じているのにイエスの行動を理解できなかった。
僕らもそうなのかもしれません。神の種まきを信じ、自分にまかれた神の種(神の御心)に従うことに専念をしましょう。それが今日の聖書が僕らに語ってくれることだと思います。

命を導かれた方

2017年8月20日、小田原教会に与えられたみ言葉は、ローマの信徒への手紙 5章12-21節。表記のタイトルの説教を中田正道牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。


この世は3次元世界と言われています。縦・横・高さで出来上がっています。
そしてもう一つの次元が存在する場所を4次元の世界と言い、得てしてその一つを時間軸だと言われています。タイムマシンやタイムトラベラーが描かれたSF作品を好んで読んでいた僕としては、4次元を操れるようになるのを夢見ていました。

敬愛する三浦綾子姉の作品「塩狩峠」で主人公の信夫は伊木師に『十字架につけたのはあなた自身だということを、わかっていますか?』と問われ『先生、ぼくは明治の御代の人間です。キリストがはりつけにされたのは、千何百年も前のことではありませんか。どうして明治生まれのぼくが、キリストを十字架にかけたなどと思えるでしょうか』と返しています。
時を超える業はやはり人が必要なものではなく、でも神の御業では必要な業です。
僕らは時を川の流れのように逆流もなくただ川上から川下に流れるものとしてしか想像できません。ですからアダムの罪によって僕らも「死」と言う責務が生じたことは理解できても、イエスの救済によって紀元前の人の魂が救われるか?とか現代を生きる僕らの罪がイエスを十字架に導いたのか?という疑問には異論があるかもしれません。

しかし、もし4次元なら、時間軸を超越しているのなら、神の恵みはどの時代にも影響します。つまり、信夫の罪は2000年経った明治の御代の時代にも働かれる神の御業、神の愛ゆえに払しょくされるのでしょう。

そんな勝手なことを頭に浮かべながら説教を聞いていた訳ですが、中田牧師は「予型論的解釈」という神学(キリスト教を学問的に分析したこと)の話をされます。
つまり新約聖書でイエスがすることを既に数千年も前の旧約の時代に将来そういう救世が来ることを「何か」の形で預言されているという考えです。
今日の箇所もアダムの不従順による罪とイエスの従順による救いの対比です。
でも神が不従順なアダムの子孫を何故赦すのか?が気がかりですが、それはやはり不従順でだめな僕らを神はイエスを送ってでも赦そうとした愛なのでしょうね。

8月24日のパトビラ(№992 - 9月1日の防災訓練は気を付けて -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

9月1日にビッグレスキューかながわというオリンピックを前に関東全域の大きな防災訓練が開催されます。人数もさながらホバークラフトも来るらしく規模も最大級だそうです。そうなると気になるのは、空をオスプレイが飛ぶかもしれないという不安。何しろ2009年から9回事故を起こしている世界一危険な乗り物です。そしてストロンチウム90という放射性物質がつかわれている可能性もあるという話も聞いています。
会場の酒匂川は、白鴎中や小田原東高校がある文教地域。多くの学生のいる傍で開催するのなら危険なオスプレイは飛ばさないでほしいと思います。また、「君子危うきに近づかず」の言葉通りみなさんも酒匂橋や大橋通過の際はお気をつけてお通り下さい。近隣で寝ている方はその日の昼間は避難していたほうが無難かもしれません。ホバークラフトにしろオスプレイにしろ尋常じゃない風が吹きます。
さて、私事ながら今週をもって無期休暇を頂きます。
無期と言う言葉は永遠にと言う意味に誤解されそうですが、そうではなく、いつになるか分からないだけで戻る気は満々です。ただ半年後になるのか1年後になるのかは不明ですが・・・。拙いパトビラでしたが、「楽しみにしているんだよ」と言う言葉に励まされて書き続けました。読んでくれたみなさんありがとう。またお会いする日まで。


何度墜落しようが、速度が早いだけで荷物も積めずに被災した家をもっと大きな破損につなげる暴風を起こそうが、オスプレイをどうしても使おうとするのは何故なんでしょう?
また記事にも記しましたが、ストロンチウムが使われていると言うニュースをみるとあながちいい加減にも見えず不安だけが広がります。ストロンチウム90は放射性同位体元素で、カルシウムと似ているのでカルシウムのように体内に取り込まれやすいと言われています。学校のそばに果たしてそんな危険な物質を使っている可能性のある危険なヘリが来るのでしょうか?残念ながら否定できないのが、安倍政権です。

さて、文面後半は私事で紙面を頂戴しました。個人的な話ですが、転居します。引っ越し作業や遠方になる職場との往復等で、しばらくはバタバタしそうです。そんな訳でお休みを頂くことにしました。
将来の計画を立てた後は、残りのメンバーに委ねなければならないので、「無低からアパートに入る」ことを阻むさまざまなファクターの回避と、野宿者への偏見の打開、そしてパト運営の基盤の一つ財政を健全にすることに半年をつぎ込みました。
8日の小田原市との意見交換やさとにきたらええやん実行委員さんの協力に基づく集会の開催などで、不在になる前に一定の効果を残すことができました。まだまだ不完全な所はきっと残りのメンバーさんが知りぬぐいをしてくれるでしょう。
年末年始の炊き出しも新しいメンバーさんがお力を貸してくれることになったので安堵であります。
ただ、昨日の集会などで「小田原交流パトロール」にご関心を頂き、パトに参加してみたいという方もいらっしゃいました。僕の都合がつく時はご一緒するのは吝かではありませんのでお気軽にお問い合わせください。

また、今号を持ちましてBlogにパトビラを載せるのも終了となります。お読みくださいました皆様にも感謝申し上げます。

8月17日のパトビラ(№991 - 神頼み -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。

この8日に市民を対象に小田原交流パトロールの報告会を致しました。会の内容やコンセプトをお話ししました。
そこで話しきれなかったことですが、聖書に「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」と書かれていると言う話。
サッカーの背番号12はサポーターのもの。応援の力を知っていればこそ11人でやるサッカーの次の12番をファンのためにあけてあります。野球でも同じでホームグランドでは勝率が上がります。また、受験勉強をして合格した生徒は『家族の応援のおかげ』などと言うインタビューもよく聞く言葉です。僕らは一人で頑張っているようで、決して一人ではなく、縁の下の力持ち、支えの上で生活をしています。
僕らも力には限りがありますが、精いっぱい応援したいです。そしてそう思う多くの市民がこの日の集会で増えました。またそれは神様も一緒。神頼みをしたから、パトのメンバーにお願いしたからもう大丈夫ではなく、ともに変わっていけるよう力をあわせたいです。


トピックスだけを見ると直前と同じことを書いていますが、前回のはBlogをご覧になっていられる方、そしてこのトピックスは野宿を余儀なくする仲間たちへのパトビラの内容をUPしているものですので重複をお許し下さいね。
どんな誰もが神様の目には等しく尊い方。それは平等と言う側面だけではなく、自分の意志と自由で生きる権利を与えられたという意味でもあります。だから逆に言えばだれもが一生懸命生きなければいけないし、一生懸命生きている者同士支え合わなきゃあいけないんですよね。
そして支え合いの中から希望と元気(パワー)が生まれます。

野宿者のことを学ぶ中から

13日表記の集会を開始しました。

20170813-01

現役中学教師の柏木先生の講演は、授業内容が度肝を抜くようなもので、そしてその授業を受けて、自分で考える能力の開花をする中学生たち。それはスタンディングオベーションをしたいほどの内容。

20170813-02

それは今回は直接野宿者支援とは違うし、きっと他の誰かが書いてくれるでしょうからここでは割愛します。

この会の中でフリーディスカッションをいたしました。その中でとても大事なことが質問されました。それは
「寄り添っているか?」と言う疑問です。「相手の気持ちに寄り添えているか?」と言う問いかけです。
本来一番大事なことでこの話をしたかったのですが、不慣れなコーディネートでどんどんピンポイントの論議にはまり、肝心な精神(なんのために活動をしているか?)を事前に話しきれていなかったので、そこに切り込んでくれたことはありがたかったです。

聖書の中に、マタイによる福音書と言う箇所があり、その25章35節に
「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ…」と言うフレーズがあります。
そのフレーズについて釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父は、日本語の翻訳は少し違っている、正式には「私が飢えていた時に自分で食べていけるようにしてくれ、のどが渇いている時に自分で飲めるようにしてくれた」
大いに違うことがお分かり頂けるでしょうか?僕らはこうでなければいけないと思っています。

でもそれは一時のおにぎりを不要だと言っている訳ではありません。人は十分に食べなければ活動できません。遠い明日に就職活動をするためには今日一日生き抜かなければならない、そのためのおにぎりは「自分で食べていけるようにする」ものです。
でも、永遠に「あげる」「もらう」の関係ではいけないというのです。

その人が自分で食べていけない理由はどこにあるのでしょうか?
実はそれを柏木先生の授業ではきちんと取り上げたのです。
まさに「イエスが隣人を語る」ことに目をやった結果、子どもたちは否定していた野宿者を受け入れ、野宿者問題の本質にぶつかったのでしょう。
本質は路上で寝ている事実ではありません。本質は路上で寝なければならなくなった社会構造です。
一生懸命働いた揚句に、路上で生活をせざるを得なくなり、それを何も知らない自分が蔑視していたことに気付いた時に、社会の理不尽さに立ち向かいたいという勇気をもった。その気づきが授業内容だったのでしょう。
そして微力な自分であるのならどうするか?そこにディベート力が必要で、そこには他人と生きていくための語学の大切さ、それが国語(日本語)学なのでしょう。

もう一つ大切な関係は「祝福」です。この話は質問者の回答にも少し触れました。
以前こんなBlogをかきました。
社会の中に居る事で大切なボランティアはなにか?と言えば笑顔を作り出すことでしょう。
それが 子どもたちのように何のスキルもなくてもできることが僕らには残念ながらできなくなっていく。
それをしっかりと認識し、力不足の大人たちが子どもたちの力を借りて、笑顔と言う明日の希望の力にしてもらう活動にしていければいいですね。本当に寄り添えて行けているか?はひび葛藤で、もしかしたら出来ていないかもしれません。でもBestを尽くすことだけはしっかりと全うしたいです。

そして「している」だけではないことも教わります。パトのメンバーに家族を送る出してくれた方、「息子にとって野宿のオッチャン達は『道親』だ」と言う発言こそが、隣人の本質だったと思います。

多くの仲間たちと一緒に一つの集会を作り終え、そして幾何の方が野宿者支援に関心を持ってくれたことは感謝です。
また、カンパ箱には15.761円 もありました。謹んで御礼を申し上げるとともに大切に用いますことを申し述べさせて頂きます。

命を生かす共同体

交換講壇というクリスチャン以外の方はあまり聞きなれない言葉かと思いますが、他教会と牧師同士がその週交換して説教をすることを言います。この日、小田原教会は藤沢大庭教会と交換講壇が成立し、当教会の中田牧師が藤沢大庭へ、そして小田原教会へは藤沢大庭教会の山田啓人牧師がお越しくださりました。
2017年8月13日、小田原教会に与えられたみ言葉は、旧約聖書サムエル記上 8章1-22節。表記のタイトルの説教を山田啓人牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったことを含めて綴ってみます。(説教の要約ではありません)

サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命した。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤといい、この二人はベエル・シェバで裁きを行った。しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた。イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」
裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」
サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。
主はサムエルに言われた。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい。」サムエルはイスラエルの人々に言った。「それぞれ、自分の町に帰りなさい。」



山田牧師は、イエス幼少期の様子を資料を基に推察します。
イエス家は中流以上の家庭だが、そのころナザレ地方では紛争があり戦火に包まれ、イエスの父ヨセフはもしかしたらその戦いの中で命を落としたのかもしれない、と語ります。
聖書の中にも母マリアが長男イエスに大きな期待と信頼を寄せているシーンがありますが、自分の連れ合いではなく子に期待と信頼を寄せるのはその推察を裏付けるものかもしれません。
町が破壊され、大工のイエスは仕事に追われたことでしょう。そして完成した商品をもって依頼主の家庭を訪問し、そこでの会話の中で、弱者である民衆の生きざまとこの世の理不尽な社会を知って行く訳です。

何によってこの理不尽が起こったのか?イエスの疑問はそこに向かい、それは例えばエルサレム神殿に入れない人とは入れる人の差別などがあることを感じ、「わが神」は本当にその差別をする神なのだろうか? というのが、宗教に関する始まりだったように思えます。
既存ユダヤ教へのイエスのプロテスト(抗議)は、民衆に支持されますが、その支持はイエスの思惑と民衆の期待とは若干違っていました。
イエスは心の解放、神から大切な人と言われていることの喜びをつたえること、そこに救いを見出したのですが、民衆は「政治的メシア」であったり「暴力的メシア」を望んでいたわけです。目先の権力こそ「救い」だと願っていたのでしょう。
そのメシア観は、勝手な民衆の失望を生み、十字架につながります。

2000年経って冷静に見ると浅はかにすら見える民衆の望みですが、紀元前11世紀のサムエルの時代でも同じだったように読めます。
「王がほしい」「いや、王は民衆から搾取するぞ、お前たちは戦場に送られるぞ」と言うやり取りがあっても、民衆は「王がほしい」と言い続け、神すらも「自身で納得するまでは理解できないよ」と言う訳です。それが今日テキストとして与えられた御言葉です。

現在の社会も同じなのか、と思います。「強いアメリカ」を語るトランプ氏。国粋主義者が増えている欧州各国。自国の反論は監禁される中国や粛清の北朝鮮。ニュースでは各国の負の部分が報じられますが、日本でも法治国家ではないような事件が起こっています。曰く、沖縄高江の不当な逮捕。曰く、福島原発の処理不足の中のアリンピック安全宣言、等々等。
それでも何割かの人は安倍政権を支持し、法を改定してでも『サムエルの危惧する国づくり』をしようとしています。

聖書を読む僕らは、神から心が離れ、人間が王として人を支配することのその後を何度も見せつけ警鐘を与えています。何度も書かれているということは間違いを犯しやすい事です。心して神の警鐘を受けたいものです.。

第2回石造物調査会(小田原の石仏を調べる会)

郷土文化館からのお知らせチラシを教えてもらいエントリーしたものの、第1回は大阪釜ヶ崎に行っている最中だったもので参加できず。連れ合いの楽しかったの言葉に羨望の中この日を待って参加。
ラッキーなことに前日の雨は止み、なおかつそのせいで気温も低め。屋外のフィールドワークにはもってこいの陽気。
この日は、

20170812-01

城山の本誓寺さんと鳳巣院さん。
本誓寺は當知山重願院と言う山号。1505(4)年に開山創建と言います。ご住職の話では今川家の藤枝某が開祖だとか。
その言葉を証するがごとく、土中から

20170812-03

こんな石が出てきたとか。文亀元年?なのだろうか? だとしたら1501年のことになる。新しい意志に見えるのは土中に埋まっていて掘り起こした時に洗ったからなのか? はたまた後世の人がこの寺の縁起を記すために書いた新しいものなのか?
このころの日本はと言えば、東山文化の終焉、11代足利義澄の時代。ここから応仁の乱・乱世の時代へ突き進むころ。
この小田原で言えば伊勢新九郎(北條早雲)が小田原に入ったのが1495年なのでほぼそのころになる。
もとは今川家の客分家臣だったので、小田原の街づくりに名家今川の名前を欲して作らせたものなのかもしれない。

寺内を石造物を探しながら歩けば五輪塔。

20170812-02

昔何かの本で読んだのは火輪の先が沿っていないものは鎌倉記前と書かれていたようなのでこれは古いものだと興味津々。
しかも空輪部分は風化している。
サイズを測り、裏に回り文字の解析。水輪部分に名前が彫られている。闡譽上人の名前。存ぜぬ名前と家に帰ってクグル。
と、増上寺の67代管主に渡辺教善(闡譽教音)の名前。どうも幕末頃の方のよう。思ったほど古くない五輪塔でした。

1時間ほどお寺を探索させて頂きお礼を言って道路向かいの鳳巣院さんへ。

山号を實平山と言い14世紀頃に久野総世寺五世天祐宗根が開山したと言われています。
小田原七福神の福禄寿がいますが、手には桃を持っているとのこと。ご住職がその由来をお教えくださり、なお秘仏までお見せ下さいました。

20170812-04

お庭自身には大きな阿弥陀如来像1体と無縁仏の墓のみでした。
2時間ほどの探索で10余の石造物を調査できました。

野宿者のことを学ぶ中から

20170727-01

「さとにきたらええやん」上映会がこの日曜 30日に行われます。映画のあと北村年子さんを講師にお話をお聞きします。
一つは釜ヶ崎にあるこどものさとに集まる子どもたちが血縁でなく地縁で結ばれた多くの大人たちの愛情で育っていく「道親」と言う考え方の拡大。
そしてもう一つは野宿者がおかれている現状。
そうした中、小田原でも野宿生活を余儀なくされている方のこと、それを支援する側に釜ヶ崎のこどもの里と同じように子どもたちがいるのなら、もっと深く聞きたいというと言う要望が出てきたので、映画会の第2弾を開催する運びとなりました。

会場は80余人ですので、早いもの順です(^_^)/
予約もお受けいたしますのでご興味ご関心のある方はご連絡ください。

原爆投下の日

正確な時期は失念したが1980年代中旬から小田原のスクランブル交差点で小田原在住の被爆者の方と一緒に原水禁の署名と募金活動を約30年続けた。
きっかけは、

20170809-01

20170809-02

の絵本でも紹介されたHさんの音頭取り。(右下の小田原と書かれた方)
世の中を変えることが出来るほど大きな力ではないことは分かっているけれど、町の中で大きな声をあげてPRすることが、すなわち風化防止。なんだかわからない輩がでかい声張り上げていたな、原爆がどうだとか…。そんなあやふやな理解でもいい、原爆と言う言葉がインプットされれば、いつかその記憶が蘇える。
何割の方に理解して頂けたかもわからないし、今日日「長崎に原爆が投下された年月日は?」と問われて何割が正解を言ってくれるかも知るのも怖いくらいなデータなんだろう。少しでも食い止められればと切に思う。
その活動が今から約30年前に終止符を打たざるを得なかったのは、もう被爆者の方々も(もちろん僕ら教会での協力者も)高齢になり、夏の暑い昼下がりにやれるだけの体力が無くなってきたから。活動をやめなければならないのは悔しいいし苦しい。
苦しい…それは思いが広がらないという側面がそういう気持ちにさせる。始めた方の意志が通じ国の考えが改まったならともかく、思い半ばでやめてしまう事は申し訳ないという気持ちも湧く。
でもスタンディングだけがPRではない。今僕らは自由にFacebookやツィッター、ミクシーなどのSNSに投稿する権利を持っている。
9日、僕らは今一度原爆に想いを馳せよう! 唯一の被爆国、いやそんなことはない、実験地に住むネイティブアメリカンやビキニ環礁の住民たち、そしてチェルノブイリに住んでいた方々・・・。みんな被害を受け困窮の日々を過ごしている。そうした人たちと一緒にやはり原子力の使用は人類には無謀だと言わなければならない。そしていかなる理由であれ人を殺める権利が無いことも声を大にして言い続けたい。

8月10日のパトビラ(№990 - 小田原市生活支援課と意見交換してきました -)

毎週、野宿を余儀なくされている方(ホームレス)のところを訪問する際に持っていくパトビラ、今日はこんなことを書いてみました。
いつもはA4一枚ですが、書ききれなく今日はA4二枚です。

20170810-01
20170810-02

8日に小田原市福祉健康部生活支援課と意見交換をしてまいりました。
大きなテーマは2つで、その1つはジャンパー問題に端を発した「生活保護行政のあり方検討会」報告書の「改善案」の動向。
1.所内で研修をたくさんしてどうすれば正しく優しく生活困窮の人たちと対応できるかの検討。 
2.1項で学んだことを窓口やケースワーカーの訪問時に実践できるようにする改革。このなかには既に改正した「保護のしおり」やそれを使っての人権に伴った利用審査、保護の申請からの決定まで14日で治める努力の徹底などがあります。 
3.またケースワーカーなどの職員が仕事をしやすくするような環境づくり。人員の増員や市長・副市長とのミーティングなどをする等を掲げています。 
4.保護を利用している人が後ろめたくないように、当然の権利と胸を張って使えるようにすること 
5.市民に開かれた生活保護。4項と類似していますが、市民が保護利用に理解をするように啓発していく。 こうしたことをしていくと報告がありました。

もう一つのテーマは、NPO無料低額宿泊所からアパート等への転居や無低の施設概要について、です。
いわゆる厚生省課長通達7―107で、面接時にいくつもの要件を中心に総合的に判断をすること自身は異論ないですが、「あり方検討会」の中で有識者の方が、一時宿泊所なので長期無低に留めるのはよろしい事ではないと語り、それについては市側も納得したことなので、最低限の金銭管理や火元管理などの安全管理などができる人に関しては、アパートに転居後にケースワーカーさんと一緒にそのほかの詳細改善をしていけるようにしてほしい事。面接官が本人以外無低の運営者や施設管理者などの意見を重視するのは(空き部屋を嫌がる運営者と言う立場なので)アンフェアーになる、等の意見を提言してきました。
多くの部分は市役所担当者も納得していただいたので今後改善されると思っています。
こうした意見交換会は定期的に行っていきたいと思います。


小田原市さんが板挟みで大変なことは重々承知の上で、でも国や県は顔の見える関係じゃなく、僕らが頼るのはやはり市行政なのです。野宿の一人一人の顔を見ながら、困窮の悩みを直で聞きながら、小田原で生活してよかったと言える街づくりにしていってほしいです。そのためには市民グループとして協力を惜しみません。
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